シャワーで汗を流して昼食を食べると、瀬那先輩の家に向かう。
一度離れたせいか、少し落ち着けた。
出迎えてくれた瀬那先輩は、満面の笑みで機嫌がいい。
ガラステーブルに置かれたチョコレートムースには、ふんわりとしたクリームが乗り、バナナが添えられている。
全部を一緒に口に入れた。
「すごく大人って感じですね。ムースはあまり甘くないけど、クリームと一緒だとちょうどいいです。焦げたバナナとも抜群に合いますね!」
「ちょっと、焦げたバナナじゃ美味しそうに聞こえないでしょ。キャラメリゼって言ってくれる? もう、本当に食レポが壊滅的なんだから」
瀬那先輩は頬を膨らませて、チョコレートムースを食べた。
「うーん、めちゃくちゃ美味しいけど、それを伝えるのって難しいですね」
「ちゃんと伝わってるわよ」
隣に座る瀬那先輩へ目を向けた。瀬那先輩もジッとこちらを見ている。
「美味しいって顔をしながら、食べているもの」
「へへっ、よかったです」
「おかわりもあるわよ」
「ください」
チョコレートムースは三つ完食した。
片付けをすると、瀬那先輩が「これ、使いなさい」と俺の手に日焼け止めを乗せる。
「ずっと気になっていたのよ。陽太は会うたびに黒くなっているでしょ」
毎日外で部活をしていれば、日にも焼ける。
「脱いでも服を着ているみたいですよ」
Tシャツの半袖を肩までまくった。首を反らして顎を突き出し、首元に指を引っ掛けて下げる。服の下の白い部分を晒した。
瀬那先輩がギョッと目を見開く。俺の鎖骨辺りに視線を固定して、喉仏が上下に動いたのが見えた。
「あー、もう! 見せるんじゃないわよ!」
瀬那先輩は叫びながら、ソファの背もたれに体を預けて、天井を仰いだ。
「あっ、すみません」
服を整える。
瀬那先輩が首を捻って、据わった目をこちらに向けた。
「アタシの前で、無防備すぎるんじゃないかしら?」
「どういうことですか?」
目を瞬かせると、瀬那先輩は深く息を吐き出した。
「まだ優しい先輩でいようと思ったけど、無理ね。アタシの精神衛生上よくないから、言うわ」
瀬那先輩の腕が俺の後ろに伸びてきて、背もたれの上に置かれた。
体はこちらに向けられて、片足はソファの上であぐらみたいに曲げられている。体が前に傾いて、距離が縮まった。普段とは違う男らしさに、胸がキューっと締め付けられる。
「アタシは女の子に興味がないって言ったわよね」
話し方は変わらないのに、声のトーンは低い。
俺は何度も頷いた。
「可愛い子に食べさせるのも好きだって言ったわ。アンタのことなんとも思っていなかったら、こんなに食べさせたりしないわよ」
……ということは、瀬那先輩は俺のことが好き?
耳まで熱くなり、頭から湯気が出そうだ。
「やっと伝わったみたいね。アタシの前で、もっと警戒心持ちなさいよ」
瀬那先輩は背もたれから手を下ろすと、大きく息を吐き出した。
「もっと餌付けしてから、わからせたかったわ」
瀬那先輩は雑に後頭部を掻いた。
俺は瀬那先輩の服の裾をキュッと掴む。
「アンタね、アタシの言ったことわかったんでしょ?」
「はい。だから掴んでいます」
下唇を噛んで、目を見据える。瀬那先輩の綺麗な瞳が見開かれた。
「瀬那先輩は他に可愛くていっぱい美味しそうに食べる人が現れたら、その人を好きになるってことですか?」
俺の声は、ひどく頼りないものだった。
「何を言っているのよ」
瀬那先輩は半目を向ける。
「そうなら嫌だなって思いました」
バクバクと激しい鼓動を落ち着かせるために、大きく深呼吸する。全然変わらない。
心音を元に戻すことは諦めて、口を開く。
「瀬那先輩のお菓子は、俺だけに食べさせてください」
瀬那先輩に腕を掴まれて、引っ張られた。瀬那先輩の胸に倒れ込む。
俺の背中に瀬那先輩の腕が周り、力強く抱きしめられた。
「え? あの、瀬那先輩?」
