「災難だったね」
教室へ戻ると王子が待っていた。織姫は〈蛇ごろし〉を片手に深々とため息を吐く。
「まったくね。なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ」
「犯人探しでもする? 今ならDNA鑑定に回せるよ」
「いい。どうせ目星はついてるから」
「そうなの? 視えてるの?」
「視なくても分かる」
準備室に向かう直前、振り返ると、西原と目が合った。彼女の口角が不自然に上がる。西原のあの含み笑いは嫌がらせをしてくる時の顔だ。
✦
西原と織姫の馴れ初めは遡れば、小学生の話になる。
休み時間になると、クラスメイトたちは絵を描いたり、おしゃべりをしたりして過ごしていた。
その中で織姫だけは、一人で本を読むのが好きだった。
ある日、西原が声を掛けてきた。
「ひとりは可哀想だから、一緒に遊んであげる」
悪気のない笑顔だった。
当時、道徳の授業で1人でいる子に話しかけよう。
みたいな教訓を教えられていた時期からそれに従って話しかけてくれたのだろう。
「え、いい。本読むから」
けれど、織姫は首を横に振った。その一言は西原のプライドを傷つけてしまったらしい。
それから、織姫に対する西原の態度は変わった。
陰口を言われるようになり、仲間外れにされるようになった。
けれど、長い間織姫には理由が分からなかった。
決して西原と遊びたくなかったわけではない。ただ、あの時は本の続きを読みたかった。その気持ちを正直に伝えただけだ。
高校生にもなると、さすがの織姫も多少は学習するようになったが、人間の本質など早々は変わらない。
織姫は一人でいることが苦にならないが、納得できないことには首を縦に振れない。思ったこともはっきりと言葉に出してしまう性格だ。
それ故に特に協調性を大事にする女子の集団とは相性が悪く、度々反感を買っては孤立していた。
✦
嫌なことを思い出してしまい、溜め息を吐くと、織姫の視界の端で、白線が動いた。
「王子……何持ってんの」
「あ、もうバレちゃった? 後で見せようと思ったんだけど……」
王子のポケットからにゅっと一匹の蛇が顔を出した。二十センチほどの小さな白蛇だった。
「蛇!?」
「可愛いでしょ」
「いつ?! どこから!?」
「さっきの昼休みだよ。裏山の近くで捕まえた。独りぼっちみたいで可哀想だったから、連れて帰ろうかなって」
悪びれもなく王子は言った。
「今すぐ返して来なさい!」
織姫は即答した。王子が目をぱちくりとさせる。
「あ、多々羅さんの家ってペット禁止だった?」
「そうじゃなくて……この子は連れて帰れないの」
「なんで?」
織姫は白蛇を見つめた。つぶらな苺のように紅い瞳だ。
「多分、神の化身だから」
「化身?」
白い鱗が陽の光を受けて淡く輝く。うっかりすれば、気が付かず踏んでしまいそうな程に小さな体。
けれど、目の前の白蛇からは微かに神気が滲み出ていた。
「一般的に、白蛇は神の化身と言われているんだけど、正確には、この山を守る主神の分身の分身のそのまた分身……眷属に近い存在だと思う。神様を視るのは失礼だから詳しくは分からないけど」
「そっか。この子は蛇神様なんだね」
「ざっくり言えばそんな感じ。触らぬ神に祟りなし。だから軽々しく名前なんかも付けちゃ駄目」
「……えっ!」
王子の顔が固まった。嫌な予感がする。
「その反応……あんた、まさか」
織姫がじとりと睨む。王子はすっと視線を逸らした。
「あはは……」
開き直った王子の口から乾いた笑いが漏れる。
「実は、もう付けちゃったんだよね」
「ちなみに何て名前?」
額を押さえながら織姫が尋ねると、王子は満面の笑みで答えた。
