廃部間際の僕の部を救ったのは転部魔でした

 その一週間は、いつもより過ぎるのが早かったように思う。
 訪れた金曜日。もうまもなく「放課後ラジオ」の開始時刻だったが、放送室の扉を開く者は誰もいなかった。

(……来るわけない、よな)

 浪川くんが来るのを待っていたわけではない。しかし「期待していなかった」と言えば、それは嘘になった。
 彼から届いた「一週間欠席します」のメッセージ。そこに理由は書かれていなかった。けれど端的ゆえに素っ気なさが感じられて、僕は内心穏やかではなかった。

 ──だから……あんま期待しない方がいい、つーか。期待すると痛い目見る、というか……。

 いつかクラスメイトがそんなことを言っていた気がする。僕はそれに何て答えたのだったか。思い出そうにも、思い出せなくて──でも、ラジオは待ってくれない。
 僕は放送機器の前に座り、深く息を吸った。

《皆さん、こんにちは。放送部の江古田です。今週もお疲れさまでした。週の終わり、『放課後ラジオ』のお時間です──》

 声は、思ったよりも落ち着いていた。いつもとやや違う番組構成だが、特に問題はない。差出人不明のお便りを手にしながら、僕は着々とラジオを進行していく。「さて、」と一呼吸置き、BGMを切り替えては次のコーナーへ。

《今週は、放送部宛にお便りが届いていました。お悩み相談ということで、今日のラジオではこちらに答えていきたいと思います》

 相談内容は「好きな人を傷つけてしまったら、どうすればいいか」というもの。難しいと思うのは、これと決まった正解がないからかもしれない。でも別の言い方をすれば、それは様々な解答があるということで。
 だから僕は、自分なりの回答を、自分なりのスピードで読み上げていく。

《好きな人を傷つけてしまった時、まず重要なのは、『傷つけた事実から逃げないこと』だと思います。どんな理由があっても、相手に悲しい思いをさせてしまったなら、それはちゃんと向き合わなきゃいけない》

 僕は何となく、浪川くんのことを頭に思い浮かべる。僕と彼の関係がぎくしゃくし始めたのは、僕が彼のクラスメイトから冷やかしを受けたことがきっかけだ。
 あの時、僕は傷ついた。浪川くんもそれに気づいて彼らに怒った、そして僕に謝った。彼自身は何も悪くないというのに、だ。にもかかわらず、僕は彼によそよそしい態度を取ってしまった。ほとんど八つ当たりみたいものだ。結果、彼を困らせてしまった。
 僕はそのことに、きちんと向き合わなければならない。

《でも同時に、『自分がどうしたいのか』を見つめることも大切です。その人と、これからも関わりたいのか。一緒にいたいのか。それとも距離を置いた方がいいのか》

 僕はそこで、ずっと考えていたことに手を伸ばす。それは「なぜ、こんなに浪川くんのことが気になるのか」ということ。
 放送部が廃部になるのが嫌だから──それもある。というか、初めはそれだけだった。「流浪の男」と呼ばれる彼が、ここに飽きて去ってしまった時、僕の居場所はなくなってしまう。それが怖かったのだ。……けれど、今はそれだけじゃない。
 僕はこれからも、浪川くんと一緒にこのラジオをやっていきたいのだ。だって、彼といるととても楽しいから。彼と作るラジオが、とても好きだから。

《もし、関わりたいと思うなら、まずは素直に謝ること。そして、相手が大事だという気持ちを、言葉にして伝えること》

 ああ、僕も浪川くんに謝らなくてはならない。そして、思っていることを伝えなければいけない。
 人は言葉にしないと伝わらないことが多い。僕も決して話すのが得意な方ではないが、それでも伝えようとする気持ちが相手に届くと願って。

《傷つけてしまった相手が、あなたにとって本当に大切な人なら、どうか逃げずに、向き合ってください。……その勇気が、きっと関係を変えてくれるはずです》

 台本にメモした最後の一文を読み終える。メッセージがこの差出人に届いたか分からない。だが、きっと聞いてくれたと信じて、僕はエンディングパートを迎える。
 最後の挨拶を口にしてはスリーカウント。放送回線と主電源を順次切れば、放送室にはたちまち静寂が戻った。

「はあー、緊張した……」

 椅子の背もたれに寄りかかりつつ、安堵のため息を吐く。基本的にどの放送も自分なりの真摯さとともに臨んでいたつもりだが、今回はここ最近で一番肩に力が入っていたかもしれない。それはひとえに、放送部宛のお便りの存在が大きいだろう。いるかも分からない「誰か」ではなく、差出人「その人」に向けたものである以上、熱の入り方が違って当然だった。
 ふと、机の上の便箋に目を落とす。するとその瞬間、「おや、」とある直感が頭をかすめた。

「……この字」

 今更ながら、整っていて読みやすいと感じる。加えて、その見た目には見覚えがあった。
 一年生の頃にもらった、あの手紙。そして最近、何度も目にしている──浪川くんが書いた台本の字。

(……え?)