腕の中で混乱していると、瀬那先輩の腕にさらに力がこもる。
「アンタ、言ったことを理解しているの? 陽太にだけ作れって、アタシを独占したいってことよね? それならアンタもアタシだけのものよ?」
言葉にされると羞恥で全身が茹る。でも嘘なんて言えなくて、消え入りそうな声で「はい」と頷いた。
「あーもう、本当に可愛くて困っちゃうわ」
頭をポンポンとされて、腕が解かれる。
体にできた隙間に、寂しさを覚えた。
「瀬那先輩は最初からいっぱい食べさせてくれましたが、その時から俺が好きなんですか?」
疑問を口にすれば「生意気ね」とおでこを人差し指で突かれた。
「最初はただ、好みの子がいっぱい食べてくれて嬉しいわって思っていたの。でも真面目なところも知っちゃって、アンタに興味を持ったわ。本当に美味しそうに食べるでしょ。裏表のないところも好感が持てるし、おバカな食レポだってクセになったわ」
自分で聞いて、照れくさくて両手で顔を覆った。
「あんまり可愛い反応しないでくれる? アタシが紳士じゃなければ、アンタなんてペロッと美味しくいただかれてるところよ」
両手を外すと、瀬那先輩は眉を顰めて前髪をかき上げているところだった。
すごく色気があって、思わず見惚れてしまった。
視線がかち合うと「何よ」とぶっきらぼうに言う。
「えっ、あっ、その……」
気まずさから視線を泳がせて、意味のない言葉しか出てこない。
瀬那先輩はふっと笑みを深くする。
「安心なさい。アンタの嫌がることはしないから」
頭をポンポンとされて、緊張が解ける。
「あっ、俺、瀬那先輩の部屋に行きたいです」
今度は瀬那先輩が両手で顔を覆った。
「アタシのこと、弄ぶんじゃないわよ!」
「だって、恋人しか入れないんですよね?」
「そう言ったけど、アンタに手を出さないように必死で耐えているんだから、空気を読みなさいよ」
手を下ろした瀬那先輩の顔は、いつもの優しいお姉さんのようなお兄さんじゃなくて、大人の男の人に見えた。
見つめ合っていると、瀬那先輩は両手を顔の横に上げて降参のポーズをとる。
「……まあ、いいわ。後悔するんじゃないわよ」
瀬那先輩に腕を掴まれ、引かれるままについていく。階段を登って、手前の扉で立ち止まった。
「ここがアタシの部屋よ」
瀬那先輩が扉を開く。手を部屋に向けられ、足を踏み入れた。
カーテンや寝具は薄緑で統一されていて、すっきりとした男の人の部屋だった。
瀬那先輩も部屋に入り、ガチャリと閉めた扉の音が耳に届く。
振り返って、瀬那先輩と向き合った。
「思ったより普通ですね」
「どんな部屋だと思ったのよ」
「天蓋付きのベッドで寝ているイメージでした」
「六畳の部屋にそんなものあっても、違和感しかないでしょ」
瀬那先輩が一歩近付き、思わず下がってしまった。
瀬那先輩は形のいい口をニンマリと広げる。
俺は愛想笑いを返して、もう一歩下がった。
背中に壁が当たる。
瀬那先輩は俺の顔を挟むように、壁に両手をついた。
壁と瀬那先輩に閉じ込められて、心臓が胸を突き破ってしまいそうなほど、激しく鳴る。
「男の部屋に入るってことがどういうことか、わからせてあげるわ」
低く顰められた声と、射抜くような瞳に耐えられず、視線を泳がせる。
瀬那先輩の肩越しに見える、学習デスクに目が止まった。
「あっ!」
「な、なによ。急に大きな声を出して」
瀬那先輩は片手で耳を押さえた。
俺はそこから抜け出して、学習デスクへ駆ける。
綺麗に片付けられた学習デスクの真ん中の奥、一番目立つ場所に写真立てが飾られていた。
型から溢れて爆発したきのこみたいなカップケーキを手に乗せて、満面の笑みを向ける俺。
しかもそのシンプルな写真立てには、ポリ袋を縛っていた青いリボンでデコレーションされていた。
「これって……」
振り返るより早く、瀬那先輩の絶叫が響く。
「あー! 見るんじゃないわよ!」
