てっぺんの毛がぴょこっとはねてしまう黒髪に、浅く日焼けした丸顔。大きめの目に反して小さい口と低い鼻。きわめつけはこの身長だ。
自分で見ても平々凡々でガキっぽい俺が、あのスイレン先輩に釣り合うとはとうてい思えない。
こんな俺の、いったいどこがいいんだ?
学校の昇降口を上がった先の壁には大きな鏡がある。登校時、そこに映る自分の姿を見つめながら、俺は頭に疑問符を浮かべた。
鏡には続々と登校してきたたくさんの生徒たちも映っている。背の高い男子。サラサラした長い髪の女子……こんなにイイ感じの人がたくさんいるのに、なぜ俺なんだろう。
『ヒナが好きだ』
頭の中に昨日の先輩の姿が浮かんだ。顔が火を噴くように熱くなり、心臓の中身がひっくり返りそう。今すぐそこらじゅうを全力疾走したい衝動に駆られる。
そもそも告白されるなんて初めてだったし、あのときの先輩の男感がすさまじすぎた……。
「ヒーナタ、おはよう。鏡の前でなに悶えてんの」
「もう腹減ってんのか?」
本当に走り回るわけにもいかず、熱く火照る顔を両手で覆い隠していると、揃って登校してきたシーナとダイチの声が背後から聞こえた。
昨晩は事態を呑み込むのに必死で、二人にスマホメッセージを送ることもできなかった俺は、ピッタリと肩を寄せ合っている二人に全力で飛びついた。
朝になったら相談したくてたまらず、顔を見ると場所も考えずに話さずにいられなかったのだ。
それでもなんとか小声で話したのに、シーナが盛大な叫び声を上げた。
「ええーー! スイレン先輩に! 告白! されたのぉぉっ!?」
「わっ。しーっ! しーっ!」
慌ててシーナの口を手で塞いだけど、もう遅かった。
校内の王子様の恋愛情報に周囲がざわめき立ち、足を止めて俺たちを見ている。
「あの、今のはっ」
一番近くにいる生徒の集団に目を向け、否定しようとしたそのときだった。
背後から腕が回ってきて、後ろ向きに引かれた俺の身体は誰かの胸にすっぽりと埋まった。
「そ。で、昨日からヒナと俺は付き合ってる」
「っ、先輩……!」
見上げると、先輩はもう片方の腕も俺に回してくる。なんと、バックハグだ。
ダイチにも挨拶としてたまにされるけど、ちゃんと抱きしめられている感があるこれとは全くの別モノだ。背筋がむず痒くなる。
「おはよ、ヒナ。登校してすぐに会えてうれしい」
「なっ……! 朝から寝ぼけたこと言わないで!」
「はは。目覚めから爽快だけど?」
逃れたさからジタバタする俺とは対照的に、先輩は軽やかに微笑んだ。それから、ちょっと頬染めて口に両手を当てているシーナと、いつもと同じコワモテのダイチにも大人っぽく微笑む。
「そんなわけで、始業までヒナを連れてくね」
「は、はいっ! うちのヒナタをよろしくお願いします!」
「っす」
お母さんみたいな返事をするシーナと、礼儀正しくお辞儀をするダイチをその場に残し、俺は先輩にがっしりと肩を抱かれて連行された。
いつも柔らかい先輩の雰囲気が、昨日に引き続いて男感に溢れている。
こんな先輩には慣れてないせいで、胸がバクバクする。手に汗までかいてきた。
俺、どうなっちゃうんだ。いったいどこに連れて行かれるんだ。
皆の注目の的になりながら廊下を進み、階段を昇って到着したのは、先輩の二年三組の教室だった。そこでも当然先輩たちの視線を浴びる。その中にはサッカー部の先輩もいて、さすがに逃げ出したくなっていると、近くの席に前後ろで座っていた先輩二人が席を立った。
「なに、スイレン。ヒナちゃん連れてきたのかよ」
先に声をかけてきたのは、ツーブロで背が高い、ちょっとチャラめの先輩。
「もしかして付き合うことになった? あ、こっちはハヤトで俺はユウな。ヒナちゃんヨロ!」
自己紹介つきで来たのはマッシュヘアのおしゃれな雰囲気の先輩。
見るからに陽キャな先輩たちに知ったふうに話しかけられ、硬直する俺の横でスイレン先輩が自慢気に答える。
「そ。でもそれが! フリじゃなくてマジで付き合うことになった」
「「おおっ!」」
途端に二人は声を揃えて顔を輝かせた。
「とうとうやったか。この子のこと、ずっと虎視眈々と狙ってたんだもんな。執念勝ちだな」
感心したように腕を組んだユウ先輩。
「俺はこの子の顔、ちゃんと見るの初めてだけど、スイレンの話どおりかわいいじゃん。小鳥系?」
俺の顔をじっと見ながらニカッと白い歯を見せるハヤト先輩。
は? ずっと虎視眈々? 執念? 小鳥系??
