廃部寸前の僕の部を救ったのは転部魔でした

 その日、僕こと放送部部長・江古田(えこだ)(じゅん)は、人生最大級の危機に瀕していた。
 唯一の部員にして後輩の一年生が突然転校してしまい、所属が一人になったことで、部の解体が正式に決まってしまったのだ。

「な、何とかならないんですか!」

 部活動で人が出払い、静まり返った放課後の職員室に、僕の声だけが妙に響く。必死に存続を訴える僕とは対照的に、目の前の顧問教師は渋い顔をして腕を組んでいた。

「さすがに一人じゃねぇ……」

 打つ手なしと言わんばかりに頭を掻く顧問の姿に、僕はそっと唇を噛む。当然と言えば当然だ──本来、部として認められるには最低三人の部員が必要だ。けれど僕たちは「学校側の放送業務の一部を負担する」という条件と引き換えに、特例で二名での活動を許されていた。むしろ今までが無理を通してもらっていたのだ。……それでも、

(……嫌だ。このまま放送部がなくなっちゃうなんて……)

 ぎゅっと拳を握りしめる。が、どうにかしないと、と思ったところで、この望み薄な状況だった。今さら部員は増えないし、これ以上お目こぼしをもらえる立場でもない。この期に及んで僕は無力で、部長として廃部という現実を受け入れるしかなかった。何もできないまま、歯がゆさに俯くことしかできない。……と、そんな時だった。

「失礼しまーす……って、あれ? 水野センセイ、まだいたんすか」

 職員室の扉が勢いよく開くとともに、場違いなほど軽い声が飛び込んでくる。それはこの沈んだ空気をものの一瞬で蹴散らし、追い込まれた僕の焦燥感をつかの間に挫くもの。はたと振り返ると、僕は目にした存在に思わず言葉を失った。
 校則破りの金髪に、これまた校則破りのど派手なピアス。それらをものにする端正な顔立ちと、すらりとしなやかな長身。まばゆいオーラ。自分とは正反対の、派手な容姿のその男は、制服の襟に僕と同じ学年の徽章を輝かせる。
 彼の名前は浪川(なみかわ)流之介(りゅうのすけ)。校内のちょっとした有名人であり──そして僕が、一番苦手とするタイプの人間だった。

(な、なんでこんな時に……)

 あまりのバッド・タイミングに、つい内心で弱音を吐く。ただでさえ廃部の通告でめげかけていたというのに、よりにもよって今、この場面で関わりを避けていた人物と出くわしてしまったのは、ただただ不運としか言えなかった。
 息を潜めてじっと様子を窺う。当の浪川くんは、同行していた教師と何やら揉めているようだった。話を聞くに、その教師はテニス部の顧問らしい。

「おい浪川。退部の件、まだ話は終わってねぇぞ」
「えー、だってもう辞めるって言ったじゃないすか。あそこ、俺いなくても回るし」

 そのやり取りだけで、この学校の多くは「ああ、またか」と思うものかもしれない。それは浪川くんの、ある悪癖について。
 浪川くんが有名人たる所以は、その目を惹く美貌もさることながら、何よりすこぶる器用で、天才肌なところだ。特にスポーツの才能は群を抜いていて、()()()()()()()()()()一線級のセンスを見せつけていた。それこそ陸上部のどの部員よりも足が速く、サッカー部では一週間で一軍入り。水泳部では、たまたま出場した大会で優勝を飾るほどだった。
 圧倒的な才覚。並外れた存在感。眩しいほどの魅力。周囲は皆、彼に期待した──が。

「つーか俺、もうテニス飽きた。だからもういい。辞めまーす」

 いっそ薄情なほど、あまりに軽い物言いに、テニス部の顧問が頭を抱える。そして僕はその光景を、ただ呆然と見つめるしかない。……そう、浪川くんはそういう人なのだ。彼は間違いなく天才だったが、それ以上に飽きっぽかったのだ。
 入部しては才能を開花させ、すぐに飽きては別の部へ。また好成績を残しては、飽きて次の部活へ──と、これまで浪川くんはひっきりなしに転部を繰り返していた。これがただの飽き性だったらまだ良かったのだが、タチの悪いことに、彼は少なからず結果を残すことで部に爪痕を付けていく。そのくせさっさと去ってしまうのだから、他の部員からすれば面白くなかった。恨み嫉みを受け、その悪癖から付いたあだ名は「流浪の男」。
 そして今まさに、浪川くんは再び流浪の旅に出ようとしているところだった。

「お、おい浪川。少しは話を──」

 顧問が引き止めようと腕を伸ばすが、彼はひょいっと体をずらして、まるで猫が水を避けるみたいにぬるりと躱す。その瞬間、ほんの偶然にも視線がかち合えば、浪川くんは「あれ、江古田クン?」と眉を上げてみせた。

「なんで泣きそうな顔してんの。水野にいじめられた?」
「え、いや……その……」

 急に話を振られ、僕は思わずしどろもどろになる。……これだ、僕が浪川くんのようなタイプを苦手とする一番の原因。陽キャ特有の距離の詰め方が、僕の脳みそでは処理が追いつかないのだ。

「いや、そういうんじゃ──」
「てか顔色わっる。大丈夫? 寝てる? 食ってる?」
「えっ、あ、はい……その……」

 質問のテンポが速い。速すぎる。やはり追いつけず、僕の返事はすべてワンテンポ遅れてしまううえに、声量も小さくなってしまう。そんなところを見かねてか、水野先生は「まあまあ」と僕と彼の間に割って入ると、「放送部がね、」と現状を説明する。

「部員が一人になっちゃって、廃部が決まったんだよ」
「へぇ〜〜〜」

 浪川くんは、まるで他人事のように軽く声を伸ばす。人の少ない室内で、その音が奇妙なくらいよく響けば、それは直面すべきことから目を背けるようとする僕を咎めるかのようだった。

(ああ……嫌だ)

 どうしようもない悔しさに、僕は知らずと顔を歪める。打つ手もなく、状況が好転するはずもない中で、何もそんな追い打ちまでかけなくてもいいではないか、と思う。ちゃんと分かってはいるのだ。今日をもって放送部は廃部。その事実を僕は認めなければならない。そう、理解はしているのだけれど……。
 すんと洟を啜る。僕は静かに息を整えると、改めて顧問の水野先生に向かい合う。これまでの感謝を伝えるために、そして部長として廃部を承認するために。……が、その時だった。

「部員足らねえの? じゃあ俺入るけど」

 僕の背中に、そんな思いもしない展開が追いついたのは。
 思わず「……え?」と声をこぼしたのは誰だったか。僕かもしれないし、水野先生かもしれないが、テニス部の顧問ではないのはたしかだ。その先生は「は?」と言ったので。
 がばりと振り向き、僕はその声を発した人物を見つめる。固まる僕に対し、彼はあくまで飄々としていた。悠然とした立ち姿に、得意げにほんの少し口角を上げて。

「だってテニス辞めるし。暇だし。江古田クン困ってんでしょ? なら入る入る」
「あっ。ちょ、え……ま……っ」

 思考が完全にフリーズした僕は、言葉すらろくに紡ぐこともできず、その場でただアタフタするしかない。いや、そもそも浪川くんの陽キャノリに、陰キャの僕がついていけるはずがなかった。だけど、そんな僕をよそに、彼は意味ありげにニッと笑みを深めてみせて。

「つーことで、決まりな」

 よろしく、江古田部長。
 きらりと光る校則違反のピアスの金属質が眩しい。……その笑顔といい、その振る舞いといい、「流浪の男」はつくづく別世界の人間だった。