──翌日、金曜の活動日。放送室では「放課後ラジオ」の時間が、じわじわと迫っていた。
ラジオの開始時刻までに準備を整える。けれど放送室の扉は開くこともなく、静かなままだった。
(……来ない)
昨日のことがあったから、少しだけ嫌な予感はしていた。が、まさか本当に来ないとは思わなかった。
浪川くんは、きっとまた誰かに捕まっているのだろう。クラスの中心で注目を一身に浴びる姿を見れば、何もおかしいとは思わなかった。
……あの教室の空気を思い出すと、少しだけ胸がひやりとするが。
(でも……仕方ない)
僕は深く息を吸い、預かっていた原稿を手に取る。今回の台本のテーマは、以前浪川くんに勧められたバンドについて。イヤホンを借りた時に聴いた、あのメロウで奥深さのある曲を忘れられなくて、あの日以来、僕はこっそりそのバンドの曲を聴いたり、調べたりしていた。音楽に疎い僕でも、あの優しい曲調と歌声の柔らかさを好きだと思えたのだ。
だから──浪川くんがいなくても、僕はこの台本を読める気がした。
放送回線をオンにして、マイクのスイッチを入れる。
《皆さん、こんにちは。放送部の江古田です。今日も学校生活、お疲れさまでした。今回の『放課後ラジオ』は、僕が最近知った、とあるバンドのお話から始めたいと思います──》
言葉がすらすら自然に出てくる。原稿の擦り合わせはできなかったものの、バンドを知っていたおかげで内容の理解に支障はなかった。
浪川くんの書いた文章は、彼らしい軽妙さとテンポの良さがあって、文字を目で追っているとまるで隣で彼が喋っているみたいだった。僕はそのリズムに合わせてさらりと、それでいて丁寧に言葉を紡いでいく。放送は不思議なほど滑らかに、そして何事もなく進んでいった。
……やがて、ラジオはエンディングを迎える。
《──さて、そろそろ終わりの時間も近づいてきました。今回の『放課後ラジオ』はいかがだったでしょうか。また次回の放送でお会いしましょう。お相手は、放送部の江古田でした》
BGMのボリュームを下げつつ、マイクを切る。オンエアからオフエアへ、放送室に静寂が落ちた──その直後。まるですれ違うかのように、廊下を走る足音がだんだんと大きくなれば、しばらくして放送室の扉が勢いよく開いた。
そこに見えたのは、浪川くんの姿。「……終わっ、た……?」と尋ねる彼に、「うん。今ちょうど、終わったところ」と答えれば、彼は肩で息をしながら、僕の手元の台本に視線を落とした。
「……江古田クン、これ……読んだの? 一人で?」
「うん。いい原稿だったよ。浪川くんの文章、読みやすいし……何より面白かった」
「でも、ここに書いてないことも言ってたよね?」
「ああ……実は浪川くんにオススメされてから、曲とか聴いてて」
そう言うと、彼の目が一瞬だけ揺れる。鮮やかな金髪と対照的なその表情は、あらゆる感情が綯い交ぜになったかのよう。彼はそっと睫毛を震わせると、「……遅刻してごめん」と頭を下げた。
「今日も、ちょっと捕まってて……。それに昨日のことも……本当にごめん。気分悪かったよね」
「大丈夫だから。気にしないで」
僕は薄く笑った。自分でも分かるくらい、力のない笑いだった。
「浪川くんが悪いわけじゃないし。僕が、盛り上がってるところに割って入っちゃったのが悪いから」
その言葉に、彼の表情がわずかに歪む。彼は何かを言おうとその口を開きかけるが、しかし僕の顔を見てはうんと黙り込んだ。
「もし来られない日とか、遅れそうな日があったら連絡してね」
「……わかった。次からは気をつける」
放送室の外から、誰かの呼ぶ声が響く。
「おーい、浪川ー! 早く来いよ!」
「……あ。もしかして誰か待たせてる? 帰って大丈夫だよ、後やっておくから」
僕は台本を手にすると、放送機器の前から離れる。彼を視界から外し、これまでの原稿が収納された棚へと向かえば、背後では小さく息を呑む気配がした。
「じゃあ……また来週、ってことで」
その時浪川くんがどんな顔をしていたのか、何を思っていたのか、僕には分からない。けれど僕は知ろうと思わなかった。頭の中がぐるぐるして、胸の辺りが軋むようだったからだ。
瞳の奥が熱くて、どうしようか迷っていたから──ガチャンと扉の閉まる重い音が聞こえても、僕は振り返らなかったのだ。
