祟り姫と変態王子の怪異録

 ある昼下がりの家庭科室。焼きたてのバターの香りが広がっていた。調理実習で作ったマフィンを見て、織姫は密かに満足する。
 焦げてもいないし、ちゃんと膨らんでいる。
 クリームのデコレーションだけは少し歪になってしまったが、どうせ最後は腹に入るのだ。気にするほどのことでもない。
 焼きたての香りを堪能していると、隣からひょいと王子が顔を覗き込んだ。
「多々羅さんの、美味しそうだね。一口ちょうだい」
「嫌だ! 自分の食べなさいよ!」
 織姫は即座に皿を抱え込み、死守する。すると、王子は不満そうに頬を膨らませた。
「多々羅さんのケチ」
「ケチじゃないし。他人のを奪うまであんたが食い意地が張ってるとは思わなかった」
「食い意地じゃなくて、多々羅さんのが食べたいの」
「同じ材料で同じ手順で作ったんだから一緒でしょうが!」
「でも、そのデコレーションは多々羅さんがやったんでしょ? 唯一無二だよ」
 意味が分からない。
 王子のマフィンは、織姫のものとは比べものにならないほど綺麗な出来栄えだった。デパートの洋菓子店に並んでいても違和感がないくらい。
対して自分のものは……。
 織姫は思わず見比べて、自分の不器用さを嫌という程感じさせられた時だ。
「奏人くん!」
 明るい声が家庭科室に響いた。西原穂乃果だった。周囲の注目を集めながら、西原は王子にマフィンを差し出した。西原のマフィンには生クリームで大きなハートが描かれている。
 教室中がざわついた。これは特別なマフィンだと誰の目にも分かったからだ
「よかったら食べて」
 西原は期待に満ちた瞳で王子を見つめていた。心なしか声音も、いつもより甘い。
だが。
 王子は差し出されたマフィンを見て首を傾げた。
「要らない」
「……え?」
 その瞬間、ざわついていた室内がしんと静まり返った。
「だから要らない」
 はっきりと拒絶されて、西原の笑顔が引きつった。
「な、なんで……?」
「僕も自分のあるし」
「でも、さっき多々羅さんのは食べようとしてたじゃん! 多々羅さんに食べるなって言われてるの!?」
「僕が多々羅さんのマフィンを食べるのに、どうして西原さんの許可を取る必要があるの?」
「そ、それは……」
 西原の顔がみるみる赤くなっていく。周囲も気まずそうに目を逸らしいた。
 ああ……。
 織姫は心の中で頭を抱えた。
 やめてー!
 こういう時に無駄に無邪気なの本当にやめてー!
 王子がやらかすたびに、とばっちりを受けるのは自分なのだ。
 西原の視線がこちらへ向く。ぎろり。案の定、明らかな敵意が込められていた。
「多々羅さん、最低ー」
「マジありえない」
 西原の元に駆けつけた取り巻きたちが、西原を慰めながら織姫に敵意を向ける。
 いや、私、何もしてないんだけど……。
 織姫は完全な被害者である。
「……王子、あとでシメる」
「え?なんで?」
 王子はきょとんと首を傾げた。彼のその無垢さに今は付き合う気にもなれず、織姫は深々とため息を吐いた。
 これから西原にどれだけ睨まれることになるのか……考えただけで頭痛がした。