放課後アウトライン

文化祭が終わってから一週間。気付けば俺は校舎とは別棟にある被服室の扉の前に立っていた。

「……何してんだろ。俺」

思わず苦笑する。もう退部して手芸部とは関係の無い人間だと言うのに。分かっていても足は未練がましく勝手にここまで動いていた。冬が近づく夕方の空気は思ったより冷たい。窓から漏れる小さな灯りを見上げ、僅かに暖を取る。今日も活動をしているのだろう。微かに聞こえる女の子たちの笑い声から悟る。その中にはきっと志田くんもいる。あー、と頼りない声とため息をついて頭を搔く。会いたかった。たぶんそれだけ。志田くんに会って「髙田先輩」って呼ばれて。いつもみたいに手芸の話をして。俺が失敗したら呆れた顔をしてそれでも優しく教え続けてくれたりして。それだけで良かったはずなのに。もし本当に今志田くんに会ってしまったらきっと帰りたくなくなる。そうして結局、被服室の扉に触れることもないまま踵を返した。帰り道、制服のポケットの中で小さなビーズが指先に当たる。文化祭の日に志田くんに渡したビーズリングと同じ色の試作品。

「……元気かな」

誰にも聞こえないほど小さく呟いた声は夕暮れの風に溶けて静かに消える。

部屋に戻ると制服のままベッドへ倒れ込む。文化祭まであと数日。共同作品もほとんど完成していて、部活動最終日も近づいていた。天井を見上げながらスマホを弄る。気付けば写真フォルダには手芸部で作った作品の写真ばかりが増えていた。初めて作ったコースターに、猫ビーズ刺繍。どれも不格好で完璧な作品ではないが自分の手で作った作品には特別愛着が湧くものだ。その中に混ざっていた一枚の写真についスクロールする指が止まる。あまりにも可愛いから撮らせて、とお願いした文化祭の展示会用に作られたうさぎのフェルトマスコット。白い身体に赤い目。そして首には青いリボンを結んでいる。志田くんが作ったものだった。

「……上手いなぁ」

何度見てもそう思う。縫い目が綺麗で丁寧に縫われてることが素人目でも分かる。器用で、優しくて。俺がどんなに下手くそでも説明をやめないでくれて。何より、手芸をしている時の志田くんは楽しそうだった。被服室にいる時の志田くんの話しか聞いたことは無いけれど、少なくとも俺が聞いていた手芸の話をする志田くんはいつも楽しそうに笑っているのを思い出す。穏やかなその笑顔を見るのが好きだった。そこまで考えて慌ててスマホごと布団に顔を伏せる。

「いや、好きってなんだよ」

思わずひとりで突っ込んだ。誰もいない部屋なのに少し恥ずかしい。文化祭が終われば退部するし、もう卒業も近い。だからせめて何か形として残したかった。何か、"お礼"になるものを。机の引き出しを乱暴に開ける。中には被服室から借りてきたビーズアクセサリーの作品集が入っていた。ぱらぱらとページをめくる。ブレスレット、ネックレス。その中で太めに止まったのはビーズリングだった。小さなビーズを繋げて作る比較的簡単な(……と、書かれているが俺にはどうだろう。)リング。手芸初心者向け、と誇張するように書かれている。しばらくそのページを見つめてから、小さく笑った。

「リングはさすがに重いだろ」

そう呟いたくせに、本を閉じることは出来なかった。むしろ、気付けば翌日には百均でビーズを買ってきていた。「何してんだろ」小さく呟いて机の上に両肘を固定し、深く頭を垂れて顔を覆うように頬杖をついた。最近はこの台詞ばかり頭に浮かぶ。机の上に袋を置く。青、白、そして透明色。どの色がいいか迷った結果、結局手に取ったのは青いビーズだった。志田くんが好きな色かは分からない。けれど展示用に作っていたつはぎの青いリボンがなんとなく、志田くんぽい。と思ったから。説明書を見ながらテグスにビーズを通していく。一粒、また一粒。途中で何度もビーズを落とした。

「ちっさ……」

細く透明なテグスに通るビーズは俺の手から逃げていくかのようにあちこちに飛んでいく。その度にビーズを拾って、飛ばしてを繰り返していた。ビーズを通す都度にテグスをギュッと引っ張るが力が弱いのかあまり上手くビーズが密着しない。

「志田先生〜!」

背を小さくしていつも呼んでいる名前をぽつりと呟く。今、家には俺ひとりだと言うのに。"お礼"のために作っているのに、自分がとても情けなく感じる。渡す相手に助けを求めるなんて。よし、とやけに明瞭な声を出してわざとらしくセーターの腕を捲る。俺ひとりでリングを完成させるんだ。リングは多少歪でありながらも何とか形になろうとしていたが今度俺が直面した問題はサイズだった。いちばん肝心な志田くんの指の太さなんて分からない。思い出そうとしても浮かぶのは針を持つ手や俺を手伝ってくれる時の少しだけ触れる小さな手だけ。

「これくらいかな」

自分の薬指に当てみる。絶対違う気がする。「まぁ……いいか」、どうせ売り物じゃない。完璧じゃなくてもいい。なんなら恥ずかしいが完璧じゃない方が俺らしい気がしてきた。そう思いながら、もう一粒ビーズを通した。

「……できた!我ながら、可愛いかも」

完成したリングを指先で摘み上げる。青いビーズは机の上のライトに照らされて小さく光った。志田くんの指のサイズにあっているか分からない。形も少し歪。それでも、自分で作ったと思えば悪くない気がする。そして次に直面した問題は渡し方だった。ただの部活の先輩から貰うリングなんて、どんな渡し方でも重い。いや重すぎる。

「どうしよう」

普通に渡す……?「いつもありがとう」だけじゃ何かが足りない。「"お礼"に」は味気ない気がする。そもそも、普通ってなんだ。そんな哲学を唱えながらベットに倒れ込んでリングを天井に掲げる。どうせ渡すなら。どうせを渡すなら、志田くんが笑うような渡し方がいい。そう考えて目を閉じた。
文化祭当日。小さな子供と話す時にしゃがんで目線を合わせて話していた姿。指人形を動かしていた顔。薔薇を見て笑った顔。手芸の話をしている時の顔。思い出すのはそんな志田くんの姿ばかりだ。

「志田くん、俺と結婚してください」

ぽろりと口から零れた言葉に自分で固まる。数秒後。
「(……いや、意味分かんないだろ)」
自分が口にした言葉の意味を理解して全身の体温がブワッと上がっていくような気がした。……何言ってんだ、俺。だけど渡すなら。どうせ渡すなら志田くんが笑ってくれる渡し方が良かった。俺は、文化祭が終わったら退部する。卒業だってする。だからこそこれはきっと、ただの"お礼"だ。そう自分に言い聞かせながら俺は小さく息を吐いた。

――「今はいつもの"お礼"……ってことにしといて」

そう言って俺は逃げるように被服室を飛び出ていった。
足が不思議なくらい軽かった。もう後悔しない。驚いたみたいな、ずっと固まっていた志田くんのあの顔は初めて見た。そんな顔をさせたかった訳じゃない。少しでも笑ってくれたら、と思った。だけど、きっとそれも自分のエゴでしかない。それでも、志田くんのことが好きだった。