あー、腹減ったなあ。
ケガから復活したものの、本調子じゃないせいで帰されてしまった。1人で歩く廊下はやけに静かに感じられるけど、別にどうということはない。
足は元通りになってサッカーができると言われたし、後は俺のやる気次第。ありがたいことに部のみんな優しいから、戻ってきたら居場所がない、なんてこともなかった。
むしろ無理すんなって気遣われてるくらいだ。おかげで今日も俺だけ早く帰る。
この時間でも会えんのかな。一昨日は会えなかった。今日は部活の日のはず。
廊下の曲がり角でバッタリ人と出くわしてしまい、ぶつかりそうなところをギリギリで足を止められた。
「サーセン」
頭を下げると、甘い香りが鼻を掠める。すげー美味そう。
反応するように盛大に腹が鳴って、俺は謎に「っす」と言葉になってない言葉を吐き出した。断じてわざとじゃねーけど、だって美味そうなんだもん。
「下向いて歩くのは危ないよ」
「って、何だよ。やっぱ天津さんか」
ぼんやりしていたせいで、目の前の相手が誰か気づくのが遅れた。まさに会いたいと願っていた人で、俺のひとつ上の先輩だ。
「かよとは何だよ。せっかく会えたし、今日も食べてく?」
「やったー! 天津さま!」
「調子がいいなぁ」
「いいじゃないっすか。一緒に食べましょー」
抱えたタッパーをひょいと天津さんから取り上げて「俺が持ちますよ」と、半透明のフタから中身を確認しようとした。
ケガしたばっかのとき、やさぐれてた気持ちを解いてくれたのが天津さんが作ったお菓子だった。そこからは、正直なところ天津さん目当てにここを通っている。
「食べましょーって、作ったの僕なんだけど」
「知ってます。今日もあざっす。これ何ですか?」
「これはカステラ。ザラメいい感じになったよ」
家庭科室の中から何人かがこっちを覗いているのに気づいた俺は、しっしと小さく手を払う。天津さんに見られたらどうすんだ。ニヤニヤすんな。
クッキング部にクラスメイトはいなかったが、天津さんから作ったものを分けてもらうようになってから何人かと顔見知りになった。
家庭科室まで会いに行けばいいものの、お菓子を催促したいわけじゃない俺は天津さんに会える偶然に賭けている。
クッキング部の人らから目をそらして、廊下を歩いていく。
俺のクラスへ2人で向かった。ラウンジや食堂も使えるけど、俺が2人きりになりたくて途中から教室が定番になった。
俺がこれを食べたいのはもちろんなんだけど、食べてるときの天津さんの顔がすげー好きだ。
天津さんは甘いものが好きなんだろう。自分が作ったものをいつも美味そうに食べるし、基本は甘いものだ。家庭科室からカレーの香りがしたときも、天津さんはパンケーキを俺にくれた。
俺は正直、塩っけがあるもののほうが好き。天津さんが好きなものを食べてるのを見るのが好きだから、言ったことはない。
「カステラの頑張ったとこってどこなんですか? やっぱ、ザラメっすか?」
適当な席に腰をおろして、てきぱき準備してくれる天津さんを眺める。ふわふわしてそうな癖っ毛をゆらして、天津さんは目を細めた。
「うん。ザラメは溶けないように、けどしっとり目指した」
ザラメも焦げ付きそうなほど甘い笑顔。これを向けられて、どうにかなんないやつはいねーだろ。
はい、とウエットティッシュを差し出され、俺は会釈しながら1枚を取った。華奢に見える指先がパチンと蓋を閉める。
「いただきますっ」
両手を合わせて、カステラにかじりつく。ジャリジャリとしたザラメの食感と怒涛の甘味が押し寄せた。
大きめの一口でカステラの半分を食べたところで、俺は天津さんの口までそれを持っていく。自分の分はしっかり味わってから嚥下した。
「すげー美味いですよ。どーぞ」
「だから、これ作ったの僕だからね?」
「天津さんが作ったの最高です。店で買ったの詰めてないっすよね?」
「当たり前だろっ」
語気は強いものの、天津さんの頬は緩んでいた。あ、と開かれた口にすかさずカステラを押し込む。
「うん、おいしい」
笑みを浮かべる天津さんを見て、頬杖から手をずらす。にやけるのは耐え切れないから、手で隠すしかない。
食べ終えたら、さっと次のカステラを差し出す。
「僕は塚越にあげるために持ってきたんだけど。いつもの食べるからいいよ。今日はある?」
「常備してるんで、ありますよ」
そばに置いたリュックから、赤い箱を取り出した。普段は食べないのに友達からもらって持っていて、初めて天津さんからクッキーをもらった日にお返しにあげたものだ。
天津さんが好きそうだから次も買っておいたら、自分が作るお菓子と交換だと言われた。
俺がお菓子をもらう対価。そんなの、どう考えたって釣り合わないのに。
「今日の練習はどうだった? 塚越がサッカーやってるの、早く見たい」
銀の袋から何本か取り出したプレッツェルの部分をつまんで、口に運ぶ。パキポキといい音が響いた。
天津さんの食べてる姿は癒やされるけど、今日はそれだけじゃ足りそうにない。
「ボール触ったのはちょっとです。まだ、時間かかりそうなんすよねー」
椅子の背もたれにだらりと寄りかかる。
