放課後アウトライン

体育祭が終わり、宇喜多は一気に文化祭の空気へと変わった。教室には実行委員会から配られた資料が、廊下には壁画制作の案内のポスターが貼られている。そして、文化祭の雰囲気になっていったのは手芸部も例外ではなかった。部員たちは共同作品の案決めに、個人の展示作品の制作に力を入れていく。被服室では少しずつ文化祭の準備が積み重なっていった。

「――というわけで、今年も展示会をやります。全体としては巨大タペストリー、個人としてはフェルト作品、刺繍作品、ビーズ作品中心に展示したいと思ってます。展示に向けてどんどん作品作っていってね〜」

顧問の声に部員たちが頷く。毎年恒例の展示会。
俺も何を作ろうか考えながら資料に目を通す。

「志田くん、何作るの?」

聞きなれた声に反応すると隣の席に腰掛けていた知隼が訊いた。去年は男子ひとりで基本的には展示ボードの移動や資料の準備など何かと力仕事(他の部活と比べたら全然マシな方ではある)を任せられていたが、今年は知隼がいるので少し頼もしかった。

「フェルトマスコットですかね」
「うさぎ?志田くんよくうさぎ作るよね」
「まぁ……。髙田先輩は何作るんですか?」

ひとり分空いた机との隙間を埋めるように窓際へと近づけて一緒に資料に目を通した。それから少し間が空いて知隼は頬杖をつきながら、「秘密」と目をニヤッとさせて笑った。

「なんでですか」
「なんでも!完成するまで秘密だよ」

今度は口を強く閉じてチャックを締める動作をする。そんな知隼に多少呆れながらもビーズケースにふたりの腕が伸びる。

「あ!すみません」
「いや、俺こそ」

反射的に手を引く。けれど指先だけがかすかに擦り合うように触れ合った。引っ込めた自分の手を終わらず握りしめる。たった数秒だけなのに、何故か妙に意識してしまっているのは俺だけらしい。ということをけろっと変わったいつも通りの知隼の横顔を見て悟った。それが却ってドクンと心臓の鼓動を跳ねさせる。気を紛らわせるみたいに知隼に質問を投げた。

「そういえば髙田先輩。前から気になっていたんですけど……どうして手芸部に入ったんですか?」

俺の問いかけを聞いたらさっきまで合っていたはずの知隼の目線が意識的に下げられる。そして、「可愛いものが好きだから。自分で作れるようになりたいって思って」と初めて手芸部にやって来た時と一語一句同じセリフを並べた。その声は淡白としており、まるで説明するかのような声色をしていた。

「ほんとにそれだけなんですか?」
「失礼だなぁ、志田くん意外と疑うタイプ?」
「だって、リレー速かったじゃないですか」

俺が言うと、観念しましたと告げるような目をしながら知隼は話し始める。

「保育園の頃、お世話になった先生がいてさ。その先生すっごい手芸が得意で部屋の飾りとかも全部手作りで作ってて。」
「先生……」

ふいに、体験入部の時の"志田先生"と呼ぶ知隼の声を思い出す。そんな俺を置いて知隼は手元のビーズをひとつ摘み上げて話を続けた。

「なんか、それを見るだけでいつも嬉しくなってた。だから作れる人ってすごいなって勝手に憧れてただけだよ」
「それで手芸を?」
「うん」

付け足すように「まぁ俺は知っての通り超不器用だけどさ」と知隼は笑いながら頭を掻く仕草をする。

「俺、きっと先生みたいな人になりたかったんだと思う」

語りかけるように言う知隼は不思議な顔をしていた。愛おしむような温かな表情。それを見るだけで俺も両親の働く姿を鮮明に想像できるような気がした。知隼が机の上の図案へ視線を向ける。そこには書きかけのうさぎがこちらを見ている。

「志田くんは?手芸が好きなのは知ってるけど、うさぎばかり作ってるのはなんで?」

少しだけ言葉を探して答える。

「手芸が好きなのはそうですけど、保育士になりたいので……子供が好きそうなものは作れるようになりたくて。だからこれは練習も兼ねてます」
「うん。志田くんの夢、応援してる」
「またそれ言うんですね……」
「だってほんとだもん。言葉にした方が叶う気がするでしょ」

"言葉にすれば叶う未来"そう歌う歌詞を思い出した。知隼は猫の図案が書かれたフェルトと棚から出したビーズケースから使うビーズを選んでいく。

「……じゃあ今日も俺の先生役してくれる?」
「任せてください」

つい、語気が強くなる。この前縫っていた黒猫とはまた別の、のびのびと寝っ転がった三毛猫の図案。黒猫の時は黒一色のビーズで良かったが今回は柄があり少し難易度が高い。けれど、心配よりも先に知隼の成長が感じられて嬉しくなる。そして、知隼の成長を感じられる場面はこれだけでは終わらなかった。糸を自分で通せるようになっていたのである。今までは糸通しを使っても通せなくて苦戦していたような知隼が手こずることなくひとりで糸が通せるようになっている。これは鼻が高いような、と"先生"と呼ばれていたのを否定し続けたのにも関わらずそう思った。

「ん……ダメだ〜!助けて志田先生〜!」
「やっぱりですか……あと、先生じゃないです」
「はい……」

いつもの如く否定すると今日は意外にもすぐに引っ込んで肩をスンと落として体全体で落ち込んでいるのを表現する。そんな知隼を見ていたら、「少しは上手くなったと思ったのに」と残念そうな声が落ちる。

