季節が巡っても、変われないまま、光へ向かう



 はじめに

 悲しいことが起きると、心は悲しみに囚われ続けてしまう。
 その間にも、日常は進んでいき、自分の感傷なんて癒えないまま、季節は巡っていく。
 胸の中の悲しみは、忘れられないまま、日々を頑張ってこなすしかない。

 どんな日常の中にも、悲しみや虚しさを抱えたまま、日々を頑張っている人もいるし、
 そんな痛んだままの自分のことを、二の次にして、優しさを周りに与え続ける人もいる。
 もう、傷だらけだ。
 
 そんな心の傷をなかなか癒せないままの自分のことを、
 変われないままだよね。って思うと、また気持ちが痛む。

 だけど、日々を痛みを抱えたままでは、辛すぎるし、
 恋と愛の違いも曖昧なまま日々の関係が続いても、日々の違和感は消えない。
 
 これは、そんな気持ちを集めた散文だ。


 




1、季節が巡っても、変われないまま、光へ向かう
・季節が巡っても、変われないまま、光へ向かう・虚弱体質で、フルタイムが無理すぎる・幸福論・ストレートな愛、いっぱいを君に・好きを恋に、愛にするのはリラックス・失った恋の片付け方・過去の好きを信じ切って・どの服を着ていくか迷っても・理想的な恋・こうしてほしいが強くなったときは・告白する理由・恋を阻む距離・ブレインフォグを溶かすほどの愛をください・続いた喧嘩の終わらせ方・失った恋は、すぐに消えない・どうして、ふたりのことを好きになるんだろう・条件付きの恋は飛行機の条件付き出発と同じだ・どんなときも、愛嬌と度胸・ふたりの方が強くなれる理由・共依存でもいいじゃん・恋は駆け引きじゃない・出会いも別れも意味があると信じている・息が合う、愛する人と生きることは簡単



2、傷だらけだけど、優しくありたい
・「疲れた」が口癖になっている・常に人は変わりたいと願うけど・悲しくなったら、駆け抜ければいい・答えは自分の中に存在している・自信なんていらない・失敗したっていい・心の奥底に眠っている、夢を探す・簡単な夢の叶え方・あまり群れたくない・悔しいと思う前に・優しさは必要なのか・正しいAIの使い方・頑張りを搾取する闇から抜け出せ・派手さより、同じことを同じように続ける・人生の中で、感傷的な時期があったっていい・幸せと欲求の正体・機転を利かせた親切をする人はかっこいい・話を聞きすぎる君へ・ありのままの自分で生きてみたい・人生を駆け抜ける







☆季節が巡っても、変われないまま、光へ向かう

 
 季節が巡っても、変われないまま、
 自分だけが取り残されたみたいだね。
 それでも、時間は平等に流れるから、
 残ったままの気持ちを抱いて、
 今日も光が射している側へ歩き続ける。



 心が傷ついたまま、その傷が癒えないと、立ち止まっているような感覚になってしまう。
 言葉の棘で、切り裂かれた胸の痛みは、すぐに縫い合わせることは、難しくて、気持ちもぐちゃぐちゃなまま、時間がだけが流れていく。

 気持ちを切り替えようとしても、真夜中にコーヒーを飲んでも、きっと過去のことばかり思い出してしまう。
 どうして、あのとき、こうしなかったんだろうとか、どうして、こんな言葉を言われなきゃいけなかったんだろうとか、ロマンスとは遠く離れた、虚しさと悲しさで、気持ちは溺れる。

 そんなとき、僕たちは、前を向かなくちゃと、無理やり変化しようとする。
 悲しみを誤魔化すために、淡々とした日々に集中しようとする。ジクジク胸の奥は痛むのに、それを無視して、明るく振る舞い、社会の中の歯車になることに集中する。胸の痛みを無視して。

 そうしているうちに、季節が巡っていき、半袖が長袖になる。
 色づき始めた街路樹を見て、季節が巡ったことにショックを受ける。胸の痛みはまだ、続いているのに、無理やり前を向いて、自分を変えようとした、そのギャップにショックを受けるんだ。

 急に変わらないくていいんだよ。
 胸の痛みを無視しないで、受け入れてしまう時間を作ろう。
 今は、光が射す方を見なくたっていい。
 今は、痛みを感じ続けるだけでいいんだ。
 どうせ、いつかは、光の射す方へ向かうんだから。



☆虚弱体質で、フルタイムが無理すぎる


 もし、ひとつだけ魔法をかけられるなら、
 疲れないようにしてほしいな。
 日々に疲れ果てて、
 休日に楽しんでいる人たちを見ると、
 輝いて見えるし、遠くの世界のことのように感じるよ。
 
 ねえ、神様。
 強靭じゃなくてもいいので、
 疲れない身体にしてください。



 どうして、こんなことをしても疲れないんだろう。
 生まれてから、ずっと、そう思うことばかりだ。
 それは、自分に体力がないのを自覚しているからだと思うし、日々、フルタイムの仕事をするだけで、体力が奪われ、休日は寝たきりになってしまうからかもしれない。

 体力はみんな平等じゃないし、負担はみんな平等じゃない。
 土曜日と日曜日は、もちろん疲れ切っていて、ベッドに囚われたままだ。それでも体力は完全に回復し切らないまま、また月曜日を迎え、栄養ドリンクを飲む。天気が悪い日は、決まって頭痛がするから、アスピリン錠を2錠飲む。
 日中に襲われる眠気も、身体のだるさも、脳みそが疲れ切ったブレインフォグっぽさも、もう慣れてしまったけど、つらいことに変わりはない。

 体力以外にも、平等じゃないところはある。
 通勤、通学時間の長短。電車、徒歩、自転車、車。都市か地方か。本当にいろんな要素があると思う。
 大都市の電車通勤は、人々の密集に耐えなくちゃいけないし、地方の車通勤は、朝の渋滞に耐えなくちゃいけない。
 都会も大変だけど、地方もそれなりに大変だ。

 虚弱のまま、いろんな環境に身を置いてわかったことも、どんな人も平等じゃないということだった。
 社会は、疲れやすい人向けの、優しい設計になっていない。健康で元気な人向けの設計になっている。
 休日も元気に過ごせる人は、いろんなことができる。人と会って遊ぶことも疲れないし、サロンで髪をカラーすることも疲れないだろう。アウトドアや旅行だって、疲れない。むしろリフレッシュして、平日への活力になっているようにも見える。

 本当は無理したいし、もう少し頑張れたらなって思うことが、たくさんある。だけど、やっぱり、身体は疲労で支配され、休日は何もできなくなる。休日に予定を一日入れるだけでも、つらい。
 それどころか、スーパーで買い物することすらも、つらい。

 こういう状態を口には、できないよね。
 そんな感じの人、多い気がするから、このことを書いてみたんだ。

 ただ、ひとつだけ言えることはあるよ。
 そんな状態で、日々をそつなくこなしている、あなたはすごい。



☆幸福論


 眠り警報が発表された夜、
 眠り込む魔法で、眠らされる直前の街は、
 幸福に包まれていた。
 
 「幸せだったよ。ありがとう」
 「また、来世も一緒になろう」
 「今までごめんね。だけど幸せだったよ」

 そんな言葉だけを残して、
 その街は自然に還るまで、眠り続けた。
 


 世界が滅亡するような映画で、よく幸福論が語られているような気がする。世界が滅亡する直前、世界滅亡の危機によって、壊された平和な日常に思いを馳せる。
 
 どうして、あの人にあんなひどいことを言ってしまったんだろう。
 どうして、あの人のことを真剣に愛することができなかったんだろう。
 どうして、あの人のために自分はベストを尽くさなかったんだろう。
 
 こんなことが、劇中のセリフで繰り広げられ、そして、それを語った登場人物の死亡フラグが立てられる。過去の自分への後悔を、カタルシスとして放出した人間のほとんどが、過去の後悔から、奮い立ち、仲間を庇い、死に、物語はクライマックスへ進んでいく。

 これは映画とか、ドラマとか、物語の話だけど、人間が死の直前に考えることは、もしかすると、本質的には、似ているのかもしれない。
 
 どうして、あの人に優しくできなかったんだろう。
 どうして、あの人を裏切ってしまったんだろう。
 どうして、あの人のために勇気を出して、チャレンジしなかったんだろう。
 
 死の淵に立ち、初めて人間は、自分が相手に対して、どのくらい幸せを与えたか、相手から、幸せを与えられていたかを実感するんだと思う。
 どんな人も、今ある平和な日常は永遠に続くと思っている。
 だけど、ある日突然、不幸が顔を覗く。

 天国に一番近くなった、そのときに、後悔しないように、今の幸せをたくさん感じきりたい。



☆ストレートな愛、いっぱいを君に


 気の利いたの言葉すら、見つけることが難しいね。
 ここ最近は、楽しかったことすら、
 思い出すのも難しいよ。

 それでも、信じてほしいな。
 ねえ、君のこと、大好きだよ。



 みんな口下手だし、みんな自分のことで精一杯だから、どんな恋も、多かれ少なかれ、すれ違いが起きてしまうのだと思うんだ。
 好きな相手に、気の利いた恋文すら、送ることができない。意図せず、すれ違ったり、誤解を生むやり取りをしてしまう。本当は、相手とただ、楽しく会話したかっただけなのに、すれ違う。

 それはそうだよね。だって、こんな情報過多の中で、誰だって、しんどさを抱えながら、一生懸命、毎日、押し付けられるタスクを処理しているんだから。
 インターネットがまだなかった頃の職場って、もっとのんびりしていたらしいけど、本当なのかな。昔は、連絡手段があまりないから、いろんなことをFAXや、電報、郵便で処理していたから、その分、多少のタイムロスも許されたみたい。そのかわり、コンプラはないに等しかったってことみたい。
 つまり、今、僕たちは、ある程度のコンプラを手に入れたかわりに、とんでもない情報量を、日々、処理しなくちゃいけなくなったのかもしれない。

 そうすると、脳疲労で、毎日に余裕なんてなくなってしまう。
 ブレインフォグっぽさは、毎日のように抜けないし、そのせいで、プライベートは犠牲になる。自炊なんて、できたら十分すごいし、相当、体力あるよね。フォグってる脳で、好きな人に気の利いたメッセージひとつでも、送ることができたら、その人は、相当、体力お化けな気がする。