元通りにやりたいのに、うまくいかない。痛みはもうないし、すぐにでも戻れると思ってた。足の動きが鈍って、感覚が取り戻せずにいる。
サッカーって、もっと楽しくできるものじゃなかったっけ。その気持ちが空回りしてるし、周りに気を遣わせてる自覚もある。
目の奥がつんとしてきて、ごまかすようにカステラを放り込む。ザラメの甘さが染みた。
「次の試合は出れねーし、最悪っすよ。辞めろって雰囲気になんねーだけ、みんな優しいんですけどね」
「塚越が頑張ってるの知ってるから、早く戻れたらいいなって待ってるだけだよ。僕なら、塚越に早く戻ってきてほしい」
「じゃあ、クッキング部に入ろっかなあ」
おどけてみせると、ふっと口の端を上げた天津さんから「兼部しなよ」と無理なことを言われた。
「俺、まじで料理できないんで」
「できないんじゃなくて、できるようにするんだよ。サッカーもそうじゃないの?」
「それはちょっと耳が痛いっす。けど、サッカーだめそうなら本気で考えときます」
天津さんと同じ部活なら、苦手なことでも楽しいかもしれない。
「だめだよ。塚越は僕にかっこいいプレー見せてくれないと」
「そうっすね。がんばります」
ほどほどにね、と天津さんが微笑む。銀の袋をくしゃくしゃ丸めて、もうひとつと入れ替えに箱の中へと詰めた。
食うの早えーな。俺の視線に気づいてか「塚越も早く食べなよ」とカステラを勧められる。美味いけど、カステラは一度に一切れがベストだと密かに思った。
○●○
次の部活ではパス練をして、俺としてはかなり進歩を感じられた。けど、他の人の足を引っ張っているのは明らかだった。
パスを受けるだけのはずが、ミスを連発してしまった。何でうまく動かないんだろう。
「無理するより、もうちょい休んだほうがいいんじゃねえの?」
わかってる。これが優しさで言われてることくらい。俺には、お前なんかいらないよと言われてるように思えてしまう。
そんな人らじゃないって、知ってるのに。何でパス練すらまともにできねーんだよ。自分が思う理想と現実の溝を埋められない。
「わり、そうする。先生には言っといて」
「あんま気負うなよ」
「……サンキュ」
太ももを叩いて、その手をぎゅっと握りしめる。グラウンドの砂を踏む音がザッザッと響いた。
天津さん今日はいるのかな。会いたい。自然と家庭科室の方へ向かっていた。
いつもの角で遭遇できなくて、俺はそのまま自分の教室を目指す。今日はダメな日らしかった。それで良かったのかもしれない。この格好のまま家庭科室に近づくわけにもいかねーし。
何より今の俺はとてつもなく情けない顔してるに決まってる。こんな顔、天津さんに見られたくない。
香ばしい醤油のような匂いから遠ざかるように、足を急がせる。人のいない方へ逃げたかった。
唇を噛み締めたときに「塚越!」と俺を呼ぶ声がした。
「あれ、天津さん?」
やべ、と目元を拭って顔を上げる。大丈夫かな、俺の顔。
焦った様子でこちらに小走りで来た天津さんの手には、何もなかった。
「ごめん、今日はマカロン持ってきたかったんだけど失敗しちゃって。作ったの生姜焼きくらいしかなくて……甘いものがないんだ」
「……生姜焼き、いいっすね。美味そう」
「あ、お腹空いてる?」
すっと伸びてきた手を避けられず、頬に触れた思いの外冷たい手にビクッと肩が跳ねた。
親指が頬骨をなぞるように滑る。見透かすような視線が注がれて、息がうまくできなかった。
「塚越、何かあった?」
「……何も、ねーっす」
「僕にはサッカーよくわからないから、話しても意味ないと思うかもしれないけど、いつでも塚越の話を聞くからね」
「やめてくださいよー。俺は、俺のせいでどうにもできねーのに、こんなの……天津さんに見せたくない」
部活の人が厳しくて、治療もうまくいってなければ言い訳ができるのに。すべての原因が俺にあって、持て余して、他に何もないから困る。
奥歯を噛み締めても、瞳の縁が重みに耐えかねて流れ落ちた。天津さんの指を濡らしてしまいそうになり、ハッとして「すいません」と後ずさる。こんなつもりじゃなかった。
「あの、ハンカチたぶん教室で……取ってきます」
「いいよ。塚越が下がったから濡れてない。それよりも、」
俺より小柄な天津さんがわしゃわしゃと俺の頭をなでた。ぐいっと乱暴に引き寄せられて、さらに強めになでられる。何やってんだこの人。
「偉いな、塚越は。ジャージ着替えておいでよ。甘いものがなくて申し訳ないけど、生姜焼き食べよう」
何で今日ジャージなの? と訊ねられ、答えようとするとペチンと両手で頬を挟まれた。ほんと、何やってんだこの人。思わず吹き出して「着替えます」と言った。
「今日は、部室で着替える気になんなかったんです。元気出たから着替えてきます。生姜焼き、めっちゃ楽しみにしてます!」
「うん、行っておいで」
頑張れ、って着替えることくらい大したことないのに。最後に頭をポンと軽く叩かれて、俺の口角はすっかり上がっていた。
教室でさっと着替えて家庭科室へ向かうと、家庭科室はガランとしていた。天津さんだけが座っている。いつもの騒がしい人らどこ行った?
