お盆が過ぎ、新人戦に向けて一年生同士で試合をする。
俺は膝を軽く曲げて構えた。
相手がボールを高くトスする。
強烈なフラットサーブが、サービスコートに突き刺さった。
大きく一歩踏み出して、何とかバックハンドで返す。両手打ちも、やっと慣れてきたところだ。
でもコースを狙う余裕はなく、相手の真正面。
相手はストレートに打って、俺から遠いコーナーを狙う。
全力で走っても、フレームに当てるのが精一杯。ボールはネットに引っかかった。
ゲームセット。
……負けた。
肩で息をしながら、ネットまで駆ける。ネット越しに握手をした。
コートを出ると「上達するの早くね?」と対戦相手に背をポンと叩かれる。
「でも負けたよ」
「当たり前だろ! 俺は中学の頃からやってんだから」
「フォーム綺麗だよね」
参考にして、俺ももっと上手くなるぞ!
ふと瀬那先輩の顔が浮かんだ。上達したら、見にきて欲しいって誘おう。
部活が終わって校門を出ると、瀬那先輩を見かけた。日傘を差して、優雅に歩いている。
多くの女の子に囲まれ、その子たちも日傘を装備していた。みんな満面の笑みで楽しそうだ。
胸に棘が刺さったみたいに、ちくりと痛んだ。不思議に思いながら、胸をさする。
かなり近付いたところで、瀬那先輩が俺に気付いた。話に夢中で、俺のことなんて目に入っていなかったみたいだ。
体の中が空洞になっていくような、錯覚を覚える。
「あら、陽太。今から帰り?」
瀬那先輩は女の子たちに「後から行くわ」と告げて、手を振った。女の子たちは「わかったよ」と手を振り返して、学校に入っていく。
瀬那先輩は俺の方に日傘を傾けてくれる。
「瀬那先輩は何をしているんですか?」
「家庭科部のみんなで、手芸屋さんに行ったのよ。買ったものを、部室に置きに来たの」
瀬那先輩は「楽しかったわ」と頬を綻ばせる。
「何を買ったんですか?」
「刺繍糸をたくさん買ったわ。二学期に文化祭があるでしょ。家庭科部で刺繍の展示をするの。一人ずつ刺繍をして、それをパッチワークして一つの大きな作品にするのよ」
瀬那先輩はウキウキと楽しそうなのに、俺の心の奥には澱みのようなものが沈んでいく。
「明日から本格的に作るの。楽しみだわ」
「学校でやるんですか?」
「ええ、一人でやるほうが捗るけど、みんなで話しながらの方が楽しいじゃない」
「何時に終わりますか?」
「さあ? 決まっていないけど、お昼前には帰るわよ」
「それなら、一緒に帰りたいです!」
瀬那先輩は目を丸くした後、少し気まずそうに眉を下げる。
「刺繍だから、お菓子はないわよ」
俺は目を瞬かせて首を傾けた。
「そんなことわかっていますよ?」
「陽太はアタシのお菓子が欲しくて、一緒に帰ろうって言ったんじゃないの?」
瀬那先輩が、俺の顔をまじまじと見つめる。
瀬那先輩の作るのお菓子が好きだ。ずっとそうだった。
でも、瀬那先輩が女の子たちと話していると、知らない人みたいに見えて不安だった。
お菓子がないとわかっていても、一緒に帰りたかった。
自分の気持ちに混乱して、視線を忙しなく彷徨わせる。
「陽太?」
瀬那先輩に顔を覗き込まれ、体が大きく跳ねた。一歩下がって、日傘から出る。途端に強い日差しに晒された。
「あっ、あの、明日の帰り、待ってます!」
瀬那先輩と視線が絡むと、全身が熱くなって、叫ぶと同時に駆け出した。
何だこれ?
胸が早鐘を打つ。これは走っているから?
体が熱いのも、走っているから? いや、これは瀬那先輩に顔を覗き込まれてからだ。
上目遣いで瞬きを繰り返す瀬那先輩が、頭の中を占領する。
本当に、なんなんだ?