 コンプラの所為で、社会でのおしゃべりにすら、気を遣わなくちゃいけないから、余計、脳のワーキングメモリーは、同僚や上司のおしゃべりに割かれる。そして、ドーパミン中毒の僕たちは、ランチを食べながら、SNSで無造作に新しい情報を浴び続ける。そうすると、脳が休まるのは、本当に寝ている時間だけになっちゃってるよね。
 
 つまり、一番最強の恋文は、どんなに自分が疲れ切った状態でも、相手のことを思いやることができるストレートな愛、いっぱいを伝えることだと思うんだ。
 気の利いたメッセージを送ることが難しかったら、
 「ごめん、今日は疲れ過ぎてて、気の利いた言葉かけられないかも」って素直に、伝える。続けて、こうやって未来の自分を伝える。
 「土曜日は、君のことだけ考える、いい子になるね」



☆好きを恋に、愛にするのはリラックス


 リラックスできるほどの、長い夢を君と一緒に見ていたいな。
 その夢をね、白い壁にプロジェクターで映し出して、
 ただ、二人で笑い合いたい。

 星屑と、オーロラと、流氷をミキサーに混ぜて、
 最高の輝きを作り上げるように、
 過去も、未来も、今も、全部混ぜた夢みよう。
 君と二人で。



 出会いなんて、些細なんだと思う。ラブストーリーの恋の始まりは劇的な始まりばかりだけど、リアルの恋の始まりは、もっと些細で素朴なものだと思う。
 出会った最初の日は、恋愛対象でなかったはずなのに、その人と話しているうちに、だんだんその人の考え方にもっと触れたくなる。

 今まで、どうやって生きてきたの?
 小さい頃、好きだったことは? 
 今、未来にどんな夢を描いているの?

 相手のことを知りたいと思った時、もう、恋が始まっている。相手にどう思われるか、わからないから、緊張するとか、できるだけいい印象を持たれたいとか、そういうことじゃないはずだ。
 出会いは最悪でも、何度も話しているうちに、意外と、相手に惹かれていくってことは、割とあると思う。Netflixでよく観る韓国ドラマの始まり方に似ていることだって、リアルでも起きるはずなんだ。

 相手のことを知りたい。
 そう思う自分の気持ちが、好きを恋に進める。相手のことを知りたいと思ったら、話題がなぜか尽きなくなるし、相手も、自分のことに興味を持ち、たくさん質問してくれたら、それは、もう、恋。

 6時間でも話足りなくて、12時間ずっと一緒にいても話が尽きない相手は、そんなにいない。もしも、そういう人に出会えたら、大切にしてみよう。
 リラックスの積み重ねが、やがて、愛になり、ずっと一緒にいたいって思う、強い気持ちになるはずだから。

 

☆失った恋の片付け方


 手のひらに乗せた、
 イエローゴールドのピンキーリングは、
 君との思い出で、重く感じてしまうよ。

 それでも、窓からの秋の黄色い光を反射し、
 手のひらがキラキラする。
 ぎゅっと、握りしめ、再び、広げる。
 圧した痛みすら、今は、嫌になるね。



 失った恋の片付け方は、時間が流れることでしか綺麗にできないみたいだ。
 恋を失ってすぐの悲しみは、強い衝撃で、失ったことを事実として、受け止められないんだ。

 その衝撃は、心にマイナス100℃の冷気を当てて、思い出を急速冷凍しているようなものなんだと思う。その冷気に耐えられなくて、無気力になったり、涙が止まらなかったり、眠れない夜を過ごすんだ。
 
 ただ、泣いて、ただ、虚しくなって、孤独の底を歩こう。

 最初は何をやっても楽しくないけど、そのうち、楽しさは、あなたの元に帰ってくるよ。
 そうして過ごしているうちに、痛みは、和らいでいく。何もかも、痛みがなくなるわけではないけど、ふとした時に、相手のことを思い出して、痛みが和らいだら、もう、その恋は、君にとって、過去になったんだ。
 胸の痛みは消えないけど、季節は君を置いていくかのように、どんどん進んでいく。

 ――いつまでも、胸の中生き続ける恋は、永遠だ。

 

☆過去の好きを信じ切って


 「好き」って、初めて言ってくれた日のことを覚えているよ。
 
 あの日のふたりは、
 カフェのオープンテラスの白いパラソルの下、
 何気ない話をして、ふたりで笑い合っていた。
 
 グラスに入った、ふたつのアイスコーヒーは、
 ウッドテーブルの上で、気持ちよく、結露していた。
  
 「また絶望的に暑い夏になるのかな」って、話題のあと、
 君は唐突に、今ある世界を、
 相思相愛に変えてしまったんだ。
 


 ただ、好きだからって理由だけで十分。
 時々、どうして、この人のことが好きなんだろうって、ふと考えてしまうことがあっても、理由なんて考えなくていいよ。
 だって、過去の自分が、この人のことが好きだって、強く思って、二人の今があるんだから。
 だったら、過去の自分を信じてしまえばいいんだ。

 恋も、結婚も、失恋も、離婚も、二人がお互いのことを、好きだってことを信じ切ったか、信じきれなかったかの違いなんだと思う。好きだと、信じ切れる期間が長ければ、ずっと一緒にいることになるし、途中で、好きだと、信じられなかったら、離れ離れになるんだ。

 好きを信じているなら、好きを裏切らないようにしなくちゃいけない。
 好きでいてくれる自分で居続けることや、新しく見えてきた相手の悪いところも、好きになってやるくらいの気持ちで、相手のことを好きで居続けてみるのもいい気がする。
 あまりにも、目に余るなら、好きであることを諦めたらいい。好きを信じ続けるか、諦めるかで、恋の結末が変わるものなんだから。

 好きだから、楽しいことを無限に二人で積み上げたいと思うし、好きだから、どんなことがあっても、抱き合うことができる。

 すべての恋愛は、好きでできているから、思い切って伝えちゃえ。
「好きだよ。帰りにプリン買ってきて」



☆どの服を着ていくか迷っても


 君の正解は君自身が知っている。
 今日の彩りを迷っていても、
 手に取ったその色が、今日の正解なんだ。
 
 どんなワンピースでも、どんなスカートでも、
 どんなアウターでも、どんなアクセサリーでも、
 手に取ったその服が、今日の正解なんだ。


 
 まっすぐな想いを抱いているから、振り向いて欲しいよね。
 新しいスカートも、新しいニットも、新しいワンピースも、相手に向けているものでもあるし、自分の可愛いを集めたものでもある。

 白ドットの黒色レトロスカートで、シックで穏やかな自分に見せたいなら、きっと、それが正解なんだ。
 ブルーグレーのキャミワンピで、ガーリーで優しい自分に見せたいなら、きっと、それが正解なんだ。

 恋は、自分が着る色で、どんな自分にもなれる。相手の前で、本当の自分を出すために、自分の好きな色、自分の好きなファッションで、最高の自分らしさを作り上げてしまえばいいんだ。

 どんな君でも、きっと、相手は優しく受け入れてくれるよ。
 だって、どんな君でも、君は君らしいんだから。



☆理想的な恋


 理想的な恋に迷うジュリエットは、
 今日も、寂しい表情を浮かべながら、
 窓越しに白い月を眺めている。

 君が動けないままでも、
 時間は平等に、過ぎ去っていく。
 季節が巡ってしまう前に、
 今の恋を進めたいね。




 理想的な恋って、なんだろう。

 どんなことも、肯定できるような恋。
 どんなことも、安心できるような恋。
 どんなことも、共有できるような恋。

 いろんな理想があると思うけど、お互いに穏やかに過ごすことができるのが、理想的な恋な気がする。
 恋が愛に変わる瞬間なんてわからない。気がついたら、恋が愛に変わっていたり、恋と愛が両方存在しているような気さえする。愛にも、お互いに穏やかさは必要だと思うし、愛って、どんなことも、肯定することが必要なような気がする。
 相手を認めるってことだけど、恋したときから、相手を全肯定していれば、きっと、愛に変わったあとも、変わらないと思う。

 家族愛と、恋愛は違うっていうけど、肯定さえしていれば、相手は安心すると思うし、些細なことも共有するようになる。結局、恋人でも、夫婦でも、お互いへの信頼感は、よく話したりするところからだと思うんだ。

 よく話していくうちに、理想的な恋が出来上がるって、信じている。




☆こうしてほしいが強くなったときは


 君に理想的になってほしいっていうのは、
 僕のわがままだよね。
 そんなこと、わかりきってはいるけど、
 つい、理想を口走ってしまうことがあるんだ。

 それを受け止めて、理想的にならなくても、いいのにね。
 だけど、理想は頭の中でぐるぐると暴走する。
 僕はただ、君が君らしくいてさえくれたら、それで十分なのに。



 相手にこうなってほしいって思いが、強くなればなるほど、つい指摘したくなっちゃうものだよね。
 自分は、相手に合わせて、いろんなことをしているんだから、自分がこうしてほしいって思って、相手に言ったら、相手にそれを否定されたり、一度は、「わかった」と言ったのに、結局、なかったことになる。

 そんなことが、ときおりあるかもしれない。
 そんなとき、どうして、自分の言うことを聞いてくれないんだろうって、腹が立ってしまうと思う。自分がいいと思ったことを、どうして、相手は受け入れてくれないんだろうって。

 そのモヤモヤを相手にぶつけて、喧嘩になっちゃったりしたら、嫌だよね。お互いに嫌な気分になるし、怒りに任せて、なんでこんなこと言っちゃったんだろうって、後になって自分が嫌になる。
 
 そうなる前に、相手のことを冷静にみるのが大切なのかもしれない。
 もしかすると、相手が疲れている時に、話しかけてしまったかもしれないし、相手には、別の意見があって、そうしなかったのかもしれない。
 疲れていると、みんな穏やかでいることができないものだし、どうしても、自分のことを守りたくなるんだ。
 
 自分だって、もちろん疲れているけど、喧嘩すると、もっと疲れてしまう。
 こんなときは、少しだけ高いスパークリングワインで、酔って笑い合おう。



☆告白する理由


 告白は、恋人になってくださいって、
 より関係性を深めたいという宣言に過ぎないに、
 どうして、こんなに「好き」っていうことに、
 緊張しちゃうんだろうね。

 言われる方も、予感はしていても、
 緊張しちゃうよね。
 
 だけど、両想いだったら、
 ハートが破裂しちゃうくらい最高だね。
 


 誰もがエスパーになって、心の声が聞こえるようになれば、きっと喧嘩なんてしないだろうし、告白だってせずに、お互い、意識した瞬間に、もう、恋人になってしまうよね。
 もし、心の声が聞こえたら、もっとスムーズにいくだろうし、お互いの疲労ゲージが頭の上に表示されていたら、
「あ。今日は疲れているから、通じ合うことが難しいかも」なんて、より、お互いへの思いやりが、上手くいきそうな、気さえする。

