陸上部の練習が終わる頃には、もう辺りが暗くなり始めていた。
「……やっべ、忘れ物した!」
制服に着替えて友達二人と帰ろうとしてると、昇降口のところでポケットに入れていた鍵が無いことに気付く。
「隼待ってたら電車ギリだし、俺ら先帰るけど」
「ごめん、そうして」
最後まで聞き終えるよりも早く、俺は小走りで教室までの道を戻った。
あ、でもその前に鍵だ。職員室……!
一度立ち止まって、昇降口から近くの職員室に向かう。
「失礼します、二年の……っと、すんません……!」
軽くノックして職員室の扉を開けると同時に、誰かとぶつかりそうになった。
軽く後ずさってから、反射的に謝罪する。
「あれ、隼じゃん。どしたの、そんな急いで」
でも返ってきたのは教師の『落ち着け』って言葉じゃなくて、少し不思議そうな聞き馴染みのある声だった。
そっと見上げると拓斗がいて、どうやらこいつも職員室に用があったんだって瞬時に理解する。
「え、あ……鍵、もらいに」
「ん」
でも拓斗が職員室に居る理由が分からなくて、途切れ途切れに言う。
すると、さも『見ろ』と言わんばかりに、拓斗が教室の鍵を俺の目の前にかざした。
……あ、受け取れってこと?
「あ、ありがと……?」
片手を差し出すと拓斗はそのまま俺に鍵を握らせて、にこりと笑った。
「いーえ。じゃ、また返しにきます」
俺が言うはずだったのに、なんか拓斗が全部やってくれた気がする。
……まぁ手間がはぶけたのはありがたいけど、拓斗が職員室に居るのって新鮮だな。
ぼんやりと頭の隅で考えながら拓斗と二人、ゆっくりと教室までの廊下を歩いた。
「……そういや、なに忘れたん」
途中、拓斗がぽつりと呟く。
その口調は普段の柔らかいものとはまるきり違って、少し投げやりだ。
まぁこれが拓斗の通常運転だから、俺は慣れたものだけど……女子が聞いたらどう思うだろうなぁ。
「鍵、教室忘れたのかと思って。ほらあっただろ、サッカーのアニメのキーホルダー付いたやつ」
「あー、あれね。陸上部のクセしてなんでサッカーなんだよ、って思ったわ」
「いいだろ、好きなんだから!」
ケラケラと笑う拓斗に軽く怒った声で言いながら、ちらちらと視線を下に向ける。
鍵にはキーホルダーの他に、手の平くらいのぬいぐるみも一緒に付けていた。
そのぬいぐるみの髪色がビビットピンクだから、結構目立つ。
すぐに見つかると思ったけど、教室に近付くまで見当たらなくて、じわじわと焦燥感が大きくなっていく。
一応保存用と観賞用と持ち歩く用があるけど、その『持ち歩く用』が無いとまた探さないといけない訳で……フリマで探すか最悪。
ガチャ、と教室の鍵が開くのと、俺が見つからないのを覚悟したのはほとんど同時だった。
「あれ、入らんの」
顔を上げると、『忘れもんあるんでしょ』と拓斗が不思議そうに首を傾げるのが目に入る。
「あ、ああ……うん」
……無駄に顔がいいから、ちょっと動揺したじゃんか。
「なんか負けた気分」
ブツブツと拓斗に聞こえないくらいの声で言いながら、自分の席に向かう。
確かホームルームが始まるまで、いつものルーティンで机の下でぬいを触ってて、でも終わってすぐに陸上部の奴らに呼ばれて、部活に行った……んだと思う。
机の中には適当に入れたプリントが山になっていて、ついでだから中身を全部出す。
「よい……しょ、っと」
テストやら保護者に見せるものやら……あっ、これ期限過ぎてるやべぇ。
適当にいるものといらないものを仕分けて、もう一回机に手を突っ込むとお目当ての感触が。
「あ、あった……っ!?」
二年くらい前にアニメになって、そこから人生の推しになった俺の──ってご尊顔が汚れてる!?
誰が机の奥に突っ込んだんだ! ……いや多分俺だけども!