開いた扉をコンコンとノックして「お邪魔します」と、足を踏み入れた。
「みんなね、これから人気のドーナツ屋に並ぶからって行っちゃった。買ったら、僕と塚越の分渡しに戻ってきてくれるって」
「へー、クッキング部の人たちもいい人っすよねー」
「うん、そうだね。みんなとよく塚越のこと見てたよ」
そこ座ってね、と天津さんから促されても座れなかった。何? みんなと俺のこと見てたって、そんなの知らない。
家庭科室の窓に近づいて、外へ目を向ける。グラウンドでサッカーをする部員の姿が見えた。
「天津さん、俺のこと見てたんすか!?」
「うん。応援パワー送ってた」
大して練習に参加もできないような、あの情けねー姿を見られてたってことか。ブワッと湧き上がる羞恥に耐えかねて、ふらふらと席に腰を下ろす。
天津さんと会ったときにどれだけ格好つけてようと、その前の姿を見られてたら意味ねーじゃん。サッカーやってるの早く見たいって言われてたけど、見てんじゃねーか。
「あっ、いやでも試合は見てないからノーカンだよ? 塚越が出る試合を見て初めて、塚越がサッカーやるとこ見たことになるよね?」
「そんなごまかし通用しないっすよ」
「いやいや、ごまかしてない。ちゃんと、塚越がサッカーするの楽しみなんだよ」
わたわたとする天津さんを見るに、うっかりしていたようだ。そそくさと「準備するね」と逃げられてしまった。
何だ、隠すまでもなかったんだな。気が抜けて、静かに息を吐く。
「天津さん、内緒にしてたことひとついいですか?」
「えっ、う、うん」
フライパンから皿に盛り付けていた天津さんの手が一瞬だけ止まって、またすぐに動き始める。何を言われるかまるでわかっていないようで、目が左右に揺れていた。
「俺、甘いものよりそういうほうが好きです」
「——へ?」
「生姜焼き。もちろん、普段作ってもらう甘いものも美味いんですけど、どっちかというと俺は塩気あるほうが好きです」
ちょっとくらいかっこつけたい気持ちはある。でも、天津さんが一生懸命作ってきてくれるものに甘え続けたらいつか嘘に苦しくなるかもしれない。
情けない姿を見ても頑張れと応援してくれている天津さんに、そんな嘘はついてたくないと思った。天津さんが作る甘いものなら好き、ではあるけど。
「えっ!? え、そんなの言ってくれればよかったのに。塚越が好きだと思って作ってた」
「え、まじすか。申し訳ないっす。天津さん、甘いもの食べんの好きそうだなって思ってました」
「うん、好きだよ。でも、僕が作ってたのは塚越に作りたかったからだよ」
それってもう、俺のこと好きじゃね? と思っても言葉にはしなかった。全く気づいてなさそうな天津さんは、てきぱき盛りつけをして米と生姜焼きを運んできてくれた。
横に立った天津さんが「どうぞ」とはにかむ。手を合わせてから、受け取った箸で生姜焼きに口をつける。
玉ねぎがたっぷりの生姜焼きだった。肉がびっくりするほど柔らかく、旨味を噛みしめる。夢かもしれん。
「すげー美味いし、もう俺は天津さんに心ごと持ってかれてるんで責任とってください」
満足のため息を漏らすと、天津さんが「責任?」と首を傾げた。
「え、わかった」
「ぜってーわかってないっすよ。俺が天津さんのこと、好きって言ってんの伝わってます?」
「……え、そんな米かき込みながら言われても理解追いつかないよ。何で今言うの!?」
ガツガツとかき込んで、あっという間に米も肉も消えていく。こんな美味いの食えんなら、もっと早く言えばよかったな。
「今、言いたかったんで」
「塚越はそういうとこあるよね。肝心なことは流そうとしないで、ちゃんと言いなよ」
「……っすね」
「サッカー部の人にもだよ。今何がしんどくて、どう頑張りたいか。ケガしたのは塚越だから、塚越から言ってもらえないと向こうからは聞きづらいよ」
確かに、そういうのはあるのかも。気遣われてるのはわかるけど、あんま深く言われねーのは俺のせいか。
「次の部活んとき、話してみます。クラスメイトも気にしてくれてるんで」
「うん、それもいいけど……僕には?」
「さー? ごちそうさまでした」
皿を片づけて、流しに持っていく。今日のこれは俺がもらったから、たぶん天津さんの分を食べたんだろう。
「天津さん、今度焼肉食べ放題行きません?」
「違う! その話じゃない。行くけど、僕に好きって言うのはやめちゃったの?」
水が流れる音が響いて、手が動いてないのを「水は無駄にしたらだめだよ」と諭されてしまった。頼むから間近に立たないでほしい。
唇を結んだまま、どうにか洗い終える。ニコニコとした天津さんがささっと皿を拭いてくれた。
お礼を言って、天津さんと向き合う。
「だから、その……俺は天津さんが」
「うん、ゆっくりでいいよ」
「あー……はい。ちょっと待ってくださいね」
あれ、さっきまでは自然と言えたはずなのに。いざ天津さんに構えられると、口から出そうとしている言葉がとんでもないもののように感じられてしまった。
期待に満ちた瞳に射抜かれて、逃げられない。
「す、」
「す?」
「好きです、天津さん」
何で俺はこんなことになってんだ!