俺を押し退けて、写真立てを抱きしめるようにして隠す。顔どころか、首や耳まで真っ赤だ。
さっきまでの艶のある雰囲気なんて、欠片もなくなった。
「瀬那先輩、リボンまで取っておいてくれたんですか?」
「別にいいでしょ。陽太が初めてくれたプレゼントなんだから。飾って何が悪いのよ」
瀬那先輩は写真立てを大事に抱えたままベッドに倒れ込む。枕に顔を埋めて、長い足をばたつかせた。
「うー、最悪だわ。男として意識して欲しいのに、全然カッコつかないんだもの」
こもった声が嘆く。
カッコよくて綺麗で優しくて料理も上手くて。そんな瀬那先輩が俺のことでこんなに必死になって、余裕を無くしている。
その姿がたまらなく愛おしくて、胸の奥がポッと灯った。ニヤける顔を止められない。
俺はベッドの傍にしゃがみ、髪の間から覗く赤い耳を見つめる。
「瀬那先輩、可愛いですね」
瀬那先輩は首を捻って、片目だけこちらに向けた。恨めしそうに目を細める。
「可愛いのはアンタよ」
寝返りを打って仰向けになると、写真立てをベッドの端に置く。
「おいで」
瀬那先輩が両手を広げて、待っている。
愛情がたっぷり含まれた声に誘われて、その胸に飛び込んだ。
ギュッと抱きしめられて、瀬那先輩の温もりが心地いい。
俺と瀬那先輩の心音は同じリズムを刻んでいる。
「もう。アタシをこんなふうにできるのは、アンタだけよ」
「えへへ。俺だけの特権ですね」
「笑っていられるのも今のうちなんだから。覚悟しなさいよ」
ゆっくりと体が傾き、瀬那先輩の隣に寝転がる。
顔を見合わせて笑った。
「ねぇ、夏休みはもう少しあるじゃない? アタシとデートしてくれる?」
「はい、したいです。俺は手芸屋に行ってみたいです」
「意外ね。陽太はボタン付けもできないかと思っていたわ」
「いえ、間違っていません。正直、家庭科の授業でやるくらいだし、それも苦手です」
「じゃあ、どうして?」
目を瞬かせる瀬那先輩。
手芸屋の帰りで、本当に楽しそうに笑う顔が頭に浮かんだ。
「瀬那先輩の好きなことが知りたいです。俺だって、瀬那先輩と楽しく買い物がしたい。家庭科部の子たちが羨ましいです」
瀬那先輩は顔を真上に向け、片手で顔を覆う。
「もう! これ以上アタシを喜ばせて、どういうつもり? いくらでも連れて行くし、アタシも陽太の好きなところに連れて行ってよね」
「はい! もちろんです」
瀬那先輩が体を起こし、ベッドが軋む。
俺の体を跨いで、両手を顔の横についた。
瀬那先輩の前髪が額に触れる。
俺を見下ろす瀬那先輩が、どんなお菓子よりも甘く微笑んで、金縛りにあったみたいに身動きできずに見惚れた。
横にあった手が、頬に触れる。宝物を触るように、優しい手つきで。
乾いた喉をゴクリと鳴らして、唾液を飲み込む。
「せ、瀬那先輩?」
「陽太」
戸惑いながら声をかければ、シロップに漬け込んだみたいな声で呼ばれる。
顔がゆっくり近付いてきて、鼻先が触れると目をギュッとつぶった。
漏れた吐息が混ざる。微かに甘いチョコレートムースの香りがした。
唇に温かくて柔らかな感触があった。チュッと音を立てて離れていく。
ゆっくり瞼を持ち上げると、頬を染めてはにかむ瀬那先輩がいた。
「男らしさの挽回が、できたかしら?」
キスの前の男らしい顔も、後の照れた顔も、どっちの瀬那先輩もたまらなく好きだ。
瀬那先輩の服を掴む。
「ドキドキしすぎてヤバいです」
瀬那先輩は破顔する。
「もう、最後までカッコつけさせてよ。隠してたけど、アタシの方がドキドキしてるんだから」
瀬那先輩の俺を見る目がとびっきり優しくて、好きだって気持ちが伝わってくる。
「隠せてませんよ」
額を人差し指でツンとされた。
「生意気ね。でも、隠さなくていいのよね。これからめいっぱい可愛がらせてよね」
俺もきっと、瀬那先輩と同じ目をしている。
