最初は見た目で誤解されても、お互いを知れば仲良くーーなんて、所詮夢物語。
腐葉土を袋からプランターに移し替える俺の隣はレンゲ先輩。青葉先輩は距離を空けた二つ向こうのプランターの土をスコップで掘り返している。
レンゲ先輩がイレギュラーだっただけで、通常の人と俺の距離感はこんな感じ。いやこれでもまだ良好な方。距離はあるとはいえ、逃げずに一緒に作業してくれているんだから。
レンゲ先輩は屋上の片隅に置かれたプラ船に浮かんだホテイアオイを指先でつついた。ここはレディ達の水飲み場。ホテイアオイの下では人馴れしたヒメダカが逃げもせずに水面をパクついて餌をねだる。
「さて。花とメダカに水やりをして、手を洗って、お茶休憩にしようか」
「水っ……あ、俺っ、」
慌てて立ち上がり、じょうろを構えると、レンゲ先輩は「やってくれるの? ありがとう」と笑ってくれる。
刺されるのが怖くて巣の内検など蜂達の直接的なお世話は先輩に任せっぱなしになっている分、その他のお世話くらいはきちんとしたい。俺だって、養蜂部(仮)の一員だから。
「晴天が続いてるから、水だけは切らさないようにしてあげないとね。ハニーが来てからはこまめに差し水してくれるから助かってるよ」
助かってるよ。助かってるよ。助かってるよ……。
レンゲ先輩の声を脳内で何度もリピートさせ、幸せをぎゅっと噛み締める。
人に感謝されるって、こんなにも嬉しい。
「……おいハチ公。ピンクの変態に返事くらいしてやれよ。感じ悪い」
スコップを片手にラベンダーの苗を植えていた青葉先輩がぽそりと呟く。
「へぁっ!? そ、すみっ……! レンゲせんっ……た、うっれ!」
そうですよね! すみません! レンゲ先輩に『助かってる』って言ってもらえて嬉し過ぎてついお返事するのを忘れてしまって!
心の中の言葉は焦る口から断片的な音でしか出ない。
ああ、ほんともう嫌になる。
笑顔は上手にできないし、言葉だって口から出る前にこんがらがって渋滞を起こす。
伝えたい事が伝わらないもどかしさ。
無意識に眉間に皺が寄っていたのか、青葉先輩がスコップを剣のように構えて俺からじわりと距離を取る。
「怖い怖い怖い! ハチ公お前人殺しそうな顔してるぞ!」
「殺っ……!?」
慌てて顔を手で触って確認してみるが、自分ではよくわからない。
そんなに怖い顔をしてしまっていただろうか。
不安に駆られていると、レンゲ先輩は意に介した風でもなく俺の頬をそっと撫でた。
「ハニーはそのままで充分かわいいよ」
触れた手が離れていってから、顔についた土を拭ってくれたのだと気付く。時間差で心臓がきゅうぅ、と鳴き声をあげた。
「はぇー。これがかわいいとは。目にどんなフィルターかかってるんだか」
青葉先輩が呆れたように言う。
「フィルターも何も、こんなに努力家で優しい子、今時なかなかいないと思うけど。ね? ハニー」
ヤバい。嬉しすぎて涙がじわる。
「優しいの、レンゲ先輩の方、。こ……この前レンゲ先輩に俺の名前褒めてもらえて、嬉しくて。あの、すごく良い名前付けてもらえた、て。えと、名前。父ちゃんと母ちゃんの一字ずつ貰ったんすけど。両親にありがとうって、伝えたら、二人共すごく喜んでくれて……あの、なんか感動してそのまま三人で泣いて、しまって……」
俺が新しい環境に受け入れられ、ちゃんと優しく扱ってもらえている。それを知った両親は、こっそり抱えていた不安の糸が切れたのだろう。俺を中心に三人で抱き合い『良かった、良かった』と嬉し泣きしてしまった。
おかげで父ちゃんはサングラスで出勤していったし、母ちゃんは目が腫れてアイライナーが引けないと笑っていた。
青葉先輩があんぐりと口を開けたままスコップを取り落とす。
「……おい。その見た目で家族揃ってまさかの感動屋さんかよ」
「ね。良い子でしょ?」
確信を籠めてレンゲ先輩は微笑む。
「最初は新入生名簿の名前に一目惚れしちゃったんだけど、実際会って、知れば知るほど良さしかないというか、沼というか」
沼。
脳内でメルヘンなカッパが手を振ってくれる。
似てるのかな、カッパに。いや、水やりを感謝されたから、水の運搬量の話?