いつの間にかお菓子じゃなくて、瀬那先輩が目当てになっていた。
翌日は部活中に、瀬那先輩がテニスコートを仕切るフェンスの向こうから、こちらを見ているのに気付く。
上手くなってから見てもらいたいと思っていたけど、まだ心の準備ができていない。でも少しでもいいところを見せたくて、力んでしまった。
サーブをネットに引っ掛けてダブルフォルト。
一番やってはいけないミスをしてしまい、その後もボロボロだった。
「しっかりしなさいよ! アンタ、その程度なの?」
瀬那先輩がフェンスに指をかけて叫ぶ。
発破をかけられた。その声に驚いたテニス部員の目が、瀬那先輩に向く。
瀬那先輩は「あらやだ」と視線を彷徨わせて口元を押さえた。
「邪魔をして、ごめんなさい」
校舎の方に走って行った。
奥歯をグッと噛み締める。
瀬那先輩の声が頭の中で響き続けた。
グリップを握る手に力を込める。
俺はこの程度じゃない。こっから巻き返す。
トスを上げ、思いっきり振り抜いた。
ネットに詰めて、レシーブをボレーで跳ね返す。
狙った通り空いたスペースでバウンドして、相手は取ることができなかった。
部活が終わってスマホを確認すると、瀬那先輩からメッセージが届いていた。
『外は暑いから、中で待っているわ。終わったら連絡ちょうだい』
家庭科室にいるのだろうか? 他の子も一緒にいる?
『校門で待っています』
胸の中にモヤモヤが充満して、そう返信する。
校門でしばらく待っていると、瀬那先輩が走ってくるのが見えた。
「暑かったでしょ? せめて日陰で待っていなさいよ」
俺を日傘に入れてくれる。
さっきまでのモヤモヤが、スッキリと晴れた。
並んで歩き出すと「もっとアタシに寄りなさい」と言われ、肩が触れる。二人で一つの日傘は小さい。
「俺はやっぱり出ますね」
「遠慮なんてしないの。日差しがないだけで、だいぶ違うでしょ?」
遠慮じゃなくて、近過ぎて落ち着かない。でもそんなことは言えなくて、胸が騒いだまま隣を歩いた。
「試合はどうだったの?」
「瀬那先輩のおかげで勝ちました!」
尻を叩かれて、気持ちを切り替えられた。
「最後まで見られなくて残念だったわ。今度はこっそり静かに見るわね」
瀬那先輩は「楽しみだわ」と声を弾ませる。
「瀬那先輩はどうですか? 刺繍は捗りましたか?」
「ううん、口ばっかり動かしちゃってダメね。家でも頑張るわ」
「完成したら見たいです」
「文化祭で見られるわよ」
「俺が一番に見たいんです」
瀬那先輩は息を飲んで、手を口に添えた。視線を忙しなく動かし、慎重に口を開く。
「……あのね、今のもちょっと思うことはあるけれど、陽太の昨日の態度は何だったの?」
「すみません。感じが悪かったですよね」
「ううん、違うのよ。アタシってば、自分の都合のいいように考えるのが止められなくて。頭を冷やしたいから、事実を教えて欲しいの」
瀬那先輩は期待と不安が混ざり合ったような、複雑な表情をしていた。
口をもごもごとまごつかせ、意を決して声に出す。
「瀬那先輩が女の子たちと話していて、遠くに感じて嫌でした」
「あの子たちは部活仲間よ。前にも言ったけど、みんなアタシのこと、女友達だと思っているわ」
昨日の光景を思い出す。瀬那先輩は女の子たちに完璧に溶け込んでいた。女友達と言われて、妙に納得する。
なぜかホッとして、軽くなった胸をさすった。
瀬那先輩の顔から不安が消え、瞳は輝いている。
「ねぇ、今日の午後は予定があるの?」
「何もないですよ」
「それなら今からアタシの家に来ない? チョコレートムースを作ったの」
「いえ、帰ります」
瀬那先輩はガクリと肩を落とす。
「ちょっと! 今のは断るところじゃないでしょ」
今度はむくれて、瀬那先輩は表情がよく変わる。
「家で昼ごはんを用意されてるので、すみません。その後、遊びに行ってもいいですか?」
「あっ、そうよね。せっかく作ってくれているんだから、それは食べないと。もう、焦っちゃって恥ずかしい」
瀬那先輩の口は、滑らかによく回る。手をパタパタとして顔をあおいだ。
「じゃあ、また後でね。待ってるわ」
「はい、また後で」
手を振って別れた。
なんだかむずむずする。
振り返って、瀬那先輩の後ろ姿を眺めた。足取りが軽やかに見える。
ふいに瀬那先輩が足を止めて振り返った。
目が合うと、まん丸に見開かれる。
見ていたのがバレて気まずく、小さく会釈して家へと駆けた。
俺は膝を軽く曲げて構えた。
相手がボールを高くトスする。
強烈なフラットサーブが、サービスコートに突き刺さった。
大きく一歩踏み出して、何とかバックハンドで返す。両手打ちも、やっと慣れてきたところだ。
でもコースを狙う余裕はなく、相手の真正面。
相手はストレートに打って、俺から遠いコーナーを狙う。
全力で走っても、フレームに当てるのが精一杯。ボールはネットに引っかかった。
ゲームセット。
……負けた。
肩で息をしながら、ネットまで駆ける。ネット越しに握手をした。
コートを出ると「上達するの早くね?」と対戦相手に背をポンと叩かれる。
「でも負けたよ」
「当たり前だろ! 俺は中学の頃からやってんだから」
「フォーム綺麗だよね」
参考にして、俺ももっと上手くなるぞ!