天津さんの表情がほどけて、目尻が下がる。
バクバクの心臓ごと包み込むように天津さんから抱きしめられた。重なった熱に溶けそうだ。
こぼれるような笑い声がしたかと思えば「僕も塚越のこと大好きだよ」と、天津さんは恥ずかしがる様子もなくサラリと言ってのけた。
この人って、こういうとこあるよなあ。
俺は心臓を落ち着かせられないまま「そろそろドーナツ来ますよ」と声をかけた。
「あっ、塚越の分は甘くないやつにしてもらわないと!」
ガバッと離れた天津さんが近くにあったスマホを手に取る。
「いいっすよ。嫌いなわけでもないんで。ただ、天津さんみたいに量は食えないっす」
「何個くらいならいけるの? 3つ?」
基準がイカれてねーかと思うのは、俺がそんなに甘いものを好きじゃないからなのか。
「1つでお願いします」
「えっ、そんなんでいいの? あ、だから毎回僕に食べさせようとしてたのか。いつも量多かったよね」
「いや、それはすげー美味かったです。けど、確かに量はちょっと多かったです」
正直に打ち明けると、天津さんは「そうだよね、ごめんね」と眉の端がゆるゆる下がっていった。
「食うって決めたのは俺っすよ。むしろ、言わなくてすいません」
「ううん。知ったからには、食べれそうなもの作るから!」
はい、とうなずいたとき、視界の端に家庭科室をのぞくクッキング部員たちが見えた。そこは空気を読んでのぞくなよ。
火照る頬を隠すように手で覆って、床に目線を下げた。
○●○
次のサッカー部の活動日。
「——って感じで、動きたい気持ちはあるんすけど、今のところうまく足が動いてくれなくて……迷惑かけてばっかで申し訳ないです」
ありのまま伝えると、改めて無理のない練習メニューにしようと周りも顧問も寄り添ってくれた。
「しんどかったらすぐ言って。言われねえとわかんないから」
「はい、ありがとうございます」
部長から「申し訳ないと思ってんなら、絶対に無理はするなよ」と肩を叩かれた。溝は埋められなくても、気持ちがちょっと軽い。
今日も早く終えたものの、楽しかったと思えていた。この感覚を忘れずにいたい。
着替えを終えて昇降口に着くと、天津さんがヒラヒラこちらに手を振っているのが見えた。俺もそれに応える。
「俺、結構走れてませんでした?」
「お疲れさま。見てたよ、かっこよかったね」
「頑張って試合出るんで、そうなったら来てください」
「もちろん、好きなもの作って持ってくよ」
よっしゃ、と拳を握った。天津さんの隣に並んで歩いていく。
「今日はとりあえず、たくさんお肉食べよう。僕あんまり食べ放題って行かないから、楽しみ」
「え、天津さんはぜってー行くべきっすよ。スイーツ食べ放題とか」
「へー、食べれるのかな」
この前だってドーナツをぺろりと3つも平らげておいてよく言う。これから行く焼肉だって、どのくらい食べるか想像がつかない。
「天津さんかなり食うから、行けますよ」
「そうだね。おいしいものはたくさん食べないと」
校舎を出るなり、天津さんが俺の耳の縁をそっと撫でてきた。ピクッと小さく反応する俺を見て、天津さんは目を細める。
これ、そのうち俺まで食われるやつなんじゃねーの? 今日は焼肉食べ放題だけど!