カッパといえばキュウリだけど、そういえば昔キュウリにハチミツをかけたらメロンの味になるとかいう話を聞いたことがあるな。手っ取り早くキュウリを甘くすればメロン味になるのなら砂糖でいいんだろうけど、あれってなんでハチミツなんだろう。メープルシロップとか、他の甘味では……。
ふと気付くと、レンゲ先輩と青葉先輩二人にじっと顔を見つめられていた。
「どうしてそこで急に機嫌悪くなるんだよ、怖ぇな」
「機嫌が悪いんじゃなくて、沈思黙考だよ。ね、ハニー。今考えてること、少しだけ教えて?」
え? 考えてること?
急に話を振られて慌てて立ち上がると、「おわ!」と短く叫んで青葉先輩がすてんと尻もちをついた。
「……っす。キュウリとハチミツのこと、考えてて」
正直に答え、助け起こそうと青葉先輩に手を伸ばす。
「いや意味わかんねーわ。なんでこの文脈でキュウリ出てくるんだよ。ってか、いちいち動作が急だしパーソナルスペースの取り方も威圧的なんだってば」
「え……」
急な動作とパーソナルスペースの取り方。
なるほど。顔だけじゃなく、動作も複合しての威圧感なのか。
自覚していなかった部分を指摘され、握ってもらえない手を見つめる。
「あとそれな。黙り込んで睨むな」
睨んでいるつもりはなかったけど、人からはそう見えているということか。うーん。こればかりは視線を逸らすとかで対処できるものなのか。
「伝えたい言葉がたくさん有りすぎて、どれを選んだら相手を傷つけないか、迷っちゃうんじゃないかな。睨む云々は主観の問題だから気になる人と気にならない人がいると思うけど。慣れちゃえば受け入れてくれる人はいると思うよ」
まるでレンゲ先輩に心の中を読み上げてもらえた気がして、俺は小刻みに何度も頷く。
何でこんなにも俺の気持ちを理解してくれるんだろう。先輩ってもしやエスパー?
じっと見つめると、レンゲ先輩が笑い返してくれる。
「ハニーの心の中で考えていること、少しずつ知ってもらえば大丈夫だよ」
心の中で考えていること。なるほど。
急激な動作はしない。パーソナルスペースを意識する。睨んでるように見えないように、黙ったまま人の顔を凝視しない。
意識してゆっくりと膝をつき、レンゲ先輩がレディを指にとまらせる時のように、そっと手を伸ばす。あくまでパーソナルスペースを確保し、逃げようと思えば逃げられる距離かつ、青葉先輩自身が上半身を乗り出した時に握れるくらいの距離を意識して。
「……驚かせたの、すみません、す。……青葉先輩のお話、勉強になる、す。あと、渾名も付けてもらえて……嬉しい、す」
青葉先輩は眉間に皺を寄せ、訝し気にまじまじと俺の顔を見つめていたが、そっと指の先を俺の手に乗せてくれた。
「ハチ公呼び、気に入ったのか?」
「……ぇと、かわいいわんちゃんの名前、ぽくて」
「猛犬ハチ公」
「……っ!?」
思ってたのより、かなり凶悪そうな名前だった。
青葉先輩は俺が引っ張り上げるよりも先に俺の手をぐっと握り、反動をつけて立ち上がる。
「ま、いいか。お前見た目よりは怖くないみたいだし。結局のとこあれだろ? ピンクの変態の犬みたいなもんだろ?」
「い……っ!!」
どうなんだ? 犬って。それ、先輩後輩以上の関係なのかな。犬なら一緒にお散歩とか、フリスビーで遊んだり、もっともっとお近づきになれるだろうか。
ピンクの絨毯のように咲き揃う蓮華畑の中で、レンゲ先輩と犬になった俺がレディ達に囲まれて楽しく走り回る夢のような情景が、ほわわと浮かんでくる。
「な……なんだよ。怒ったのか?」
手を引っ込めて再び警戒心を露わにする青葉先輩を驚かさないよう、パーソナルスペースをしっかり保ったままサムズアップ。
ナイス犬!
