通報系ぼっちが愛されるまで

 とはいえ、世の中そんなに甘くはなく。

 騒動を巻き起こしたフライヤー配布とポスター掲示から、はや数日。
 移動教室の帰りに外れかかっていたポスターの押しピンを直す。
 結局あの後、期待していた見学者は一人も現れなかった。

「ま。気長に待とうよ」

 先輩はそう言ってくれたけど、多少は誰か関心を持ってくれるのではと淡い期待を抱いていた。
 素人が作った紙きれ一枚で人を動かすことは難しい。それを再認識したってだけ。別に痛手とは思っていない。
 あのフライヤーをきっかけに、今まで先輩が一人で行っていたお茶とお菓子の準備を教えてもらって手伝えるようになったし、何よりお昼ご飯を先輩と一緒に食べるようになった。
 今日もこれからお弁当を持って屋上に行く予定。
 レンゲ先輩と過ごせる時間が大幅に増えたので、嬉しい結果だ。
 ちらりと窓の外に目をやると、初夏に移り始めた植物の葉の色が若葉から本格的に濃い緑に変化しつつあった。
 春先の不安定な天気が落ち着き、ピクニックにでも行きたくなるようなぽかぽか陽気が降り注いでいる。
 先輩に倣って鼻歌でも歌いたくなる気分で教室のドアの前に立った時、いつもの昼休みと様子が違っていることに気付いた。

「危ないって」
「先生呼ぼっか」

 不安気に騒めく教室。クラスメートは珍しく俺の存在にすら気付かず、教室の廊下側に固まってベランダ側の窓に視線を集中させていた。

 なんだろう……?

 皆の視線を辿って窓に目を向け、見覚えのある黄色と黒の縞模様を視界に捉える。

 レディ!?

 す、と隣で動いた影に視線を移すと、惑い飛ぶ小さな体を叩き潰そうと男子生徒が丸めたノートを振り上げた。俺は咄嗟に彼の手首を掴んだ。
 彼は俺の顔を認知するなり一瞬怯んだが、すぐにその顔に怒りを滲ませてこちらを睨み返してくる。

「な……なんだよ! 邪魔すんなよ!」

 落ち着け、俺。
 教室に迷い込んだレディも、今対峙する彼も、抱えている本質は同じ。『混乱』と『恐怖』だ。
 一番やってはいけないのは、それらを増幅させること。これ以上彼を怯えさせてはいけない。

「……す、少し、話を、聞いてほしい」

 笑顔を作るのが理想だけど、普段作り慣れていない笑顔は失敗する可能性大だ。無理はせず、努めてゆったりとした動作に見えるように、彼の手を掴む力を緩める。

「大丈夫。外に誘導するから」
「…………」

 返事は無いが、そっと手を離すとノートを掴んでいた彼の手がゆっくりと降ろされた。

 良かった。ひとまずは。

「ありがとう」

 そう告げてから、レディを仰ぎ見た。
 透明で気付いていないのか、レディはガラスに体当たりを繰り返す。

 無理しないで。今出してあげるから。

 自分の机を窓際に運び、上靴を脱いで登る。クレセントを解錠し、古いサッシの窓を開けると、外からの風で溜まった砂埃が舞った。

「わ」

 思わず反射的に腕で目元を覆うと、不安定な足元がぐらりと揺れる。

 やばい! 落ちーー……!

 息を呑んだ瞬間、誰かに足を支えられる。瞑った目をゆっくりと開くと、さっきノートでレディを潰そうとしていた彼が、砂埃に目をしばたたかせながら机と俺の足を支えてくれていた。

「あ、……りがと」

 呟くように言った言葉はきちんと届いたようで、彼はこくりと一つ頷いた。

 大丈夫。支えてくれる人がいる。

 再び顔をあげてレディの小さな姿を捜す。
 外へといざなうように吹き込んでくる風。それに気付かないのか、レディは窓の近くを旋回してはサッシの縁にとまり直した。

 どうしたの? 外に出られるんだよ?

 数秒待ってみても出ていく気配を見せず、レディは忙しなくサッシの縁を歩き回る。

 急に飛べなくなるほど弱ったわけじゃないだろうけど。

 そう考えてサッシの溝を覗き込んだ時、ふと気が付いた。

「レディ。おいで」

 レンゲ先輩がやるみたいに驚かさないよう、ゆっくりと手を差し伸べる。レディはサッシから一瞬飛び立ち、柔らかい羽音を立てて俺の顔の周囲を飛翔した。

 わかるかな? いつも屋上で会うよね。

 巣箱を開ける時以外の掃除や水替え、花の手入れは面布を外している。レディ達は挨拶を交わすようにレンゲ先輩や俺の顔の周囲を旋回して飛び回るのが日常だ。
 刺されるかも、という恐怖は無く、顔馴染みのご近所さんと出会った感覚。
 俺の顔を認知したのか、レディはこの指とまれのように人差し指の縁にとまってよじよじと歩き回り始めた。重さはそれほど感じないけど、少しくすぐったい。