二人の言葉に、頭に大きなハテナマークを描きつつもともかく慌てて否定する。
「違いますっ! 俺、まだ付き合うなんて言ってませんから!」
すると、スイレン先輩に顔を覗き込まれた。悲しそうに眉根を寄せている。
「え……俺、フラれたの?」
「ぅっ……」
そんな顔をされると首を縦に振れない。
「俺のこと、嫌い?」
ぅ、ううっ……。
嫌いじゃないよ。むしろ好きだ。だけどその好きは先輩が求めてる好きとは違う。フるとか、そんなたいそうなことをするつもりもないけど、こんな気持ちで付き合うなんて、不誠実じゃないか!
「ヒナ、嫌いなら嫌いって言って?」
先輩、聞き方ずるい。嫌いじゃないんだからそんなウソもつけないよ。それに、そんな切なそうな顔で悲しい声を出されたらさ……。
「……嫌いなわけない。スイレン先輩のこと、好きだよ。でもそれは……」
「やった! ありがと、ヒナ。俺も大好きだよ。一生大切にするから!」
話し終わるよりも先に、ギュムーと強く抱きしめられた。
「せ、先輩、話を」
頼むから俺の、俺の、俺の話を聞いてくれ~!
こうして結局、二年三組のクラス中に「スイレンと一年の咲坂陽向が付き合いはじめた」という話が事実として広まり、果てはその日のうちに学校内に知れ渡ることになってしまった。
◆◆◆
翌日の昼休み、学生食堂に面した中庭のテラス席。
チラッ、チラッという周囲の視線に刺されながら、俺と先輩は長椅子で隣り合って座っていた。
向かいにも同じ長椅子があるのになぜ……?
先輩はぴったりと俺に寄り添い、お手製だというお弁当を「あーん」してくる。
「あの、先輩。ただでさえ目立ってるんだから勘弁して」
「ヒナは俺の彼氏だって皆にわかってもらえていいじゃん」
いえ、もう昨日中に噂になってて、こっちは大変な目に遭ってるんですけど? これ以上目立ちたくないんですけど?
内心で抗議はするものの、先輩の誘いを断れなかったのは俺だ。
だってさ。お弁当だけじゃ足りない俺が、いつも学食にコロッケパンやジャムサンドを買いに通っていると知っていたらしく、わざわざ俺用に弁当を作ってきたと言うんだ。そんなの断れるわけないじゃん。
とはいえ、付き合うとはまだ了承してないし、とにかく目立つ行動をしたくない。
その思いを伝えようと口を開いたときだった。俺の口の中に、筒状のおかずがポンと放り込まれた。
「んぐ……うまっ。なにこれ、かぼちゃとソーセージ?」
「そ、鶏肉のソーセージ。これも俺の手作り」
「ええっ?」
さっきまでの反論も忘れて先輩のお弁当箱の中身を覗き込む。俺が食べさせてもらったのは、裏ごししたかぼちゃと鶏肉のソーセージの春巻きだった。ほかにはパプリカとエビの炒め物にポテトフライが入っていて、別の小さなタッパーには、寒天ゼリーが入っていると教えてくれた。
「おやつ以外も作れるんだ……すごい、どれもおいしい」
周囲の視線もすっかり忘れてしまうほどのおいしさに、つい、俺は二個目の春巻きを先輩の持つお箸からパクリと食べた。
「製菓部門とはいえ調理部だからね。それに、ヒナの幸せな顔を想像すると作るのが楽しくて」
「……」
超イケメンの嬉しそうな笑顔が眩しい。急に照れくさくなり、俺は目線を再び弁当に落とす。
「た、卵焼きとか定番なのが入ってないって、すごく凝ってくれたんだね!」
「んー? ああ、まあ。……ヒナって、今は食べられないもの、ないの?」
ん? 「今は」ってどういうことだ? 自分でもアレルギー持ちだったことを忘れてる日が多いから、先輩にも話したことないけど……言葉のあやかな?