ふと瀬那先輩の顔が浮かんだ。上達したら、見にきて欲しいって誘おう。
部活が終わって校門を出ると、瀬那先輩を見かけた。日傘を差して、優雅に歩いている。
多くの女の子に囲まれ、その子たちも日傘を装備していた。みんな満面の笑みで楽しそうだ。
胸に棘が刺さったみたいに、ちくりと痛んだ。不思議に思いながら、胸をさする。
かなり近付いたところで、瀬那先輩が俺に気付いた。話に夢中で、俺のことなんて目に入っていなかったみたいだ。
体の中が空洞になっていくような、錯覚を覚える。
「あら、陽太。今から帰り?」
瀬那先輩は女の子たちに「後から行くわ」と告げて、手を振った。女の子たちは「わかったよ」と手を振り返して、学校に入っていく。
瀬那先輩は俺の方に日傘を傾けてくれる。
「瀬那先輩は何をしているんですか?」
「家庭科部のみんなで、手芸屋さんに行ったのよ。買ったものを、部室に置きに来たの」
瀬那先輩は「楽しかったわ」と頬を綻ばせる。
「何を買ったんですか?」
「刺繍糸をたくさん買ったわ。二学期に文化祭があるでしょ。家庭科部で刺繍の展示をするの。一人ずつ刺繍をして、それをパッチワークして一つの大きな作品にするのよ」
瀬那先輩はウキウキと楽しそうなのに、俺の心の奥には澱みのようなものが沈んでいく。
「明日から本格的に作るの。楽しみだわ」
「学校でやるんですか?」
「ええ、一人でやるほうが捗るけど、みんなで話しながらの方が楽しいじゃない」
「何時に終わりますか?」
「さあ? 決まっていないけど、お昼前には帰るわよ」
「それなら、一緒に帰りたいです!」
瀬那先輩は目を丸くした後、少し気まずそうに眉を下げる。
「刺繍だから、お菓子はないわよ」
俺は目を瞬かせて首を傾けた。
「そんなことわかっていますよ?」
「陽太はアタシのお菓子が欲しくて、一緒に帰ろうって言ったんじゃないの?」
瀬那先輩が、俺の顔をまじまじと見つめる。
瀬那先輩の作るのお菓子が好きだ。ずっとそうだった。
でも、瀬那先輩が女の子たちと話していると、知らない人みたいに見えて不安だった。
お菓子がないとわかっていても、一緒に帰りたかった。
自分の気持ちに混乱して、視線を忙しなく彷徨わせる。
「陽太?」
瀬那先輩に顔を覗き込まれ、体が大きく跳ねた。一歩下がって、日傘から出る。途端に強い日差しに晒された。
「あっ、あの、明日の帰り、待ってます!」
瀬那先輩と視線が絡むと、全身が熱くなって、叫ぶと同時に駆け出した。
何だこれ?
胸が早鐘を打つ。これは走っているから?
体が熱いのも、走っているから? いや、これは瀬那先輩に顔を覗き込まれてからだ。
上目遣いで瞬きを繰り返す瀬那先輩が、頭の中を占領する。
本当に、なんなんだ?
