通報系ぼっちが愛されるまで

 遠くに聞こえる昼休み特有の賑やかさを聞きながら、はぁ、と抱えた膝にため息を吐く。
 屋上への扉の向こうは俺の気持ちと同じでしとしとの雨。
 いつもならゴミステーション横でのぼっち飯だけど、今日ばかりは雨なので、屋上への階段の踊り場に潜り込んでいた。
 今日のお弁当はじゃこと菜っ葉のおにぎりにアサリと切り干し大根の卵とじ。

 食べなきゃ。残して帰ったりしたら、父ちゃんと母ちゃん心配させちゃう。

 大好きなメニューなのに、気分が沈んでなかなか箸が進まない。
 耳に朝の学年主任の声が蘇る。

「……だいたいなぁ、そんなナリしてるから疑われるんだ! 騒ぎを起こして反省はしない、教師のことは睨む。いったい何考えてるんだお前は!」

 生徒指導室に響く叱責。細身な学年主任は体格に似合わずよく通る声だ。

 何を考えてるかって? いったい今何が起こってるんだろう、って思ってた。
 びっくりしすぎて言葉にするタイミングは逃してしまったけど。

「今朝、生徒から不審者が学校に入り込んでるとの連絡があって、周囲の生徒の目撃証言から、蜂ノ屋くんじゃないのかって話が上がったの」
「……ふ……!?」

 ぎょっとして隣で説明してくれた萩野先生の方へ振り向く。

 え!? さっきクラスの女子が言ってたあれ!?

「蜂ノ屋くん。今朝、他のクラスに入った?」

 入ったことは間違いない。

 唾を呑みこんでこくりと頷くと、男の先生の方がポケットからスマホを出してどこかと通話を始める。

「すみません。今朝の侵入騒動ですが、確認が取れました。はい。外部からではなく、我が校の在校生だったそうです。はい。保護者への緊急メールは誤報であったと訂正してください」
「……外部から不審者が入った可能性を考えて、生徒の安全確保のため、今朝保護者に緊急メールを送ったの」

 ため息交じりに萩野先生が説明してくれる。

 ……これ、もしかしなくても大事になってる?

「まったく人騒がせな。前代未聞だぞ」

 不機嫌を隠しもしない学年主任の舌打ちが響いた。


 結局その後、壊されたり盗まれたりした物が無かったこと。今後理由無く他クラスに立ち入らないことを約束させられ、辛うじて家への連絡はしないでもらえることになった。
 それでも不審者侵入騒動の余波は小さくはなく。
 教師たちによる朝一番の校内見回りと登校前だった生徒の一時的登校停止措置。一時間目の授業開始時刻の遅れ。保護者への謝罪など、色んな人に影響があったそうだ。

 ……いたたまれない。

 先生たちにも沢山迷惑をかけてしまったし、授業の遅れが出たことで生徒全員にも迷惑をかけてしまった。
 騒動が大きくなり、部活勧誘のことが先生達にバレたらレンゲ先輩にも迷惑がかかるかもしれないと思って、結局フライヤーのことは黙秘を通した。
 3組の先生が『不審者情報を報告したうちのクラスの生徒も蜂ノ屋くんがうちの生徒だと認識できずにパニックになってたみたいですし。ここはお互いうっかりミスってことで』と場を取りなしてくれたおかげで、それ以上の追及はされなかったものの……。

「…………はぁ」

 何度ため息をついても、本当にいたたまれない。

「あ! 見ーつけた!」

 不意に頭上から降った声に反射的に持っていたお弁当を放り投げてしまう。

「おっと! わ! 美味しそうだね、ハニーのお弁当!」
「れれれっ……! レンゲ先輩っ!? ぁのっ……!! せんぱっ!! なんっ……!?」

 何でここにっ!? いや、その前に、お弁当ぶん投げてしまってすみませんが先っ!?

