大空羽ばたくデンジャラス・カラス

「ボス、今日これから家族に会いに行きますが、いいですか?」
 ビルを襲撃した翌日、アジトに出向いたボクは、珠美さんに外出の許可を願い出た。

「ふん。ここは会社じゃないんだ。そんなの好きにしろ。外は公安と公安のしもべになっている優等人種や普通人種がゴロゴロいるから気を付けろよ」
「はい」
 会話を聞いていたミホさんが、ボクに駆け寄ってきて、また手を握ってきた。ギュウって、強く。

「俊介くんの家族って、滋賀県だよね? お母さん、元気だといいね」
「はい、ありがとうございます」
「手を離せ!」
 また珠美さんに叱られてミホさんは手を離す。

「念のため、ワイヤレスイヤホンはいつも耳に付けておいて。急に公安が襲ってくることはないとは思うけど、念のためにさ。あと、これも」
 小川さんは、私服姿のボクに小型の銃も手渡してきた。
「こんな物騒なもの、いりますか?」
「もう、俊介くんは公安にマークされているから、あった方がいいと思うよ」と吉馬さんは言い、「そうそう」とキッコさんは相づちを打つ。ボクはうなづいて、小型銃をジャケットの内ポケットに入れた。

 この中に、裏切者がいる……。

 誰だろう? 一人じゃないかもしれない。
 さっきからメンバーの表情を慎重に見ているが、まったく分からない。
 でも、いつかその裏切者は、裏切っているがゆえに隠れて何か動こうとするはずだ。
「じゃあ、行ってきます」
 そう言うとボクは、アジトのセキュリティゲートから外に出て、背中の翼を広げる。

「俊介くん、待って」
 吉馬さんが、飛び立とうとする瞬間に走り寄ってきた。
「これ、持っていきなよ」と小さなスプレー缶を手渡してくる。
「何ですか、これ?」
「これは、ありとあらゆるGPSや電波を遮断させる特別なスプレーだ」

「遮断って……」
「君が身に着けているワイヤレスイヤホンや銃、うちの組織が支給したスマートフォンやその靴など、あらゆるものに特殊なGPS機能が備わっている。このスプレーを体全体に吹きかけると1時間くらい、検知されなくなるから、いざって時に使うといい」
「でも、GPSがあるから、ヤタガラスのメンバーが危機になったら場所を特定して救出できるんですよね? 検知されなくなったら、意味がないじゃないですか?」
「うーん、まあ、そこは俊介くんが考えなよ。公安もひょっとしら、このGPSを傍受しているかもしれないしさ。必要なきゃ使わなければいいんだよ」
「はい」

「困ったら連絡するんだよ」と言って、吉馬さんはアジトの中に戻っていった。
 ひょっとして、吉馬さんも裏切者がいることに気付いている……? いや、吉馬さんが裏切者の可能性もある。
 今は慎重に対応したいところだ。

 翼を羽ばたかせて、ボクは空へ飛び立つ。今日の天気は曇り。上空は風が強く、かなり寒い。アジトがある岐阜県大垣市から南西の方角を目指す。養老山地、鈴鹿山脈は、山頂一帯で紅葉が少しずつ進んでいた。季節は初秋だが、標高の高いこの山頂周辺は、季節が早く進む。

 この山頂を越えると、琵琶湖が見えた。
 懐かしい。幼い頃は、よく母さんに連れられて、湖岸の公園で遊んだものだ。
 湖東地域にあるボクの実家が見えてくる。
 今更、急にボクが現れて、母さんや佳亮が迷惑に思ったら、どうしよう?

