先輩が作るお菓子の虜だったはずなのに

 週に二回くらいのペースで待ち合わせをして、公園で瀬那先輩の作ったお菓子を食べるようになって一ヶ月が経った。
 クッキー、ロールケーキ、トリュフ、スコーンなど他にもたくさん食べさせてもらったけれど、全部がほっぺたが落ちそうになるほど美味しい。
 瀬那先輩にお礼がしたくて、調理実習で作るカップケーキを渡そうと決める。慣れない手つきで、四苦八苦しながら真面目に作った。
 混ぜるのは意外と力がいるし、カップに流し入れるのも上手くいかずに少しこぼす。
 下手なりに一生懸命作ったのに、焼き上がったカップケーキは型から溢れ出して、爆発したようなきのこみたいに膨らんでいた。
 同じ班のみんなが、俺のカップケーキに釘付けになって言葉を失う。
 試食をすると、不味くはないけど少し苦い。焦げているわけじゃないのに、なんでだろう?
 膨らみすぎてラッピング用のフィルムでは、包むことができない。
 見かねた先生が、透明なポリ袋をくれた。そこに入れて、青いリボンで縛る。
 不恰好なプレゼントになってしまったけれど、瀬那先輩に早く渡したい。




 授業が終わって昼休みになった。
 瀬那先輩に『一緒に昼ごはんを食べませんか?』とメッセージを送る。

『いいわよ。二年生の教室に来てちょうだい』

 すぐに返信があった。
 教室に戻ってスクールバッグにカップケーキを隠し、それを持って階段を飛び降りるように下る。瀬那先輩がランチバッグを両手で抱えて、廊下で待っていた。

「お待たせしてすみません」
「いいのよ。陽太から誘ってもらえて、嬉しかったんだから」

 瀬那先輩はソワソワと浮き足立っているように見えた。

「ついてきなさい」

 瀬那先輩に案内された空き教室に入る。

「お外で食べるのも考えたんだけど、この時間は暑すぎて無理よね」

 七月になり、真夏日が続いている。外にいるだけで、ジワリと汗が滲むようになった。
 瀬那先輩が席に着き、俺は前の席のイスだけ反対に向けて座った。
 弁当を広げる瀬那先輩に、「あの」と声をかける。

「どうしたの?」

 スクールバッグからカップケーキを取り出し、勢いよく突き出した。

「さっき、調理実習で作りました。瀬那先輩みたいに上手くはできなかったけれど、いつももらっているので、瀬那先輩にお礼がしたくて」

 瀬那先輩は目を見開いて、カップケーキを凝視していた。
 見た目とラッピングの不恰好さが、急に恥ずかしくなって顔が熱くなる。

「す、すみません。これじゃお礼にならないですよね」

 視線を下げてカップケーキを引っ込めようとすると、瀬那先輩が俺の手首を掴んだ。思いの外力強くて、瞬きを繰り返す。瀬那先輩の手は、燃えるように熱い。そこから熱が移って、全身を巡るようだ。

「違うのよ」

 手の力強さとは裏腹に、瀬那先輩の声は震えていた。
 顔を上げる。
 瀬那先輩の瞳は潤んでいて、鼻をスンと鳴らした。

「嬉しすぎて言葉が出てこなかったの。不安にさせて、ごめんなさい」
「嬉しい? 瀬那先輩は美味しいお菓子を作れるのに?」
「だって、陽太がアタシのために作ってくれたんでしょ? その気持ちが一番嬉しいのよ」

 瀬那先輩は皺一つないハンカチを取り出して、目元を拭う。

「食べてもいいかしら?」
「はい、どうぞ」

 瀬那先輩は俺の手を離し、両手のひらをくっつけて皿のようにした。その上にそっと乗せる。
 愛おしそうに眺める姿から、目が逸らせない。

「あっ、そうだわ。写真を撮らなきゃ」
「そんな撮るような出来じゃないですよ」
「ダメよ! 陽太が初めてプレゼントしてくれたものなんだから。はい、持って笑いなさい」

 瀬那先輩は俺にカップケーキを返すと、スマホをこちらに向ける。

「俺も映るんですか?」
「当たり前じゃない。ほら、早く笑って」

 急かされて、レンズを見ながら笑いかける。
 シャッター音の後、瀬那先輩は画面を見て満足そうに微笑み、カップケーキを再び受け取った。
 リボンを解いて、きのこ型のカップケーキを取り出す。

「ねぇ、アタシのお弁当を食べてくれないかしら?」
「瀬那先輩のがなくなりますよ」
「アタシにはこのカップケーキがあるもの。自分のお弁当もあるから、無理ならいいけど」
「いや、食べられます」