「焼肉の話っすよね?」
「もちろん、そうだよ。逆に何の話?」
「わかってて訊いて来るのずるです」
「わかってるから訊きたいんだよ」
にやりとする天津さんに、俺はとっくに心臓を食われているのかもしれなかった。
ケガから復活したものの、本調子じゃないせいで帰されてしまった。1人で歩く廊下はやけに静かに感じられるけど、別にどうということはない。
足は元通りになってサッカーができると言われたし、後は俺のやる気次第。ありがたいことに部のみんな優しいから、戻ってきたら居場所がない、なんてこともなかった。
むしろ無理すんなって気遣われてるくらいだ。おかげで今日も俺だけ早く帰る。
この時間でも会えんのかな。一昨日は会えなかった。今日は部活の日のはず。
廊下の曲がり角でバッタリ人と出くわしてしまい、ぶつかりそうなところをギリギリで足を止められた。
「サーセン」
頭を下げると、甘い香りが鼻を掠める。すげー美味そう。
反応するように盛大に腹が鳴って、俺は謎に「っす」と言葉になってない言葉を吐き出した。断じてわざとじゃねーけど、だって美味そうなんだもん。
「下向いて歩くのは危ないよ」
「って、何だよ。やっぱ天津さんか」
ぼんやりしていたせいで、目の前の相手が誰か気づくのが遅れた。まさに会いたいと願っていた人で、俺のひとつ上の先輩だ。
「かよとは何だよ。せっかく会えたし、今日も食べてく?」
「やったー! 天津さま!」
「調子がいいなぁ」
「いいじゃないっすか。一緒に食べましょー」
抱えたタッパーをひょいと天津さんから取り上げて「俺が持ちますよ」と、半透明のフタから中身を確認しようとした。
ケガしたばっかのとき、やさぐれてた気持ちを解いてくれたのが天津さんが作ったお菓子だった。そこからは、正直なところ天津さん目当てにここを通っている。
「食べましょーって、作ったの僕なんだけど」
「知ってます。今日もあざっす。これ何ですか?」
「これはカステラ。ザラメいい感じになったよ」
家庭科室の中から何人かがこっちを覗いているのに気づいた俺は、しっしと小さく手を払う。天津さんに見られたらどうすんだ。ニヤニヤすんな。
クッキング部にクラスメイトはいなかったが、天津さんから作ったものを分けてもらうようになってから何人かと顔見知りになった。
家庭科室まで会いに行けばいいものの、お菓子を催促したいわけじゃない俺は天津さんに会える偶然に賭けている。
クッキング部の人らから目をそらして、廊下を歩いていく。
俺のクラスへ2人で向かった。ラウンジや食堂も使えるけど、俺が2人きりになりたくて途中から教室が定番になった。
俺がこれを食べたいのはもちろんなんだけど、食べてるときの天津さんの顔がすげー好きだ。
天津さんは甘いものが好きなんだろう。自分が作ったものをいつも美味そうに食べるし、基本は甘いものだ。家庭科室からカレーの香りがしたときも、天津さんはパンケーキを俺にくれた。
俺は正直、塩っけがあるもののほうが好き。天津さんが好きなものを食べてるのを見るのが好きだから、言ったことはない。
「カステラの頑張ったとこってどこなんですか? やっぱ、ザラメっすか?」
適当な席に腰をおろして、てきぱき準備してくれる天津さんを眺める。ふわふわしてそうな癖っ毛をゆらして、天津さんは目を細めた。
「うん。ザラメは溶けないように、けどしっとり目指した」
ザラメも焦げ付きそうなほど甘い笑顔。これを向けられて、どうにかなんないやつはいねーだろ。
はい、とウエットティッシュを差し出され、俺は会釈しながら1枚を取った。華奢に見える指先がパチンと蓋を閉める。
「いただきますっ」
両手を合わせて、カステラにかじりつく。ジャリジャリとしたザラメの食感と怒涛の甘味が押し寄せた。
大きめの一口でカステラの半分を食べたところで、俺は天津さんの口までそれを持っていく。自分の分はしっかり味わってから嚥下した。
「すげー美味いですよ。どーぞ」
「だから、これ作ったの僕だからね?」
「天津さんが作ったの最高です。店で買ったの詰めてないっすよね?」
「当たり前だろっ」
語気は強いものの、天津さんの頬は緩んでいた。あ、と開かれた口にすかさずカステラを押し込む。
「うん、おいしい」
笑みを浮かべる天津さんを見て、頬杖から手をずらす。にやけるのは耐え切れないから、手で隠すしかない。
食べ終えたら、さっと次のカステラを差し出す。
「僕は塚越にあげるために持ってきたんだけど。いつもの食べるからいいよ。今日はある?」
「常備してるんで、ありますよ」
そばに置いたリュックから、赤い箱を取り出した。普段は食べないのに友達からもらって持っていて、初めて天津さんからクッキーをもらった日にお返しにあげたものだ。
天津さんが好きそうだから次も買っておいたら、自分が作るお菓子と交換だと言われた。
俺がお菓子をもらう対価。そんなの、どう考えたって釣り合わないのに。
「今日の練習はどうだった? 塚越がサッカーやってるの、早く見たい」
銀の袋から何本か取り出したプレッツェルの部分をつまんで、口に運ぶ。パキポキといい音が響いた。
天津さんの食べてる姿は癒やされるけど、今日はそれだけじゃ足りそうにない。