 立ち上がって高速でわたわたと動かす俺の手に、先輩がお弁当を渡してくれる。上手にキャッチしてもらえたおかげで中身は無事。こぼれたりしない固めのおにぎりで良かった。

「探してたんだ。今日雨で活動できない分お昼一緒に食べようって思って。教室覗いたけどいなかったから、ハニー捜索ツアーやってた」
「さがし……? え、あの。……いいん、すか? 俺なんかと一緒で……」
「えー? むしろハニーに嫌がられないか心配してた。僕と一緒なんて窮屈かなぁ、とか」
「やっ! そんっ……! 滅相も無っ……!!」

 緊張で握り締めた弁当箱からみし、と嫌な音がする。

 落ち着け俺。先輩にだけは、絶対に誤解されたくない。

「……嬉しい、す。先輩と一緒」

 やっとの思いで絞り出した俺の言葉に、先輩は満面の笑みで頷いた。

 こんな時でも俺の心臓はきゅぅ、と鳴く。
 さっきまであんなに落ち込んでたのに、こんな素敵なご褒美が待っているなんて。
 レンゲ先輩は踊り場の端に置いてあった二人分の椅子を引っ張り出してきて、ぽんぽんと座面を叩く。

「さ、座って座って。僕も今日はお弁当なんだ~♪」
「えっ!! あ、はっ!! すみませっ……!!」

 お弁当で手が塞がっていたとはいえ、またしてもレンゲ先輩に椅子の準備までさせてしまった。申し訳なさすぎる。

「テッテレー! 今日のお弁当は日の丸弁当でーっす!」

 ご機嫌に御開帳される先輩のお弁当箱。その中身に俺は衝撃を受けた。

「……なぁっ!?」

 いつもおしゃれなお茶や洋菓子を用意してくれるレンゲ先輩が日の丸弁当というギャップもだが、弁当箱の中には白米が見えないほどびっしりと梅干しが敷き詰められていた。他のおかずは一切無し。日の丸というよりビジュアルだけでいうとチャイナ弁当。予想を超える潔さ。

「ふふふ。一つお味見どうぞ」

 開いたままになっていた俺の口の中にいきなりずぼ、と梅干しが放り込まれる。

「んぐっ!? ……んん?」

 予想していた塩味ではなく、ほんのり優しく甘酸っぱい。

「おいひい、ふ。ふぉれ、はひひふふか?」
「ご名答♪ 近所で採蜜させてもらってる方から受粉のお礼にって去年大量に梅を頂いたから、作ってみたんだ。蜂蜜梅」

 笑顔で梅干しを頬張った先輩は『うーん、良い味』と自画自賛でご満悦。
 その顔を見ながら、ふと気付く。

 はっ……箸っ! さっき俺におすそ分けしてくれた奴ではっ!? ここここれってかかかかか間接キ……!?

「ハニーのお弁当も美味しそうだね。和食党?」
「はっ!! すみませっ!! いかがわしいこととかほんともうあのえと良かったらどうぞ!!」

 ああもう何言ってんだ俺。

 差し出したお弁当箱に、先輩は、きゅるり、と瞳を輝かせた。

「いいの? さっきから気になってたんだよね。じゃ、遠慮無く」

 先輩の箸がじゃこと菜っ葉のおにぎりを摘まんで形の良い唇へと運んでいく。
 ぱくり、と一口頬張った先輩は、笑顔で何度も頷いて親指と人差し指で〇を作る。

 良かった。美味しいおにぎりを作ってくれた母ちゃんに感謝だ。
 ありがとう母ちゃん! おかげで良いもん見れたよ!

「あ、の、こっちのアサリと切り干し大根の卵のやつも、美味しいんす。良かったら、どうぞ」
「いいの!? 嬉しいな。あ、でもハニーのお弁当無くなっちゃう。良かったらこっちも遠慮せず食べて。梅干しもだけど、ご飯も黒米混ぜてるからプチプチして美味しいよ」
「あっ、はい! いただきます!」

 お互いのお弁当箱を交換し、レンゲ先輩が切り干し大根を頬張り再び目を輝かせた。

「んー♪」

 先輩の口角が上がる。

 良かった。こっちも気に入ってくれたみたいだ。

 俺も受け取った先輩のお弁当箱にそっと箸を伸ばす。

 こういう時、遠慮する方が失礼だよな。
 あ、でも箸って背側で食べた方が? あ、いや。さっき先輩もそのままだったし、そのままでいいのかな?