ラジオの開始時刻までに準備を整える。けれど放送室の扉は開くこともなく、静かなままだった。
(……来ない)
昨日のことがあったから、少しだけ嫌な予感はしていた。が、まさか本当に来ないとは思わなかった。
浪川くんは、きっとまた誰かに捕まっているのだろう。クラスの中心で注目を一身に浴びる姿を見れば、何もおかしいとは思わなかった。
……あの教室の空気を思い出すと、少しだけ胸がひやりとするが。
(でも……仕方ない)
僕は深く息を吸い、預かっていた原稿を手に取る。今回の台本のテーマは、以前浪川くんに勧められたバンドについて。イヤホンを借りた時に聴いた、あのメロウで奥深さのある曲を忘れられなくて、あの日以来、僕はこっそりそのバンドの曲を聴いたり、調べたりしていた。音楽に疎い僕でも、あの優しい曲調と歌声の柔らかさを好きだと思えたのだ。
だから──浪川くんがいなくても、僕はこの台本を読める気がした。
放送回線をオンにして、マイクのスイッチを入れる。
《皆さん、こんにちは。放送部の江古田です。今日も学校生活、お疲れさまでした。今回の『放課後ラジオ』は、僕が最近知った、とあるバンドのお話から始めたいと思います──》
言葉がすらすら自然に出てくる。原稿の擦り合わせはできなかったものの、バンドを知っていたおかげで内容の理解に支障はなかった。
浪川くんの書いた文章は、彼らしい軽妙さとテンポの良さがあって、文字を目で追っているとまるで隣で彼が喋っているみたいだった。僕はそのリズムに合わせてさらりと、それでいて丁寧に言葉を紡いでいく。放送は不思議なほど滑らかに、そして何事もなく進んでいった。
……やがて、ラジオはエンディングを迎える。
《──さて、そろそろ終わりの時間も近づいてきました。今回の『放課後ラジオ』はいかがだったでしょうか。また次回の放送でお会いしましょう。お相手は、放送部の江古田でした》
BGMのボリュームを下げつつ、マイクを切る。オンエアからオフエアへ、放送室に静寂が落ちた──その直後。まるですれ違うかのように、廊下を走る足音がだんだんと大きくなれば、しばらくして放送室の扉が勢いよく開いた。
そこに見えたのは、浪川くんの姿。「……終わっ、た……?」と尋ねる彼に、「うん。今ちょうど、終わったところ」と答えれば、彼は肩で息をしながら、僕の手元の台本に視線を落とした。
「……江古田クン、これ……読んだの? 一人で?」
「うん。いい原稿だったよ。浪川くんの文章、読みやすいし……何より面白かった」
「でも、ここに書いてないことも言ってたよね?」
「ああ……実は浪川くんにオススメされてから、曲とか聴いてて」
そう言うと、彼の目が一瞬だけ揺れる。鮮やかな金髪と対照的なその表情は、あらゆる感情が綯い交ぜになったかのよう。彼はそっと睫毛を震わせると、「……遅刻してごめん」と頭を下げた。
「今日も、ちょっと捕まってて……。それに昨日のことも……本当にごめん。気分悪かったよね」
「大丈夫だから。気にしないで」
僕は薄く笑った。自分でも分かるくらい、力のない笑いだった。
「浪川くんが悪いわけじゃないし。僕が、盛り上がってるところに割って入っちゃったのが悪いから」
その言葉に、彼の表情がわずかに歪む。彼は何かを言おうとその口を開きかけるが、しかし僕の顔を見てはうんと黙り込んだ。
「もし来られない日とか、遅れそうな日があったら連絡してね」
「……わかった。次からは気をつける」
放送室の外から、誰かの呼ぶ声が響く。
「おーい、浪川ー! 早く来いよ!」
「……あ。もしかして誰か待たせてる? 帰って大丈夫だよ、後やっておくから」
僕は台本を手にすると、放送機器の前から離れる。彼を視界から外し、これまでの原稿が収納された棚へと向かえば、背後では小さく息を呑む気配がした。
「じゃあ……また来週、ってことで」
その時浪川くんがどんな顔をしていたのか、何を思っていたのか、僕には分からない。けれど僕は知ろうと思わなかった。頭の中がぐるぐるして、胸の辺りが軋むようだったからだ。
瞳の奥が熱くて、どうしようか迷っていたから──ガチャンと扉の閉まる重い音が聞こえても、僕は振り返らなかったのだ。