「やべ、汚れとか……残らないよなこれ。でも残ったらそれはそれでレア……いや、やっぱ駄目だ!」
焦りながら推しの顔に付いた小さい汚れを払って……よし、綺麗になった!
「……あれ」
大事に鍵(というかぬいぐるみ)を手の平で包み込みながら教室を出ると、拓海は廊下の壁に背を向けて立っていた。
腕を組んでいて、俺が無事に鍵を見つけたのに気付くと軽く俯けていた顔を上げる。
「あった?」
何を、とはみなまで聞かない。
というか俺が一人で騒いでたの、全部聞いてたよな。何してるのかも見えてただろうし。
「うん」
拓斗にだけ見えるように、そっと手の平を開けて見せる。
「……や、別に欲しいとか思ってないから」
すると拓斗は呆れたように、でも屈託なく笑った。
……こういうところ、中学の頃から変わってないんだよな。
無口でぶっきらぼうで、必要なこと以外はしないし言わない。
そういう昔の拓斗を知ってる身としては、俺以外に見せる『王子様キャラ』は無理して演じてるんだって分かる。
「そういや、お前は? なんか忘れたんじゃないのか」
そんなとこ突っ立ってないで入ればいいのに。
そういう意味で言うと、拓斗は一瞬だけ目を丸くしたあと『あー』とか『えー』とか口をモゴモゴさせて……なんだ、コミュ障か?
「なんだよ、はっきり言えよ」
疑問と同時に、ほんの少しの苛立ちを隠すことなく尋ねると、やがて拓斗はブレザーのポケットから何かを取り出した。
「え」
……なんだこれ?
それはなんの変哲もない、拓斗の手の平にすっぽりと収まった白い箱だった。
青いリボンで綺麗にラッピングされていて、でもそれ以外の情報はない。
「ん」
ずい、と拓斗が俺の目の前に手を差し出してくる。……あ、受け取れってこと?
「ありがと……? なぁ、開けていいのかこれ」
見たところ変なものじゃ無さそうだけど、念のために聞いておく。
あの拓斗に限って、イタズラとかそんな事ないと思うけど。
「ん、開けてみて」
よぉし、許可ももらったことだし。
「ほんじゃあ……オープン!」
ちょうちょ結びにされたリボンは、片方を引っ張ったら簡単に解けた。
箱を開けると中には白やピンク、コロコロした可愛いものが四つくらい入っていて、その下には細い紙が敷かれている。
……え、なにこれ。
さっきから同じことばっか思ってる気がするんだけど、本当になんだこれ?
「今日作った。その余り」
俺が疑問に思ってるのを察してくれたのか、拓斗が説明してくれる。
「あー、なるほど……余りね余り」
さっき家庭科室を通った時、調理台の上に色んな種類がいっぱいあったもんな。
もうすぐバレンタインだし、製菓部は女子が多いからめちゃくちゃ試作するだろうし。
俺が『美味そう』って見てたから、わざわざ持ってきてくれたのかな。
「クッキー、っぽい? あんま甘くなかったらもらうけど」
いかんせんこういうお菓子は見たことなくて、でも女子が好きそうな見た目だなと思う。
ケーキとかにデコレーションするホイップみたいな、綺麗な形のお菓子だった。
「ん、もらって。……つか、もらってくれないと困る」
「え、なんか言ったか?」
あんまりにも拓斗の声が小さかったから、反射的に聞き返す。
「いや、なんも」
でも拓斗は教えてくれる気はないみたいで、すぐにそっぽを向いた。
なんだよ、変な奴だな。
「……そういや、これ見たことないんだけど。なんて名前のお菓子?」
俺はその中の白いお菓子を指先でつまんで、拓斗の目の前でゆらゆらと手を動かしてみせる。
すると拓斗は軽く目を見開いて、でも俺と二人で居る時の拓斗には珍しく、みんなの前でする『王子様』っぽく微笑んだ。
「なんだろうね?」
「っ」
ふふ、と首を傾げて言うものだから、なぜか俺はそれ以上何も言えなくて。
同時に胸の奥がトクン、と小さく音を立てた……気がする。
「はぐらかすのやめてくださーい」
でもそれがどうしてなのか分からなくて、誤魔化すようにツンと拓斗の脇腹を肘でつついた。
「……やっべ、忘れ物した!」
制服に着替えて友達二人と帰ろうとしてると、昇降口のところでポケットに入れていた鍵が無いことに気付く。
「隼待ってたら電車ギリだし、俺ら先帰るけど」
「ごめん、そうして」
最後まで聞き終えるよりも早く、俺は小走りで教室までの道を戻った。
あ、でもその前に鍵だ。職員室……!