 躊躇しつつも黒米入りの米に箸を差し入れ、蜂蜜梅を1個乗せたミニ梅干し丼を作って口に運ぶ。
 蜂蜜梅のフルーティーな香りと同時に、それに劣らない米の香りが鼻を抜けた。

「!?」

 冷めても炊き立てのような香りと歯を押し返す粒立ちの良さ。なにより旨味と甘味が濃い。

「美味しい?」

 問われてぶんぶんと頷く。こんなお米初めて食べた。普段食べてるのと全然違う。黒米もプチプチとした食感で美味しいけど、何より米自体が美味しい。

「標高の高いとこで採れた米なんだ。香りが強いから好き嫌いが分かれるんだけど、気に入ってもらえたのなら良かった」

 素材が良ければ味付けはむしろシンプルな方が合う。なるほど、無駄なおかずがいらないわけだ。

 感動して米と梅干しを噛み締めていると、不意にレンゲ先輩がふふ、と笑った。
 俺は慌てて口元を手で拭う。

 食べるのに必死になりすぎて米粒でも付けていたのかな。

「良かった。ハニー、さっきまですこし元気無さそうに見えたから。何かあったのか心配してたんだ」

 先輩から言われ、俺は思わず視線を落とした。

 気付かれてたんだ。俺が落ち込んでたこと。

 今朝呼び出された時のことがフラッシュバックする。
 俺を見て怯えた生徒の顔。苛立ちを隠そうともしない学年主任の舌打ち。ため息をつく担任。
 その全てが、俺に原因があって。

「……嫌なん、す」

 言いたいこともまとまらないまま、ただ、甘えて感情を吐き出した。

「……な、何やっても上手くできな……し、他の人にも、怖がらせたりとか誤解させたり、とか……沢山迷惑かけてばっかで、情けなくて……自分が、ほんと嫌いでっ……」

 俯いて、溢れてきそうになる涙を堪えようと必死に眉間に力を入れていると、頭上から頓狂な声が響いた。

「え!? ハニー自分のこと嫌いなの!?」
「……へ?」
「もったいない!! こんなに良い子、なかなかいないよ? いらないならハニーの全部僕に頂戴!!」
「え? え? あの……っ!?」

 気付くと箸ごと握られた両手。興奮で頬を紅潮させたレンゲ先輩の顔が視界いっぱいに迫る。
 
 ちょ、待っ……!! 普段の距離でさえ心臓がヤバいのにっ!!

 体温が急上昇した顔から蒸気が吹き出しそう。
 ぎゅ、と両目を閉じて俺は顔の前でホールドアップする。

「……せ、せんぱ、……きょうきゅうかた、すぅ……」

 蚊の鳴く声で助けを求めると、俺の前髪を微かな空気が揺らした。

 あれ? 今笑われた?

 握られていた手が片方外れ、そっと頭を優しく撫でられる。

「ハニーが自分のこと嫌いになっても、僕はハニーのこと大好き。優しいとこも、頑張り屋なとこも、自分の言葉で相手を傷つけないか迷って考え込んじゃうとこも、全部全部好き」

 どうしてこんなに俺が欲しがってた言葉をくれるんだろう。
 さっきまで消えてしまいたいくらいに嫌いになりかけていたのに。そんな自分のことを、先輩の言葉一つで許せてしまうなんて。
 俺も伝えなきゃ。先輩がどれほど素晴らしいかを。俺が先輩を、どれほど尊敬しているかを。