笑い合って、もう一度唇を重ねた。
一度離れたせいか、少し落ち着けた。
出迎えてくれた瀬那先輩は、満面の笑みで機嫌がいい。
ガラステーブルに置かれたチョコレートムースには、ふんわりとしたクリームが乗り、バナナが添えられている。
全部を一緒に口に入れた。
「すごく大人って感じですね。ムースはあまり甘くないけど、クリームと一緒だとちょうどいいです。焦げたバナナとも抜群に合いますね!」
「ちょっと、焦げたバナナじゃ美味しそうに聞こえないでしょ。キャラメリゼって言ってくれる? もう、本当に食レポが壊滅的なんだから」
瀬那先輩は頬を膨らませて、チョコレートムースを食べた。
「うーん、めちゃくちゃ美味しいけど、それを伝えるのって難しいですね」
「ちゃんと伝わってるわよ」
隣に座る瀬那先輩へ目を向けた。瀬那先輩もジッとこちらを見ている。
「美味しいって顔をしながら、食べているもの」
「へへっ、よかったです」
「おかわりもあるわよ」
「ください」
チョコレートムースは三つ完食した。
片付けをすると、瀬那先輩が「これ、使いなさい」と俺の手に日焼け止めを乗せる。
「ずっと気になっていたのよ。陽太は会うたびに黒くなっているでしょ」
毎日外で部活をしていれば、日にも焼ける。
「脱いでも服を着ているみたいですよ」
Tシャツの半袖を肩までまくった。首を反らして顎を突き出し、首元に指を引っ掛けて下げる。服の下の白い部分を晒した。
瀬那先輩がギョッと目を見開く。俺の鎖骨辺りに視線を固定して、喉仏が上下に動いたのが見えた。
「あー、もう! 見せるんじゃないわよ!」
瀬那先輩は叫びながら、ソファの背もたれに体を預けて、天井を仰いだ。
「あっ、すみません」
服を整える。
瀬那先輩が首を捻って、据わった目をこちらに向けた。
「アタシの前で、無防備すぎるんじゃないかしら?」
「どういうことですか?」
目を瞬かせると、瀬那先輩は深く息を吐き出した。
「まだ優しい先輩でいようと思ったけど、無理ね。アタシの精神衛生上よくないから、言うわ」
瀬那先輩の腕が俺の後ろに伸びてきて、背もたれの上に置かれた。
体はこちらに向けられて、片足はソファの上であぐらみたいに曲げられている。体が前に傾いて、距離が縮まった。普段とは違う男らしさに、胸がキューっと締め付けられる。
「アタシは女の子に興味がないって言ったわよね」
話し方は変わらないのに、声のトーンは低い。
俺は何度も頷いた。
「可愛い子に食べさせるのも好きだって言ったわ。アンタのことなんとも思っていなかったら、こんなに食べさせたりしないわよ」
……ということは、瀬那先輩は俺のことが好き?
耳まで熱くなり、頭から湯気が出そうだ。
「やっと伝わったみたいね。アタシの前で、もっと警戒心持ちなさいよ」
瀬那先輩は背もたれから手を下ろすと、大きく息を吐き出した。
「もっと餌付けしてから、わからせたかったわ」
瀬那先輩は雑に後頭部を掻いた。
俺は瀬那先輩の服の裾をキュッと掴む。
「アンタね、アタシの言ったことわかったんでしょ?」
「はい。だから掴んでいます」
下唇を噛んで、目を見据える。瀬那先輩の綺麗な瞳が見開かれた。
「瀬那先輩は他に可愛くていっぱい美味しそうに食べる人が現れたら、その人を好きになるってことですか?」
俺の声は、ひどく頼りないものだった。
「何を言っているのよ」
瀬那先輩は半目を向ける。
「そうなら嫌だなって思いました」
バクバクと激しい鼓動を落ち着かせるために、大きく深呼吸する。全然変わらない。
心音を元に戻すことは諦めて、口を開く。
「瀬那先輩のお菓子は、俺だけに食べさせてください」
瀬那先輩に腕を掴まれて、引っ張られた。瀬那先輩の胸に倒れ込む。
俺の背中に瀬那先輩の腕が周り、力強く抱きしめられた。
「え? あの、瀬那先輩?」
腕の中で混乱していると、瀬那先輩の腕にさらに力がこもる。