「ボール触ったのはちょっとです。まだ、時間かかりそうなんすよねー」
椅子の背もたれにだらりと寄りかかる。
元通りにやりたいのに、うまくいかない。痛みはもうないし、すぐにでも戻れると思ってた。足の動きが鈍って、感覚が取り戻せずにいる。
サッカーって、もっと楽しくできるものじゃなかったっけ。その気持ちが空回りしてるし、周りに気を遣わせてる自覚もある。
目の奥がつんとしてきて、ごまかすようにカステラを放り込む。ザラメの甘さが染みた。
「次の試合は出れねーし、最悪っすよ。辞めろって雰囲気になんねーだけ、みんな優しいんですけどね」
「塚越が頑張ってるの知ってるから、早く戻れたらいいなって待ってるだけだよ。僕なら、塚越に早く戻ってきてほしい」
「じゃあ、クッキング部に入ろっかなあ」
おどけてみせると、ふっと口の端を上げた天津さんから「兼部しなよ」と無理なことを言われた。
「俺、まじで料理できないんで」
「できないんじゃなくて、できるようにするんだよ。サッカーもそうじゃないの?」
「それはちょっと耳が痛いっす。けど、サッカーだめそうなら本気で考えときます」
天津さんと同じ部活なら、苦手なことでも楽しいかもしれない。
「だめだよ。塚越は僕にかっこいいプレー見せてくれないと」
「そうっすね。がんばります」
ほどほどにね、と天津さんが微笑む。銀の袋をくしゃくしゃ丸めて、もうひとつと入れ替えに箱の中へと詰めた。
食うの早えーな。俺の視線に気づいてか「塚越も早く食べなよ」とカステラを勧められる。美味いけど、カステラは一度に一切れがベストだと密かに思った。
○●○
次の部活ではパス練をして、俺としてはかなり進歩を感じられた。けど、他の人の足を引っ張っているのは明らかだった。
パスを受けるだけのはずが、ミスを連発してしまった。何でうまく動かないんだろう。
「無理するより、もうちょい休んだほうがいいんじゃねえの?」
わかってる。これが優しさで言われてることくらい。俺には、お前なんかいらないよと言われてるように思えてしまう。
そんな人らじゃないって、知ってるのに。何でパス練すらまともにできねーんだよ。自分が思う理想と現実の溝を埋められない。
「わり、そうする。先生には言っといて」
「あんま気負うなよ」
「……サンキュ」
太ももを叩いて、その手をぎゅっと握りしめる。グラウンドの砂を踏む音がザッザッと響いた。
天津さん今日はいるのかな。会いたい。自然と家庭科室の方へ向かっていた。
いつもの角で遭遇できなくて、俺はそのまま自分の教室を目指す。今日はダメな日らしかった。それで良かったのかもしれない。この格好のまま家庭科室に近づくわけにもいかねーし。
何より今の俺はとてつもなく情けない顔してるに決まってる。こんな顔、天津さんに見られたくない。
香ばしい醤油のような匂いから遠ざかるように、足を急がせる。人のいない方へ逃げたかった。
唇を噛み締めたときに「塚越!」と俺を呼ぶ声がした。
「あれ、天津さん?」
やべ、と目元を拭って顔を上げる。大丈夫かな、俺の顔。
焦った様子でこちらに小走りで来た天津さんの手には、何もなかった。
「ごめん、今日はマカロン持ってきたかったんだけど失敗しちゃって。作ったの生姜焼きくらいしかなくて……甘いものがないんだ」
「……生姜焼き、いいっすね。美味そう」
「あ、お腹空いてる?」
すっと伸びてきた手を避けられず、頬に触れた思いの外冷たい手にビクッと肩が跳ねた。
親指が頬骨をなぞるように滑る。見透かすような視線が注がれて、息がうまくできなかった。
「塚越、何かあった?」
「……何も、ねーっす」
「僕にはサッカーよくわからないから、話しても意味ないと思うかもしれないけど、いつでも塚越の話を聞くからね」
「やめてくださいよー。俺は、俺のせいでどうにもできねーのに、こんなの……天津さんに見せたくない」
部活の人が厳しくて、治療もうまくいってなければ言い訳ができるのに。すべての原因が俺にあって、持て余して、他に何もないから困る。
奥歯を噛み締めても、瞳の縁が重みに耐えかねて流れ落ちた。天津さんの指を濡らしてしまいそうになり、ハッとして「すいません」と後ずさる。こんなつもりじゃなかった。
「あの、ハンカチたぶん教室で……取ってきます」
「いいよ。塚越が下がったから濡れてない。それよりも、」
俺より小柄な天津さんがわしゃわしゃと俺の頭をなでた。ぐいっと乱暴に引き寄せられて、さらに強めになでられる。何やってんだこの人。
「偉いな、塚越は。ジャージ着替えておいでよ。甘いものがなくて申し訳ないけど、生姜焼き食べよう」
何で今日ジャージなの? と訊ねられ、答えようとするとペチンと両手で頬を挟まれた。ほんと、何やってんだこの人。思わず吹き出して「着替えます」と言った。
「今日は、部室で着替える気になんなかったんです。元気出たから着替えてきます。生姜焼き、めっちゃ楽しみにしてます!」
「うん、行っておいで」
頑張れ、って着替えることくらい大したことないのに。最後に頭をポンと軽く叩かれて、俺の口角はすっかり上がっていた。
教室でさっと着替えて家庭科室へ向かうと、家庭科室はガランとしていた。天津さんだけが座っている。いつもの騒がしい人らどこ行った?
