調理部、スイレン先輩の専属試食係


「ラスト一本、行くぞ!」

 湿った風が吹くグラウンドに、サッカー部キャプテンの声が響き渡る。

 センターバックからのパスが俺に繋がり、迷うことなくゴールを目指した。

 身体が軽い。先輩のオヤツを食べるようになってから体力が持つようになった気がする。部活終わりに腹は減るけど、コンビニのホットスナックが頭に浮かばなくなった。
 その代わり、今、俺の頭に浮かんでいるのは別れ際の先輩の言葉だ。

『ヒナ、俺の恋人になって』

 ただ、先輩のあの言葉は、『本当の恋人になってほしい』という意味じゃなかった。
 そう、『本当の恋人』ではなく――。

「咲坂ーー! 右来てるぞ!」
「……っ!」

 集中力を欠いていた。対戦相手にボールを奪われ、ゴールまで持ち込まれてしまった。同時に、部活動完全撤収のチャイムが鳴る。

 同じチームの先輩に小突かれながらベンチに戻ると、俺はチラッと校舎の調理室に目を向けた。一つだけ開いた窓からこちらを見ている人がいる。

 ……先輩、俺を待ってる。返事、しにいかないと。

 先輩の願い事は、女子からの告白避けに恋人のフリを――つまり、ウソ彼になってほしいとのことだった。

『誰であっても女子に頼むとその子にヘイトが行くかもしれない。でも相手が男なら諦めてくれやすいと思うんだ』と。

 ちなみに、いつもつるんでいる友達は、とたずねたら、全員彼女持ちらしい。これだから陽キャは……。

 俺はすぐに返事ができなかった。そしたら、『そんな深刻に考えることでもないからサクッと考えて部活後に返事ちょうだい。駄目ならそれでいいし』と言われて、先輩は調理室で待っている。

 深刻……にもなるよ。
 俺には恋愛経験がない。だからウソ彼って言われてもどうやってウソをつけばいいのかわからないし、顔に出やすい俺だからすぐにウソだとばれてしまうだろう。それよりなによりも、ウソが嫌なんだ。

「……よし、先輩には悪いけど断るぞ」

 調理室前まで来て、一度足を止めて決意を新たにする。
 先輩には本当に申し訳ないけど、ほかのお願いにしてもらおう。

「失礼します! 咲坂陽向、入ります!」

 緊張のため、やったことのない入り方になった。

 先輩は窓枠に後ろ手をかけて待っていた。薄いオレンジ色の光が背中から差して、芸能人のポートレートのようだ。

「お疲れ。ココナッツミルクティー、まだあるけど飲む?」
「飲む!」

 ハッ! 条件反射で答えてしまった。
 先輩はクスクス笑って「よしよし。おいで、ヒナ」なんて言ってるし、ほんとこの人、俺を「(こども)」扱いだな。

「どーぞ」
「あ、ども」

 椅子に座ると、目の前にほっこりと湯気の上るミルクティーが置かれた。

 先輩が俺に出してくれるものには砂糖が入っていないか、ごく少ない。それでもどれも優しい甘味(あまみ)があって、後味がスッキリしている。
 一口飲むと気持ちが落ち着いた。俺はしっかりと先輩の目を見て、せめて真摯に返事を伝える。
 恩に報いられなくてすみません、先輩。

「先輩のお願い事なんですけど」
「うん」
「なんでも聞きたいけど、ウソの彼氏になるのは無理です」
「……男同士だから?」
「いえ。単純に、ウソで付き合うのは誰とも嫌なんです」

 俺は、中学でダイチに一目惚れしたシーナを隣でずっと見守ってきた。卒業式の日にシーナが告白を決めたときには一緒に緊張して、一度断られたときにはダイチを恨みかけた。でも、高校の入学式以降ダイチの様子が変わって、今度はダイチからシーナに告白し、やっと両思いになった。
 あのときは涙が出たな。
 二人がめちゃくちゃ幸せそうで、あ~、付き合うっていいなあ、すごいなあと、恋愛感情を持ったことがないなりにも感動して、羨ましくもあり。

 だから、ウソで恋愛するなんて考えられない。

「硬いって思われるかもですけど、俺、付き合うときは真剣にしたいんです。だから、すみません」

 よし、ちゃんと言えた。先輩も真面目な顔をして聞いてくれている。この様子からすると、理解してくれたんじゃないか。

「ヒナ……嬉しいよ」

 ん? なんて? お願いが聞けないのに嬉しいとは?

 予想になかった返答に俺がポカンとしてしまうと、先輩は口元を柔らかく上げ、続けた。

「俺と真剣に付き合いたいと思ってくれてるんだ。ありがと」
「えっ? いや、そうじゃなくて」
「嬉しいな。俺、じわじわと外堀から埋めていくつもりだったけど、ヒナがその気なら遠慮する必要ないよな?」

 んん? んん? 外堀? 遠慮? っていうか、先輩の様子がいつもの物腰の柔らかい様子と違う。
 なんかいつもより大人びて……男っぽく感じる先輩が椅子から立ち上がった。

「ヒナ」

 先輩が、ミルクティーの入ったカップの横に手をつく。そのことで、自分が無意識に背を反らしていたことに気付かされた。

 先輩が俺のほうに身体を傾け、まっすぐに視線を下ろしてくる。

「ヒナが好きだ。俺と真剣に恋をしよう」

 ええ。ええ。ええーーーー!

 俺は叫びにならない声を上げたのだった。