 瀬那先輩の弁当は野菜が中心で、彩りが鮮やかだ。

「弁当も瀬那先輩が作っているんですか?」
「今日はアタシが作ったわ。母と姉三人とアタシで順番に作っているの」

 朝からたくさんの弁当を作るのか。すごいな。
 瀬那先輩がカップケーキを齧った。眉を下げて苦笑いする。

「ベーキングパウダーを入れすぎたわね。お菓子作りは計量が命よ。大雑把に量ったんでしょ」

 瀬那先輩は咎めるような言葉とは正反対に、声は柔らかくて顔は緩んでいた。どんどん食べ進めていく。

「ちゃんと量ったつもりなんですけどね」

 頭を掻いて、へへっと首をすくめる。

「でも、とっても美味しいわ。味わって食べなきゃ」

 瀬那先輩は半分ほど食べると、一口が小さくなって、噛む回数も増えた。
 苦いはずなのに、大好物のように顔を綻ばせながら食べている。
 俺も瀬那先輩の弁当を食べた。
 目を見張る。絶対にこっちの方が美味しいのに。食べるのを止められなくて、ガツガツと掻っ込む。

「めちゃくちゃ美味しいです」
「そう、よかったわ」

 俺はすぐに弁当を二個平らげ、瀬那先輩は昼休みの時間いっぱいまで使って、ゆっくりとカップケーキを完食した。
 片付けていると「ねぇ」と声をかけられる。

「はい、なんでしょうか?」
「陽太は夏休みの予定はある?」
「部活ですね。秋の新人戦に出られるように、頑張ります」

 拳を握って意気込む。
 最近は基礎練習の後に、ボールを打つようになった。やっぱりボールを打つのは楽しい。
 瀬那先輩は口角を引き上げる。さっきまでの自然な笑顔ではなく、無理矢理作ったように見えた。

「そう、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」

 穏やかな声に、気のせいだったのかな? と首を捻る。

「そろそろ、教室に戻りましょ」

 瀬那先輩が立ち上がり、俺も続く。瀬那先輩の教室の前で、手を振って別れた。




 夏休みに入って一週間が経った。
 夏の大会が終わって三年生が引退し、一年生もコートを使える時間が増える。
 ラリーが続くようになって、毎日の部活が楽しい。

「ただいま」
「おかえり、もうすぐご飯ができるから」

 帰宅すると、母がキッチンから声を張る。
 腹ペコすぎて昼ごはんまで我慢できず、テーブルに置いてある煎餅をかじった。
 バリッボリッと快音が鳴る。
 あまじょっぱくて、子どもの頃から大好きな味のはずなのに。もう一つ食べてみる。

「なんか物足りないんだよな」

 瀬那先輩のお菓子を知っちゃったからかな? 瀬那先輩は今頃、何をしているんだろう。
 



 昼ごはんを食べて宿題をしようと机に向かうけれど、一向に進まずにまっさらな状態だ。やる気が出ない。このままだとまずい。夏休みが終わる頃に、徹夜で宿題を片付ける未来が待っている。

「疲れてるのかな?」

 首を捻りながらスマホを手に取る。

『酸っぱいハーブティーが飲みたいです』

 瀬那先輩に送ると、すぐに既読になってメッセージが返ってきた。

『いつが暇なの?』
『午後はいつでも空いてます』

 溶けてしまいそうな暑さのため、部活は午前中で終わる。

『明日、アタシの家にいらっしゃい』

 住所が送られてきた。




 翌日の部活後、シャワーを浴びて昼食を食べると「いってきます」と靴を履く。

「どこに行くの?」

 母親が玄関までやってくる。

「先輩の家」
「手ぶらで行くつもり? ちょっと待ってなさい」

 母がビニール袋を持ってきた。中身は桃。
 それを受け取って、家を出る。




 瀬那先輩の家の庭は、たくさんの花で彩られていた。つばの広い帽子を被って、花の世話をする姿が頭に浮かんだ。自然と頬が緩む。
 インターホンを鳴らすと、すぐに瀬那先輩が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。暑かったでしょ。中に入って」
 室内は冷房が効いていて、汗ばんだ肌を冷やしてくれる。

「瀬那先輩、これどうぞ」
「あら、嬉しい! 頂くわね」

 瀬那先輩は冷蔵庫に桃をしまう。

「ソファに座っていてちょうだい」

 腰を落とすと、ふんわりと体が沈む。ものすごく柔らかい。
 棚にはたくさんのぬいぐるみが飾られている。ファンシーなリビングだ。
 瀬那先輩がトレーをガラステーブルの上に置いた。

