あの日の放送から、しばらくが経った。
「流浪の男」は、なおこの放送部に所属していた。あんなことがあって居心地が悪いやら、面倒くさいやら思っても仕方ないというのに、彼はそこにいた。
──つーか俺、もうテニス飽きた。だからもういい。辞めまーす。
そう、かつてのように切り捨てられてもさもありなんと思っていたのに、無断遅刻も欠席も一度もなく、放送室の扉を開ければいつものように「お疲れ」と笑ってくれたのだ。が、それでもやっぱり雰囲気はぎこちなくて、僕もどう距離を取ればいいのか分からずにいた。
あの時の態度が、浪川くんを困らせてしまっているのではないか──そんな不安が、胸の奥でずっと疼いていた。
(……僕が浪川くんをこんなに気にしてるのは、どうしてだろう)
放送部が廃部になるのが嫌だから? それとも……。
考えて、悩んで……けれどそこから先の答えは、どうしてもまとまらなかった。
「──ねえ。江古田クン、これどうする? なんか他のと違うけど」
そんなある日の放課後。僕たちは放送室の定期清掃、過去の「放課後ラジオ」の台本の整理に当たっていた。
段ボール箱に無造作に詰め込まれた紙束を、一枚ずつ仕分けていく単純作業。古いものは既にチェックされているため、今回はここ数年分にフォーカスを当てて整頓していく。その間僕たちはずっと黙りっきりで、だけどそんな静寂を浪川くんは出し抜けに破ってみせた。
彼が僕に差し出したのは、一冊のバインダー。開いてみると、そこに入っているのは様々な種類の紙や封筒だった。中にはノートの切れ端まである。……これは、
「生徒からのお便りとかリクエストだね」
「お便り……」
「この辺り先輩が管理してたから初めて見た。これとか去年のやつだと思う。……あ」
リフィルを捲る中で、指の動きがある一枚で止まる。中に入っているのは白い封筒。差出人の名前はない。けれど僕には見覚えがあった。
「それって……」
「うん。放送部宛に届いた手紙。放送室の前に投書箱があるでしょ。そこに入れてもらえば、放送部がラジオで採用するんだけど、僕が入部した頃にはもうほとんど忘れられてたから……すごく印象に残ってる」
封筒を開くと、読みやすい字で綴られた悩みが現れた。
〝人と上手く話せません。どうすれば仲良くなれますか。〟
わずか十数文字の小さなお悩み相談は、なかなかの難問だった。だって、上手く話すことも、人と仲良くなるのも、とても難しいことだからだ。僕はそれを知っている。この内向的な人間性ゆえに、よく分かっていた。……だからだろうか。当時高校一年生の僕は、この悩みに答えたいと思ったのだ。この手紙に何度も目を通して、震える声で、でも精一杯の言葉を届けた。
あの日の放送が、記憶の彼方から蘇る。
《まず、自分の意見を持つのがいいかもしれません》
伝えたいことが分からないままだと、話したいことも分からないままだからだ。
《次に、相手を尊重すること》
「話す」という行いは、相手がいて初めて成立するものだ。そして「相手」という概念は、自分がその人と向き合おうとしない限り、現われない。
《最後に……自分の好きなこと、相手が大事にしていることに誇りを持つこと》
と言っても、それは一つ目と二つ目を意識していれば、自然にできることだった。その二つこそ、「誇りを持つ」ということだから。
《──それが、話す勇気になると思います》
あの回答は、僕なりの精一杯だった。これまでの僕が人並みに失敗して、苦労して、考えた先で得た一つの答え。
話すことは怖い。でも、伝えなければ何も始まらない。……だから、僕は放送部に入った。声なら、言葉なら、誰かに届くかもしれないと思ったから。
(……この手紙をくれた人、今はどうしてるんだろう)
ふと、そんなことを思う。思いつつ、おもむろに視線を横に流せば、隣で浪川くんが静かに僕を見ていた。
備品の詰まった灰色の背景に、彼の金髪がよく映える。いつしか目に馴染んだその光景。しかし彼の面持ちにはいつもの軽さはなく、どこか息を呑むようで。
「……よく、覚えてるね」
「うん。言ったでしょ、印象に残ってるって」
何か言いかけるも、結局閉ざされる浪川くんの唇。彼の視線が手紙と僕の顔の間を揺れては──揺れただけで、やがて背けられてしまって。
「……じゃあ、そのバインダーは部長にお願い、ということで」
「分かった」
僕は何を言及するまでもなく頷いて、そのまま作業を再開した。