ほんの少しの違和感を覚えつつも頷く。
「うん。ちっさい頃はアレルギー持ちだったけど、今はなんでもどれだけでも食べられるようになった」
「そっか。……よかったな」
「……先輩?」
先輩の目元と唇が柔らかな曲線を描いた。それがなんかこう、慈しみにあふれた、っていうのか……これもいつもの子ども扱いなのかな。それでも、先輩が心から喜んでくれているみたいに思えて、なんだか胸にグッとくるものがある。
言葉に詰まると、先輩は俺の頭に手をぽん、と置いた。つい今までの優しい目元から一転、ちょっとだけ咎めるような、真剣な目を向けてくる。
「でも、なんでもかんでも人からもらいすぎ。それに、糖分の高いものばっか食べてると逆に疲れやすくなるから、やめとけ」
「今はしてないって。先輩との約束、守ってるんだから」
実際、糖分のバランスが考えられた先輩のオヤツのおかげで、以前より体力が続くのを実感している。俺はすぐにそう答えた。
「そっか。ならいい。これからもこの約束、絶対な」
「うん。 ……って、先輩。頼むから目立つことやめて」
ふと視線を感じて周囲を見ると、やっぱり俺たちは注目の的だった。女子避けしたかった先輩には好都合でも、俺には針のむしろだ。
俺はさり気なく先輩から離れて座ろうと腰を浮かせた。するとそのとき、目線の少し上を流線型の黒い影が通り過ぎた。
ツバメだ。一羽ではなく数羽で、スーイスーイと空を舞っている。そろそろツバメの雛が巣立ちをする時期だろうか。
「かわいいな。あのちょっと小さなツバメ、ヒナみたいだ」
「はあっ!?」
思いも寄らない先輩の言葉に、俺も目で追っていたツバメから先輩へと視線を移す。
先輩はツバメを愛おしそうに眺め、サラサラの髪を風に揺らしていた。
……先輩って、ホント芸能人みたいだ。
一つ一つの動作が目を引く先輩は、かっこいいを通り越してもはやきれいだ。それでつい、俺は先輩の髪に触れてしまった。
「……ヒナ?」
「あっ! いや、その! 先輩って、ホントかっこいいなって。いいなあ。元がもう違うもんな」
「そんなことないよ。俺は父親似なんだけどさ……」
フッと軽く笑った先輩が急に険しい表情をした。そして、お父さんと先輩はそっくりなのに、そのお父さんは強面で厳つい雰囲気なんだと嫌そうに話す。そんなお父さんに似たくないから外見に気を使っているんだとも教えてくれた。
「意外。ご家族も、先輩みたいに穏やかイメージなのかと思ってた」
「全然。父親も母親も若干江戸っ子が入ってるしね。でもさ、俺がこうして外見に気を使ってきた一番の理由は……」
話しながら、椅子から立ったままだった俺の手を引き、先輩は俺を隣に座らせた。片方の肩と太腿がぴったりとくっつく至近距離で、耳元に甘い声を囁かれる。
「運命の子に見つけてもらうため。それで、好きになってもらうためだよ」
「……っ!」
耳の後ろとうなじにゾクッとしたものが走った。俺は慌てて耳を手で覆い、上半身を後ろに引いた。飛来したツバメのおかげで周囲からの視線がそれててよかったよ! 外でなんてことするんだ、この人は!
「そ、そんなのっ、運命なんて、別に俺のことじゃないでしょっ」
「どうして? ヒナのためだよ。俺はヒナが好きなんだから。それにヒナは、強面より優しい系が好きだよね?」
「え……。うん? そう、なのかな?」
そんなの改めて考えたことない。好きな女子ができたこともないし、推しアイドルなんかもいないし。
あ、でも。小さい頃にお世話になった小児科の先生がふんわりイケメン系で、もう一人の強面の先生よりも懐いてたかも……?