「シロ太!」
「……それ、神様に付ける名前じゃないのよ」
「そう?」
「どうせ白蛇だからシロ太でしょ」
「そうだよ! よく分かったね」
「……将来、子供の名前は奥さんに考えてもらった方がいいよ」
「えっ、多々羅さんが僕らの子供の名前考えてくれるってこと!?」
「アホか!」
織姫は思わず頭を抱えた。何でそうなるんだ。
「でもシロ太も喜んでるのに。ねー?」
王子が白蛇を持ち上げる。すると白蛇は同意するようにちろりと舌を伸ばし、王子の指先に触れた。白蛇は逃げる様子もなく、王子の手の中で気持ち良さそうに丸まっている。まるで名前を受け入れたかのようだった。
「……仕方ないか」
「え?」
「名前を呼ぶっていうのはね、縁を結ぶことなの」
王子がきょとんとした顔で見つめてくる。
「神様でも、人でも、動物でも同じ。名前を付けたら他人じゃなくなる」
織姫はシロ太を見つめた。白い鱗が陽の光を反射してきらりと輝く。
「だから本当は軽々しく付けちゃ駄目なの。途中で飽きたり、おざなりにしたりできなくなるから」
でも、王子によってもう名前は付いてしまった。本人……いや本蛇も、まんざらではなさそうだ。
「飲む?」
織姫は、蛇ごろしのパックに穴を開け、手のひらに中身を出して白蛇の方に向ける。すると、白蛇は警戒することなく、織姫の掌に鼻先を寄せて酒を飲み始めた。
まさかさっきの蛇ごろしがこんな所で役に立つとは。
「家には連れて帰れないけど……学校で世話するくらいなら大丈夫だと思う」
「本当!?」
王子の顔がぱっと明るくなる。織姫はびしりと指を突き付けた。
「ただし、最後まで責任を持つこと」
「はい!」
元気よく返事をする王子を見て、織姫はまたため息をついた。
その時はまだ知らなかった。その名前が。その縁が。
いつか自分の心を、こんなにも締め付けることになるなんて。
教室へ戻ると王子が待っていた。織姫は〈蛇ごろし〉を片手に深々とため息を吐く。
「まったくね。なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ」
「犯人探しでもする? 今ならDNA鑑定に回せるよ」
「いい。どうせ目星はついてるから」
「そうなの? 視えてるの?」
「視なくても分かる」
準備室に向かう直前、振り返ると、西原と目が合った。彼女の口角が不自然に上がる。西原のあの含み笑いは嫌がらせをしてくる時の顔だ。
✦
西原と織姫の馴れ初めは遡れば、小学生の話になる。
休み時間になると、クラスメイトたちは絵を描いたり、おしゃべりをしたりして過ごしていた。
その中で織姫だけは、一人で本を読むのが好きだった。
ある日、西原が声を掛けてきた。
「ひとりは可哀想だから、一緒に遊んであげる」
悪気のない笑顔だった。
当時、道徳の授業で1人でいる子に話しかけよう。
みたいな教訓を教えられていた時期からそれに従って話しかけてくれたのだろう。
「え、いい。本読むから」
けれど、織姫は首を横に振った。その一言は西原のプライドを傷つけてしまったらしい。
それから、織姫に対する西原の態度は変わった。
陰口を言われるようになり、仲間外れにされるようになった。
けれど、長い間織姫には理由が分からなかった。
決して西原と遊びたくなかったわけではない。ただ、あの時は本の続きを読みたかった。その気持ちを正直に伝えただけだ。
高校生にもなると、さすがの織姫も多少は学習するようになったが、人間の本質など早々は変わらない。
織姫は一人でいることが苦にならないが、納得できないことには首を縦に振れない。思ったこともはっきりと言葉に出してしまう性格だ。
それ故に特に協調性を大事にする女子の集団とは相性が悪く、度々反感を買っては孤立していた。
