祟り姫と変態王子の怪異録

 翌朝早朝。織姫は修造たちが寝静まる家をそっと抜け出した。空にはまだ夜の名残が残っていて町は薄暗い。冷たい朝の空気を切りながら、自転車で坂道を下ること15分。目的の場所に着いた。
 織姫は、〈田代新聞店〉の看板が目立つ建物の前で自転車を降りた。一階が新聞販売店、二階が住居になっている。灯りのついた店内へ入ると、ちょうど店の奥からオーナー夫人のさよが顔を出した。
「織姫ちゃん、おはよう。今日もよろしくね」
「さよさん!よろしくお願いします!」
 織姫が行うのは朝刊配達だ。勤務時間は朝5時から6時半までの1時間半程。
 本来なら、夜明け前には出勤し、6時頃には配り終える仕事だが、高校生でその時間帯が働けない織姫の為に特別に時間を調整して貰っている。
 オーナー夫妻は二人とも60代で、織姫を孫のように可愛がってくれている。
「織姫ちゃん、聞いたわよ」
 配達用に束ねられた新聞を自転車の籠へ積み込んでいると、さよ夫人がにこにこと近付いてきた。
 嫌な予感がする。こういう時の夫人は、大抵どこかで仕入れてきた噂話を持っているのだ。
「彼氏できたんだって?」
「やだなぁ、何言ってるんですか。私に彼氏なんていませんよー」
「東京から来た王子様」
 ぴたりと織姫の手が止まった。瞬時に何事もなく振る舞う。
「一緒に住んでるんだってね」
「ど、どこからそれを……」
「そりゃあ織姫ちゃん、今や町の注目の的だもの。どこからでも耳に入ってくるわよ」
「そんな……」
 織姫は頭を抱えた。こんな調子では、町中に噂が広まるのも時間の問題だろう。
「もし、働き口で困ったらうちに連れておいで。織姫ちゃんの彼氏なら、いつでも大歓迎よ」
「あはは……行ってきます」
 これ以上話が膨らむ前に、織姫は新聞を抱えて店を出た。
 担当は五十部ほど。慣れた道を走りながら、一軒一軒新聞を投函していく。
 配達歴3年目ともなれば、各家のポストの位置も、犬が飛び出してくる家も、どの家が早起きなのかも、もう全部覚えていた。
 ガタン。小さな箱に新聞を入れて、次の家へ向かう。その繰り返しだ。
 配り終える枚数も残り僅かになってくると、町には早起きの老人たちの姿がちらほら見え始めた。
「織姫ちゃん、おはよう。今日も朝から偉いわね」
 声を掛けてきたのは、近藤のおばさんだ。玄関先を掃き掃除している。夫婦二人暮らしで、息子夫婦は県外に住んでいると聞いていた。
「おはようございます! ではまた」
「あ、ちょっと待ってて」
 近藤のおばさんはポケットを探り、小銭を取り出した。
「ほら、これでジュースでも買いな」
「えっ、そんな……」
「いいからいいから」
 織姫は恐縮しながら受け取る。朝刊配達は運動にもなるし、こうして思わぬお駄賃をもらえることもある。
 やはり、新聞配達は天職だ!
 そう思ったのも束の間だった。
「あ、聞いたわ! 織姫ちゃん、旦那さん出来たんだって?!」
「え……いや、それは……」
「東京のイケメンなんでしょ? も〜織姫ちゃんも隅に置けないわねぇ」
「……ゔ」
 興奮した近藤のおばさんが顔が引き攣ったままの織姫の肩をバシバシと叩く。
 どうやら噂は想像以上の速度で広まっているらしい。
「じゃ、じゃあ私はこれで!」
 織姫はそそくさと自転車へ飛び乗った。
 前言撤回したい。
 確かに、朝刊配達はソロプレイで、運動になるし、たまにお駄賃も貰える。人付き合いが苦手な織姫にはうってつけの美味しい仕事だ。
 ……だが。
 町中の噂話が真正面から飛んでくるという、とんでもない欠点があった。