この幸せ過ぎる妄想をどう言語化していいのかわからない。だけど、妄想のソースを与えてくれた青葉先輩には感謝の意を表したい。
「はいはい。仲良くなったお二人さん。手を洗っておいで。今日ははちみつレモンだよ」
いつの間にかテーブルセッティングを終えたレンゲ先輩がステンレスのポットとタッパーを手に微笑む。それを見た青葉先輩は、はっと息を、というより、ごくりと唾を飲み込んだ。
「行くぞハチ公! 甘味が俺を待っている!」
「わn……、と、はい!」
俄然やる気を出して口元を拭いながら屋上のドアに突進する青葉先輩。勢いに釣られて危うく犬語で返すところだった。
腐葉土を袋からプランターに移し替える俺の隣はレンゲ先輩。青葉先輩は距離を空けた二つ向こうのプランターの土をスコップで掘り返している。
レンゲ先輩がイレギュラーだっただけで、通常の人と俺の距離感はこんな感じ。いやこれでもまだ良好な方。距離はあるとはいえ、逃げずに一緒に作業してくれているんだから。
レンゲ先輩は屋上の片隅に置かれたプラ船に浮かんだホテイアオイを指先でつついた。ここはレディ達の水飲み場。ホテイアオイの下では人馴れしたヒメダカが逃げもせずに水面をパクついて餌をねだる。
「さて。花とメダカに水やりをして、手を洗って、お茶休憩にしようか」
「水っ……あ、俺っ、」
慌てて立ち上がり、じょうろを構えると、レンゲ先輩は「やってくれるの? ありがとう」と笑ってくれる。
刺されるのが怖くて巣の内検など蜂達の直接的なお世話は先輩に任せっぱなしになっている分、その他のお世話くらいはきちんとしたい。俺だって、養蜂部(仮)の一員だから。
「晴天が続いてるから、水だけは切らさないようにしてあげないとね。ハニーが来てからはこまめに差し水してくれるから助かってるよ」
助かってるよ。助かってるよ。助かってるよ……。
レンゲ先輩の声を脳内で何度もリピートさせ、幸せをぎゅっと噛み締める。
人に感謝されるって、こんなにも嬉しい。
「……おいハチ公。ピンクの変態に返事くらいしてやれよ。感じ悪い」
スコップを片手にラベンダーの苗を植えていた青葉先輩がぽそりと呟く。
「へぁっ!? そ、すみっ……! レンゲせんっ……た、うっれ!」
そうですよね! すみません! レンゲ先輩に『助かってる』って言ってもらえて嬉し過ぎてついお返事するのを忘れてしまって!
心の中の言葉は焦る口から断片的な音でしか出ない。
ああ、ほんともう嫌になる。
笑顔は上手にできないし、言葉だって口から出る前にこんがらがって渋滞を起こす。
伝えたい事が伝わらないもどかしさ。
無意識に眉間に皺が寄っていたのか、青葉先輩がスコップを剣のように構えて俺からじわりと距離を取る。
「怖い怖い怖い! ハチ公お前人殺しそうな顔してるぞ!」
「殺っ……!?」
慌てて顔を手で触って確認してみるが、自分ではよくわからない。
そんなに怖い顔をしてしまっていただろうか。
不安に駆られていると、レンゲ先輩は意に介した風でもなく俺の頬をそっと撫でた。
「ハニーはそのままで充分かわいいよ」
触れた手が離れていってから、顔についた土を拭ってくれたのだと気付く。時間差で心臓がきゅうぅ、と鳴き声をあげた。
「はぇー。これがかわいいとは。目にどんなフィルターかかってるんだか」
青葉先輩が呆れたように言う。
「フィルターも何も、こんなに努力家で優しい子、今時なかなかいないと思うけど。ね? ハニー」
ヤバい。嬉しすぎて涙がじわる。
「優しいの、レンゲ先輩の方、。こ……この前レンゲ先輩に俺の名前褒めてもらえて、嬉しくて。あの、すごく良い名前付けてもらえた、て。えと、名前。父ちゃんと母ちゃんの一字ずつ貰ったんすけど。両親にありがとうって、伝えたら、二人共すごく喜んでくれて……あの、なんか感動してそのまま三人で泣いて、しまって……」
俺が新しい環境に受け入れられ、ちゃんと優しく扱ってもらえている。それを知った両親は、こっそり抱えていた不安の糸が切れたのだろう。俺を中心に三人で抱き合い『良かった、良かった』と嬉し泣きしてしまった。
おかげで父ちゃんはサングラスで出勤していったし、母ちゃんは目が腫れてアイライナーが引けないと笑っていた。
青葉先輩があんぐりと口を開けたままスコップを取り落とす。
「……おい。その見た目で家族揃ってまさかの感動屋さんかよ」
「ね。良い子でしょ?」
確信を籠めてレンゲ先輩は微笑む。
「最初は新入生名簿の名前に一目惚れしちゃったんだけど、実際会って、知れば知るほど良さしかないというか、沼というか」
沼。
脳内でメルヘンなカッパが手を振ってくれる。
似てるのかな、カッパに。いや、水やりを感謝されたから、水の運搬量の話?