 なんだか、SNSが発達してから、物事のいろんなことを、ロジカルに考えすぎるようになってしまったよね。エビデンスを求めるような関係にセンチメンタルな恋なんて、生まれるのかな。
 恋愛のエビデンスってなんだろう。きっと、恋愛心理学がそれに該当するのかもしれない。だけど、恋愛心理学で計れる恋の先にいったい、何があるんだろう。

 もし、心の声が聞こえたらとか、エビデンスでセンチメンタルな恋は生まれないって、書いたけど、結局、何が言いたいかっていうと、恋って、もっとシンプルでいいよねってこと。

 シンプルに好きだったら、告白して、付き合っちゃえばいいんだよ。
 男女関係なく、相手のことが好きになったら、告白して、想いを相手に伝えてしまえば、次が見えてくるから。


 
☆恋を阻む距離


 君との恋の距離を縮める方法は、
 ひとつだけだって、知っているよ。

 だけど、今はそれができないね。
 お互いの夢をお互いに尊重しているから。



 恋を阻むものって、距離と環境だと思っている。
 距離は、物理的な距離。環境は、二人きりになれない環境。その二つさえ解消すれば、どんな恋も、きっと上手くいくと思っている。その恋を阻む、距離と環境の両方っを持ち合わせているのが遠距離恋愛だと思う。

 例えば、就職とか、進学で、お互いの距離が離れてしまう場合。遠距離恋愛って、上手くいくこともあるかもしれないけど、やっぱり、距離があると、会えない日々が、雪のように降り積もるから、心細くなってしまうよね。
 相手の気持ちを知りたくて、束縛気味になってしまったり、逆に相手のことをつい忘れてしまったり。
 
 だけど、その恋に本気なら、どこかで思い切りが必要になってくると思う。
 一緒にいたいなら、思い切って、相手と同じ街に住むとか、自分がやりたいことがあるなら、何年後まで挑戦したあと、一緒になるにはどうするかって、相手と考えるとか、そういう思い切った行動が必要になってくる。

 周りは反対すると思う。その決定で、あなたが傷つくんじゃないかって。
 だけど、みんな知らないんだ。そうした思い切った行動で、意外と上手く恋が成就した例を。
 それだけ、周りが経験しない例だから、反対意見が出るだけなんだ。

 遠距離恋愛って、そういう意味で、色々試される場面があると思う。
 だけど、大丈夫。
 この恋は、きっと上手くいくから。



☆ブレインフォグを溶かすほどの愛をください


 食べかけのコーヒーゼリーを見ながら、
 君のことをぼんやりと考えるよ。

 日々に追われ過ぎて、
 ここ最近、君の笑顔も思い出せないくらいなんだ。
 君とは週末の恋人。
 また、君の笑顔があれば十分だね。



 嫌なことをできるだけ減らせたら、それだけで家に帰ってきてから食べるコーヒーゼリーの消費量が減る気がするよ。
 だけど、現実はそんなに甘くなくて、日々は続く。誰だってしんどい中、毎朝、電車に揺られたり、車のハンドルを握っている。忙しさで嫌になるくらい、自由はなくて、季節の変わり目のやわらかい風すら、上手く感じることすらできなくなる。

 日々は疲れたままで、セブンカフェでアイスコーヒーを淹れ、歩きながらオフィスに向かっても、日々は何も変わらない。むしろ、日々は、苦しくなるばかりで、先なんて、見通せる気配もない。小さい頃にぼんやりと考えてた大人の幸せとは、程遠くて、忙しさに襲われる。

 そして、疲れ果てて、週末を迎えても、もう、疲れ過ぎて、何も感じることができなくなる。コーヒーゼリーのほろ苦さも、クリープの甘さも、何もかも、ブレインフォグに溶けてしまう。

 そんな日々の中でも、お互いに笑い合うことができる相手がいれば、それは忙しすぎる現代の中での、真実の愛。
 薔薇の香りすら、感じ取ることも難しいくらい、休みは疲れ切って、何もできなくなってしまっているけど、ただ、隣にあなたがいれば、それだけで十分。

 いつまで頑張り続けたらいいんだろうって、自分がやりたいことに対して、夢もなく、希望もない中でも、あなたさえいればいい。
 あなたのことだけを考えてさえいれば、また疲れる日々をこなすことができる関係がいい。

 

☆続いた喧嘩の終わらせ方


 疲れ切ってしまった、二人はきっとすれ違ったまま、
 修復する機会を見失ってしまうんだね。

 傷ついた言葉なんて、もう、どうでもいい。
 ただ、お互いに失望しきった、
 この痛みだけをどうにかしたい。




 恋の中での喧嘩は、相手と自分とのすり合わる行為だと思う。
 お互いの気持ちをぶつけ合うことができて、仲直りできたら、それが一番いいけど、ときどき、仲直りできないときだって、あると思う。お互いに口を利かなかったり、口を利いても、そっけなかったり、無視したり。そんなことになったら、気持ちがおさまるまで、じっと待つしかなくなってしまう。

 喧嘩が進みすぎると、なぜか寂しくなるし、虚しくなる。
 風に吹かれるように、ただ、身を任せるように、日々を過ごしていれば、きっと喧嘩なんてする必要はないんだ。冷静に話す余裕が、お互いにあればいいだけのことなんだ。

 すべては、日々に疲れ切っていることに起因する。
 疲れていると、嫌味も言いたくなるし、疲れていると、イライラだってする。疲れから、日々、相手に思っていることを、つい口に出してしまうことだってあるはずだ。致命的な言葉で、お互いを傷つけ合うと、もう元に戻ることができない。

 今までの「ありがとう」も「嬉しい」も、すべて消えてしまう。
 今までの「好き」も「愛してる」も、すべて消えてしまう。

 喧嘩になる前に、お互いの気持ちを言い合うだけで、十分、喧嘩やすれ違った思いを解消することができるはずなんだ。喧嘩はしないに越したことはないけれど、もし、喧嘩をしてしまったら、すぐに仲直りする合言葉を決めておこう。
 「ごめんね、好きだよ」



☆失った恋は、すぐに消えない


 思い出の傷は、あなたと一緒に居た分だけ、深いよ。
 君のいない日常に慣れようとしているけど、
 片方の私が、もぎ取られてしまったみたいだね。
 
 君がいない世界に早く慣れたいのに、
 私はまだ、君がいない事実を受け取ることができないや。




 失った恋は、すぐに消えるわけではない。
 失ってすぐは何もかも、灰色の日々で、思い出ばかりが胸の中で再生され続ける。楽しかったことも、つらかったことも、これまで我慢してきたことも、これまでプレゼントしたことも。
 全部、胸の奥に保存されていて、勝手に胸の奥で再生されて、また、悲しくなる。

 レモネードを飲んでも、甘酸っぱさをしっかり感じたまま、その虚しさは消えない。相手と一緒に見ようと思っていた夢のことを思い出して、その夢は、もう見ることができないことを実感し、また、涙が出ちゃう。
 夏の暑さすら、感じることが難しいくらい、今は、傷だらけになった心の傷は、どんな気分転換をしても、虚しさを伴い、今は癒えない。

 それでも、君は未来へ、再び立ち上がる。
 新しい幸せは、自分で掴み取るために。過去のすべてを諦め、秋風に吹かれて、冷たく、凛とした表情で。
 過去の苦味を乗り越えた君はもう、今の君じゃなくなる。
 再び、立ち上がった君は美しい。



☆どうして、ふたりのことを好きになるんだろう



 ふたりのことを同時に好きになって、
 関係を築き上げてしまったら、
 もう純情なんて言えないよね。
 
 勝敗なんてどうでもいい、
 オセロをひっくり返しているみたいだよ。
 心の中は、倫理と想いで、
 もうぐちゃぐちゃで、
 どうすればいいのかわからないや。
 


 誰かに恋をしたまま、もう一人に恋する状態のことを、浮気って呼ぶらしい。 結婚したら不倫。どうして、浮気という言葉が、不倫という言葉に進化するのかはよくわからないけど、二人以上の人と、恋して、付き合うことをそう呼ぶらしい。
 もちろん、性的に結ばれるだけの関係でも、浮気、不倫というけれど、それも広い意味で捉えたら、恋。身体を許したら、恋ってことにして、この話を進める。

 どうして、ふたりのことが好きになるんだろう。
 ♡という人と、❤︎という人。

 ♡の、甘くて優しいところが好き。
 ❤︎の、はっきり言ってくれるところが好き。
 ♡の、しっかり気にかけてくれるところが好き。
 ❤︎の、そっけなく気にかけてくれるところが好き。
 ♡と❤︎は、表と裏。そんなふたりの両方が好き。

 どちらも、やり方が違っても、自分のことを気にかけてくれるところが好き。

 ふたりのことを同時に好きになるって、こんな感じだと思う。
 あとは、将来へのリスクヘッジ。

 片方の恋がダメだったら、もう片方の恋に夢中になろう。もう一人を保険として、候補で持っておこう。そんなリスクヘッジ。♡との、未来も思い描けるし、❤︎との、未来も思い描ける。
 自覚してなくても、心の奥底では、そんな考えがもしかしたらあるのかもしれない。たぶん、人って、幸せな未来を描いて恋をするものだと思う。もし、あの人と、ずっと一緒だったら、自分はどうなるんだろうっていう感じで。

 だから、ふたりのことを好きになるって、本能的に、どっちの人と、どんな未来を進みたいかを迷っているんだと思う。だけど、相手が一途だとしたら、その思いに気がついた瞬間、きっと、傷つくことだと思う。
 自分を選んでほしいと思うし、自分のことだけを見てほしいと思う。

