木々のざわめき。
むせ返るような血の匂い。
人と、人ならざる者との境が交わる黄昏時。
「……ひっ!化け物ッ!!」
人は私を『祟り姫』と呼んだ。
◇◆◇◆◇
首都から北へ向かった山あいに、多々羅町という小さな町がある。
人口は約七百人。二百五十世帯ほどが暮らす四方を山々に囲まれた田舎町だ。
自然豊かと言えば聞こえはいいが、観光名所と呼べるものは、城址跡とは名ばかりのだだっ広い草原くらいしかない。
その為、若者の多くは、進学や就職で都市部へと流れていく。
今年、高校3年生になる多々羅織姫も、それを画策する一人だった。
「ほーい。転校生を紹介するぞ。王子、適当に自己紹介しろ」
そんな人口流出と少子化が進む町に、物好きな人間がやって来たらしい。
気怠げに入ってきた担任教師の松山の合図で、男子生徒が黒板の前に立った。
「王子奏人です。東京から来ました。よろしくお願いします」
その瞬間、教室がざわついた。
「やばっ、イケメン!」
「リアル王子様じゃん」
「マジ神なんだけど!」
女子生徒達の悲鳴にも似た歓声があちこちから飛ぶ。
薄い金色にも見える淡い茶髪。色素の薄い肌。転校生の絵画のように整った顔立ちは、確かに田舎では滅多に見ない種類の人間だった。
エモい。
メロい。
ビジュ良い。
流行には疎い織姫の頭の中にも、そんな最近SNSで覚えた単語がいくつか浮かんだ。
「彼女いますかー?」
「彼女はいません」
その答えに、ある期待を抱いた女子達から歓声が上がる。まるで田舎に舞い降りたアイドルだ。
が、織姫は興味がなかった。織姫の頭の中は、バイト先の給料の計算と晩御飯の献立を考える事で忙しかったからだ。
「でも、婚約者ならいます」
にこりと笑って続けられた言葉に、動物園の猿山と化していた教室が一瞬静かになった。
「18歳になったら、僕は多々羅さんと結婚して多々羅家に婿入りします」
へえ。
花嫁ではなく、花婿ねえ。
今は多様性の時代だし、今どき10代で花婿になることも珍しくもないのかもしれない……ん?
ここで織姫の思考が止まった。
顔を上げると王子と目が合う。彼のアーモンド型の瞳がぱちりと瞬いてウインクが飛ばされてきた。
「い、今なんて?」
「18歳になったら、多々羅さんと結婚します」
生徒たちの視線が織姫に一斉に集まった……嫌な予感しかしない。
織姫は恐る恐る手を挙げる。
「あのー……つかぬことをお聞きしますが」
「はい」
「どこの多々羅さんでしょうか?」
織姫の質問に、王子は不思議そうに首を傾げた。
「今僕に質問してくださった多々羅山高校3年1組の多々羅織姫さんですけど」
再度、教室中が静まる。その数秒後。
「えぇぇぇぇぇっ!?」
阿鼻叫喚が教室中に響いた。何それ。意味分からない。そんな声が聞こえてくる。
「わ、私?!い、いやいやいやいや!どういうこと!?」
とはいえ、一番叫びたいのは織姫の方だ。多々羅織姫なんて特殊な名前、このクラスどころか学校中を探しても自分以外にいない。
「おー、なんだお前ら婚約者なのか」
松山が欠伸を噛み殺しながら言う。
「ちょうど良かった。王子の席、多々羅の隣な」
「は?」
「んじゃ、出欠取んぞー」
そうして松山は何事もなかったかのように出席簿を開いた。
担任のくせに、進行が雑すぎないか?!
織姫が頭を抱えていると、王子は当然のように織姫の隣へやって来て座った。
「よろしくね」
王子が笑顔で差し伸べてくる。
婚約者……?新手の詐欺?
というか、なんで私の名前を知っているの?
などなど。聞きたいことは山ほどあったが、ぐっと飲み込んで織姫は視線を逸らした。頭のおかしい人間には関わらないのが一番だからだ。
王子とは絶対関わらない!