 まるでパズルのピースが嵌まるみたい。違和感がしっくりきて「……これって」と思った、その時。

「江古田クン‼」

 ダンと勢いよく扉が開く。そこにはぜえぜえと息を切らし、髪を乱した浪川くんが立っていた。手には彼がいつかプレゼンしてくれた「校内最強の自販機」のココア。彼はそのまま室内へ足を踏み込むと「これ……! 江古田クンに、渡したくて……!」とその缶を差し出した。

「……浪川くん?」

 彼は息を整える間もなく言葉を続けた。

「俺……! 仲直りしてほしい……! 江古田クンと、まだ……放送部、続けたい……!」

 声が震えていた。普段の軽さなんてどこにもない。言葉を探しながらも、必死に紡いでいる。

「俺……あの日、あいつらのこと止めらんなくて……。江古田クンが、あんな風に言われてんのに……何もできなくて……ほんと、情けなくて……!」
「……」
「距離置かれたの、めっちゃ……嫌で……。なんかずっと、胸痛くて……どうしたらいいか分かんなくて……!」

 ぎゅっと拳が握りしめられる。僕を見つめるその眼差しがどこか揺らいでいるようにも見えて、それが彼の感情の波だと知る。
 彼は必死だった。一生懸命だった。ままならない言葉遣いも、きっとその表われ。

「だから……! 江古田クンがラジオで言ってたみたいに……ちゃんと向き合おうって、思って……!」

 僕は、その姿に目を見張る。

「ごめん! 俺、江古田クンのこと……大事にしたい……! だから、」

 俺と……仲直り、して。
 ココアを握る手が震える。勢い任せな浪川くんらしい言葉は、最後は切なく掠れていた。
 口にしながら、彼は何を考えていたのだろう、何を思っていたのだろう。僕には分からない。けれど、その言葉だけで十分だった。だって、彼は僕と向き合ってくれたから。……その言葉に、胸がじんと熱くなるのを覚えたから。
 僕はそっとココアを受け取る。

「……ありがとう。僕も……嫌な態度取って、ごめんね」

 浪川くんの顔がきゅっと歪む。口はひん曲がって、今にも泣きそうだった。

「江古田クンは何も悪くねえじゃん。俺があん時、あいつらに何も言えなかったから……」
「でも、それは僕も同じだよ。言われっぱなしで、何も言い返さなかった」

 そう、あれは好き放題に言われるのをみすみす許してしまった自分も良くなかった。どうせなら、「それが何か?」くらいの顔をしておくべきだったのだ。実際、浪川くんが放送部の部員であることも、放送部の活動が楽しいことも、事実なのだから。
 僕はそれに、誇りを持つべきだった。

「いろいろ悩ませてごめん。僕も幼稚だった。……許して、浪川くん」

 僕の言葉に、彼はごくりと息を飲む。「……じゃあ、仲直り……してくれますか」と、逡巡しつつ問われる確認にイエス。

「うん。もちろん」

 刹那、放送室の空気がふっと軽くなるのが肌で分かった。

「……あ~~っ、マジで良かった!」

 浪川くんが床にへたり込みそうな勢いで脱力する。さっきまでの必死さが嘘みたいに、全身から安堵が滲んでいた。

「ほんと……心臓止まるかと思った……」

 その姿に、僕は思わず小さく笑ってしまう。あまりにしみじみと言うものだから実感がこもっていた。……けれど、それは僕も同じで。

(良かった。ちゃんと言えた)

 浪川くんと改めて向き合えたことに、僕もまた胸を撫で下ろした。

「……あのさ、浪川くん」
「ん?」

 僕はそこで、放送機器の前に置いていた便箋を指先でつまむ。視線を落とした先の筆跡、それを見れば、胸の奥で確信が徐々に形になっていった。

「この字……なんか見覚えがあるなって思って」

 浪川くんの肩が、ビクリと跳ねる。「えっ……」と声を漏らす彼に、僕は続けた。

「一年生の頃にもらった手紙の字に似てるし……最近の台本の字にも、すごく似てる」

「ほら」と、開いた便箋を浪川くんに見せる。すると彼はミシッと音を立てて、動きを完全に硬直させた。かろうじて目が泳ぎ、口がぱくぱくしているものの、その挙動は明らかにおかしい。

(顔、赤い)