 そんな想いが揺れるから、恋って、難しいんだね。



☆条件付きの恋は飛行機の条件付き出発と同じだ。

 
 搭乗しても、なかなか動こうとしない飛行機の中で、
 僕は君のことを想う。

 どうして、君は僕のことが好きなんだろう。
 どうして、僕は君のことが好きなんだろう。
 好き嫌いなんて考えず、
 僕はただ、君と一緒に生きていきたい。





 好きな容姿だったり、経済力だったり、条件付きの恋をするのは、昔から当たり前のように言われている。
 確かに、お金がたくさんあれば、たくさん楽しいことや、楽しいもので溢れるだろうし、好きな容姿だったら、いつまでも相手にメロつくことができる気がする。だけど、それは一過性に過ぎないなって、思ったりする。

 それは、今、この瞬間の相手のステータスに惚れているということ。つまり、相手の外見に恋してるってことだと思う。多少、内面に恋してるかもしれないけど、明らかに、ウェイトは、外見の方が上になっているんだと思う。

 そんな感じで、条件で選ぶ恋は、到着空港が悪天候で、条件付き出発をする飛行機と同じだ。
 恋の結末の先、人を愛する条件の中に、ステータスを入れていると、ステータスが変わったときに、戸惑う。そして、外見に恋していたことに気がつき、その人の魅力ではなく、その人が持っていたステータスに恋していたことに気がつく。

 勝手に自分の中で思い描いていた理想的な恋にならなくなってしまうんだと思う。つまり、着陸予定の空港が悪天候で、降りることができず、目的地からかなり離れた空港で降ろされることになるようなことが起きたと思ってしまう。

 人のステータスは、いつも変化する。今の美貌は、ずっと維持できるものではない。どんな人にも、老いは必ずやってくる。今の経済力は、今現在の状態に過ぎず、社会が激変しやすい、AI時代の今は、経済力を維持するのは、相当難しい。
 小説のように現実も、常に激変する。
 
 恋の本質は、いつだって、フィーリング。
 出会ったその人と、気が合うか。性格、気質が合うかどうか。同じテンションで、同じことを楽しめることができるか。
 それが恋の決め手だ。

 
 
☆どんなときも、愛嬌と度胸


 君の優しさで心が軽くなった瞬間、
 ひとりの不安が恋になったよ。
 カウントダウンの0で、
 イルミネーションが一気に灯るように、
 闇の中で、君の優しさは輝いているよ。
 
 


 仕事でも恋愛でも、愛嬌がある人は最強だと思う。
 いつも笑顔が素敵で、感じが良い人は、どんな人にも好かれる。褒め上手であれば、勝手にモチベーターになるし、ネガティブな言葉をポジティブに変換できれば、勝手にムードメーカーになれる。
 人が困っていたら、助けることは、度胸が必要だと思う。声をかけるには、優しい勇気がいることだ。優しい勇気を出し、声をかけて、人を助けることをできたら、本当に優しいことだよね。

 基本的に優しさを配り、敵意を見せなければ、仕事も恋愛も、自然といい方向へ行く気がする。
 もし、新しい恋の出会いが欲しいなって思ったら、普段から関わるいろんな人に、優しくし、感じ良く接していれば、自然と近くの人から、アプローチされたり、友達から、いい人を紹介してもらえる機会が多くなると思う。
 出会いは自分の振る舞いで作れるはずだって、信じている。

 昔から「男は度胸、女は愛嬌」って言われていて、今は多様化しているんだから、それは古いよって、言われているけど、もしかすると、この言葉の本質は変わらないのかもしれない。
 確かに性別で、「度胸」「愛嬌」をわけることは、古いことだと思う。 
 令和的にアップデートすると、「常に愛嬌、時に度胸。どんな人も」だと思う。

 ただ、この言葉の本質は、人が魅力的に見えるのは、「愛嬌」と「度胸」を見せたときだよということなのかもしれない。
 男女とも、恋する瞬間は、きっと「愛嬌」と「度胸」だ。

 見せてくれる笑顔だったり、優しさがきっかけだったりすると思う。
 咄嗟に助けてくれた勇気だったり、自分を顧みず、危機を救ってくれた度胸がきっかけだったりすると思う。
 女らしくとか、男らしくとか、そういう浅いところじゃない。両性とも、その面を出すと、人間的にめちゃくちゃ魅力的だよってことだ。

 だから、自分の人生も、穏やかにしたいなら、優しさは必要だと思うし、人を助ける優しさも必要なんだ。
 

 
☆ふたりの方が強くなれる理由


 どんな土砂降りの中でも、
 傘の下で君と抱きしめ合いさえすれば、
 轟音の中でも、君の笑い声で幸せだよ。 




 最近、一人きりの方が、気をつかわないし、気ままでいいってよく言われている。
 確かにそうかもしれない。だけど、ふたりだと、より、つらい状況も支え合いながら、精神的にも、経済的にも乗り越えられる気がする。

 愛とか、恋とかと、話はずれてきてしまうかもしれないけど、やっぱり、誰かといないと乗り越えられるのが難しい時代になりつつあるような気がする。
 たった10年で考えられないほど、物価は上がっているし、一人暮らしするのは、やっぱりいろんな不安だらけの世の中だから、ちょっと前よりも、つらく思えるかもしれない。
 ふたりでいれば、ふたり分の知恵で、危機を乗り越えることができる。ひとりで稼ぐのがやっとなら、ふたりで稼げば、危機的な支払いを乗り越えることだってできる。

 ふたりで楽しく過ごしていれば、世の中でどんな危機が訪れても、笑ってやり過ごすことができるかもしれない。ふたりで一緒にお皿洗いをしたり、洗濯物を干したりしながら、くだらないことではしゃぎあってさえいれば、日々の厳しさも少しくらい和らぐかもしれない。

 そういう意味で、ひとりよりも、ふたりの方が強くなれる。

 

☆共依存でもいいじゃん


 君のことしか、考えられないことが、
 問題とされる世界なら、
 もう、この恋はやめるべきなんだろうね。

 だけど、この恋はね。
 大切にすればするほど、
 愛に変わると思うんだ。
 ねえ、この直感、信じてもいいよね?




 いつから、共依存がいけないことになったんだろう。
 恋なんて、共依存くらいがちょうどいいくらいだと思う。共依存になるには、お互いにお互いのことを信じ切る必要があるから、それって、相当な信用取引が成立していることだとも言える気がする。

 この取引を裏切ること。
 つまり、相手が不安に思うような行動をすることが、束縛に繋がるんじゃないかな。

 しょっちゅう、いろんな人と会っているとか、相手の前で、異性の話をするとか。そんなことされると、相手もだんだん信用できなくなってくる。
 相手のことが信用しきれないから、メッセージで、相手が今、何をやっているのかを聞いたり、相手が別の異性に会うということを極度に怖がってしまうんだと思う。

 心理学的には、共依存することで、相手の自立を阻害したり、自分のことよりも相手を優先した行動をとりがちになることが問題とされているけど、恋を愛に変えるには、多少、そうした行為は必要だと、個人的には思う。
 たぶん、臨床では、そうした真実の愛について、あまり考察されていないような気がする。そもそも、愛はエビデンスでは測ることは難しいのかもね。

 確かに自分自身が、共依存の関係について問題視しているなら、その問題を解決するために、共依存の関係を解消しなくちゃいけないかもしれない。

 だけど、そう感じていないなら、共依存のままでいいと思う。
 共依存の恋が、本物の愛になることは、十分にあり得ることだ。



☆恋は駆け引きじゃない


 頼んだパフェも楽しみじゃないみたいに、
 君は浮かない顔をしているね。

 だから、君の目をしっかり見て話すね。
 どうして君は、こんなに悲しい目をしているの?
 その悲しみを教えて。
 パフェのさくらんぼを食べているうちに。




 いろんなところで、恋の危機を煽り、「恋は駆け引きだ」ってよく言われている。
 だけど、本当の恋愛って、そういう表面的なものではないと思う。むしろ、駆け引きしようとするから、本当の自分を見失って、相手にそれを見透かされてしまうんじゃないかとも思う。

 できるなら、本当の自分。
 ありのままの自分で恋するのが一番だと思う。
 それが、一夏だけのつもりでいた恋でも、未来を意識した真剣な恋でも。

 恋でも、社会でも駆け引きなんてしたら、ろくな結果にならないことがほとんだと思う。そんな相手のことを試すようなことをする前に、まずは相手のいいところをしっかり見て、それを勇気だして、「素敵だね」って、口に出すことのほうが、よっぽど上手くいくような気がする。

 駆け引きよりも、相手の話を聞いて、相手のことを知ることのほうが、大切なことだ。恋を成就させる唯一の秘訣は、「相手の話をしっかり聞く」しかないと信じている。
 
「自分のことを知ってほしい」
「一緒にいると落ち着く」
 どんな人も、恋人に求める条件は、その2つしかないと思う。趣味が合うとか、身体の相性とか、そういうハード面は二の次だ。
 話をしているうちに心を開き、つい、自分の悩みを話してしまう。その気持ちに触れてほしいから、相手は、ついそんな話をする。それをしっかり聞いて、今抱えてる気持ちに共感したり、励ましてくれたりすることが、一緒にいると落ち着くなという印象になる。

 だから、恋なんて、表面的な駆け引きで上手くいくわけじゃない。

 

☆出会いも別れも意味があると信じている


 痛みのある恋なんて、
 する意味なんてないと思ってたよ。
 だけど、あの恋があったから、
 今、新しい私になれたんだね。

 あのときの、濃いカフェオレみたいな、
 ほろ苦さは、胸に残っているけど、
 今の私は、新しい恋をしているよ。



 人生に無駄な瞬間なんて存在しないと仮定すると、その人と出会って、付き合ったことも、その人のことが嫌になって、別れるのにも意味があるんだと思う。
 この人といると、新しい観点や、新しい体験、新しい感性が見つかることもあるだろう。一方、この人の嫌な面を見せられたり、裏切られたり、悲しさや虚しさを感じることもあるだろう。
 両面で見ても、自己成長につながっているはずだって。

 次はこうしてみようとか、次はこんな恋はしないとか、次からはこういう自分になろうとか。失った恋によって、新しい出会いに向かうための自分のコアを手にいれることだってあると思う。

 一見、無意味だし、傷だけ残された、大失敗の恋に思えても、その大きな傷によって、次の展開を手にいれる準備になっている可能性だってあると思う。だから、恋って、よかった恋も、悪かった恋も、自分を強くするための血肉になっている。