✦
嫌なことを思い出してしまい、溜め息を吐くと、織姫の視界の端で、白線が動いた。
「王子……何持ってんの」
「あ、もうバレちゃった? 後で見せようと思ったんだけど……」
王子のポケットからにゅっと一匹の蛇が顔を出した。二十センチほどの小さな白蛇だった。
「蛇!?」
「可愛いでしょ」
「いつ?! どこから!?」
「さっきの昼休みだよ。裏山の近くで捕まえた。独りぼっちみたいで可哀想だったから、連れて帰ろうかなって」
悪びれもなく王子は言った。
「今すぐ返して来なさい!」
織姫は即答した。王子が目をぱちくりとさせる。
「あ、多々羅さんの家ってペット禁止だった?」
「そうじゃなくて……この子は連れて帰れないの」
「なんで?」
織姫は白蛇を見つめた。つぶらな苺のように紅い瞳だ。
「多分、神の化身だから」
「化身?」
白い鱗が陽の光を受けて淡く輝く。うっかりすれば、気が付かず踏んでしまいそうな程に小さな体。
けれど、目の前の白蛇からは微かに神気が滲み出ていた。
「一般的に、白蛇は神の化身と言われているんだけど、正確には、この山を守る主神の分身の分身のそのまた分身……眷属に近い存在だと思う。神様を視るのは失礼だから詳しくは分からないけど」
「そっか。この子は蛇神様なんだね」
「ざっくり言えばそんな感じ。触らぬ神に祟りなし。だから軽々しく名前なんかも付けちゃ駄目」
「……えっ!」
王子の顔が固まった。嫌な予感がする。
「その反応……あんた、まさか」
織姫がじとりと睨む。王子はすっと視線を逸らした。
「あはは……」
開き直った王子の口から乾いた笑いが漏れる。
「実は、もう付けちゃったんだよね」
「ちなみに何て名前?」
額を押さえながら織姫が尋ねると、王子は満面の笑みで答えた。
「シロ太!」
「……それ、神様に付ける名前じゃないのよ」
「そう?」
「どうせ白蛇だからシロ太でしょ」
「そうだよ! よく分かったね」
「……将来、子供の名前は奥さんに考えてもらった方がいいよ」
「えっ、多々羅さんが僕らの子供の名前考えてくれるってこと!?」
「アホか!」
織姫は思わず頭を抱えた。何でそうなるんだ。
「でもシロ太も喜んでるのに。ねー?」
王子が白蛇を持ち上げる。すると白蛇は同意するようにちろりと舌を伸ばし、王子の指先に触れた。白蛇は逃げる様子もなく、王子の手の中で気持ち良さそうに丸まっている。まるで名前を受け入れたかのようだった。
「……仕方ないか」
「え?」
「名前を呼ぶっていうのはね、縁を結ぶことなの」
王子がきょとんとした顔で見つめてくる。
「神様でも、人でも、動物でも同じ。名前を付けたら他人じゃなくなる」
織姫はシロ太を見つめた。白い鱗が陽の光を反射してきらりと輝く。
「だから本当は軽々しく付けちゃ駄目なの。途中で飽きたり、おざなりにしたりできなくなるから」
でも、王子によってもう名前は付いてしまった。本人……いや本蛇も、まんざらではなさそうだ。
「飲む?」
織姫は、蛇ごろしのパックに穴を開け、手のひらに中身を出して白蛇の方に向ける。すると、白蛇は警戒することなく、織姫の掌に鼻先を寄せて酒を飲み始めた。
まさかさっきの蛇ごろしがこんな所で役に立つとは。
「家には連れて帰れないけど……学校で世話するくらいなら大丈夫だと思う」
「本当!?」
王子の顔がぱっと明るくなる。織姫はびしりと指を突き付けた。
「ただし、最後まで責任を持つこと」
「はい!」
元気よく返事をする王子を見て、織姫はまたため息をついた。
その時はまだ知らなかった。その名前が。その縁が。
いつか自分の心を、こんなにも締め付けることになるなんて。