「大丈夫。友達のことは、俺に任せて」

 レディが人間の言葉を理解できるかはわからない。それでも、俺の気持ちが伝わるように。
 ゆっくりと、窓の外へ手を伸ばした。
 初夏の風が眼下の草花を揺らす。風を浴びたレディは羽根を小刻みに震わせ、指先まで歩いてから青空へと翔び立っていった。

 良かった。無事に外に出してあげられて。

 安堵の息をつき、窓を閉めて足元に視線を降ろして思わず、あっ、と声をあげた。足元を支えてくれているクラスメートの隣に、いつの間にかレンゲ先輩がお弁当の包みを持って立っていた。

「レンゲ先輩っ!? なんっ……ここ……っ!?」
「お昼の移動の途中でハニーのクラスが騒がしいみたいだったから、ちょっと見にきたんだ。レディの迷い込み?」

 こくこくと小刻みに頷く。

「あのっ、今、飛んでいきました!」

 先輩の隣の彼にも、もう大丈夫、と告げると、頷いて返してくれた。

「お疲れ様。降りておいで」

 俺を呼ぶ先輩の優しい声。レディ達がレンゲ先輩の手にとまりたくなる気持ちがよくわかる。
 受け入れられる喜びと、大切に扱ってもらえる安心感。
 差し伸べられた手を握って机から床に降り立つと、誰とはなしに自然と拍手が起こった。

「え? え、あの……」

 状況が理解できずにレンゲ先輩の手を握り締めたまま、きょどきょどと周囲を見回す。さっきまで俺の足を支えてくれていた彼が、すごいじゃん、と笑いかけてくれた。

「蜂ノ屋君、ありがとう」
「大丈夫? 刺されなかった?」
「蜂ってあんなに人間の言うこと聞いたりすんの?」

 初めて浴びる注目と口々に発せられる言葉に頭が真っ白になる。あわあわと口を開閉させていると、突然きゅ、と手を握り返された。隣に立つレンゲ先輩に視線を移すと、笑顔で頷き返してくれた。

 先輩の笑顔は俺の混乱を鎮め、いつも背中を押してくれる。

 先輩の手を握り返し、軽く深呼吸してから口を開く。

「さ……騒がせて、ごめん。屋上でミツバチを飼ってるんだ。巣から出たばかりの子は、迷子になって教室に入ってくることがあるけど、刺激しなければ、ほとんど刺すことはないから」

 俺の言葉に話したこともなかったクラスメート達が次々と反応する。

「迷子? 人間みたいで親近感湧いてくる」
「蜜蜂ってハチミツ取れるんだよね?」
「飼うってペットみたい」
「実際そうなんじゃね? 手ぇ出したら大人しく寄ってきてたじゃん」

 嬉しい。俺の言葉が伝わった。
 俺と同じで誤解されがちなレディ達が、危険なだけの生き物ではないと受け入れられたことが、何より嬉しい。

 レンゲ先輩! 俺の言葉、ちゃんと伝わりました!

 嬉しさと興奮で声も出せない。それなのに先輩は頷き、笑顔を返してくれる。

「ハニー! 頑張ったね!」

 先輩の極上の笑顔を向けられ、俺の心臓がぎゅんっ! と変な音を立てた。

 ヤバいヤバい。手に握った小さな存在を握り潰すところだった。

「あの、先輩。この子……」

 差し出した手の平を覗き込んだ先輩は一瞬動作を止め、両手でそっと俺の手を包み込んだ。俺の目を見つめてこくりと頷き、寂しそうな笑顔を浮かべる。

「……見つけてくれたんだね」
「迷子のレディが窓を開けてもなかなか出ていこうとしなかったから、覗き込んでみたら、サッシの溝の所で動けなくなってて……」

 さっきまで微かに身じろぎしていた小さな体は既に生命活動を終え、手の中でころん、と転がっている。
 迷子のレディは窓を開けた後もこの子の傍に何度も降り立って、励ますように周囲を歩き回っていた。もしかしたら同じ巣の仲間なのかもしれない。

「ちゃんと弔ってあげたいな」
「俺も、す」
「お弁当持って一緒に来てもらってもいい?」
「はい!」

 俺が鞄からお弁当を取り出している間に先輩はくるりと踵を返し、クラスメートに一礼。

「お騒がせしました。我々はこれで」

 レンゲ先輩は、俺の手を握って颯爽と教室のドアへと向かう。俺も手を引かれたままクラスメートに会釈して教室を出た。