 
☆息が合う、愛する人と生きることは簡単


 難しく考えすぎて、なにもかも重く感じてしまうよ。
 あなたは、本当に今の関係のままでいいの?
 あなたは、満足しているの?
 あなたは、今、どんな不満を持っているの?
 それを聞きたいけど、聞くのが怖い。

 それでも聞きたい。
 本当のあなたの気持ちを。



 息が合うくらい、その人との幸せを感じることができたなら、それは愛だね。
 逆に息が合わなくて、相手に合わせてばかり、相手に尽くすばかりの恋が、愛になることは難しいかもしれない。

 息が合うってことって、お互いにお互いのことを信頼して、尊重している状態のことなんだと思う。
 自分の弱いところも、強さも、すべて受け入れてくれるのが、長続きする関係になると信じている。思ったことを率直に伝えて、ときに喧嘩もする。だけど、喧嘩のあとには、しっかりとお互いに思ったことを話し合うことができたら、もっとしっかりとお互いのことを知れるはずだと信じている。
 その話し合うことを、お互いに面倒くさがったら、きっと関係に終わりが訪れる。

 価値観のすり合わせの連続で、恋は愛に変わる。
 一方的に条件を押し付けてたり、一方的な束縛をしても、恋は愛に変わらない。それはただ、自分の都合がいいような理想を押し付けているにすぎない。不安に思うなら、話し合えばいい。話が平行線のままなら、ときに自分が折れればいい。

 難しく考えて、思ったことを言わないから、関係にすれ違いが起きてしまうんだ。
 難しく考えるほど、恋は続かないし、愛に成長しない。

 もっとシンプルでいいんだ——。
 「ねえ、君のこと、大好きだよ」







☆「疲れた」が口癖になっている


 日々をこなすことは、
 オーロラをぼんやりと眺めるペンギンみたいに、
 ゆっくりすることは許されないんだ。
 空を飛ぶために、魔法を唱えるように、
 疲れも簡単に、消えてしまえばいいのに。
 


 「疲れた」が口癖になっているときが、休むべきサインだって認識はしている。無理していないと思っていても、無意識に無理しているという、もう一人の自分が言っているサインなんだと思う。
 あの人と比べたら、自分は無理していないとか思わないでほしい。

 誰だって、疲れて果てているんだよ。
 みんな、頑張ってるんだよ。だから頑張りなよ。

 とか、そんな言葉をかけられることがあるかもしれない。だけど、そう言われても、疲れの度合いは、人それぞれだと思うし、人それぞれ、持ち合わせている体力も違うと思う。
 その人は、同じことをしても疲れないだろうけど、自分にとっては、ものすごく疲れることかもしれない。やることの向き不向きだって、疲れに関係してくるかもしれない。
 だから、「疲れた」が口癖になっているのは、休むサインなんだ。

 休むことだって、大変だけど、ときには何かを変えて、自分を大切にすることも人生を持続するには、必要だね。
 


☆常に人は変わりたいと願うけど


 どうして君は、新しい自分に変わりたいと願うんだろう。
 君の願いは確かに、素敵で魅力的なことかもしれない。
 元々の君が右のポケットに隠し持っている、
 キラキラした素質も好きなんだ。
 そのキラキラを、どうか見失わないで。



 常に人は、前に進まなくちゃ、成長しなくちゃと思って、今の自分から、変わらなくちゃいけないと考えている人が多いと思う。
 
 このままの自分じゃ何もできない。
 このままの自分じゃヤバい。
 自分は何かを成し遂げなくちゃいけない。
 前に進まなくちゃいけないと思っている人の動機は、いろいろあるだろうけど、ほとんどが、自分と世界を比べて、焦っているんじゃないんだろうか。

 成長することは、いいことだ。
 それは疑いようもない事実だと思う。だけど、成長に自分が変わることは絶対に必要なのかな。変わらない今の自分があるからこそ、成長できる部分もあるような気がする。

 例えば、成長のために、自分の元々の性格を否定してまで、性格を変えるようなことをする人もいる。ときに、元々好きだった自分の習慣や趣味を否定して、新しい自分になるために、新しい習慣や趣味をし始めることもある。
 ここで挙げたのは、極端な例かもしれないね。だけど、多かれ少なかれ、成長のために、今までの自分を否定することも、あるような気がする。

 だから、成長のために自己否定をしないで。
 変わらない君のことも、好きだよ。
 成長を焦らないで。



☆悲しくなったら、駆け抜ければいい


 与えられるのが当たり前になってしまった世界で、
 与えてばかりの君は、悲しみで息が詰まりそうだね。
 与えた優しさと与えられた優しさは、
 平等じゃない切ないさ。
 雪の中、裸足で歩く君は、
 ひとりきりで、優しさを探し続けている。
 


 一方的に優しくしてばかりで、ちっとも優しくされない日々を続いていくよね。
 一方的に安い愛ばかり、不特定多数に配っても、ドーパミン中毒者に支配された世の中じゃ、なぜか、優しさを消費して当たり前になってしまっている気がする。

 優しさを配ることに、やがて疲れ切ってしまって、鬱が襲ってくる。
 みんな自分のことが一番好きなのに、 優しさを配りまくっている、当の自分は、自分のことが一番嫌いになる。一人反省会が当たり前になって、あのとき、どうしてこういう気の利いたことができなかったんだろうとか、あのとき、どうして、咄嗟に優しい言葉や、優しい態度をとることができなかったんだろうって、できなかった自分を責め続ける。

 そして、いつの間にか、優しい人は自分のことが大嫌いになる。
 ある日、心の中の雨は降り続けたままで、やるせなくなり、立ち上がれなくなる。
 そう。優しくあろうとすることに、頑張りすぎたんだ。
 
 そんなときは、堂々と休んでしまえばいい。
 自己犠牲を続けた心の傷や、自分に対する悲しさは、1日では癒えない。
 自己犠牲したり、断れなかった分だけ、悲しさは雪となり、心の底に降り積もっている。

 雪は優しさを冬眠させる作用があると思う。
 凍てついた世界は、すべての余裕を奪い去る。
 厳しすぎる寒さと、雪が降り積もった青白く美しい世界は、両立することは不可能なんだ。
 
 そんな、悲しい雪を溶かすために、駆け抜ければいい。
 帰りの夜道、とりあえず、駆け抜けてみればいい。走るとなぜか、気持ちが軽くなる。息があがれば、ちょっとした悲しみは、吹き飛ばすことができる。

 自分を犠牲にしてまで、人に優しくする必要なんてないよ。
 あなたが悲しみに溺れ、倒れて、泣いていても、今まで優しくした人たちは、そんなこと、気にもしない。あなたがベッドに囚われている間、誰かの優しさばかりを期待しているんだから。

 もし、あなたが今、優しさを吸い取られる環境に身を置いているのだったら、どうか、悲しみの雪を心の底に降り積もらせないで。
 疲れ切って、鬱になる前に、逃げて。



☆答えは自分の中に存在している


 泣いてしまいたい夜だね。
 朝からずっと、君は泣きたかったけど、
 今日も我慢したんだね。

 これからずっと、泣き続けてもいいよ。
 明日すら、涙で流すくらい、
 君の心の中を土砂降りで、涙の海に沈めてしまえばいい。
 夜はまだ始まったばかりだから。



 虚しさで疲れ切ってしまった夜。
 昔だったら、こんなシーンで、虚しさを感じ切っていた。

 明かりもつけず、カーテンも開けっぱなしの暗い部屋の中。
 ブラウン管テレビだけが、つけっぱなしで、砂嵐が流れている。
 ザーと、引かない波のように、テレビのスピーカーから流れ続けている。
 外の街のわずかな明かりと、荒れたテレビの光で青白い部屋の中、膝を抱え座り、俯いたままの君。

 ただ、嫌だったことが頭の中でぐるぐると回り、ダメだった自分を責め続ける。

「私はダメなやつ」
「私はダメなやつ」
「私はダメだ」

 そんな言葉ばかりが君を責め続け、そのシーンは終わる。
 おそらく、そのあとも、塞ぎ込んだまま、数時間過ごしたのかもしれない。または、少ししてから、気持ちが落ち着いて、テレビのチャンネルを変えて、バラエティを流し始めたかもしれない。

 世界にiPhoneが存在しなかったとき、落ち込んだら、こんな時間を過ごしていた。
 チャンネルが合わない、アナログ放送のテレビからは、程よい雑音が流れていた。それを聞くとなぜか、心が落ち着くことがあった。
 どうやら、そのテレビのザー音は、胎児がお腹の中で過ごした時の音に似ているみたいで、泣き止まない赤ちゃんに、その音を聴かせると泣き止むって、検証もあったくらいだ。
 こうして、虚しさを感じ切ると、なぜか、自分がどうしたかったのかという、本当の自分の気持ちに気がつくことも多かった気がする。

 今は、落ち込んでも、ベッドに寝転がり、数分、天井を見てから、結局、iPhoneを手に取ってしまう気がする。
 自分の悩みや、モヤモヤした思いの答えを探すために、何かしらの情報を取りにいってしまうことが多いかもしれない。あるいは、AIに話しかけて、気持ちを聞いてもらうかもしれない。

 そして、外の情報に翻弄され、また落ち込むこともあるし、モヤモヤが晴れることもある。だけど、外の情報よりも、自分が思ったことや、感じたことが大切だと思う。
 外の情報とあわせた結果、自分はこうするべきだったって思うよりも、その時、自分はこうしたかったのに、我慢したとか、本当は、こう言ってやりたかったとか、そういう自問自答が、自分を強くするような気がするんだ。
 
 知りたい答えは、きっと、自分の中にあるはずだから。



☆自信なんていらない


 いつも君が臆病なのは、
 きっと自信がないからだよね。
 君はそれを責め続けるだろうし、
 人生の課題みたいに思っているかもしれない。

 それでも、自信なんていらないよ。
 君は優しいだけで十分なんだから。



 自信がないことは誇らしいことだと思う。
 それだけ、冷静に自分のことを見ることができるってことだから。

 自信は、劇薬で、身を滅ぼすこともあれば、とんでもなく飛躍することもある。だから自信は、最低限、自尊心を保つために持つ程度で、十分なんだと思う。
 自信を持つと、つい大きなことを言ってしまったり、態度が横暴になってしまったりもする。だけど、自信がないと、最初からその心配があまりない。言葉に気をつけるし、態度も謙虚になることもあると思う。