 ついでに、耳も赤い。そんなことにも気づきつつ、僕が「もしかして、このお便り……」と言いかければ、浪川くんはワーッと観念したように頭を掻いた。

「……うん。それ、俺ね! 前の手紙も、今回のやつも……俺が書きました!」

 素直に自白しては、あちゃーとばかりに顔を手で押さえる浪川くんに、僕は「やっぱり」と目を瞬く。やはり、あの字は彼のものだったのだ。
 だが、ここで疑問に思うことがある。それはなぜ、彼がこんな投書をする必要があるのか、ということ。今回のお便りはともかく、一年の時の「人と上手く話せない」、「どうすれば仲良くなれるか」という手紙は、彼の為人(ひととなり)を知っていると少々不自然に思えた。
 浪川くんが、少し照れたように笑う。

「実は高一の頃……俺、全然友達いなくて。見た目とかスポーツとかで勝手に期待されて、仲良くなろうとしてくれたやつらはいたんだけど……でも俺、口下手だから、すぐ誤解されちゃって。……なんか、上手くいかなくて」
「口下手……?」
「そ。俺、結構コミュ障なんだよね。前も言ったでしょ、『昔から距離の取り方下手くそ』って。人間関係うまくいかなくて、転部繰り返してたのもそのせい」

 上手く話せないことは、まったく言葉が出ないこととはイコールにならない。浪川くんの場合、語ることそのものは問題なくても、相手とやり取りするとなると不都合が生じてしまったのだ。……たしかに、彼はしばしば押しが強かったし、先の仲直りの時も言葉がごちゃごちゃしていた。
 話すことは、相手に伝えることであり、うまくいかなければ、軋轢やすれ違いの原因になりかねない。僕が冷淡に扱われた時に、浪川くんが彼らに対して強く出られなかったのも、きっとそのせいだ。

「で……放送部の投書箱に手紙入れたの。『人と上手く話せません。どうすれば仲良くなれますか』って。そしたら江古田クンが……あんな丁寧に答えてくれて」

 浪川くんは、少しだけ顎を引いた。

「江古田クンの言葉、めっちゃ刺さったんだよ。『自分の意見を持つこと』とか……『相手を尊重すること』とか……。あれ聞いて、俺……ちゃんと人と話してみようって思えた。勇気を持とうって思えた」

 ぐっと熱が胸に迫る。あの日の放送は、ちゃんと差出人の背中を押していたのだ。

「それからずっと……憧れてたんだよ、江古田クンのこと」
「……えっ」

 ギョッとする僕に、浪川くんはからからと笑う。「気づかなかった?」という問いに、素直に頷いてみせれば、彼は「だよね」と肩を竦めてみせた。

「全然縁なかったもんな〜。クラスも違えし、俺みてえのとはつるまなそうだし。急に関わりに行っても、怖がられて終わりじゃん?」
「そ、そんなことは……なくはないかも」
「だろ〜? だから……放送部(ここ)に入ったのは、あわよくば江古田クンに近づけたらって……そういう、ちょっとした下心だったりして」
「し、下心って……」

 ゆらりと浪川くんが目を細める。その蠱惑的な視線にドキりと心臓を跳ねれば、僕ははたとお便りに書かれていた一語を思い出した。

「じゃ、じゃあ……もしかして、今回のお便りの『好きな人』って……」

 おそるおそる尋ねると、浪川くんは一切躊躇せず、あっけらかんと言ってのける。

「ん。江古田クンのことだよ」
「……え、ええっ⁉」

 思わぬ展開に、僕は思わず声を張り上げる。ついで、顔の中心に向かって急激に熱が集まれば、僕は今にも沸騰しそうだった。だって、だって……!

(浪川くんが、僕を好きって……!)

 心臓が跳ねて、息が詰まってしまいそう。それだのに、目の前の浪川くんはいつもの飄々とした感じで。

「さっき、あいつらにもちゃんと言ってきたから。『江古田クンのこと悪く言うな』、『俺の好きなコだから』って」
「なっ、あ……!」
「だって、もし嫌われたらサイアクだろ。だから『邪魔すんな』って。そういうこと」
「……どういうこと⁉」

 なんという怒濤の展開だろうか。頭は真っ白、キャパオーバー。恥ずかしさと嬉しさが一気に押し寄せて、どう反応すればいいのか分からない。
 僕は咄嗟に手元のココアに隠れては、缶の横からジトりと浪川くんを見つめる。「きゅ、急にこられるとびっくりする……」といつか言ったのと同じことを言えば、そんな僕に彼はにこっと笑ってみせて。

「でも、ここまで言えば意識してくれるでしょ」
「……!」
「つーわけで、これからもよろしく。江古田部長」

 ううん……俺の大好きな、江古田クン!
 その笑顔は、太陽よりも眩しくて、月よりも美しくて。僕はそれに見惚れては、「……そっか」とようやく気づく。
 僕が浪川くんに転部してほしくなかったのは、放送部が廃部になるからではなかったのだ。

(……だって僕、浪川くんのこと……)

 胸の奥で、その先の言葉が形になる。
 ぎゅっと握りしめた缶が熱い。……ああ、きっと今このココアを飲んだところで、甘ったるくて敵わなかった。