「アンタ、言ったことを理解しているの? 陽太にだけ作れって、アタシを独占したいってことよね? それならアンタもアタシだけのものよ?」
言葉にされると羞恥で全身が茹る。でも嘘なんて言えなくて、消え入りそうな声で「はい」と頷いた。
「あーもう、本当に可愛くて困っちゃうわ」
頭をポンポンとされて、腕が解かれる。
体にできた隙間に、寂しさを覚えた。
「瀬那先輩は最初からいっぱい食べさせてくれましたが、その時から俺が好きなんですか?」
疑問を口にすれば「生意気ね」とおでこを人差し指で突かれた。
「最初はただ、好みの子がいっぱい食べてくれて嬉しいわって思っていたの。でも真面目なところも知っちゃって、アンタに興味を持ったわ。本当に美味しそうに食べるでしょ。裏表のないところも好感が持てるし、おバカな食レポだってクセになったわ」
自分で聞いて、照れくさくて両手で顔を覆った。
「あんまり可愛い反応しないでくれる? アタシが紳士じゃなければ、アンタなんてペロッと美味しくいただかれてるところよ」
両手を外すと、瀬那先輩は眉を顰めて前髪をかき上げているところだった。
すごく色気があって、思わず見惚れてしまった。
視線がかち合うと「何よ」とぶっきらぼうに言う。
「えっ、あっ、その……」
気まずさから視線を泳がせて、意味のない言葉しか出てこない。
瀬那先輩はふっと笑みを深くする。
「安心なさい。アンタの嫌がることはしないから」
頭をポンポンとされて、緊張が解ける。
「あっ、俺、瀬那先輩の部屋に行きたいです」
今度は瀬那先輩が両手で顔を覆った。
「アタシのこと、弄ぶんじゃないわよ!」
「だって、恋人しか入れないんですよね?」
「そう言ったけど、アンタに手を出さないように必死で耐えているんだから、空気を読みなさいよ」
手を下ろした瀬那先輩の顔は、いつもの優しいお姉さんのようなお兄さんじゃなくて、大人の男の人に見えた。
見つめ合っていると、瀬那先輩は両手を顔の横に上げて降参のポーズをとる。
「……まあ、いいわ。後悔するんじゃないわよ」
瀬那先輩に腕を掴まれ、引かれるままについていく。階段を登って、手前の扉で立ち止まった。
「ここがアタシの部屋よ」
瀬那先輩が扉を開く。手を部屋に向けられ、足を踏み入れた。
カーテンや寝具は薄緑で統一されていて、すっきりとした男の人の部屋だった。
瀬那先輩も部屋に入り、ガチャリと閉めた扉の音が耳に届く。
振り返って、瀬那先輩と向き合った。
「思ったより普通ですね」
「どんな部屋だと思ったのよ」
「天蓋付きのベッドで寝ているイメージでした」
「六畳の部屋にそんなものあっても、違和感しかないでしょ」
瀬那先輩が一歩近付き、思わず下がってしまった。
瀬那先輩は形のいい口をニンマリと広げる。
俺は愛想笑いを返して、もう一歩下がった。
背中に壁が当たる。
瀬那先輩は俺の顔を挟むように、壁に両手をついた。
壁と瀬那先輩に閉じ込められて、心臓が胸を突き破ってしまいそうなほど、激しく鳴る。
「男の部屋に入るってことがどういうことか、わからせてあげるわ」
低く顰められた声と、射抜くような瞳に耐えられず、視線を泳がせる。
瀬那先輩の肩越しに見える、学習デスクに目が止まった。
「あっ!」
「な、なによ。急に大きな声を出して」
瀬那先輩は片手で耳を押さえた。
俺はそこから抜け出して、学習デスクへ駆ける。
綺麗に片付けられた学習デスクの真ん中の奥、一番目立つ場所に写真立てが飾られていた。
型から溢れて爆発したきのこみたいなカップケーキを手に乗せて、満面の笑みを向ける俺。
しかもそのシンプルな写真立てには、ポリ袋を縛っていた青いリボンでデコレーションされていた。
「これって……」
振り返るより早く、瀬那先輩の絶叫が響く。
「あー! 見るんじゃないわよ!」