 自分に自信がないと、ときおり、何もできないんじゃないかって、恐怖に襲われることがあるかもしれない。羽を悪魔に抜かれた、堕天使みたいになってしまったんじゃないかってくらい、何もできない気持ちになってしまうこともあるかもしれない。

 自信がなければ、その分、何事も、慎重に動くようになる。
 自信がなければ、その分、どんな人にも、優しく接することができる。
 慎重に動けば、危険予知だって、楽々できてしまうから、魔女に羽を再生する魔法をかけてもらって、再び、天使になるくらい、物事が上手くいくようになるよ。横柄な態度じゃなく、常に謙虚のままでいると、優しい人だなって印象を持たれるようになるよ。

 だから、弱気で十分なんだ。
 弱気だからこそ、自信家にはない、君だけの武器で、しっかりと世界に優しさを与えることができるんだから。



☆失敗したっていい


 失敗が頭の中で繰り返し再生されても、
 君はまた、さしたままの傘を放し、
 雨の中、走り始めるよ。

 濡れるほど、君は美しい。



 失敗したら、めちゃくちゃ落ち込むのは、誰だってそうだと思う。
 失敗した日の帰り道、雨の中、傘をささずに、ずぶ濡れになって、帰りたくもなる。もし、自分がドラマのヒロインだったら、そうしていると思うし、雨に濡れながら、しっかり泣きじゃくるだろう。

 失敗の大小はともかくとして、どんな失敗でも、自分が原因なのが確かだったら、しっかり反省して、もう二度と同じ過ちは犯さないようにする。そうすると、強く心に誓うと意外と、つらい気持ちが吹き飛び、次こそやってやるって、力が湧いてきたりする。
 
 一人反省会するにも、コツがあって、客観的に自分の行動を振り返ることが大切みたい。あまりにも失敗した自分のことを責めすぎるのは、やっぱり良くない。「失敗した自分はダメだ」と何度も責めるのは、自分のことをいじめることになってしまうよ。

 そうじゃなくて、失敗につながる行動をどうして取ってしまったんだろう。そのとき、どのように自分は考えていただろう。じゃあ、次はどうすれば、失敗を防ぐことができるのか。という感じに、冷静に客観的になることが大切なんだと思う。

 大体の失敗は、2回目までは、許してくれるものだと思う。
 何事も、スリーアウト、チェンジ。仏の顔も三度まで。ということなのかもしれない。

 ということは、2回までは、失敗してもいいということだから、1回目の失敗で恐れることなんてない。
 むしろ、失敗できたことを「いい経験できて、よかった」って思うくらいの方が、意外と上手く行ったりする。失敗の経験は、痛みを伴うけど、痛みをしっかりと感じたぶん、その失敗したことについてはしっかり印象に残り、結果として、覚えていることになると思う。
 
 だから、2回までは、失敗したっていい。
 失敗を糧に、次の失敗を減らせばいいだけなんだから。




☆心の奥底に眠っている、夢を探す


 眠りのなかで、青い断片に触れると、
 君との未来がダウンロードされた。
 だけど、目覚めると、
 その青さは、なにもかも消えていた。
 夢の中で、なにを求めていたんだろう。
 


 夢の見つけ方は、寝ている間に、青い夢の断片に触れて、わかってしまえば、簡単だよね。自分が何に向いているのか、自分が一体、この人生で何がしたいのかなんて、すぐには見つからないと思う。
 
 今の日本では、夢や将来の目標を叶えることは、必ず職業と一致させるように考えられているように思う。夢や目標の職業をすることでお金を得よう。夢や目標のゴールにお金がくっついているようにさえ思える。

 だけど、本当の夢や目標って、人の心に響くことや、役にたつことや、自分自身を大切にしていこうという、小さなことでいいのかもしれない。社会に貢献しようとか、大層な使命感を抱かなくてもいい気がする。その影響はもっとコンパクトでもいいはずだ。
 例えば、身の回りにいる家族のことを常に笑顔にしようとか、子供が生まれたら、子供をしっかりサポートしてあげようとか。そういうことでも、十分なんだと思う。
 あるいは自分自身。
 自分自身に優しい生活していこうと決めてしまい、最小限の収入でゆったり生きていくということも、夢を叶えるひとつになるかもしれない。激務のなかに身を置くのはやめて、ゆったりとひとりの時間のなかで、ひっそりと生きていく。
 そういう夢があってもいい気がする。

 今はSNSの所為で、情報を簡単に得られる分、自分のことがわからなくなるくらい、ノイズの情報を、知らず知らずのうちに受け取ってしまうことも多くなった。
 夢へ進むということは、自分の内側、心の奥底から、本当にやりたいことはなんなのかを、しっかり聞き取り、それを行動に移すことだと思っている。

 自分のやりたいことを無視し続けていると、身体を壊してしまうケースをよく耳にする。身体を壊したとき、冷静になり、本当にやりたいことはなんだったんだろうと、胸に手を当てて考える。
 そして、そうだった。これがやりたかったんだって気がつく。人生がドラマチックに変化するときは、必ず、止まる時期がある。そういうものだと思っている。

 最初はお金につながらなくても、とにかく心の奥底に従って、やってみる。
 それが多くの人に知ってもらうことで、多くの人にとって、有益になりそうなら、SNSで発信してみる。それを地道に続けていく。 

 気がついたときに、自分の些細な思いつきでやったことが、いろんな人に影響を与えていたら、それって最高に誇らしい夢になっているはずだよ。



☆簡単な夢の叶え方


 ロルバーンに書いた無数の夢は、
 きっと叶うって信じている。

 今は、焦ったままで、心は落ち着かない。
 状況なんて、よくなる気配はないけど、
 信じてるよ、自分のことを。



 簡単な夢の叶え方は、理想の自分を思い描くことを真剣にやることだと思う。

 自分が何になりたいのかを、しっかり、自分自身がわかっていることが大切なことで、何になりたいか、何をしたいのか、わからなかったら、とりあえず、どんな暮らしをしたいかを真剣に考える感じでもいいんだと思う。

 たぶん、多くの人たちは、自分の将来を思い描くことを本気出してやったことがない気がする。
 もちろん、自分自身もそうだったから、今までのいい加減な、自分のことを反省して、小説を書き始めたとき、明確に自分の将来を思い描いた。
 そして、書くことでいろんなことができる今が訪れたような気がする。

 無理しないで。頑張らないで。
 そんなことばかり書いてきたけど、そう書いている時も、実は頑張ったり、多少、無理しながら、書いていた。
 「頑張らないで」って書いて、なんで自分は今、頑張ってるんだろうって笑いながら、書いていた。

 夢を叶える時って、ときに試練みたいなこともある気がする。
 その時だけ、頑張る必要がある。

 だけど、その試練を乗り越えたら、夢が叶い、次の世界が見えてくる。
 ゆっくり、山を越えて、サミットから下へ広がる、目指していた街の全景を眺めるように。



☆あまり群れたくない


 グループはあまり意味がない気がする。
 ただ、群れていれば、
 集団意識が働いて、居心地がいいだけだよね。

 居心地の良い仲間となら、
 ずっと居ても良いと思うけど、
 意味のない群衆の中にいたくはない。



 今は、人と積極的に関わることは好きじゃない。
 生きてきたの中で、積極的にいろんな人に関わろうと努力していた時期もあったけど、そういう行為は、あまり自分には向いていないという結論に至った。

 確かに楽しい時間もあったけど、人と会った後は、ものすごく疲れて、自分が削れていくような感覚がするから、基本的に、あまり人と会わないようにすることにした。
 人混みも苦手で、人酔いすることはしょっちゅうだし、基本、あまり行きたくない。だから、混みそうなところは、閑散期を狙って行くようにしている。
 人前で話ことがまったくできないわけじゃない。ただ、僕の気質は向いていないし、そういう作りになっていないだけだ。

 SNSがすごく発達しすぎた現代、人と関わることは、必然みたいな空気さえある。
 人々の繋がりが遮断された、コロナの反動かもしれないし、あのときに失ったことを、必死に補おうとしている世の中の流れなのかもしれない。

 ただ、それが正義、至上主義みたいになっているのは、疑問だ。
 人の輪や、コミュニティが苦手な人はほっとけばいいのに、孤独だとか、コミュニケーションを取らないのは、よくないとか、そういう理由をつけて、批判したりするのは、また違うと思う。
 スタイルは人それぞれなんだから、ほっとけばいいのにね。
 本音ではそう思っているけど、ある程度は、大人になろうと割り切って暮らしている。たまに疲れちゃうけどね。

 

☆悔しいと思う前に


 ときには、悔しさも必要だけど、
 それは逆境を乗り越えるときに必要なもので、
 いろんな嬉しいことを目の前にしたときには、
 悔しさはいらないよね。
 
 いろんな幸せを喜ぶと、自分も幸せになるから。 



 SNSのおかげで、友達の幸せも、友達の嬉しいことも、ライバルだと思っている人の朗報も、リアルタイムで知ることができるようになったよね。だからこそ、どうして自分はまだ、それができないんだろうって、悔しくなる感情が生まれる。

 今までの時代は、それで良かったかもしれない。だけど、SNSは、そんな感傷に浸る時間すら与えてくれない。メッセージ、コメントを送らなくても、いいねを押せばいいだけなのに、なぜか押すのを躊躇ってしまう。

 でも、こういう時代だからこそ、いろんな人の嬉しいことを、まず、素直に喜んでみることを癖づけた方がいいような気がする。
 
 人の幸せを素直に喜ぶことができない時期もあった。口では「おめでとう」と言いつつ、すぐに相手と自分を比べてしまう癖があった。
 ある日、このままじゃダメだなと思って、人の幸せの報告を見たら、素直に「おめでとう」と、喜ぶことに集中することにした。最初は、やっぱり自分の中でジェラシーが疼いていたけど、それを続けているうちに、そのジェラシーは疼かなくなった。
 気がついたら、素直に「おめでとう」と思えるようになった。

 こういうマインドを手に入れて良かったって、今では思っている。
 ジェラシー抱くよりも、笑顔でいた方が気持ちがいいよね。



☆優しさは必要なのか


 優しくすることは、よき倫理だね。
 もし、キラキラに輝いた君の優しさが、
 君の首を絞めているなら、
 君は無理している証拠だよ。



 相手に優しくすることは当たり前のことだと思っていた。
 相手のことを褒めることも当たり前だし、尊重することも当たり前だと思っていた。ずっと笑顔で、感じよく相手に接することが当たり前だと思っていた。