そう決めたのに。
「多々羅さん」
放課後。
例の転校生が女子達に取り囲まれている隙に帰ろうとしていた織姫の背後から誰かが声を掛けた。
「……げ」
振り返ると、王子が立っていた。にこにこと笑っている。
「お、王子くん……」
「やだなぁ。奏人って呼んでよ。僕ら、夫婦になるんだからさ」
「それ東京で流行ってる冗談ですか?」
「何が?」
「だから、婚約者とかって話」
「冗談じゃないよ。だって本当に」
「奏人くーん!」
甲高い声と共に現れたのは、クラスメイトの西原穂乃果だ。
「二人で何話してるのー?」
西原は王子の腕に自然に自分の腕を絡めながら、織姫をきっと睨みつけた。まるで邪魔するなとでも言うように。
「……別に何も」
織姫は手短に答えた。西原は女子グループのリーダー格だ。昔から何かと織姫を敵視していて相性はあまり良くなかった。
「奏人くんが多々羅さんと一緒の家に帰るって言ってるんだけど、そんなの嘘だよねぇ?」
「本当だよ。これから同棲するし」
「ちょっと!」
織姫は思わず叫んだ。
「意味不明なデマカセ言わないで!」
「ほら、多々羅さんも違うって言ってるよ?」
「え、でも婚約したのは……」
「嫌がらせなら結構! 迷惑なんで!」
織姫は一気に言い切って足早に背を向けた。そのまま駐輪場へ向かって自転車に跨る。
そのまま校門を通り過ぎようとした時、西原を筆頭とする女子たちの声が耳に入ってきた。
「何あれ、感じ悪っ」
「せっかく王子くんが話しかけてあげてるのに」
「え、でもあんまり言うと祟られちゃうんじゃない?」
「やだー!さすが祟り姫」
「祟り姫……?」
織姫はそれら全てを聞こえないふりをした。
だって慣れているもの。人間に嫌われるのは。
少しだけ重くなった足取りに気づかないふりをして、織姫は強くペダルを踏み込んだ。
むせ返るような血の匂い。
人と、人ならざる者との境が交わる黄昏時。
「……ひっ!化け物ッ!!」
人は私を『祟り姫』と呼んだ。
◇◆◇◆◇
首都から北へ向かった山あいに、多々羅町という小さな町がある。
人口は約七百人。二百五十世帯ほどが暮らす四方を山々に囲まれた田舎町だ。
自然豊かと言えば聞こえはいいが、観光名所と呼べるものは、城址跡とは名ばかりのだだっ広い草原くらいしかない。
その為、若者の多くは、進学や就職で都市部へと流れていく。
今年、高校3年生になる多々羅織姫も、それを画策する一人だった。
「ほーい。転校生を紹介するぞ。王子、適当に自己紹介しろ」
そんな人口流出と少子化が進む町に、物好きな人間がやって来たらしい。
気怠げに入ってきた担任教師の松山の合図で、男子生徒が黒板の前に立った。
「王子奏人です。東京から来ました。よろしくお願いします」
その瞬間、教室がざわついた。
「やばっ、イケメン!」
「リアル王子様じゃん」
「マジ神なんだけど!」
女子生徒達の悲鳴にも似た歓声があちこちから飛ぶ。
薄い金色にも見える淡い茶髪。色素の薄い肌。転校生の絵画のように整った顔立ちは、確かに田舎では滅多に見ない種類の人間だった。
エモい。
メロい。
ビジュ良い。
流行には疎い織姫の頭の中にも、そんな最近SNSで覚えた単語がいくつか浮かんだ。
「彼女いますかー?」
「彼女はいません」
その答えに、ある期待を抱いた女子達から歓声が上がる。まるで田舎に舞い降りたアイドルだ。
が、織姫は興味がなかった。織姫の頭の中は、バイト先の給料の計算と晩御飯の献立を考える事で忙しかったからだ。
「でも、婚約者ならいます」
にこりと笑って続けられた言葉に、動物園の猿山と化していた教室が一瞬静かになった。
「18歳になったら、僕は多々羅さんと結婚して多々羅家に婿入りします」
へえ。
花嫁ではなく、花婿ねえ。
今は多様性の時代だし、今どき10代で花婿になることも珍しくもないのかもしれない……ん?