うーん、と首をひねっていると、先輩がクスっと柔らかく笑った。
うん、たしかに。俺が女子なら、王子様系イケメンの先輩の魅力にやられてたと思う。だけど俺は男だし……それはまあ、あんま関係ないけど、やっぱり、先輩を恋愛の対象には見れないよ……。
「とにかく、先輩の甘い言葉や甘い笑顔には騙されませんからね!」
俺は逃げるように向かいの長椅子に移動し、ドカッと座る。そして、自分で箸を握り、先輩お手製のお弁当をきれいに平らげた。
先輩が俺のために作ってきてくれたこんなうまいもの、残したら罰が当たる。
◆◆◆
週末の金曜日。今日は月に一度の全部活動休止日だ。だからおやつをもらう予定はないはずなのに、放課後になるとスイレン先輩が俺の教室に現れた。
「ヒナ、駅まで一緒に帰ろ」
クラスの女子の「きゃー!」がいつもより甲高く響き、男子たちまで「おおっ」と声を上げる。
もう反応する気力もない。俺はリュックを片方の肩にひっかけ、シーナとダイチにさえ挨拶せずに教室を出た。
「ごめんな、ヒナ。今週ずっと騒ぎになってるみたいで、疲れたろ?」
「うん、だいぶ……」
隠さずに頷き、先輩が動くのを待たずに歩き始める。
廊下にいる生徒たちからもガン見されているんだ。学校内にいるのが居た堪れない。
この一週間、よく知らない同級生や上級生たちにまで話しかけられ、スイレン先輩との関係をしつこく追求されてほとほと疲れ果てた。
俺自身はキャパオーバーで返事もできないくらいになっているのに、うなだれているのを肯定の頷きと見なされ、なぜかシーナが「そうなのよ!」とオネエ口調で勝手に返事するものだから、半信半疑だった人たちまで完全に信じ込んでしまったんだ。
ショックで泣き出す女子までいてどうしようかと思ったけど、結局全員、最後に同じような台詞を残して去っていった。
『超お似合いの美人が彼女になるより、ちんちくりん君の方がまだ応援はできるかも。スイレン先輩って容姿で人を選ばないってことよね。私にも可能性があるかもだし!』
って……いや、ひどくね!? ちんちくりん君ってなんだよ。おこだよ、おこ!
「ヒナ、こっち来て」
「ん? んん?」
思い出して憤慨しながらずんずん進んでいると、背後から先輩に手を握られた。新館から人気のない本館へと連れて行かれる。
部活動がない日の放課後、あたりはシンと静まり返っている。
調理室の前でやっと足を止めた先輩は、パンッと両手を合わせて俺に頭を下げてきた。
「ごめんっ、ホントごめんっ! はしゃぎすぎた俺が悪い!」
いつもの余裕のある雰囲気も、昨日と今朝見せたような男っぽさもない。先輩は本当に申し訳なさそうに、頭を下げたまま謝り続けている。
「ヒナと付き合えるのが、嬉しすぎて。……つい、テンションがあがって、当の好きな子に気遣いできずに、ごめん! 気をつけるから、呆れずにこれからも付き合ってほしい」
「……」
そんなにストレートに言われてしまったら、どうしていいかわかんないよ。
俺にはまだ、恋愛感情がわからない。先輩への好きを今までとは違う方向へ急に切り替えるなんて無理だ。でも、自分の中ではっきりしてるのは、先輩との時間がなくなるのは寂しいってこと。
付き合いを断ってしまったら先輩と過ごす調理室での時間がなくなってしまうかもしれない。おやつを作ってもらえるのももちろん嬉しかったけど、それ以上に、先輩と過ごす穏やかな時間が俺はとても好きだったんだ……って、たった今実感したんだけども。
うう、どうすれば……と返事に窮していると……。
――ぐうぅぅぅぅ。
静かな廊下に、俺の腹の虫が盛大な音を立てて鳴り響いた。
「うわっ」
慌てて腹を押さえる。パッと顔を上げると、先輩は手を合わせた姿勢のまま目を丸くして 、それからすぐにクスクスと笑い出した。
「オヤツ、食べる?」
「ぅう……。うん。まずは腹ごしらえから」
腹が減っては戦ができぬ。いや、これは戦じゃないけど、先輩の彼氏になるかどうかは俺にとって大きな問題なのだ。
まずはオヤツ!