 むすっとしていても、難しいことを頭の中で、ずっと考え続けながら、日々をこなしても、あまりいいことがないなって思ったからだ。それから、憂鬱でも、絶好調のふりをし続けたし、どんなに自分の心が泣いていても、無理やり笑顔を作って、感じいいように過ごした。

 もちろん、そうして過ごしていると、褒めてくれる人もいた。だから、この基本的な方針は合っているんだなって信じて疑わなかった。一方で、舐めてくる人もいた。
「きっと、こいつは笑っているだけで何も考えてない」とでも思われたのかもしれない。
 
 大切なのは、自分の心が消耗しないように、優しさは、その優しさをわかる人に配ることだと思う。
 友達でも、優しさをわかる人には、優しさを配ればいいし、恋人でも、優しさをわかる人かつ、その優しさを当たり前だと思わない人と、一緒にいればいれば、尊い自分が守られる。
 自分がもたないと、人に優しくなんてできないんだから。



☆正しいAIの使い方


 「泣いてもいい?」
 「泣きなよ。つらいんだね」って、AIに答えてもらえたら、
 きっと、明日、雨が降っていても、
 立ち上がれるような気がする。

 無数の人たちの言葉と、
 あらゆる気持ちの言語化された情報を、
 AIはたくさん読んでいるはずだから、
 きっと、AIにも無償の愛が存在するって、信じている。



 相談するのが苦手だ。というより、自分のことをわかりやすく、明確に話すことが昔から苦手なんだ。どうせ自分の話なんて、つまらないだろうから、あなたの話、聞くよ。ってスタンスでいつもやってきたからか、いつの間にか、聞き上手だねって言われるようになっていた。
 だから、誘うのも、苦手で、いつも受け身になりがちだ。
 
 受け身だからか、AIに相談することも苦手で、AIに話しかけることも苦手だ。だからといって、AIアレルギーみたいに、全く使わない選択をしているわけではなく、最近は、情報をまとめたい時とか、自分の中で聞きたいことが、しっかりわかっているときに、よくAIを使っている。
 
 自分のことを、しっかりと伝えられる人って、たぶん、AIを使うのも上手い気がする。
「自分はこう考えているんだけど、チャッピーくん、君はどう思うかね?」
 みたいな感じで、自信持って、AIに話しかけることができると思うんだ。でも、それって、饒舌な人じゃないとできないような気がするんだ。
 自分みたいな口下手には、ハードルが高いような気がする。

 だから、上手に質問する方法を、さっと、調べてみた。よくAIを使うときのちょっとしたコツで言われているのが、3つポイントがあるらしい。

 1、AIに役割を与えること
 2、具体的な背景や条件を伝えること
 3、どんな方法で答えて欲しいのか、出力の仕方を伝える

 「あなたは恋愛のことを熟知している、私の親友です。私には、今、気になっている人がいます」
「メッセージでやり取りは軽くする程度だけど、なかなか次の恋の展開に進みません」
「どのように、アプローチすればいいですか? 3つくらい例を出してください」

 AIが考えて、クルクルしている間に、勇気を出して、「気になるカフェ見つけたから、一緒に行きたいな」って、誘えたら、次の展開が見えるのに、っていつも思う。



☆頑張りを搾取する闇から抜け出せ


 頑張るように言われて、
 当たり前のように頑張っているけど、
 どうして頑張ってるんだろうって、虚しくなる。
 
 ひまわり畑の地雷原で、
 練習し続けた、ダンスを踊っても、
 君の才能は咲かない。



 頑張る理由なんて、ないだろうけど、ただ、ひたすら頑張っている、君が輝いて見えるのはどうしてだろう。
 いろんな言葉で着飾ろうとしても、誰かが、君の頑張りを見ているはずなんだ。自分を犠牲にして、頑張りすぎてきた人には、休んでほしいし、どうか報われますようにと、願いたくなる。

 そんな頑張り、善意を報わない社会は嫌だ。
 頑張りの搾取は、人の心を壊すから。
 頑張りを安いお金で買ったり、貴重な時間を拘束する。それなのに、相手の頑張りを認めずに、もっと成長しよう、もっと頑張れってプレッシャーをかけてくる。そんな場所も実在する。

 誰かの頑張りや善意を、無自覚な悪意で、ぶち壊す社会は、きっと、どうかしている。
 だから、もし、そんな環境に身を置いてしまったら、一旦冷静になるべきだ。

 人のことを損益計算書の中だけで考えてしまっているところは、人の気持ちを軽く見ていると思う。
 人の気持ちは、そんなに強くはない。頑張りを認められなかったり、正当な対価が払われなかったら、人は簡単に壊れてしまう。

 もし、頑張りたい気持ちがあるなら、正当に評価されるところで、頑張ってみよう。
 環境がダメなら、逃げることも大切になってくる。
 あなたのことを求めているところは、たくさんあるはずだから。
 環境が悪いと、頑張りは、何も評価されないから。



☆派手さより、同じことを同じように続ける


 目指したいことに派手さなんて必要ない。
 君はただ、今、信じている道を、
 しっかり歩き続けていればいいんだ。
 きっと、それが君にとっての正解だから。



 成功のちょっとしたコツがあるとしたら、それは「同じことを同じように続ける」ことだと思う。
 どうしても、人間って一発、大きく当てたら、成功すると思い込んでいるけど、実際は、毎日、同じことを同じように続けて、積み重ねていくことが大切なんだと思う。
 
 小さなことを習慣化することだっていいだろうし、自分が楽しくて、好きなことを、続けてもいいと思う。
 仕事でもプライペートでもなんだっていい。とにかく、なにかを同じように続けていくと、気がつくと、それが大きな自分の中での力になる日がやってくる。

 このことを、心理学では「一万時間の法則」と呼ばれている。
 その道のエキスパートになるには、1万時間くらいの練習が必要だよっていうことみたい。この研究では、プロのバイオリニストを追って、プロになるまでの、バイオリンを練習時間を調査したものだ。プロの人たちは、20歳までに1万時間くらいバイオリンを練習していたようだ。
 最近は、その研究もさらに進んで、ただ単に、1万時間練習すればいいということじゃなく、練習の質も関係あるよってことも言われているみたい。
 だから、適切なやり方で、同じことを同じように続けることが大切なんじゃないかって思う。



☆人生の中で、感傷的な時期があったっていい


 センチメンタルな気持ちになるのは、
 傷つきやすいからなのかな。

 ここ最近続いている憂鬱が、
 いつか抜けるといいなって、
 思いながら、今日も憂鬱の中を歩いている。



 傷つきやすかったからか、10代の頃は、暗いときもあったし、かと思えば、射手座生まれの楽観さを発揮して、楽天的で明るいときもあった。そのとき、そのときの環境によって、1年くらいおきにそれを繰り返している、アップダウンの激しい青春時代だったと思う。

 10代は感傷的な作品に惹かれやすかった。暗くて重いテーマのサスペンス映画を好んだり、人生の概念を扱ったようなJ-POPを好んだ。重いテーマの純文学の小説ばかり読んでいた。それが感性を磨くことだと信じていた。コミックとか、アニメとか、ライトノベルとか、そういうタイプの明るさは好まなかった。

 10代の頃は、感傷的な作品に惹かれやすかったけど、20代でシティポップと、渋谷系J-POPにハマったこともあって、次第に明るいコンテンツを摂取するようになった。今は、ポップで明るいコンテンツをよく観るようになった。
 映画もドラマも、ネトフリで話題になっているものは大体、観るようにしている。音楽もTikTokで流行っている曲を取り入れるようになった。この活動を始めた頃は、Judy And Maryの明るい曲ばかり聴きながら作品を書いていた。アニメとコミックは、まだ独特のノリに対する苦手意識はあるけど、観たり、読んだりするようになった。

 文章を書く中で、この両極端の経験が、今、ものすごく自分の糧になっているように思う。明るくて、楽天的な文章も好きになったし、感傷的な文章も好きになった。

 文章を書いているから、特に思うことなのかもしれないけど、人生の中で、感傷的になる時期があってもいいと思う。
 今って、暗くて、感傷的になることが悪いことだって風潮が、昔よりも強い気がする。

 感傷的になっていた時期に考えていたことは、必ず、人生の中で結びつくだろうし、誰かを励ますには、感傷的な時期は必要なことだと思う。だから、根暗とか、陰キャとか、そういうカテゴライズする言葉で自分を定義しないで、感傷的な今をしっかり、味わった方がいい。
 通り過ぎれば、その時期は、いつかキラキラと輝き始めるから。
 


☆幸せと欲求の正体


 もっと、たくさんのことだってしたいし、
 もっと、いろんな恋も、いろんな愛を知りたい。
 だけど、ときどき、嫌になってしまうんだ。
 「もっと」と叫ぶ自分自身のことが。



 人は求めるように作られている。だから、不足に目を向くように作られている。よくなりたい、幸せになりたい、お金がたくさん欲しい。
 恋も、健康も、仕事も、求めすぎているのか、ときおり、わからなくなってしまうくらいだ。そんな時は、心理学。
 マズローの欲求段階説では、5つの欲求が人間にはあるよって、言われている。

 1、自己実現の欲求――自分の能力を最大限発揮したい欲求
 2、承認(尊重)の欲求――集団から自分が認められたい欲求
 3、社会的欲求と愛の欲求――社会に必要とされている欲求
 4、安全の欲求――経済的安定、健康状態を安定させたい欲求
 5、生理的欲求――食事、睡眠など生命維持する最低限の欲求

 これが5層の▲ になっていて、一番下の層が「5、生理的欲求」になっていて、ピラミッドの一番上に「1、自己実現の欲求」となっている。このピラミッドは、下から順番に満たしていく欲求になっているらしい。
 つまり、満たさないとヤバい順から欲求を満たさないと、上の欲求は見えてこないよってことみたい。

 よく、承認欲求は悪だとか、そういう見方があるけど、承認欲求があるってことは、実は、下にある3つの欲求はすでに満たされているってことなんだと思うんだ。
 だから、承認欲求を感じていること自体、実は幸せな状態にあるってことなんだ。だけど、人って、なぜか、すでに満たされたものは、当たり前だと思って、幸せには思わない。
 SNSとかで人と比べて、もっといい暮らしができるとか、もっとこうなりたいとか、「もっと」ばかり、いつも言っている気がする。