ここで織姫の思考が止まった。
顔を上げると王子と目が合う。彼のアーモンド型の瞳がぱちりと瞬いてウインクが飛ばされてきた。
「い、今なんて?」
「18歳になったら、多々羅さんと結婚します」
生徒たちの視線が織姫に一斉に集まった……嫌な予感しかしない。
織姫は恐る恐る手を挙げる。
「あのー……つかぬことをお聞きしますが」
「はい」
「どこの多々羅さんでしょうか?」
織姫の質問に、王子は不思議そうに首を傾げた。
「今僕に質問してくださった多々羅山高校3年1組の多々羅織姫さんですけど」
再度、教室中が静まる。その数秒後。
「えぇぇぇぇぇっ!?」
阿鼻叫喚が教室中に響いた。何それ。意味分からない。そんな声が聞こえてくる。
「わ、私?!い、いやいやいやいや!どういうこと!?」
とはいえ、一番叫びたいのは織姫の方だ。多々羅織姫なんて特殊な名前、このクラスどころか学校中を探しても自分以外にいない。
「おー、なんだお前ら婚約者なのか」
松山が欠伸を噛み殺しながら言う。
「ちょうど良かった。王子の席、多々羅の隣な」
「は?」
「んじゃ、出欠取んぞー」
そうして松山は何事もなかったかのように出席簿を開いた。
担任のくせに、進行が雑すぎないか?!
織姫が頭を抱えていると、王子は当然のように織姫の隣へやって来て座った。
「よろしくね」
王子が笑顔で差し伸べてくる。
婚約者……?新手の詐欺?
というか、なんで私の名前を知っているの?
などなど。聞きたいことは山ほどあったが、ぐっと飲み込んで織姫は視線を逸らした。頭のおかしい人間には関わらないのが一番だからだ。
王子とは絶対関わらない!
そう決めたのに。
「多々羅さん」
放課後。
例の転校生が女子達に取り囲まれている隙に帰ろうとしていた織姫の背後から誰かが声を掛けた。
「……げ」
振り返ると、王子が立っていた。にこにこと笑っている。
「お、王子くん……」
「やだなぁ。奏人って呼んでよ。僕ら、夫婦になるんだからさ」
「それ東京で流行ってる冗談ですか?」
「何が?」
「だから、婚約者とかって話」
「冗談じゃないよ。だって本当に」
「奏人くーん!」
甲高い声と共に現れたのは、クラスメイトの西原穂乃果だ。
「二人で何話してるのー?」
西原は王子の腕に自然に自分の腕を絡めながら、織姫をきっと睨みつけた。まるで邪魔するなとでも言うように。
「……別に何も」
織姫は手短に答えた。西原は女子グループのリーダー格だ。昔から何かと織姫を敵視していて相性はあまり良くなかった。
「奏人くんが多々羅さんと一緒の家に帰るって言ってるんだけど、そんなの嘘だよねぇ?」
「本当だよ。これから同棲するし」
「ちょっと!」
織姫は思わず叫んだ。
「意味不明なデマカセ言わないで!」
「ほら、多々羅さんも違うって言ってるよ?」
「え、でも婚約したのは……」
「嫌がらせなら結構! 迷惑なんで!」
織姫は一気に言い切って足早に背を向けた。そのまま駐輪場へ向かって自転車に跨る。
そのまま校門を通り過ぎようとした時、西原を筆頭とする女子たちの声が耳に入ってきた。
「何あれ、感じ悪っ」
「せっかく王子くんが話しかけてあげてるのに」
「え、でもあんまり言うと祟られちゃうんじゃない?」
「やだー!さすが祟り姫」
「祟り姫……?」
織姫はそれら全てを聞こえないふりをした。
だって慣れているもの。人間に嫌われるのは。
少しだけ重くなった足取りに気づかないふりをして、織姫は強くペダルを踏み込んだ。

