本命はメレンゲで隠して

 五月の地区予選で六位以内に入れば次は県大会で、こっちでもいい成績を残せたら、夏のインターハイに出場する権利を得られる。

 今まで目立った成績は無くて、これが終われば名実ともに引退しよう──そう考えていた。

「はぁ、はぁ……っ」

 たった百メートルの短距離を走るのは、いつになっても緊張する。

 でもまっすぐに前を向いて、いつも練習してるみたいに脚を上げて……そうして目の前のゴールテープを切った。

 フィニッシュタイマーには十・一二と表示されていて、ほとんど同時に俺の名前が呼ばれ、次々と名前が呼ばれていく。

 ……よかった、一位通過したみたいだ。

 でもこれで百メートル走の種目が最後だったからか、すぐに総合的な順位が発表される。

 ドキドキと心臓が別の意味で速くなるのを感じながら、大画面を見ると二位に俺の名前があった。

「──よっ……しゃあ!」

 それを見た瞬間、俺の絶叫がスタジアム内に大きく響いた。

 全力を出したからか、地区予選を突破した嬉しさからか、鼓動がうるさい。

 けれど、それ以上に不安と期待とが()い交ぜになっていた。

 県大会でちゃんと結果を残せるのか、本当にインターハイに行けるのか、とネガティブな事が浮かんでは消える。

「……よし」

 ぎゅうと手の平を痛いほど握って、心を落ち着ける。

 俺が走ったブロックでは一位になったけど、県大会ともなるともっと競争率が激しくなるはずだ。

 まだまだ気は抜けない。そう思ったら早く練習しないと、って気持ちになった。




 無事に地区予選突破の証である賞状の受賞式を終えて、着替えてから部活の奴らと来ていたバスに向かおうとする。

 すると見慣れた横顔があって、俺が声を掛けるよりも早くその人がこちらを見た。

「二位通過おめでと、隼」

 俺が歩いてくるのを認めたその人──拓斗が、愛しそうに微笑んだ。

「お疲れっ! すげーじゃん、俺まで叫んだわ」

「っ……おい。ここ一応、人が」

 そのままがばりと抱き着いてきて、俺は慌てて離れようと腕を突っぱねる。

 でも少しも距離が広がらなくて、ほとんど拓斗の胸に手を添えるだけになった。

 製菓部が陸上部より鍛えてるなんておかしいだろ……!

 でもすぐに諦めて、ぽんぽんと拓斗の背中を叩きながら、溜め息混じりに呟く。

「……まだ地区予選突破しただけだから。こっから県大会だし」

 県大会で上位に入れば、次はインターハイ。

 インターハイでもいい結果が残せれば、大学に進学する時はもちろん、次の大会に出場する権利をもらえたり、場合によってはスカウトが来る。

 まだ『インターハイに出場する』っていう漠然とした目標があるだけで、この先の事は分からない。

 でも俺がはっきり言えるのは、こいつと──拓斗と一緒に居たいということだけだ。

「頑張れ、隼なら出来る。……だから大丈夫」

 そこまで言い終えると、拓斗は俺の頭を撫でてくる。

 バレンタインに告白された翌日から、拓斗はそれまでの『王子様』な態度が嘘だったみたいに無口になった。

 拓斗のことが好きな女子達は『怖い』とか『近付けない』とか言って、クラスの女子までも拓斗によそよそしい。

 まぁ俺は慣れてるからいいけど、あからさま過ぎてちょっと呆れたというか……でもそれ以上に変わったのは、俺に対する態度で。

 前までは顔を合わせても一言二言話すだけだったのが、気付けばいつどこでも一緒に過ごすようになった。

『いいじゃん、一緒に居る口実考えんで済むし』

 あっけらかんと拓斗は言うけど、ああいう告白されたからか、親友を意識しまくったのは言わずもがなで。

「言っとくけど俺、敗退してもお前みたいに泣かねぇから」

「……まだ覚えてんのか、あれ」

 はぁ、と拓斗が呆れを隠すことなく溜め息を吐く。

 忘れるわけないだろ、お前が号泣してるの初めて見たんだから。

 それは四月の半ば、新学期が始まった時の事。

 ようよう俺は拓斗に自分の気持ちを……お前のことが好きだって伝えた。

 そしたらこいつはボロボロ泣いて、ずっと『不安だった』『嫌われたんじゃないか怖かった』とか言って、泣き崩れた。

 俺がずっと背中をさすって抱き締めて、何回も『遅くなってごめん』って謝ってやっと落ち着いたくらいだ。

 その時の拓斗を思い返すと可愛くて、こんな泣き虫だったなんて知らなかったな。

「忘れてほしかったら賄賂くれよ、泣き虫拓斗くん」

 抱き締めてきた流れで拓斗の肩口に埋めていた顔を離して、片頬を上げただけの悪い笑みを浮かべながら拓斗を見上げる。

 賄賂、とはすなわち拓斗が『俺のために』作ってくれる、カロリーや甘さが控えめなお菓子のことだ。

 バレンタインの少し前にもらったやつも、当日にもらった本命チョコも、俺好みの味だった。

 もちろん食べた分運動をしてるから、体重が増えたって事は今のところ無い。

「……仕方ねぇなぁ」

 くしゃりと拓斗が笑って、そのまま俺の頭を撫でる。
「じゃあメレンゲ作るわ、あれ好きだろ?」

「え、ああ……今更だけどメレンゲっていうのか、あの可愛いやつ」

 それはバレンタインの数日前、放課後の教室の前で渡されたお菓子のことだった。

 サクサクして軽くて、その日の夜に全部食べてしまったから『作ってくれ』って催促したほどだ。

 以降、拓斗は定期的にメレンゲを作ってくれていた。

「そ。んでさ、メレンゲの意味知ってる?」

 少し意地悪そうな瞳で、俺の顔を覗き込んでくる。

「いや。なんか意味あんの?」

 緩く首を傾げて尋ねると、拓斗は抱き締めていた腕を解いて、自然な手つきで俺の手を握った。

 拓斗の手はぽかぽかしてて、触れ合ってるところから全身に血が巡っていくようだった。

「──あなたは特別な存在」

 俺の耳元に顔を寄せて、吐息混じりに囁く。

 同時に俺は軽く目を見開いて、じっと拓斗を見上げた。

「だから。これからも、この先も、ずっと……な?」

 一言一句噛み締めるように、拓斗がゆっくりとした声で言う。

 声音がいつもより穏やかで優しくて、俺は自然と微笑んだ。

「……うん」

 なんだか胸がいっぱいで何も言えなくて、でも言葉にできない代わりに繋いでいる手にぎゅうと力を込める。

 しばらくお互い見つめ合っていると、拓斗の耳の縁がかすかに赤くなっているのに気付く。

「ふ、ふっ」

 その小さな変化に、無意識に笑い声が漏れる。

「なに笑ってんの」

 すると目敏(めざと)く気付いた恋人が、軽く眉間に皺を寄せた。

「や、なんも」

 拓斗にしてはレアな拗ねた顔が可愛くて、堪えきれずに小さく肩が揺れてしまう。

 でも拓斗はそれ以上何も言わず、むしろ大切なものに触れるように俺の頬を撫でるだけだ。

 ……拓斗と恋人になってから一ヶ月と少し。

 本格的な夏になればお互いに受験勉強をしないとだけど、これからもこうして付かず離れずの関係が続くんだろう。

 そう思ったら、たとえ思い通りの未来じゃなくてもまっすぐに前を向いて行ける──拓斗となら。