一度立ち止まって、昇降口から近くの職員室に向かう。
「失礼します、二年の……っと、すんません……!」
軽くノックして職員室の扉を開けると同時に、誰かとぶつかりそうになった。
軽く後ずさってから、反射的に謝罪する。
「あれ、隼じゃん。どしたの、そんな急いで」
でも返ってきたのは教師の『落ち着け』って言葉じゃなくて、少し不思議そうな聞き馴染みのある声だった。
そっと見上げると拓斗がいて、どうやらこいつも職員室に用があったんだって瞬時に理解する。
「え、あ……鍵、もらいに」
「ん」
でも拓斗が職員室に居る理由が分からなくて、途切れ途切れに言う。
すると、さも『見ろ』と言わんばかりに、拓斗が教室の鍵を俺の目の前にかざした。
……あ、受け取れってこと?
「あ、ありがと……?」
片手を差し出すと拓斗はそのまま俺に鍵を握らせて、にこりと笑った。
「いーえ。じゃ、また返しにきます」
俺が言うはずだったのに、なんか拓斗が全部やってくれた気がする。
……まぁ手間がはぶけたのはありがたいけど、拓斗が職員室に居るのって新鮮だな。
ぼんやりと頭の隅で考えながら拓斗と二人、ゆっくりと教室までの廊下を歩いた。
「……そういや、なに忘れたん」
途中、拓斗がぽつりと呟く。
その口調は普段の柔らかいものとはまるきり違って、少し投げやりだ。
まぁこれが拓斗の通常運転だから、俺は慣れたものだけど……女子が聞いたらどう思うだろうなぁ。
「鍵、教室忘れたのかと思って。ほらあっただろ、サッカーのアニメのキーホルダー付いたやつ」
「あー、あれね。陸上部のクセしてなんでサッカーなんだよ、って思ったわ」
「いいだろ、好きなんだから!」
ケラケラと笑う拓斗に軽く怒った声で言いながら、ちらちらと視線を下に向ける。
鍵にはキーホルダーの他に、手の平くらいのぬいぐるみも一緒に付けていた。
そのぬいぐるみの髪色がビビットピンクだから、結構目立つ。
すぐに見つかると思ったけど、教室に近付くまで見当たらなくて、じわじわと焦燥感が大きくなっていく。
一応保存用と観賞用と持ち歩く用があるけど、その『持ち歩く用』が無いとまた探さないといけない訳で……フリマで探すか最悪。
ガチャ、と教室の鍵が開くのと、俺が見つからないのを覚悟したのはほとんど同時だった。
「あれ、入らんの」
顔を上げると、『忘れもんあるんでしょ』と拓斗が不思議そうに首を傾げるのが目に入る。
「あ、ああ……うん」
……無駄に顔がいいから、ちょっと動揺したじゃんか。
「なんか負けた気分」
ブツブツと拓斗に聞こえないくらいの声で言いながら、自分の席に向かう。
確かホームルームが始まるまで、いつものルーティンで机の下でぬいを触ってて、でも終わってすぐに陸上部の奴らに呼ばれて、部活に行った……んだと思う。
机の中には適当に入れたプリントが山になっていて、ついでだから中身を全部出す。
「よい……しょ、っと」
テストやら保護者に見せるものやら……あっ、これ期限過ぎてるやべぇ。
適当にいるものといらないものを仕分けて、もう一回机に手を突っ込むとお目当ての感触が。
「あ、あった……っ!?」
二年くらい前にアニメになって、そこから人生の推しになった俺の──ってご尊顔が汚れてる!?
誰が机の奥に突っ込んだんだ! ……いや多分俺だけども!