 でも、実は今の暮らしって、結構、恵まれてて、すごいことなんだと思う。
 シャワーをいつでも浴びれるし、ソファに寝転がり、間接照明でチルい時間を味わうこともできる。iPadでSpotifyで好きな音楽だって聴くことができる。日本に住んでいると、いろんな細かいことが目につくこともあるけど、実際、いろんな幸せに恵まれていると思う。

 「もっと」を求めることばかりじゃなく、「もっと」の手前にある、今の幸せをのんびり、味わい切るのも、悪くないないよね。



☆機転を利かせた親切をする人はかっこいい


 自分が当たり前だと思っている親切は、
 誰にだってできることじゃない。
 君は優しくて、強い人なんだ。
 そんな君は、生まれたての朝日のように、
 ものすごく、眩しいよ。



 いつだってどんな人にも親切にできる人って、いったいこの世の中にどれくらいいるんだろう。
 人に尽くされること=誰かに親切にしてもらった。なんだと思う。
 
 普段、よく関わっている人も、たまたま出会った人も、自分に対して尽くしてくれた人のことは、しっかりと印象に残る。
 人に尽くされる経験をすると、どんな人も感動すると思う。自分が丁寧に扱われると、嬉しい気持ちになる。

 それは恋愛でもそうだと思う。
 相手の分のカップを持って、テーブルまで行く。重い荷物を持つ。社会の中でもそうだと思う。ドアを開けるのに、見知らぬ人が通るまで譲る。車を運転しているとき、駐車場を出ようとしている見知らぬ車に道を譲る。
 そうした機転を利かせることができる人は、相手の動きをよく見ているんだと思う。そんな些細な親切ができる人は、きっと優しい人だと思うし、相手から奪うようなことをしないと思う。

 ただ、その優しさが仇になることもある。
 それは長期的にゆるい関係性を持つ場面だ。

 例えば、職場や学校がそれにあたる。自分のことを見知った状態の人の中で、親切が搾取されることがある。この現象を、心理学では「ギバー・テイカー理論(GIVE & TAKE)」と呼ぶらしい。
 ギバー(Giver)は、見返りとか関係なく、いろんな人に分け与える人。テイカー(Taker)は自分の得、利益ばかりを考えて、人から奪う人。マッチャー(Matcher)は、バランスをとって、与えられたらお返しするし、奪われたら、仕返しをする人。
 最近では、この理論もすっかり定着してしまって、この3つの言葉ばかりが流行ってしまっている感もあるよね。
 こんな言い換えもできると思うんだ。ギバー(Giver)は本当に親切な人。テイカー(Taker)は親切を受けて当たり前だと思う人。マッチャー(Matcher)は、相手から親切を返すけど、不親切にされたら、仕返しをする人。
 
 職場や学校のように、長期的にゆるくつながる人間関係になるときは、自分の心が押しつぶされそうになるくらい、親切を与えすぎないようバランスを取る必要があると思う。そうじゃないと、ギバーの親切心は、簡単に搾取され、ギバーの親切だけが、その環境の中で当たり前になってしまう。

 人は当たり前になると、感謝するどころか、「やって当たり前」「その人の役割」と認識する人が一定数いる。そうなると、疲れてたまたま親切をやらなかったとき、そういった人たちから、「いつもやってくれてるのに、どうしてやらないの?」と不当に批判される場面が出てくる。
 
 だから、長期的な人間関係を築くときには、親切には与えすぎないバランスが必要なんだと思う。
 残念だけど、今の社会の中で、上手く生き残る術なのかもしれない。
 それでも、その親切や優しさを持っている人は、かっこいい。
 その親切は、些細なことでも、光り輝いている。
 


☆話を聞きすぎる君へ


 話は迷路だ。
 あっちに行ったり、こっちに行ったり、
 人は迷いながら、話す人もいれば、
 言葉に迷わず、出口に向かって、話す人もいる。
 聞き上手は、迷路に迷い込む人を助ける行為。
 人の聞きすぎると、自分も深い迷路に引きずり込まれる。
 


 ある日、自分のことを話すのが途端に怖くなった。
 自分が話していることが、相手にとって、つまらないじゃないかと思うようになった。自分の話で、相手にネガティブな反応をされるのが怖くなった。だから、自分のことを話すのを諦めた。
 
 親しい友達にもそういう感じになってしまった。友達に話を振られても、「いや、つまらない話だから、いいよ」って、引っ込み思案になるようになってしまった。「それより、話聞かせてよ」って、友達に話を振り返すことが多くなった。

 高校を卒業する前、18歳までは、そんな感覚はなかった。自分の中で、「おかしいな。調子悪いだけかも」って、自分でもそのことについて、あまり深刻にならずに、日々をやり過ごしていた。だけど、今、考えると、そのアラートは、自分が変化していた兆候だったと思う。
 不意に自分はつまらない人間になってしまったんだと、失望し、悲しんだ。

 その不安の対処法として、自分から強い主張はせず、相手がしたいことに、合わせるようにした。質問することに集中し、自分の話したいことは二の次にした。
 それを続けていたある日、いろんな人から、「聞き上手だ」と言われるようになった。
 自分の話ができないから、身を守るために、質問を投げかけただけだ。その話に対して、さらに質問を投げかけただけに過ぎないのに、いろんな人はそれを褒めた。

 だったら、さらに聞き上手に徹しようと思い、今まで以上に自分の話をしないようにした。
 それが間違いだった。

 日々、自分の中でフラストレーションが溜まっていく。自分はこんなに相手の話を聞いているのに、相手はたまにする自分の話すら聞いてくれないじゃないかと。心の奥の自分の内側ってものすごく自己中だから、自分がしていることを相手に求めすぎてしまうのかもしれない。

 頭ではそんなこと、わかっているから、「はいはい。どうせ、自分の話はつまらないんだから、やめなよ」って、ずっと自分のことをなだめていた。だけど、ある日、それが鬱に変わった。人の話を聞きすぎたんだと思う。自分のことを言わなすぎたんだと思う。ある日、突然、脳がシャットダウンした。
 そこから、家族以外の関係をすべて絶った。

 この話で伝えたいことは、自分より他人を優先しすぎると、ある日、限界が訪れるということだ。
 人の話を聞くって行為は、小さい我慢の連続だ。さらに、人の話を聞くことに関して、ほとんどの人は、それを我慢だと思っていない。

 今でも、自分の話すことは苦手だ。
 自分の話はつまらないんじゃないかって思うことがほとんどだ。
 すっかり、鬱が良くなった今、多少、自分の話をする努力をするようになった。



☆ありのままの自分で生きてみたい


 どうして君は、劣等感を持つようになったの。
 そのたびに、誰かと比べるようになってしまったんでしょ。
 君は君のまま、ありのままで十分なのに。



「人と比較しないで生きると楽になる」
 って言うけど、それは孤独を受け入れるのと、同じことをしているような気がする。
 生まれた瞬間から死ぬまで、ずっと比較され続ける世界の中で、どうやって、人と比較しないで、ありのままの自分を手にいれるかって、 ことだとも思う。

 もう少し、比較について考えてみてみようかな。

 たとえば、生まれた瞬間は、赤ちゃんと大人。
 赤ちゃんだから、子供だから、〇〇できないよ。
 兄弟がいる場合は、〇〇と違って、〇〇はこうだよね。
 とか、そういうことが比較なんだと思う。

 保育園、幼稚園に入ると、歳の近い子たちに囲まれる。特に同級生は、同じ時間を過ごすことが長いから、自然に比べることになる。小学校に入学すると、今度は、勉強や、運動という、他人と簡単に比較できる、評価基準が出てくる。7歳で覚えたその比較は、中学校、高校と歩みを進めていくたびに、より明確になる。優越感や、劣等感をこれでもかという比較の中で覚える。
 そして、社会に出ると、完成しきった比較の中で、生きなくちゃいけなくなる。

 比較は、心に穴が空いたままでも、続くし、自分との戦いでもあるし、他人との戦いでもあり続ける。つまり、「人と比較をしないで生きると楽になる」って、今まで生きてきた、考え方の癖をある程度、捨ててみるってことになると思う。

 つまり、多くの人たちは、比較の世界で生きているから、あまり受け入れられることじゃないんだと思う。
 本当の意味で、人の比較しない人は、人と違う考え方や行動を堂々とすることもあると思うから、あの人、何やってるんだろうって、より、白い目で見られたりもする可能性だってあるかもしれない。

 だから、「人と比較しない」で生きるのは、そういった、多くの人からの冷たい目にさらされることにもなるから、孤独になるんだと思う。

 だけど、「人と比較しない」生き方ってかっこいいなって思うんだ。
 だって、ありのままの自分を堂々と、表現して、生きているってことでしょ?
 ありのままの自分を手に入れたいなら、多少の孤独も、受け入れられるくらい、強くならないとって、たまに思うんだ。
 


☆人生を駆け抜ける

  
 駆け抜けていると、
 たまに青春も、この先に広がる人生も、
 もう、何が何だかわからなくなる時があるんだ。

 銀色のナイフを握り、
 見えない闇を切っても、
 空気を切るだけで、なにも変わらないね。

 それでも、走り続けるよ。
 人生って、そういうものでしょ。
 


 真夜中、誰もいないアーケードの下。均一の白色の街頭で照らされている、シャッターが閉まった商店街を駆け抜けるように、ときおり、人生って虚しいなって思う時がある。走っても、走っても、シャッターが閉まったままで、正解がわからないまま、ただ一直線に、闇の先を目指しているような気持ちになる。
 
 みんなはそれを当たり前のようにやり切っているように見えるし、普通がそれに見えるから、闇雲に頑張ろうとしちゃう。これが人生だから、駆け抜けるしかないって思って、仕方なく、人生を駆け抜ける。

 でも、駆け抜ける必要なんてない。
 途中、立ち止まって休んでいても、誰も怒らない。
 だって、これは一人だけの世界なんだから、怒られないんだ。

 自分の人生に介入できるのは、自分のことが好きな人だけだ。

 その人に励まされ、ケアしてもらって、元気が出たら、また走り始めればいいんだ。人生は終わるまで駆け抜ける必要があるけど、立ち止まったり、寝転んだり、したっていいんだ。

 最終的に楽しければ、真夜中のアーケードの夜風だって、気持ちいいものだから。