話す前にまずはオヤツ、ということになったものの、完全下校の時間は迫っている。学校を出て、どこかへ寄り道していくことになった。
昇降口を一緒に出ながら相談する。
「先輩、どうしよ。モックかミセドでも行く?」
「却下。ヒナには俺が作ったもの以外で間食を取ってほしくない。ファーストフードなんてもってのほか」
いや、シーナやダイチと遊ぶときとかに食ってるけど……とはなんとなく言わないほうがいい気がした。先輩が残念そうな顔をしそうで、あんまり見たくない。
「……じゃあ、スーパーのフードコートで、昨日くれたオヤツを食べる?」
先輩がオヤツをくれるのは週に二日から三日。そのときに全部で七日分持つよう用意してくれるから、俺のリュックには昨日もらったオヤツの残りがまだ入っている。
だからそう提案してみたものの、先輩はやっぱり首を横に振った。
「今の時間のフードコートって学校のやつらでいっぱいだろ。また皆に注目されてもいい?」
「それはたしかに嫌かも。じゃあ……公園とか?」
といってもこの時間、公園は子どもたちでいっぱいだろう。オヤツを食べながら話す場ではない気がする。
「……俺んち、行こ」
「えっ」
どうしたもんかと考えあぐねていると、そんなことを突然言われて俺の胸はドキッとはずんだ。
そんな俺を見て、先輩がちょっと意地悪そうに口角を上げる。
「なんかされると思ってる?」
「お、思ってない! されることなんかなんもないし!」
いくら先輩が俺のことを好きだからって俺は男だ。そんな、家に誘われてホイホイついて行ったからって貞操の危機とか、あるわけない!
「行く、行ってやりますよ!」
フンス、と鼻息を荒くすると、先輩は肩を小さくすくめた。相変わらずちょっと意地悪そうに笑っている。
「……されると思ってたほうがいいけどな。じゃ、行こうか」
「ん? 今なんか言った?」
じゃあ行こうか、の前に先輩が小さく漏らした言葉が聞き取れず聞き返した。だけど先輩はくるりと背を向けて歩き出してしまう。
「ほら、行くよ。手を繋ぎたいけど、ヒナがちゃんと彼氏になってくれてからにする」
「またそんなことばっか……。俺、一週間やそこらで恋愛感情がわかるようにはならないと思う。……ていうかさ」
自分のことを言いながらはたと気づいた。先輩の猛追に、大事なところがすっぽ抜けていた。俺と先輩は知り合ってまだひと月と数日だ。
接してる時間も内容も密ではある。俺が先輩を慕うように、先輩が俺に好意を持ってくれてもおかしくはない――あくまでも『親しい後輩』としてなら。
だけどそれ以上の好意を持たれる要素ってあるか? 女子の言葉を借りればちんちくりんの俺だ。悲しいかな、自分でもそう自覚している。
「先輩、俺のどこがいいの? ていうか、俺のこと、本当に……? 実は勘違いしてるとか、からかってるとかじゃない?」
スッと筋の伸びた背中に向かって問いかけると、先輩の足がピタッと止まった。ゆっくりと、こちらを振り返る。
「好きだよ、ヒナ」
「……っ」
「突然で、戸惑うのも疑問に思うのも当たり前だ。だからフリから始めてゆっくりと気持ちを伝えていければと思ってた。でも、ヒナは俺の想像の中のヒナよりもずっとずっと誠実で……フリやウソじゃ気持ちが通じないってわかったんだ」
先輩は身体ごと俺のほうを向いた。いつもみたいに優しいだけじゃない、意志のこもった瞳が俺をまっすぐに見ている。
なにか答えたほうがいいんだろうけど、なにも言葉が出てこない。黙ったまま先輩の次の言葉を待つしかできない。
「ヒナ、好きだよ。ヒナの幸せ、俺が全部作りたい」
視線を彷徨わせることなく、瞬きひとつもせず一音一音はっきりと告げられ、余計に言葉が出なくなる。心のこもった言葉って、胸の奥にまで響いてくるんだ。いくら恋愛にうとい俺でも、先輩の言葉にウソがないことがわかる。
……先輩は、本当に俺に恋愛の「好き」を向けてくれるんだ。
「はぁ……」
気持ちをまっすぐに突きつけられた俺は、ため息とは違う深い息を吐きながら廊下にしゃがみ込んだ。顔がどんどん火照りだし、代わりに足の血が引いたみたいに力が入らない。これって腰が抜けてるんじゃないか?
