「雨宮俊哉です。趣味は将棋です。よろしく」
なのに、どうして、どうしてこいつがこの学校に来ているんだ。
俺は、その瞬間震えた。
それは、自己紹介の時間だった。
奴は、いたのだ。進学したのだ。この学校に。
だから、訳が分からなかった。
神様というのは非情だ。
せっかく将棋から離れられたかと思ったのに、逃げられたと思ったら、向こうからやってきた。
苛々する。
イライライライライライラ。
流石に俺も馬鹿じゃない。なんで、お前がここに居んだよ、なんて大声で叫ぶ事なんてしなかった。
しなかったけど、
それでも俺は握りこぶしを握った。
「安田武です。趣味は野球観戦です。よろしく」
俺はそうとだけ言って、座った。
趣味を言うつもりは無かった。
野球観戦は趣味ではない。
だけど、ゲームなんて言うのも憚られたのだ。
一番ありきたりなものを言ったつもりだった。ゲームはしたことはないが、野球は見たことがあったからだ。
そして、入学式を経て授業が開始していく。
だけど、
授業中。俺は、奴の表情を見るたびに吐き気を感じた。
無表情で授業を受け、友達もいないまま過ごしている奴の姿を見た。
俺は高校で友達が出来た。それは勝ちだな、と思った。
だけど、
人生で勝てても、将棋で勝てなければ意味がない。
俺は迷った結果、将棋部に入部することに決めた。
俺は忘れていたんだ。
俺は、こいつを倒すために戦ってきたんだ。
「新入部員?」
俺が将棋部に入部届を繰り出した時、俺は奴の、雨宮の姿を見た。
「初めまして」
そして奴は言った。
初めまして。初めまして。
印象にすら残っていねえのかよ。
「良く来てくれました。いやあ、もう新入部員はこないと思ってましたよ」
部長らしき男が言う。
眼鏡をかけている。
「なあ、雨宮。俺と将棋を指せ」
俺は叫んだ。
「俺と将棋を指せよ」
もう一度、言った。
「それで、僕に勝てるの」
冷たい目線で言われた。
「僕に勝てるならやろうよ」
その目は寂しそうなものを感じた。
だけど、だからなんだ、何が言いてえんだ。
「ああ、勝てるさ」
俺は言った。
正直、自身なんてものは無かった。
負けのイメージが俺の脳内を覆い尽くさんとしていた。
だけど、
それでも、俺はこいつに勝てなければ未来へと進めない。
俺の人生を歩めない。
将棋には触れられずにいた。
触れられずにいたが、それでも、
「勝ってやる」
俺は言った。
部長は困惑しているらしいが、関係ねえ。
「部長いいですよね」
そう言った。
そして、将棋が始まっていく。
俺は丁寧に駒組を進めていく。
角を交換して、
そして、理想形を組み立てている。
ここから攻めれば優位を撮れる。
それが定石のはずだ。
将棋という物は先手が優位なものだ。
先手を取るだけで、それだけで勝利確率は52%になる。
普通にやれば先手が勝つはず。そして、俺の研究にどんどんと進んでいく。
俺の研究の渦中にはまっている。と、何も考えずに喜んではいけない。ここから先手痛い反撃をくらう可能性も十分にあるのだ。
俺はそこから、一手一手に欠ける時間を増やしていく。
印象に残る将棋を指すだあ?
ふざけんな。俺はこいつに勝たなければならねえんだ。
そうじゃねえと、俺の存在意義そのものがなくなってしまうんだよ。
集中がどんどんと増していくのを感じる。
俺の目が将棋盤の81マスをきちんと捕らえていると、感じている。
10手先を読めている、という感じがする。
これならいける。
俺は再び目の前の雨宮の姿を視線に捕らえる。あいつはまだ、気怠そうに将棋を指している、ように見えた。
油断してたら喰われるぞ、という事を俺は示さなければならねえ。
なおさら負けられねえ。
今俺は集中が高まってんだ。だから、覚悟しろ!!
俺はその手の最善を考え、細かい攻めを続ける。その一方で奴は最善の受けを続けていく。
「負けました」
くそっ、あの牙城を崩せなかった。
方櫓の薄い陣形を破ることが出来なかった。悔しい悔しい悔しい。俺は将棋盤をばんっと叩こうとしてやめた。
そんなことをしたら、将棋の神様に怒られてしまう。
「ねえ」
「なんだよ」
「思い出した。将棋大会にいた人だね」
「ああ、そうだよ」
だからなんだ。
「前よりも強くなってるね。でも、僕に勝つにはまだまだだ」
そして将棋の駒を手荷物。
「せっかく僕が君の嫌がる手を封印してたのに、この局面に動かしたのに、僕に勝つ唯一の勝ち筋に見つからないなんて」
「なんだと?」
「23手」
彼は両手で23を現した。
「23手で、僕の馬を奪い去る手があるよ。それに気づけば互角にまで持って行けたのに、惜しいね」
「黙れ」
俺は叫んだ。
「俺をなめんじゃねえよ」
やっぱり腹の立つ野郎だ。
それ以上に、あんな奴に負ける俺がみっともねえ。
いくら惜しいところまでもっていったって、負けは負け。そこに惜しいもノーチャンスもなにもねえ。負ければ同じなんだ。
俺は言えであの局面を並べてみる。
全く見えてこねえ。23手。23手か。
分かりやすい手が思いつかねえ。奴のいいようだったら、俺は23手目で奴に勝てるチャンスがあったという訳だ。
だけど、家にあるソフトにかけても、出てくるのは敗勢。という事だけ。
俺はあの場面で勝つ方法などどこにもないと出て来る。
そんなわけがない、と思う。
AIがそう言ってるのに、逆転の言ってでもあるのか?