いつの間にかお菓子じゃなくて、瀬那先輩が目当てになっていた。
翌日は部活中に、瀬那先輩がテニスコートを仕切るフェンスの向こうから、こちらを見ているのに気付く。
上手くなってから見てもらいたいと思っていたけど、まだ心の準備ができていない。でも少しでもいいところを見せたくて、力んでしまった。
サーブをネットに引っ掛けてダブルフォルト。
一番やってはいけないミスをしてしまい、その後もボロボロだった。
「しっかりしなさいよ! アンタ、その程度なの?」
瀬那先輩がフェンスに指をかけて叫ぶ。
発破をかけられた。その声に驚いたテニス部員の目が、瀬那先輩に向く。
瀬那先輩は「あらやだ」と視線を彷徨わせて口元を押さえた。
「邪魔をして、ごめんなさい」
校舎の方に走って行った。
奥歯をグッと噛み締める。
瀬那先輩の声が頭の中で響き続けた。
グリップを握る手に力を込める。
俺はこの程度じゃない。こっから巻き返す。
トスを上げ、思いっきり振り抜いた。
ネットに詰めて、レシーブをボレーで跳ね返す。
狙った通り空いたスペースでバウンドして、相手は取ることができなかった。
部活が終わってスマホを確認すると、瀬那先輩からメッセージが届いていた。
『外は暑いから、中で待っているわ。終わったら連絡ちょうだい』
家庭科室にいるのだろうか? 他の子も一緒にいる?
『校門で待っています』
胸の中にモヤモヤが充満して、そう返信する。
校門でしばらく待っていると、瀬那先輩が走ってくるのが見えた。
「暑かったでしょ? せめて日陰で待っていなさいよ」
俺を日傘に入れてくれる。
さっきまでのモヤモヤが、スッキリと晴れた。
並んで歩き出すと「もっとアタシに寄りなさい」と言われ、肩が触れる。二人で一つの日傘は小さい。
「俺はやっぱり出ますね」
「遠慮なんてしないの。日差しがないだけで、だいぶ違うでしょ?」
遠慮じゃなくて、近過ぎて落ち着かない。でもそんなことは言えなくて、胸が騒いだまま隣を歩いた。
「試合はどうだったの?」
「瀬那先輩のおかげで勝ちました!」
尻を叩かれて、気持ちを切り替えられた。
「最後まで見られなくて残念だったわ。今度はこっそり静かに見るわね」
瀬那先輩は「楽しみだわ」と声を弾ませる。
「瀬那先輩はどうですか? 刺繍は捗りましたか?」
「ううん、口ばっかり動かしちゃってダメね。家でも頑張るわ」
「完成したら見たいです」
「文化祭で見られるわよ」
「俺が一番に見たいんです」
瀬那先輩は息を飲んで、手を口に添えた。視線を忙しなく動かし、慎重に口を開く。
「……あのね、今のもちょっと思うことはあるけれど、陽太の昨日の態度は何だったの?」
「すみません。感じが悪かったですよね」
「ううん、違うのよ。アタシってば、自分の都合のいいように考えるのが止められなくて。頭を冷やしたいから、事実を教えて欲しいの」
瀬那先輩は期待と不安が混ざり合ったような、複雑な表情をしていた。
口をもごもごとまごつかせ、意を決して声に出す。
「瀬那先輩が女の子たちと話していて、遠くに感じて嫌でした」
「あの子たちは部活仲間よ。前にも言ったけど、みんなアタシのこと、女友達だと思っているわ」
昨日の光景を思い出す。瀬那先輩は女の子たちに完璧に溶け込んでいた。女友達と言われて、妙に納得する。
なぜかホッとして、軽くなった胸をさすった。
瀬那先輩の顔から不安が消え、瞳は輝いている。
「ねぇ、今日の午後は予定があるの?」
「何もないですよ」
「それなら今からアタシの家に来ない? チョコレートムースを作ったの」
「いえ、帰ります」
瀬那先輩はガクリと肩を落とす。
「ちょっと! 今のは断るところじゃないでしょ」
今度はむくれて、瀬那先輩は表情がよく変わる。
「家で昼ごはんを用意されてるので、すみません。その後、遊びに行ってもいいですか?」
「あっ、そうよね。せっかく作ってくれているんだから、それは食べないと。もう、焦っちゃって恥ずかしい」
瀬那先輩の口は、滑らかによく回る。手をパタパタとして顔をあおいだ。
「じゃあ、また後でね。待ってるわ」
「はい、また後で」
手を振って別れた。
なんだかむずむずする。
振り返って、瀬那先輩の後ろ姿を眺めた。足取りが軽やかに見える。
ふいに瀬那先輩が足を止めて振り返った。
目が合うと、まん丸に見開かれる。
見ていたのがバレて気まずく、小さく会釈して家へと駆けた。