開いた扉をコンコンとノックして「お邪魔します」と、足を踏み入れた。
「みんなね、これから人気のドーナツ屋に並ぶからって行っちゃった。買ったら、僕と塚越の分渡しに戻ってきてくれるって」
「へー、クッキング部の人たちもいい人っすよねー」
「うん、そうだね。みんなとよく塚越のこと見てたよ」
そこ座ってね、と天津さんから促されても座れなかった。何? みんなと俺のこと見てたって、そんなの知らない。
家庭科室の窓に近づいて、外へ目を向ける。グラウンドでサッカーをする部員の姿が見えた。
「天津さん、俺のこと見てたんすか!?」
「うん。応援パワー送ってた」
大して練習に参加もできないような、あの情けねー姿を見られてたってことか。ブワッと湧き上がる羞恥に耐えかねて、ふらふらと席に腰を下ろす。
天津さんと会ったときにどれだけ格好つけてようと、その前の姿を見られてたら意味ねーじゃん。サッカーやってるの早く見たいって言われてたけど、見てんじゃねーか。
「あっ、いやでも試合は見てないからノーカンだよ? 塚越が出る試合を見て初めて、塚越がサッカーやるとこ見たことになるよね?」
「そんなごまかし通用しないっすよ」
「いやいや、ごまかしてない。ちゃんと、塚越がサッカーするの楽しみなんだよ」
わたわたとする天津さんを見るに、うっかりしていたようだ。そそくさと「準備するね」と逃げられてしまった。
何だ、隠すまでもなかったんだな。気が抜けて、静かに息を吐く。
「天津さん、内緒にしてたことひとついいですか?」
「えっ、う、うん」
フライパンから皿に盛り付けていた天津さんの手が一瞬だけ止まって、またすぐに動き始める。何を言われるかまるでわかっていないようで、目が左右に揺れていた。
「俺、甘いものよりそういうほうが好きです」
「——へ?」
「生姜焼き。もちろん、普段作ってもらう甘いものも美味いんですけど、どっちかというと俺は塩気あるほうが好きです」
ちょっとくらいかっこつけたい気持ちはある。でも、天津さんが一生懸命作ってきてくれるものに甘え続けたらいつか嘘に苦しくなるかもしれない。
情けない姿を見ても頑張れと応援してくれている天津さんに、そんな嘘はついてたくないと思った。天津さんが作る甘いものなら好き、ではあるけど。
「えっ!? え、そんなの言ってくれればよかったのに。塚越が好きだと思って作ってた」
「え、まじすか。申し訳ないっす。天津さん、甘いもの食べんの好きそうだなって思ってました」
「うん、好きだよ。でも、僕が作ってたのは塚越に作りたかったからだよ」
それってもう、俺のこと好きじゃね? と思っても言葉にはしなかった。全く気づいてなさそうな天津さんは、てきぱき盛りつけをして米と生姜焼きを運んできてくれた。
横に立った天津さんが「どうぞ」とはにかむ。手を合わせてから、受け取った箸で生姜焼きに口をつける。
玉ねぎがたっぷりの生姜焼きだった。肉がびっくりするほど柔らかく、旨味を噛みしめる。夢かもしれん。
「すげー美味いし、もう俺は天津さんに心ごと持ってかれてるんで責任とってください」
満足のため息を漏らすと、天津さんが「責任?」と首を傾げた。
「え、わかった」
「ぜってーわかってないっすよ。俺が天津さんのこと、好きって言ってんの伝わってます?」
「……え、そんな米かき込みながら言われても理解追いつかないよ。何で今言うの!?」
ガツガツとかき込んで、あっという間に米も肉も消えていく。こんな美味いの食えんなら、もっと早く言えばよかったな。
「今、言いたかったんで」
「塚越はそういうとこあるよね。肝心なことは流そうとしないで、ちゃんと言いなよ」
「……っすね」
「サッカー部の人にもだよ。今何がしんどくて、どう頑張りたいか。ケガしたのは塚越だから、塚越から言ってもらえないと向こうからは聞きづらいよ」
確かに、そういうのはあるのかも。気遣われてるのはわかるけど、あんま深く言われねーのは俺のせいか。
「次の部活んとき、話してみます。クラスメイトも気にしてくれてるんで」
「うん、それもいいけど……僕には?」
「さー? ごちそうさまでした」
皿を片づけて、流しに持っていく。今日のこれは俺がもらったから、たぶん天津さんの分を食べたんだろう。
「天津さん、今度焼肉食べ放題行きません?」
「違う! その話じゃない。行くけど、僕に好きって言うのはやめちゃったの?」
水が流れる音が響いて、手が動いてないのを「水は無駄にしたらだめだよ」と諭されてしまった。頼むから間近に立たないでほしい。
唇を結んだまま、どうにか洗い終える。ニコニコとした天津さんがささっと皿を拭いてくれた。
お礼を言って、天津さんと向き合う。
「だから、その……俺は天津さんが」
「うん、ゆっくりでいいよ」
「あー……はい。ちょっと待ってくださいね」
あれ、さっきまでは自然と言えたはずなのに。いざ天津さんに構えられると、口から出そうとしている言葉がとんでもないもののように感じられてしまった。
期待に満ちた瞳に射抜かれて、逃げられない。
「す、」
「す?」
「好きです、天津さん」
何で俺はこんなことになってんだ!