だって、やっぱりいろいろ突然すぎる。こんなに力強く「好き」をぶつけられる日が俺にくるなんて、思ってもみなかったんだ。
抱えた膝の上に顔を押し付けて丸まっていると、先輩がすぐそばまで近づいてきた気配があった。
「お願い、逃げないで。奥の手を使ってしまうけど、俺の気持ち、ちゃんと全部伝えるから、俺の家、行こ?」
奥の手? 甘い声で紡がれたその言葉に、隠していた顔をおそるおそる上げる。
先輩も俺の目の前でしゃがみ込んでいた。
「……ずるいよ、先輩」
「なにが」
だって、首をちょっとかしげて柔らかく微笑む先輩は、きっとどんなオヤツよりも甘い、反則級のスイーツ王子様だ。
自分の魅力、わかってやってるよね? 持てる武器、全部使うつもり? こんなの、俺じゃなくても流されそうになるって!
だけど俺は……先輩を人として好きだからこそ雰囲気に流されたくない。付き合うなら、ちゃんと「そういう好き」になりたい。
「おいで、ヒナ」
先輩が立ち上がる。意外にもいつもみたいに頭をポンポンとしてこなければ、強引に立たせようともしない。言葉だけで促し、俺に決定権を委ねている。
このまま先輩の家に行ったら、初めて調理室に行った日みたいに、雰囲気に流されて頷いてしまうのだろうか――ここにきて、まだ一瞬の迷いが生じたけれど、先輩の言う「奥の手」が気になっている。なによりも、ここで逃げて先輩と気まずくなりたくない。
……先輩との時間を失くしたくない。
先輩が俺を好きになってくれた理由も、先輩の気持ちももっとちゃんと知ろう。そのうえで、しっかりと自分の気持ちと向き合って答えを決めよう……!
俺はグッと手を握りしめると、サッカーの試合前のように「っしゃ!」と内心で気合を入れて立ち上がった。
◆◆◆
【頑固蕎麦切 すいこう庵】
歴史を感じる立派な一枚板の看板に、金色で彫り込まれた文字。暖簾は渋いえんじ色で、格子戸っていうんだっけ、扉は木の引き戸。そこは先輩のお家がやっているお蕎麦屋さんだった。
「お蕎麦屋さんだったんですか」
――ぐううぅう。
電車に乗って二十分、そこから徒歩で七分ほど。空腹を我慢していた俺の腹は、夜の開店前の立派な店構えを見ただけで盛大に鳴った。
「腹減ったよな。待たせてごめんな」
先輩はクスクス笑いながら店の角を曲がり、ぐるりと回り込んだ裏手にある家の玄関へ俺を案内してくれた。そこは洋風の開き戸で、先輩は取っ手を引いて中に声をかける。
「ただいま」
「おかえりー! あら?」
先輩の声に、すぐに元気のいい返事があって、溌剌とした印象の女の人が奥の部屋から出てきた。
先輩がボソッと「母」と教えてくれて、俺はサッカー部仕込みの挨拶で声を張った。
「こんにちは! 青楓高校一年の咲坂陽向です! お邪魔します!」
ちょっと太い声を出したのは、ちゃんと高校生だと思われたい下心が存分にあったりする。だけど顔を上げたとき、先輩のお母さんは目を丸くして胸元に手を当てていた。
「えー! ウソ、ウソでしょ!」
あー……。やっぱ中学生に見えるのかぁ。
笑顔を保ちつつも、心の中でしゅんとする。だけど次のお母さんの言葉で、俺は目を瞬いた。
「えっ、えっ、ちょっと廉! この子、あのときの子じゃないの? 野辺病院の小児科に一緒に入院してた、なんだっけ。そうだ! ヒナ君!」
……野辺病院の小児科?
