祟り姫と変態王子の怪異録

 織姫は怒りに任せて、裏山への坂道をずんずん登っていく。その後ろを、王子が慌てて追いかけた。
「待ってよ!シロ太のところ行くなら一緒に行こうよ」
「付いてくるな!」
「そんなに怒ると皺が取れなくなるよ〜」
「あんたのせいでしょうが!」
「え?」
「西原さんのマフィン……あんな断り方するから!」
 マフィン事件以降、西原たちの嫌がらせは目に見えて悪化していた。
 とはいえ、物を隠されたり暴力を振るわれたりするような、分かりやすいいじめではない。
 廊下ですれ違いざまにわざと肩をぶつけられて、ばい菌扱いされるとか。係の仕事で話しかけても、あからさまに無視され、くすくすと笑われるとか。
 そんなどれも些細なことばかりだ。けれど、その積み重ねは地味に心を削る。
 王子は少し考える素振りを見せると、やがて悪びれもなく言った。
「だって、何が入ってるか分からないし」
「調理実習で毒なんか入ってるわけないでしょ!」
「それはさておき」
「さておくな!」
「どうしてそんなに嫌われてるんだろうね」
 肩をすくめて話す王子の口ぶりは他人事のようだ。
 まさか女子生徒たちの嫉妬の原因の一旦が、自分にもあるとはこの男は露ほども思ってはいまい。
「私も、あんたみたいなのが何でモテるのか分からないわ」
「それほどでもないよ」
「褒めてないから」
 これ以上言い合っていても疲れるだけだ。織姫は気持ちを切り替えるように歩みを速めた。こんな日は、シロ太に癒やして貰うに限る。
「シロ太〜」
 名前を呼ぶと、草むらの向こうからしゅるしゅると白い影が近づいてくる。そのちょこまかとした仕草が可愛い。
 織姫はしゃがみ込んで、今朝購買で買ったゆで卵を取り出す。
 ついでに制服のポケットから小さなボトルも取り出した。こっそりとミニボトルに日本酒を入れて持ってきたのだ。
「シロ太〜! いや、シロ太様、蛇神様! 卵とお酒をお供えしてあげるから、私に現世利益ちょうだいね〜。蛇ごろしより高くて美味しいお酒だよ〜」
「……あ、いいの。それ! 霊媒師って私欲で神様にお願いしちゃ駄目なんじゃなかった?」
「いいんです! だって私がお金持ちになったら、シロ太のお供えも沢山買えて豪華になるでしょ。それは、つまりシロ太のためだもん」
「屁理屈って言うんだよ、それ」
 王子の苦笑いが聞こえた。気にせず、織姫はシロ太の肌に手を伸ばす。ひんやりしているのにどこか温かい。不思議な感触だった。
 シロ太はさらに身体を擦り寄せるように近づき、細い尻尾を指に絡ませた。
「可愛い……獣医さんになるのもありかもしれない」
織姫がぽつりと呟くと、王子が吹き出した。
「多々羅さんって、意外と動物好きだよね」
「動物は、人間より素直だから」
 欲望に忠実で単純で好きなら寄ってくる。嫌なら逃げる。人間みたいに余計な嘘も、駆け引きもない。
 その代わり、誠実に愛情を向ければ、その分だけ愛情を返してくれる。
 王子は苦笑して言った。
「それ、人間嫌いって言ってるようなものだよ」
「うるさい!」
「……僕も蛇だったら良かったのにね」
「は?」
「そしたら多々羅さんに可愛がってもらえそう」
「気持ち悪いこと言わないで」
「だって、シロ太。酷いねぇ。僕たちのママは」
「誰がママだ!」
 その時だった。
『おーい!』
 遠くから誰かの声が聞こえた。織姫ははっと顔を上げる。
「……しまった!」
 周囲を見回したら、いつの間にか山は夕闇に包まれている。
 木々が風もないのにざわざわと揺れていた。辺りは薄暗く、昼間とは別の場所のようだ。長居し過ぎた。完全に山の空気が変わっている。
『オーい!』
 再び声が響く。今度は少し近い。木立の向こうに人影が見えた。誰かがこちらへ向かって手を振っていた。
「誰だろ? クラスの子かな。おー」
「ダメ!」
 織姫は手を振り返そうとした王子の腕を慌てて掴んだ。
「返事しちゃダメ!」
「え?」
「道連れにされるよ!」
「どういうこと?」
ズズッズズッズズッ。
 何かを引きずるような重たい音と共に人影に似た何かが近づいてくる。人影の腕はだらりと揺れていた。まるで糸で吊られた人形みたいに。
「あれは……」
「ヤマビト」
「ヤマビト?」
「かつて人だった……山で死んだ者の成れの果て」
 織姫は小声で答えた。元々、山は神々の住む神聖な場所であり、異界と繋がる場所でもある。禁足地や忌み地に山が多いのはその由縁だ。そういう場所では、日が沈むと人ならざる者の領域になる。
 そして時折現れるのだ。
 人の姿を真似て、人を呼ぶ魔物が。
『オーイ』
 低く濁った声が連続で響く。
『オーイ……オーイオーイオ゙ーィ』
 背筋が粟立つ。まるで獣の唸り声のようだ。織姫は王子の腕を掴んだまま囁く。
「あれに返事しちゃ駄目。こういう時は気付かないふりをする」
「祓ってあげないの?」
「やだよ。こんなの山にゴロゴロいるんだから。全部助けてたらキリがない。それにあんたもいるし……」
 自分一人ならまだしも、今は王子がいる。誰かを庇いながら怪異と対峙するには少々分が悪かった。
「要するに足手まといってこと?」
「そういうこと」
「酷いなぁ」
「しっ!」
 織姫は王子の口元を塞いだ。
「息を潜めて! 音を立てない! 気付かないふりをしてやり過ごすの!」
「ひゃい……」
 それが一番安全だった。たとえ相手が、かつて人だったものだとしても。
『オーイ……』
『ォ゙ーイ……』
『オーイ……』
 ズズッ。
 ズズッ。
 段々近づいてくる不気味な音。王子が息を呑む気配がした。織姫は黙ったまま前を睨む。
 木々の揺らぐ音。
 枯葉を踏む音。
 枝が折れる音。
 普段なら気にも留めない音の数々が、今はやけに大きく聞こえる。
 我慢比べがどれくらい経った頃だろうか。
 次第に足音は遠くへ遠ざかっていった。完全に静かになり、織姫は安堵する。
「やっと行った……」
「……多々羅さん、ごめん。多分、捕まっちゃった」
「は?」
 振り返ると、王子は眉を下げて笑った。その瞬間。
『……みぃつけタ』
 王子の背後にいた真っ黒な影がにたりと笑った。

***
「まったく!! あんたは厄介なものに好かれないでよ?!」
 夕暮れの山の中に怒声が響く。西原といい。シロ太といい。今度はヤマビトにまで……この男は疫病神か何かだろうか。
 結局、ヤマビトは祓う羽目になった。最低限の除霊道具しか持っていなかったため、いつも以上に気力を消耗した。
「多々羅さん、よろよろだね」
「誰のせいだと思ってんの!」
「もう遅いし、タクシーで帰ろうか。もちろん代金は僕が払うよ」
「当たり前だ!」
 あまりに疲労困憊過ぎたからか。
 二人を物陰から見つめる視線に、織姫はまだ気がついていなかった。