カッパといえばキュウリだけど、そういえば昔キュウリにハチミツをかけたらメロンの味になるとかいう話を聞いたことがあるな。手っ取り早くキュウリを甘くすればメロン味になるのなら砂糖でいいんだろうけど、あれってなんでハチミツなんだろう。メープルシロップとか、他の甘味では……。
ふと気付くと、レンゲ先輩と青葉先輩二人にじっと顔を見つめられていた。
「どうしてそこで急に機嫌悪くなるんだよ、怖ぇな」
「機嫌が悪いんじゃなくて、沈思黙考だよ。ね、ハニー。今考えてること、少しだけ教えて?」
え? 考えてること?
急に話を振られて慌てて立ち上がると、「おわ!」と短く叫んで青葉先輩がすてんと尻もちをついた。
「……っす。キュウリとハチミツのこと、考えてて」
正直に答え、助け起こそうと青葉先輩に手を伸ばす。
「いや意味わかんねーわ。なんでこの文脈でキュウリ出てくるんだよ。ってか、いちいち動作が急だしパーソナルスペースの取り方も威圧的なんだってば」
「え……」
急な動作とパーソナルスペースの取り方。
なるほど。顔だけじゃなく、動作も複合しての威圧感なのか。
自覚していなかった部分を指摘され、握ってもらえない手を見つめる。
「あとそれな。黙り込んで睨むな」
睨んでいるつもりはなかったけど、人からはそう見えているということか。うーん。こればかりは視線を逸らすとかで対処できるものなのか。
「伝えたい言葉がたくさん有りすぎて、どれを選んだら相手を傷つけないか、迷っちゃうんじゃないかな。睨む云々は主観の問題だから気になる人と気にならない人がいると思うけど。慣れちゃえば受け入れてくれる人はいると思うよ」
まるでレンゲ先輩に心の中を読み上げてもらえた気がして、俺は小刻みに何度も頷く。
何でこんなにも俺の気持ちを理解してくれるんだろう。先輩ってもしやエスパー?
じっと見つめると、レンゲ先輩が笑い返してくれる。
「ハニーの心の中で考えていること、少しずつ知ってもらえば大丈夫だよ」
心の中で考えていること。なるほど。
急激な動作はしない。パーソナルスペースを意識する。睨んでるように見えないように、黙ったまま人の顔を凝視しない。
意識してゆっくりと膝をつき、レンゲ先輩がレディを指にとまらせる時のように、そっと手を伸ばす。あくまでパーソナルスペースを確保し、逃げようと思えば逃げられる距離かつ、青葉先輩自身が上半身を乗り出した時に握れるくらいの距離を意識して。
「……驚かせたの、すみません、す。……青葉先輩のお話、勉強になる、す。あと、渾名も付けてもらえて……嬉しい、す」
青葉先輩は眉間に皺を寄せ、訝し気にまじまじと俺の顔を見つめていたが、そっと指の先を俺の手に乗せてくれた。
「ハチ公呼び、気に入ったのか?」
「……ぇと、かわいいわんちゃんの名前、ぽくて」
「猛犬ハチ公」
「……っ!?」
思ってたのより、かなり凶悪そうな名前だった。
青葉先輩は俺が引っ張り上げるよりも先に俺の手をぐっと握り、反動をつけて立ち上がる。
「ま、いいか。お前見た目よりは怖くないみたいだし。結局のとこあれだろ? ピンクの変態の犬みたいなもんだろ?」
「い……っ!!」
どうなんだ? 犬って。それ、先輩後輩以上の関係なのかな。犬なら一緒にお散歩とか、フリスビーで遊んだり、もっともっとお近づきになれるだろうか。
ピンクの絨毯のように咲き揃う蓮華畑の中で、レンゲ先輩と犬になった俺がレディ達に囲まれて楽しく走り回る夢のような情景が、ほわわと浮かんでくる。
「な……なんだよ。怒ったのか?」
手を引っ込めて再び警戒心を露わにする青葉先輩を驚かさないよう、パーソナルスペースをしっかり保ったままサムズアップ。
ナイス犬!
この幸せ過ぎる妄想をどう言語化していいのかわからない。だけど、妄想のソースを与えてくれた青葉先輩には感謝の意を表したい。
「はいはい。仲良くなったお二人さん。手を洗っておいで。今日ははちみつレモンだよ」
いつの間にかテーブルセッティングを終えたレンゲ先輩がステンレスのポットとタッパーを手に微笑む。それを見た青葉先輩は、はっと息を、というより、ごくりと唾を飲み込んだ。
「行くぞハチ公! 甘味が俺を待っている!」
「わn……、と、はい!」
俄然やる気を出して口元を拭いながら屋上のドアに突進する青葉先輩。勢いに釣られて危うく犬語で返すところだった。