俺を押し退けて、写真立てを抱きしめるようにして隠す。顔どころか、首や耳まで真っ赤だ。
さっきまでの艶のある雰囲気なんて、欠片もなくなった。
「瀬那先輩、リボンまで取っておいてくれたんですか?」
「別にいいでしょ。陽太が初めてくれたプレゼントなんだから。飾って何が悪いのよ」
瀬那先輩は写真立てを大事に抱えたままベッドに倒れ込む。枕に顔を埋めて、長い足をばたつかせた。
「うー、最悪だわ。男として意識して欲しいのに、全然カッコつかないんだもの」
こもった声が嘆く。
カッコよくて綺麗で優しくて料理も上手くて。そんな瀬那先輩が俺のことでこんなに必死になって、余裕を無くしている。
その姿がたまらなく愛おしくて、胸の奥がポッと灯った。ニヤける顔を止められない。
俺はベッドの傍にしゃがみ、髪の間から覗く赤い耳を見つめる。
「瀬那先輩、可愛いですね」
瀬那先輩は首を捻って、片目だけこちらに向けた。恨めしそうに目を細める。
「可愛いのはアンタよ」
寝返りを打って仰向けになると、写真立てをベッドの端に置く。
「おいで」
瀬那先輩が両手を広げて、待っている。
愛情がたっぷり含まれた声に誘われて、その胸に飛び込んだ。
ギュッと抱きしめられて、瀬那先輩の温もりが心地いい。
俺と瀬那先輩の心音は同じリズムを刻んでいる。
「もう。アタシをこんなふうにできるのは、アンタだけよ」
「えへへ。俺だけの特権ですね」
「笑っていられるのも今のうちなんだから。覚悟しなさいよ」
ゆっくりと体が傾き、瀬那先輩の隣に寝転がる。
顔を見合わせて笑った。
「ねぇ、夏休みはもう少しあるじゃない? アタシとデートしてくれる?」
「はい、したいです。俺は手芸屋に行ってみたいです」
「意外ね。陽太はボタン付けもできないかと思っていたわ」
「いえ、間違っていません。正直、家庭科の授業でやるくらいだし、それも苦手です」
「じゃあ、どうして?」
目を瞬かせる瀬那先輩。
手芸屋の帰りで、本当に楽しそうに笑う顔が頭に浮かんだ。
「瀬那先輩の好きなことが知りたいです。俺だって、瀬那先輩と楽しく買い物がしたい。家庭科部の子たちが羨ましいです」
瀬那先輩は顔を真上に向け、片手で顔を覆う。
「もう! これ以上アタシを喜ばせて、どういうつもり? いくらでも連れて行くし、アタシも陽太の好きなところに連れて行ってよね」
「はい! もちろんです」
瀬那先輩が体を起こし、ベッドが軋む。
俺の体を跨いで、両手を顔の横についた。
瀬那先輩の前髪が額に触れる。
俺を見下ろす瀬那先輩が、どんなお菓子よりも甘く微笑んで、金縛りにあったみたいに身動きできずに見惚れた。
横にあった手が、頬に触れる。宝物を触るように、優しい手つきで。
乾いた喉をゴクリと鳴らして、唾液を飲み込む。
「せ、瀬那先輩?」
「陽太」
戸惑いながら声をかければ、シロップに漬け込んだみたいな声で呼ばれる。
顔がゆっくり近付いてきて、鼻先が触れると目をギュッとつぶった。
漏れた吐息が混ざる。微かに甘いチョコレートムースの香りがした。
唇に温かくて柔らかな感触があった。チュッと音を立てて離れていく。
ゆっくり瞼を持ち上げると、頬を染めてはにかむ瀬那先輩がいた。
「男らしさの挽回が、できたかしら?」
キスの前の男らしい顔も、後の照れた顔も、どっちの瀬那先輩もたまらなく好きだ。
瀬那先輩の服を掴む。
「ドキドキしすぎてヤバいです」
瀬那先輩は破顔する。
「もう、最後までカッコつけさせてよ。隠してたけど、アタシの方がドキドキしてるんだから」
瀬那先輩の俺を見る目がとびっきり優しくて、好きだって気持ちが伝わってくる。
「隠せてませんよ」
額を人差し指でツンとされた。
「生意気ね。でも、隠さなくていいのよね。これからめいっぱい可愛がらせてよね」
俺もきっと、瀬那先輩と同じ目をしている。
笑い合って、もう一度唇を重ねた。