天津さんの表情がほどけて、目尻が下がる。
バクバクの心臓ごと包み込むように天津さんから抱きしめられた。重なった熱に溶けそうだ。
こぼれるような笑い声がしたかと思えば「僕も塚越のこと大好きだよ」と、天津さんは恥ずかしがる様子もなくサラリと言ってのけた。
この人って、こういうとこあるよなあ。
俺は心臓を落ち着かせられないまま「そろそろドーナツ来ますよ」と声をかけた。
「あっ、塚越の分は甘くないやつにしてもらわないと!」
ガバッと離れた天津さんが近くにあったスマホを手に取る。
「いいっすよ。嫌いなわけでもないんで。ただ、天津さんみたいに量は食えないっす」
「何個くらいならいけるの? 3つ?」
基準がイカれてねーかと思うのは、俺がそんなに甘いものを好きじゃないからなのか。
「1つでお願いします」
「えっ、そんなんでいいの? あ、だから毎回僕に食べさせようとしてたのか。いつも量多かったよね」
「いや、それはすげー美味かったです。けど、確かに量はちょっと多かったです」
正直に打ち明けると、天津さんは「そうだよね、ごめんね」と眉の端がゆるゆる下がっていった。
「食うって決めたのは俺っすよ。むしろ、言わなくてすいません」
「ううん。知ったからには、食べれそうなもの作るから!」
はい、とうなずいたとき、視界の端に家庭科室をのぞくクッキング部員たちが見えた。そこは空気を読んでのぞくなよ。
火照る頬を隠すように手で覆って、床に目線を下げた。
○●○
次のサッカー部の活動日。
「——って感じで、動きたい気持ちはあるんすけど、今のところうまく足が動いてくれなくて……迷惑かけてばっかで申し訳ないです」
ありのまま伝えると、改めて無理のない練習メニューにしようと周りも顧問も寄り添ってくれた。
「しんどかったらすぐ言って。言われねえとわかんないから」
「はい、ありがとうございます」
部長から「申し訳ないと思ってんなら、絶対に無理はするなよ」と肩を叩かれた。溝は埋められなくても、気持ちがちょっと軽い。
今日も早く終えたものの、楽しかったと思えていた。この感覚を忘れずにいたい。
着替えを終えて昇降口に着くと、天津さんがヒラヒラこちらに手を振っているのが見えた。俺もそれに応える。
「俺、結構走れてませんでした?」
「お疲れさま。見てたよ、かっこよかったね」
「頑張って試合出るんで、そうなったら来てください」
「もちろん、好きなもの作って持ってくよ」
よっしゃ、と拳を握った。天津さんの隣に並んで歩いていく。
「今日はとりあえず、たくさんお肉食べよう。僕あんまり食べ放題って行かないから、楽しみ」
「え、天津さんはぜってー行くべきっすよ。スイーツ食べ放題とか」
「へー、食べれるのかな」
この前だってドーナツをぺろりと3つも平らげておいてよく言う。これから行く焼肉だって、どのくらい食べるか想像がつかない。
「天津さんかなり食うから、行けますよ」
「そうだね。おいしいものはたくさん食べないと」
校舎を出るなり、天津さんが俺の耳の縁をそっと撫でてきた。ピクッと小さく反応する俺を見て、天津さんは目を細める。
これ、そのうち俺まで食われるやつなんじゃねーの? 今日は焼肉食べ放題だけど!
「焼肉の話っすよね?」
「もちろん、そうだよ。逆に何の話?」
「わかってて訊いて来るのずるです」
「わかってるから訊きたいんだよ」
にやりとする天津さんに、俺はとっくに心臓を食われているのかもしれなかった。