「レンゲ先輩っ!! 俺もっ……!!」

 力を籠めて立ち上がると、存在を忘れていた弁当箱が膝の上から飛んでいきそうになる。先輩が「おっと、危ない」と素早くキャッチした。

 ヤバい。レンゲ先輩の昼飯吹っ飛ばすとこだった。

「す、ませっ!! あの、俺、気が動転、しっ……!!」
「大丈夫。ほら、お弁当も無事」

 先輩は、片手に先輩の、もう片手に俺のお弁当を持って微笑む。

「ね。それより、さっきの続き、聞かせて?」

 俺は唾をごくりと飲み込んだ。

「お……俺、は、先輩のこと、を……」

 先を促すように、俺の顔を見つめたまま先輩が頷く。

 心臓が飛び出しそう。顔が熱い。うるさいほどの拍動がごうごうと耳鳴りを起こし、箸を握り締めた拳が震える。

「俺は先輩のことをっ!! 先輩、にっ!! 尊崇と敬愛の念を抱いておりますっ!!」

 踊り場に、俺の声が響き渡った。

 『危険! 立ち入りを禁ず!』の扉の向こうから聞こえてくる雨の音。
 遠くに聞こえる誰かの笑い声。
 そして、両手に弁当箱を持って停止する、レンゲ先輩。

「……そん、すーぅ?」

 先輩の頭が、ゆっくりと疑問に傾いていく。

 しまった! またしくじった!? ちゃんと伝わってないっぽい!!

「せせっ、先輩はっ俺にとって遥か高みにおられる存在、す。仰ぎ見る存在、で。あのっ、先輩の素晴らしさは、とても表現しきれない、す、けど。俺にとって単なる部活の先輩ってより、人間として、人生の大きな指針でっ! 先輩という素晴らしいお人柄に出会えたことは、俺の部活動において、ひいてはこれまでの人生において最大のっ……!!」
「ぶっふ!」
「最大の……あの、先輩?」

 両手に弁当箱を持ったまま、レンゲ先輩は俯いて肩を震わせる。

「わ……笑ったりしてごめんよ、ハニー。予想以上に神格化され過ぎてて、ちょっとびっくりしちゃった」
「え、あ、……はぁ。えと、俺先輩に何か失礼なことを……」
「してないしてない。ありがとう。ちゃんと伝わったよ、ハニーの気持ち」

 目尻に涙を浮かべ、先輩は極上の笑みを浮かべる。

「尊崇、か。ま、今日の所はありがたく受け取っておくね」
「は、はいっ!」
「じゃ、お弁当食べちゃおっか」
「はいっ!」

 いそいそと先輩からお弁当を受け取り、椅子に座り直そうとしていると、不意に先輩が片手をポケットに突っ込んで紙片を取り出す。

「そういえば、さっきハニーを探しに教室に行ったら拾ったんだけど」
「……っ!!? それっ!?」

 今朝配ったフライヤー。1年生の全クラスには配ったけど、上級生のクラスには配っていないはずだったのに。

「レディのイラスト可愛いよね。ハニーが作ってくれたの?」

 フライヤーの端には誰かの上履きの跡。先輩との大切な居場所を踏み荒らされたような気持ちになって、胸がツキン、と痛んだ。

「作るの大変だったでしょ? 目の下、ちょっと隈になってる」

 朝の騒動の発端はまさにこのフライヤーだ。
 今回は厳重注意で済んだけど、フライヤーの存在を気付かれると同好会の活動に、ひいてはレンゲ先輩に迷惑がかかっていたかもしれない。

「あの、……それ、すみません、した。勝手なことして。
……の……今朝の、不審者騒動、それ、配ろうとした、の、見られて……」

 レンゲ先輩に迷惑かけないようにフライヤーのことを先生達には言わなかったのに、こんな形で見つかるとは。
 
「すみませっ! ……ほんっ、すみま……あ、先輩にまで迷惑をっ……」

 血の気が引いて、さっきまで熱を帯びていた指先が冷えてゆく。

 どうしたらいい?
 どうしたら、償える?

「あの……。先輩。……俺、部活、辞め……」

 俯いて絞り出すように言うと、あっけらかんとした声が降る。

「僕もハニーとこういうの一緒に作りたかったなぁ」
「…………へ?」

 予想外な返答に顔を上げると、レンゲ先輩の瞳が弧を描く。

「ね。今度は一緒に作ろ。二人で一緒に作ると、たぶんもっと楽しいよ」

 努力がいつも報われるわけじゃないことくらい、身に沁みてわかっていたはずだった。

 だけどーー……。

 だけど、努力を汲んでもらえることが、こんなに嬉しい。
 次の約束に誘ってもらえることが、こんなに幸せ。

「こんなかわいいレディの存在が知れたら、入部希望者が殺到するかもね。ハニー、お弁当食べ終わったら、歓迎会のお茶とお菓子のサーブ練習しておこうか」
「はい!」

 我ながら現金だとは思うけど、俺は手の甲で涙を拭いながら晴れやかな声で返した。