なんて思ったが、奴に限って嘘をつくなんて、思わねえ。読み間違いをするだなんて思わねえ。
そこには隠された正解が絶対にある。あるに決まっているんだ。
俺は将棋盤の前でうんうんとうなるのだった。
★
「面白かったな」
僕は呟いた。
あそこまで食らいついてくる人は中々いなかった。
僕は孤独だ。いつでも僕は人に圧勝してしまう。
だから、僕にとって将棋は孤独、孤独の競技だった。
ただ、僕が勝つという結果を再確認するためだけの競技。面白いとかも無くて、ただただ、孤独だ。
だけど、今日は今日の僕はかなり追い込まれた。
最初手を抜いていたとはいえ、あと少し油断してたら本当に僕が負けるところだった。
彼ならば、彼の荒々しい攻め将棋が、僕に届いてくるかもしれないと、考えると楽しみで仕方がないんだ。
「君は僕に泥をつけてくれるかな」
せめて、あの好手を見つけてくれるとうれしいんだけどね。
★
「くそっ」
俺は小さな舌打ちを打った。
夜まで考えても、答えは見えなかった。
今のホームルーム中も、こっそりと手を探している。
将棋盤を持ってくるわけにもいかないから、スマホに読み込んで、スマホ内で指して行っている。
だけど、奴が言っていた答えなんて見つからない。
諦めたくない。だから、必死で答えを探しているが、相変わらず見つかる様子がない。
今日も部活があるそうだ。部長から誘われてんだ。
流石に今日部室に行くまでに考えなければならない。
そうでないとあまりにもみっともない。みっともなさすぎて泣きそうになんだよ。
俺はひたすらに頭を使い考え込む。
「答え、まだ出てないの?」
そう言われた。俺は目を見開き彼を見る。
「うるせえよ」
俺は一言言った。
「黙れ」
「ヒント教えてあげようか」
「そんな事されるくらいなら、死んだほうがましだ」
俺は言った。
ヒントを教えてもらうなんて、将棋を指している身として許せるわけが無かった。
答えは自分で導き出したい物。
将棋を指している身として、そういう矜持がある。
今俺にヒントを教えるという事は、俺のプライドを傷つけるのも同義だったのだ。
「そう言ってくれてよかった」
「何だよ」
「もし、ヒントを素直に貰ってたら軽蔑するなって」
「あたりめえだろ。その提案自体がムカつくんだよ」
俺が言うと、彼は笑った。ちくしょう。こいつの事がよくわからん。
そして、昼休みも、必死に答えを考え考え考え続けた。
そして、
「これだ!!」
俺は叫んだ。答えが見つかったのだ。こうすれば、見事に相手の馬を奪え、一気に局面は良くなる。
俺はすぐにあいつに伝えたくなった。だけど、正直それが恥ずかしくなってくる。
まるで子供っぽい気がする。
「どうしたの?」
だが、俺が奴の元に行く前に、奴がここに来た。それこそ、俺と話をするため、だろう。
「正解が見つかったの?」
殺気分かりやすくはしゃいだからか、恥ずかしい。
だけど、っ――
俺は冷静に、
「見つかったぜ」
そう、言った。
「簡単だったんだ。そんな複雑に考えるまでもなかった。13通りの内、10通りの逃げ方は玉が詰んで、俺の勝ち、2通りはもっとひどい事になる。だから一番マシな応手が馬をす抜かれる手だけど、それでようやく互角という話だな」
「それで」
「俺は思ったよりも負けてはいなかったっつうことだ」
「正解だよ」
雨宮が俺にいきなり抱き着いてくる。
「なにすんだよ」
「僕は嬉しいんだよ。その唯一の勝ち筋に気が付いてくれ」
「重い」
全体重がかかってる。華奢な体だからそこまで重いという事はないけれど、それでも支えるのにはかなり無理がある。
俺はドシンと、床に倒れ込む。
「何なんだよ」
「もう一局誘う」
「はあ?」
「指そうよ」
「いやいや、どういう発言!?」
「指そうよ」
「あ、ああ」
なんだ、あんな興味なさそう夏らしてたくせに、なぜ急に俺に興味を持ちだしたんだ。
意味が分からんにもほどがある。が、
「仕方ねえ」
こいつの意志に乗るか。
俺はどちらにしてもこいつに勝たなければならねえ。
こいつに勝つ、それを果たさなくては、他数百人の雑魚に勝ったとしても意味がねえ。
雨宮に勝たなければならねえんだ。
「放課後、お前に勝って見せる」
「楽しみにしてる」
そうにっこりと笑った。