「はい、ご所望の酸っぱいハーブティー、ハイビスカスティーよ。そしておやつはミルクレープ。頂いた桃を添えようかと思ったけれど、冷えてないからやめたわ。桃のお菓子は、また後日作ってあげる」
「わー! すごいですね。時間かかるんじゃないですか?」
「陽太に連絡をもらって、張り切っちゃったわ。好きで作っているもの。全然苦じゃないわ」

 瀬那先輩はにこやかな顔でハイビスカスティーに口をつける。今日は「美味しい」とはにかんだ。

「あれ? 瀬那先輩も酸っぱいんじゃないですか?」
「飲んでみなさいよ」

 一口含む。ゴクリと大きな音を鳴らして飲み込んだ。

「あれ? 甘酸っぱくて、飲みやすいです」

 色は同じだけど、味が全然違う。

「蜂蜜を入れたの。美味しいでしょ」
「はい! これなら一気に飲めます」
「一気に飲む必要はないのよ」

 瀬那先輩は小さく息をついて、肩をすくめた。

「ミルクレープも食べなさい」
「はい、いただきます」

 フォークを入れて、薄い生地がぷつぷつ切れる感触に、期待が高まる。
 口に入れるとクリームとクレープの甘味が、舌の上で広がった。

「もちもちトロトロで、贅沢ですよね。クレープは一枚でも美味しいのに、何枚も重なって束になると、美味しさの攻撃力も上がるみたいな感じでフィーバーしてます!」

 ほー、と幸せを噛み締める息が漏れる。

「だから、アンタの食レポはアホっぽいのよ」

 瀬那先輩は苦笑して、ミルクレープを口に入れた。
 上品に手を口元に添えて、咀嚼する。
 優雅な身のこなしに、目が惹きつけられた。

「どうしたの?」

 視線が交わり、慌てて逸らす。

「えっと、俺、瀬那先輩のお菓子がないとダメになっちゃったみたいです」
「……どういうことかしら?」

 普段より低く落ち着いた声が返ってきた。

「部活中はいいんですけど、帰った後何もする気がなくて、宿題は全く進んでいません」
「それは単に、アンタのやる気がないだけでしょ」

 瀬那先輩は「もう、期待して損しちゃった」といつものトーンで頬を膨らませる。

「俺、毎年ちゃんと宿題はやりますよ」

 俺もむくれて抗議すれば、瀬那先輩が「ごめんごめん」と軽く謝る。

「瀬那先輩のお菓子がなかったから、やる気なかったんじゃないですかね? 今日はやる気がみなぎって、宿題が捗りそうです」
「……それなら、何で夏休みの予定を聞いた時に、部活って言ったのよ。午後は空いているんでしょ?」
「そうですけど、ほとんど毎日部活だから、そう答えただけで。……もしかして、遊びに誘ってくれようとしてましたか?」
「もう! 今頃気付いたの? 新人戦のために頑張ってるって聞いたら、誘えるわけないじゃない」

 瀬那先輩が口を尖らせて眉を下げる。

「だから昨日連絡をもらえて、本当に嬉しかったのよ」
「じゃあ、また遊びに来てもいいですか?」
「当たり前でしょ。桃が痛む前に来なさいよ」
「瀬那先輩の部屋も見たいです」
「それはダメ」
「意外です。瀬那先輩の部屋って散らかっているんですか?」
「アンタと一緒にするんじゃないわよ」

 なんで俺の部屋が散らかってるって知っているんだろう。
 瀬那先輩は目くじらを立てると、口を尖らせてそっぽを向いた。

「アタシは恋人しか部屋に入れないって決めているの」

 瀬那先輩はカップの中身をグッと飲み干す。

「瀬那先輩は恋人がいるんですか?」
「いないわよ! 陽太からそんな質問はされたくなかったわ」

 瀬那先輩はソファの背もたれに体を沈める。
 俺は入れないけど、恋人は瀬那先輩の部屋に入るんだ。
 胸にモヤっとしたものを感じた。すぐに消えたけれど、違和感に首を傾ける。
 スッキリとしない気持ちを、ハイビスカスティーと一緒にゴクゴクと飲み干した。

「はー、なんかめっちゃ元気になってきました」
「そんな即効性はないわよ。プラシーボ効果ね」

 瀬那先輩は呆れまじりに、口をほころばせる。

「帰ってからの宿題も、明日からの部活もバッチリです!」
「そう、応援しているわ」

 瀬那先輩のミルクレープとハイビスカスティーでやる気をチャージして、夜は夏休みに入って初めて宿題を進められた。




 後日瀬那先輩の家にお邪魔した時に、桃のパフェを作ってくれた。桃は生とシロップ煮の二種類用意されていて、手作りの紅茶ゼリーと桃の風味が相性抜群だった。