祟り姫と変態王子の怪異録

 雨脚はますます激しさを増していた。織姫は降りしきる雨も構わず、自転車のペダルを力いっぱい踏み込む。
 ……嘘だ嘘だ嘘だ!絶対嘘だっ!
 激しく急き立てる焦燥感と猜疑心に抗いながら、霊感の感覚を研ぎ澄ませ、ただひたすら、一つの気配だけを追う。
「ここかっ!」
 導かれるように坂道を駆け抜けると、やがて立派な門構えの洋風の一軒家が姿を現した。表札には西原と書いてある。
 織姫は自転車を放り出し、無理やり門をくぐる。
 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン――。
 玄関前のインターホンを何度も叩きつけるように鳴らした。
「誰? こんな朝早くに……」
 玄関の扉が開き、中年の女性が怪訝そうに顔を覗かせる。恐らく、西原の母親であろう。
「穂乃果さんのクラスメイトの多々羅です!失礼します!」
「えっ、ちょっとあなた!」
 制止の声も聞かず、織姫は無理やり振り切って進んだ。
 家中を靄が漂っている。
 その中でも、最もどす黒く靄が渦巻く部屋の前で立ち止まる。
 ぞわりと、全身の産毛が逆立った。息苦しいほど濃い瘴気だ。もはや、気配を探るまでもない。
「西原さん、入るよ!」
 勢いよく扉を開け放つ。薄暗い部屋の中は、予想に反し、人の気配がなかった。
「……いない? そんなはず……」
 電気のスイッチを付けたその瞬間だった。
「んがーっ!」
「うわっ!」
 足元に噛みつくように何かが飛び出してきた。織姫は、反射的に蹴飛ばし、何かと間合いを取る。
「……西原さん?」
 蛍光灯の灯りの下、現れたそれを見て織姫は思わず息を呑んだ。
「西原さんなの?」
 現れたのは、見知った彼女とは変わり果てた姿だった。
 いつもは丁寧にセットされている髪はぼさぼさに乱れ、頬はこけ落ち、目の下には深い隈が刻まれている。
 何日も眠っていないような、生気のない顔。腫れ上がった両足は紫色に変色し、関節はあらぬ方向へ折れ曲がっている。
 何より、異質なのはその姿勢だ。西原は折れた足をずるりと引き摺りながら、腹這いで移動する。
 そして、部屋の隅まで這って進むと、そこが定位置かの如くじっと身を潜めた。
 その際、舌舐めずりをしながら、首をもたげて威嚇するのも忘れていない。その姿は、まるで蛇そのものだった。
「西原さん!」
 織姫は床に膝をつき、西原の肩を強く揺さぶる。
「ちゃんと説明して!あんたの口から全部聞くまで許さないから! しっかりして、西原穂乃果!」
 すると、西原の焦点の合わなかった瞳に、わずかに理性の光が戻った。
「……あ?」
「西原さん!」
「多々羅……織姫?なんで、お前がここに……」
「そんなことどうでもいい!」
 織姫は息を呑み、震える声で問い詰めた。
「シロ太は?シロ太をどうしたの?」
 西原はぼんやりと天井を見つめたあと、鼻で笑う。
「しろた?ああ……あの白い蛇?」
 その一言で、織姫の胸が締めつけられる。
「言って……」
 震える唇から、ようやく言葉を絞り出す。
「……なんで……なんでシロ太を殺したの?」
 織姫の脳裏からずっと焼き付いて離れない1枚の光景。
 あれは、蛇の写真だ。
 鋭利な刃物でズタズタに引き裂かれ、白い鱗が真っ赤な血に染まった蛇の最期の写真。
 あれは間違いなく、シロ太だった。だから呼んでも姿を見せなかった。もう、この世にはいなかったから。
「なんで? 蛇を殺しちゃいけない決まりでもあるわけ?」
 あまりに軽い口調だった。織姫の中で何かが音を立てて崩れた。
「西原ッ!」
「うっせー!触んなブス!」
 西原は叫び、織姫の手を乱暴に振り払い、ぺっと唾を吐き捨てる。荒い息を吐きながら、西原はゆっくりと笑った。
「お前の、その顔が見たかったからに決まってんだろ」
「……シロ太の遺体は」
「捨てたよ。山ん中に。探せば、まだ転がってるんじゃない?」
「……」
「あーあ、楽しかったなぁ。また殺したいなぁ」
 西原は喉を鳴らしながら笑う。舌舐めずりをするその表情は、西原穂乃果でありながら、西原穂乃果ではない。
「西原、あんた……」
「あああああああああっ!」
 突如、けたたましい絶叫が部屋中に響き渡る。
 ゴンッ。ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ――。
 西原は獣のような雄叫びを上げながら、何度も何度も壁へ額を打ちつけ始めた。
「穂乃果ッ!」
「ほのちゃんっ!」
「多々羅さん!」
 声を聞きつけた母親が部屋へ飛び込んでくる。その後ろには、息を切らしたさよと、何故か王子の姿もあった。