その言葉が引き金となり、俺の脳裏に過去の記憶が断片的に蘇ってきた。
一歳前から牛乳と小麦、卵のアレルギーがあった俺は、二年生のときに急性アレルギー症状を起こして、たしかに野辺病院に入院していた。
だけど五年生の半ばで劇的に数値が正常化し、なんでも食えるようになった今ではアレルギーだったことを忘れている日だってある。入院のことなどはすっかり記憶の彼方の出来事になっていた。
「えっと、一緒に、入院……?」
「覚えてない? 廉は退院が早かったから一週間ほどだったけど、二人はベッドが隣同士で、ヒナ君は面会時間に私ともよくお話してくれたじゃない!」
「いえ、あの……えっと。え……?」
まだすべてを思い出せていない。混乱のまま隣に立つ先輩を見上げると、先輩は困ったように眉を寄せて俺を見てから、お母さんに説明する。
「母さん、ちょっと落ち着こっか。ヒナは覚えてないんだ。それで今日、その話もしようと思って連れてき……」
「廉! 帰ったのか! 随分早いじゃねぇか。菓子だかなんだか作るくだらん部活はとうとう辞めてきたか!」
先輩が話し終える前に、また奥から人が出てきた。白いシャツに白い作業パンツの男性。顔は先輩とそっくりで驚くほど端正なのに強面で、話し方の威圧感がすごい。
店名どおりいかにも頑固そうな人だ。先輩の話ともイメージぴったり。お父さんで間違いない。挨拶! しないと。
ビシッと背を伸ばし、お父さんの声に負けないように挨拶しようと口を開きかけたその矢先、先輩がスッと一歩前へ踏み出した。
「辞めてねーよ。辞める気もねーよ。今日は休みだ休み!」
いつよりずっと低く、尖った声が先輩の口から放たれる。
「ああ!? 男がちいっせえ菓子なんてチマチマ作ってどうすんだよ。そ・ば! おまえは蕎麦屋の四代目を継ぐんだよ!」
「継がないって言ってんだろ! 俺はパティシエになるんだよ!」
わわわ。口喧嘩が始まってしまった。
俺はオロオロと二人のやり取りを目と耳で追う。お父さんはかっこいい人なのにやっぱり厳ついし、先輩もいつもの穏やかな様子は鳴りを潜め、眉間にググッとシワを寄せて睨みを利かせる顔なんて、心なしかお父さんみたいに厳つい。
「ほらほら、ふたりとも! ヒナ君がびっくりしてるでしょ。いつもの喧嘩はまた今度にしてちょうだい」
見かねた様子の母さんが手のひらをパンパン、と打ち、親子喧嘩をする二人の間に割って入った。そのままお父さんの背中を奥の部屋の方向に押しながら、顔だけを俺に向ける。
「ヒナ君、ごめんなさいねえ。私たちはこれから夜の仕込みに入るけど、ゆっくりしていってね。狭いところだけどどうぞ上がってて! ……ほら、お父さんはお店へ行って!」
「……ったく、廉はなんでああ洒落臭くなったんだ」
「あ、あのっ、ありがとうございます。お邪魔します!」
俺は部屋の向こうに消えていくお父さんとお母さんの背中に頭を下げた。先輩はチッと小さく舌打ちすると先に框を上がり、俺にスリッパを出してくれる。
「行こ、ヒナ。俺の部屋、上だから」
玄関のすぐ脇にある階段を示され、頷いた俺は身体を縮こませながらも框を上がり、先輩の部屋へと足を進めさせてもらった。