 夕べからずっと、そのことばかりを心配していた。
 家族に会いたいからとはいえ、ボクは国家のルールに反している。ヨーシー民が指定されている居住エリアを抜け出し、しかもテロリストに加担するというのは、かなり罪が重い。

 一目見て、少し喋ったら、すぐにアジトに引き返そう。
 実家の玄関前に、静かに着陸し、翼をしまう。
 いつか帰ることを夢見ていた、念願の我が家。10年ぶりだが、何も変わっていなかった。この家に住んでいた頃の思い出が一気に頭の中で溢れ出して、泣きそうになる。

 近所の人たちはボクのことを覚えているから、見つかるときっと、通報されるだろう。周りに誰もいないことを確認して、玄関のチャイムを鳴らす。
 時間は午前8時25分。今日は土曜日だから、母さんも佳亮も、家にいるだろう。

 すぐに「はーい」という、懐かしい声が聞こえた。
 玄関の扉を開けた母さんは、ボクを見て表情が固まった。
「俊介……だね?」
「うん。……ただいま」
 母さんは、泣いてボクを抱きしめる。

「ほら、中に入りなさい」
 周りに人がいないか確認して、ボクは家の中に入った。
「誰……?」
 佳亮は、家の中に入ってきたボクを見て警戒している。無理もない。この家にボクが住んでいた時、佳亮は幼かったからボクの記憶などないのだ。

「俊介だよ。お前の兄ちゃんの……」
 母さんがボクを紹介すると、佳亮はさらに驚いて「ええ!」と声を上げた。
「急に、兄だって言われても困るよな?」
 佳亮は、見違えるように成長している。
「兄ちゃん……」
 中学一年生になっていて、背も高いが、表情には幼い頃の面影がある。やっと、10年ぶりに家族が揃った。

「母さん」
 ずっと、言いたかったけれど、言えなかった言葉を発すると、ボクは声を上げて泣き崩れる。ボクがずっと欲しかった、ささやかで幸せな日常が、ここにはあった。
「母さんと離ればなれになった時は毎日、泣いてばかりいたけど、いつか再会てきるのを夢見て、生きてきたよ」
「そうか。よく頑張ったね」

 ただ、こうやって一緒に暮らしたいだけなのに、どうして、家族が引き離されなければならないのか。ずっと、ここにいたい。何の束縛もなく、自由でありたい。そんなのは人間が生まれながらに持っている権利だと思っていた。でも違った。

 優等人種の言う合理的配慮は拡大解釈され、差別しか生んでいない。やっぱり、この国家はおかしい。
 今、こうしている時にも、日本のどこかでEQが70以下だと診断され、子どもと母親が引き離されているかと思うといたたまれない。

「なあ、兄ちゃんは、ここにいて大丈夫なのか?」
 佳亮は心配している。
「いや。正直言うと、いろいろあって、抜け出してきたんだ」
「それ、ヤバくない?」
「そうだな。佳亮と母さんに迷惑がかからないように、すぐここを出るよ。顔が見られてよかった」
 すると、母さんが「ご飯だけでも一緒に食べていきなさい」と朝食の準備を始める。

 その時だった。
 ──俊介。聞こえるか。
 ワイヤレスイヤホンに、珠美さんからの声で無線が入った。
 ──はい。
 ──家族が再会できたこんなタイミングで気の毒だが、今、公安のパトロール隊がそっちへ向かっているようだ。
 この世は無情だ。そして、ボクは無力だ。せっかくの再会だったのに。
 ──分かりました。今すぐここを去ります。

「ごめん、母さん、佳亮」
「行くんだろ。今の会話が聞こえたよ。私や佳亮は心配しなくていい」
「うん」
「兄ちゃん、また、こっそり、おいでよ」
「ありがとう。時間がないから、また」
 ボクは、玄関を出ると急いで翼を広げて飛び立った。

 ──レーダー探知によると、公安はパトロール用の戦闘機が1機、北西側から近づいている。東側へ逃げるんだ。
 ──分かりました。
 珠美さんに言われるがまま、東側にある鈴鹿山脈の山頂付近まで飛び、その反対側の木々の茂みの中に降りて、隠れた。

 公安は一旦、ボクの実家に行って、ボクがいないことを確認したら諦めるだろう。
 しかし、思いがけないことが起こった。

 ──俊介。おかしいぞ。

 ──公安はお前の実家に行かずに、急に方向を変えて、お前が隠れている山を目掛けて進んでいるぞ!
 え? どういうことだ?
 ──それって?
 ──そうだ。公安はお前の居場所を把握している!
 凄まじい風が吹いて木々の枝が飛び散る。見上げたら、すぐそこに戦闘機が低空飛行で旋回して、爆弾を落としてきた。
 まずい!