「やべ、汚れとか……残らないよなこれ。でも残ったらそれはそれでレア……いや、やっぱ駄目だ!」
焦りながら推しの顔に付いた小さい汚れを払って……よし、綺麗になった!
「……あれ」
大事に鍵(というかぬいぐるみ)を手の平で包み込みながら教室を出ると、拓海は廊下の壁に背を向けて立っていた。
腕を組んでいて、俺が無事に鍵を見つけたのに気付くと軽く俯けていた顔を上げる。
「あった?」
何を、とはみなまで聞かない。
というか俺が一人で騒いでたの、全部聞いてたよな。何してるのかも見えてただろうし。
「うん」
拓斗にだけ見えるように、そっと手の平を開けて見せる。
「……や、別に欲しいとか思ってないから」
すると拓斗は呆れたように、でも屈託なく笑った。
……こういうところ、中学の頃から変わってないんだよな。
無口でぶっきらぼうで、必要なこと以外はしないし言わない。
そういう昔の拓斗を知ってる身としては、俺以外に見せる『王子様キャラ』は無理して演じてるんだって分かる。
「そういや、お前は? なんか忘れたんじゃないのか」
そんなとこ突っ立ってないで入ればいいのに。
そういう意味で言うと、拓斗は一瞬だけ目を丸くしたあと『あー』とか『えー』とか口をモゴモゴさせて……なんだ、コミュ障か?
「なんだよ、はっきり言えよ」
疑問と同時に、ほんの少しの苛立ちを隠すことなく尋ねると、やがて拓斗はブレザーのポケットから何かを取り出した。
「え」
……なんだこれ?
それはなんの変哲もない、拓斗の手の平にすっぽりと収まった白い箱だった。
青いリボンで綺麗にラッピングされていて、でもそれ以外の情報はない。
「ん」
ずい、と拓斗が俺の目の前に手を差し出してくる。……あ、受け取れってこと?
「ありがと……? なぁ、開けていいのかこれ」
見たところ変なものじゃ無さそうだけど、念のために聞いておく。
あの拓斗に限って、イタズラとかそんな事ないと思うけど。
「ん、開けてみて」
よぉし、許可ももらったことだし。
「ほんじゃあ……オープン!」
ちょうちょ結びにされたリボンは、片方を引っ張ったら簡単に解けた。
箱を開けると中には白やピンク、コロコロした可愛いものが四つくらい入っていて、その下には細い紙が敷かれている。
……え、なにこれ。
さっきから同じことばっか思ってる気がするんだけど、本当になんだこれ?
「今日作った。その余り」
俺が疑問に思ってるのを察してくれたのか、拓斗が説明してくれる。
「あー、なるほど……余りね余り」
さっき家庭科室を通った時、調理台の上に色んな種類がいっぱいあったもんな。
もうすぐバレンタインだし、製菓部は女子が多いからめちゃくちゃ試作するだろうし。
俺が『美味そう』って見てたから、わざわざ持ってきてくれたのかな。
「クッキー、っぽい? あんま甘くなかったらもらうけど」
いかんせんこういうお菓子は見たことなくて、でも女子が好きそうな見た目だなと思う。
ケーキとかにデコレーションするホイップみたいな、綺麗な形のお菓子だった。
「ん、もらって。……つか、もらってくれないと困る」
「え、なんか言ったか?」
あんまりにも拓斗の声が小さかったから、反射的に聞き返す。
「いや、なんも」
でも拓斗は教えてくれる気はないみたいで、すぐにそっぽを向いた。
なんだよ、変な奴だな。
「……そういや、これ見たことないんだけど。なんて名前のお菓子?」
俺はその中の白いお菓子を指先でつまんで、拓斗の目の前でゆらゆらと手を動かしてみせる。
すると拓斗は軽く目を見開いて、でも俺と二人で居る時の拓斗には珍しく、みんなの前でする『王子様』っぽく微笑んだ。
「なんだろうね?」
「っ」
ふふ、と首を傾げて言うものだから、なぜか俺はそれ以上何も言えなくて。
同時に胸の奥がトクン、と小さく音を立てた……気がする。
「はぐらかすのやめてくださーい」
でもそれがどうしてなのか分からなくて、誤魔化すようにツンと拓斗の脇腹を肘でつついた。



