祟り姫と変態王子の怪異録

「穂乃果!しっかりして、穂乃果!」
「多々羅さん、いったい何があったの……」
「西原さんが憑依されてる。シロ太の……いや、蛇の祟り神に」
 シロ太の怨霊は祟り神と化し、己を殺した西原にぴったりと纏わりつき、西原の身体を蝕んでいる。
 西原に憑いていた低級霊と魔物ごと喰らったらしく、唸り声を上げて禍々しい邪気を放っている。
「あはっ! 奏人くんだー!」
 突然、西原が腹這いのまま王子へ這い寄った。そして、彼の足元に縋り付き、頬を擦り寄せる。
「奏人くん!私、殺した!殺したよ!邪魔者!」
「え……」
「これで、アイツも死ねば、私を見てくれるよネ……?」
「うひぁっ!」
 にたり、と吊り上がった西原の口角の隙間から伸びた舌が王子の足をぺろりと舐めた。
 王子が間抜けな声を上げて飛び退く。
 西原の母も、祖母のさよも、凍りついたように娘を見つめている。
 織姫は静かに説明を重ねる。
「この状態も、いわゆる祟りのせいです」
 震える声でさよが尋ねた。
「祟り……織姫ちゃん、お願い。お祓いを頼めるかしら」
「嫌です」
 間髪入れず、織姫が即答した。その場に居た一同が目を丸く見開く。
「……え?」
「だから、嫌です。お断りします」
「織姫ちゃん、どうしてダメなの?」
「そうよ!あなたがお義母さんが言ってた霊媒師なんでしょう?なら、意地悪しないで除霊してくれてもいいんじゃないの?!」
 西原の母が声を荒らげた。言い方はともあれ、それは、織姫以外の全員が抱いた疑問でもあった。
「……意地悪?」
「そうよ! クラスメイトなんだから助け合いは必要でしょ!」
「助け合いねぇ?」
 ふっと、織姫が鼻で笑った。
「あなたの娘が何をしたか分かっていますか?蛇を殺したんですよ! シロ太を……何の罪もない蛇を嬲り殺しに!!」
「……っ」
 織姫はスマートフォンを取り出し、シロ太のあの惨殺写真を西原の母に見せつけた。
「だから、西原さんが祟りを受けるのも、自業自得ですよ」
「……でも、蛇なんかより人の命の方が大事じゃない? 過ぎた事を言っても今更仕方ないわ」
 西原の母は、写真から顔を背けながら言った。さよも同調する。
「そうよ、織姫ちゃん! あの子はちょっと間違えちゃっただけなのよ! ほら、誰にでも失敗はあるでしょう?」
 その言葉を聞いた織姫の瞳からすっと感情が消えた。
 なるほど。
 この母親にして、この娘ありか。
 祓い屋の仕事をしていると、嫌でも目に入ってくることがある。
 愛情と履き違えた無条件の肯定。
 罪を罪として教えない偽りの優しさ。
 それが、人をどこまでも愚かにしていくことを。
「……教えてあげましょうか?」
「え?」
「なぜ私が……祟り姫と呼ばれているか」
 織姫は静かに呟くと、一つに結んでいた鈴付きの髪留めを外した。
 ちりんと、澄んだ鈴の音が響く。
 その音と同時に閉め切ったはずの部屋に突風が吹き荒れ、織姫の黒く艷やかな長髪が宙へ舞い上がった。
「ひっ……!」
 織姫の背後に威嚇する大蛇の幻影が飛び出した。西原一家は恐怖に顔を歪め、壁際に後ずさる。
「織姫ちゃん、あなた……目が……目が……!!」
 織姫の瞳は、血を流したような深紅へと染まっていた。
 大きく開いた瞳孔が、ぎろりと彼らを見据える。その眼差しは、もはや人のものではない。
「我は……祟り主の声なき声を聞き届けし者」
 重々しい声が、織姫の口から響く。
「この目で見、この耳で聞き、この身をもって人と祟り主を繋ぐ者……故に、人は我を祟り姫と呼ぶ」
 言葉を紡ぐ度、織姫の身体が鉛のように重く沈んでいく。霊媒とは、自らを器として霊界と現世を繋ぐ術織姫はその身に降ろした霊体の特徴が出るのだ。
「ひっ……!」
 西原の母が悲鳴を漏らし、その場に崩れ落ちた。
「わ、悪かったわ! 娘の代わりに謝るわ! 何でもする! だからどうか、命だけは!」
 その懇願を、織姫は紅い瞳で見下ろした。
「じゃあ、100万円で」
「え?」
「いま、何でもするって言いましたよね? だからお祓い料として100万円。それを払ってくれるなら助けます」
「でも、100万なんて……いくらなんでも……」
母親の煮え切らない態度に織姫の瞳が鋭く光った。
「本来、命の代償には命! 西原穂乃果が殺したのはただの蛇じゃない! 蛇神の化身だ! 神の怒りを鎮めるなら、相応の代償を払わねばならない……その対価がお金なら安いものでは?」
 見ず知らずの人間に蹂躙され、肉を引き裂かれる痛みと恐怖。
 悲しみ、怒り、絶望。そんなシロ太の慟哭が耳元で何度も何度も響く。
 織姫は奥歯を噛み締めながら、目の前の全てを壊してやりたい衝動を必死で耐えていた。
「……それとも、命の方が良かったと?」
 織姫の一喝を浴びせられた母親は弾かれたように頭を下げた。
「は、払います! 払いますから! どうか穂乃果の命を助けてください! 穂乃果は私の大切な娘なんです!」
「私からもお願いします! あの子を……愚かな孫を助けてください!」
 さよも床に額がつくほど深く頭を下げる。 織姫は何も言わずにただ佇んでいた。糸を張り詰めたような緊張感を孕んだ静寂が部屋に満ちる。
「助けてあげれば?」
 その静寂を破ったのは、今まで記録に熱中していた王子だった。彼は、取材帳から顔を上げて言った。
「霊力で他人を傷つけたら、多々羅さんにも天罰が下るんでしょ? いいの? 二度と視えなくなっても」
「私は傷つけてないし」
「でも、助けられるのに助けないって決めたら、それは見殺しにしてるのと同じじゃない?」
「……」
「それに、きっとシロ太も望んでないと思うよ? 復讐なんて」
 王子の鋭い一言に織姫は返す言葉が出なかった。
 助けられる命を見捨てる。
 確かにその選択もまた、自分の罪になる。
 その因果は、織姫自身が一番よく知っていることだった。
「……私が視えなくなって困るのは、あんただけでしょ」
「あはっ、バレたか」
 王子がおどけて笑った。