「流浪の男」は、なおこの放送部に所属していた。あんなことがあって居心地が悪いやら、面倒くさいやら思っても仕方ないというのに、彼はそこにいた。
──つーか俺、もうテニス飽きた。だからもういい。辞めまーす。
そう、かつてのように切り捨てられてもさもありなんと思っていたのに、無断遅刻も欠席も一度もなく、放送室の扉を開ければいつものように「お疲れ」と笑ってくれたのだ。が、それでもやっぱり雰囲気はぎこちなくて、僕もどう距離を取ればいいのか分からずにいた。
あの時の態度が、浪川くんを困らせてしまっているのではないか──そんな不安が、胸の奥でずっと疼いていた。
(……僕が浪川くんをこんなに気にしてるのは、どうしてだろう)
放送部が廃部になるのが嫌だから? それとも……。
考えて、悩んで……けれどそこから先の答えは、どうしてもまとまらなかった。
「──ねえ。江古田クン、これどうする? なんか他のと違うけど」
そんなある日の放課後。僕たちは放送室の定期清掃、過去の「放課後ラジオ」の台本の整理に当たっていた。
段ボール箱に無造作に詰め込まれた紙束を、一枚ずつ仕分けていく単純作業。古いものは既にチェックされているため、今回はここ数年分にフォーカスを当てて整頓していく。その間僕たちはずっと黙りっきりで、だけどそんな静寂を浪川くんは出し抜けに破ってみせた。
彼が僕に差し出したのは、一冊のバインダー。開いてみると、そこに入っているのは様々な種類の紙や封筒だった。中にはノートの切れ端まである。……これは、
「生徒からのお便りとかリクエストだね」
「お便り……」
「この辺り先輩が管理してたから初めて見た。これとか去年のやつだと思う。……あ」
リフィルを捲る中で、指の動きがある一枚で止まる。中に入っているのは白い封筒。差出人の名前はない。けれど僕には見覚えがあった。
「それって……」
「うん。放送部宛に届いた手紙。放送室の前に投書箱があるでしょ。そこに入れてもらえば、放送部がラジオで採用するんだけど、僕が入部した頃にはもうほとんど忘れられてたから……すごく印象に残ってる」
封筒を開くと、読みやすい字で綴られた悩みが現れた。
〝人と上手く話せません。どうすれば仲良くなれますか。〟
わずか十数文字の小さなお悩み相談は、なかなかの難問だった。だって、上手く話すことも、人と仲良くなるのも、とても難しいことだからだ。僕はそれを知っている。この内向的な人間性ゆえに、よく分かっていた。……だからだろうか。当時高校一年生の僕は、この悩みに答えたいと思ったのだ。この手紙に何度も目を通して、震える声で、でも精一杯の言葉を届けた。
あの日の放送が、記憶の彼方から蘇る。
《まず、自分の意見を持つのがいいかもしれません》
伝えたいことが分からないままだと、話したいことも分からないままだからだ。
《次に、相手を尊重すること》
「話す」という行いは、相手がいて初めて成立するものだ。そして「相手」という概念は、自分がその人と向き合おうとしない限り、現われない。
《最後に……自分の好きなこと、相手が大事にしていることに誇りを持つこと》
と言っても、それは一つ目と二つ目を意識していれば、自然にできることだった。その二つこそ、「誇りを持つ」ということだから。
《──それが、話す勇気になると思います》
あの回答は、僕なりの精一杯だった。これまでの僕が人並みに失敗して、苦労して、考えた先で得た一つの答え。
話すことは怖い。でも、伝えなければ何も始まらない。……だから、僕は放送部に入った。声なら、言葉なら、誰かに届くかもしれないと思ったから。
(……この手紙をくれた人、今はどうしてるんだろう)
ふと、そんなことを思う。思いつつ、おもむろに視線を横に流せば、隣で浪川くんが静かに僕を見ていた。
備品の詰まった灰色の背景に、彼の金髪がよく映える。いつしか目に馴染んだその光景。しかし彼の面持ちにはいつもの軽さはなく、どこか息を呑むようで。
「……よく、覚えてるね」
「うん。言ったでしょ、印象に残ってるって」
何か言いかけるも、結局閉ざされる浪川くんの唇。彼の視線が手紙と僕の顔の間を揺れては──揺れただけで、やがて背けられてしまって。
「……じゃあ、そのバインダーは部長にお願い、ということで」
「分かった」
僕は何を言及するまでもなく頷いて、そのまま作業を再開した。