「安心してください。ちゃんと上達してますよ」
「ほんと?志田くんはほんと優しいね」

この言葉は慰めでも励ましでもない。れっきとした事実である。知隼は俺の言葉を聞くなりもう一度針を持ち直す。その姿に少し驚く。普通の体験入部の生徒ならもう無理かも、とか言いながら机に突っ伏していただろう。けれど今の知隼は違う。失敗しても躓いても諦めない。分からなければ俺を頼る。そしてもう一度自分でやってみる。

「裏にフェルト重ねて縫ったらほつれにくいですよ」
「完成だと思ったのに……」
「時間は限られてますけど完成に急ぎすぎてせっかく完成した作品がボロボロだったら元も子もないです」
「だって見せたかったんだもん」
「誰に……」
「志田くんに」

なんでそんなに急ぐんだろう。なんて呑気に考えていると、当たり前のように答えられて息を呑む。

「……完成したらちゃんと見ますよ」

そう返すと知隼は少し困ったように笑った。その笑顔に違和感を覚える。そして、「でもさ」と弱ったみたいな声で机の上のビーズに触れる。

「3年って思ったより時間にないんだよね。文化祭終わったら退部だし進路も決めなきゃで、こうやって手芸できるのも……」

敢えてなのか、結論は出さなかった。一変して曇った表情に思わず手を止めた。退部。去年も見てきた光景。3年生は文化祭を一区切りに退部する。毎年のことで決められた運命なのに、「卒業もあるし」と知隼は続けて現実を突きつける。

「だから今のうちにいっぱい見せたいなって」

跳ねたみたいな語尾で顔はいつも通りの笑顔に戻った。
けれど、その言葉だけが妙に耳に居座り続ける。退部に卒業。その時になったら知隼はもう放課後にこの被服室には来ない。今日みたいな火曜日も、木曜日も。そして金曜日も。

「……志田くん?」

気付けばそのまま固まっていたらしい。呼ばれて慌てて顔を上げる。

「どうしたの?」
「いえ、別に」

短くそう答えると知隼は、少し首を傾げた。

「変なの」

揶揄うみたいにまたニヤッと笑った。それから針を指したままの作りかけの三毛猫を持ち上げて、

「だからさ、いっぱい褒めて」
「……嫌です」
「なんで!?」

被服室の隅から笑い声が響く。いつも通りだ。それなのに。
退部、それの言葉だけは俺の胸の奥に残り続けた。
次の活動日はすぐに来た。木曜日の活動内容はいよいよ文化祭の展示会用である共同作品作りだった。手芸部の今年のテーマは、"花畑"。フェルトで作った立体の花をタペストリーに縫い付け、ひとつの大きな作品に仕上げるらしい。隣から、「可愛い……」と完成見本を見た感想の声が漏れていた。赤、黄色、白、そしてピンク。色とりどりの花々が咲き誇る。タペストリー。まるで絵本の一ページに入り込んだみたいだった。

「髙田先輩、好きそうですね」
「いや、大好き」

即答だった。部長が中心となって部員に指示をする。知隼は迷いなくピンクのフェルトを手に取っていた。

「俺はこれにしようかな」
「分かりやすいの選びましたね」
「いいじゃん」

相変わらず分かりやすい人。知れば知るほど面白い。フェルトを選ぶと部員たちはそれぞれ作業を始めた。花びらを切ったり、葉っぱを作ったり、ビーズで装飾をしたり。そんな中、知隼は案の定、俺のところへ駆け寄ってきた。要件は分かっている。

「志田先生、花びらが……増殖した」
「増殖?あと先生じゃないです」

差し出されたフェルトを見る。どう見えても必要な数よりずっと多い。

「切りすぎ、ですね」
「やっぱり?」
「……はい。でも、使えるかも」

俺が呟くとえ、と声を出さず知隼が固まる。増殖した何枚かの丸く切られたフェルトの花びらになるものを知隼から受け取り中心に向かって渦のように切っていく。そしてフェルトを波状にぐるぐふと端から巻いて薔薇のような立体の花を作った。
その一連を見て知隼が安堵した声を漏らす。

「すっご……綺麗」
「作ってみますか?」
「え、俺が?」

目を丸くして顔が一気に不安で少し青白くなる。そんな知隼を見て、「簡単ですよ」と付け加えた。

「ほんとに?」
「たぶん」
「たぶん!?」
「大丈夫です」

たぶん、と少しからかいたくなった。盛大にため息をつきながら、おぼついた手つきでフェルトに刃をいれる。震える手を見つめてつい手で抑えようとしたが辞めて温かく見守りながら説明を続ける。生暖かい目で見守っていたのはきっと俺だけではなく、部員全員が知隼に無言でエールを送っていたと思う。
少しギザギザになったフェルトを持ち直すと途中で動きが止まった。

「ここを押さえながら巻くんです。途中途中にグルーガンでくっ付けると形崩れにくいですよ」

言葉だけで説明しようとして少し考える。「こう」と言いながら知隼の両手を俺の手で覆い支えた。俺の手よりひと回り大きかった。なんて、呑気に考える。

「親指で中心を押さえて、そのまま外側に巻いていけば大丈夫です」
「なるほど」

教えると、迷わず手を動かす。くるくると巻かれるフェルトが少しずつ花の形になっていく。最後まで巻き終えた知隼が目を丸くした。手のひらの上にちょこんと置かれたフェルトはちゃんと薔薇の形なっていた。

「……できた」

漏れた声を「できてますね」と手の上のフェルトを覗き込むように見て肯定する。花びらの大きさは少し不揃いだが、それが余計自然に咲く花っぽさを表していた。巻き方も完璧でない。けれど、

「可愛い」

完成した薔薇を大きな手に小さく載せて見つめる知隼がとても嬉しそうで、その顔を見て俺も安堵する。

「良かったですね」
「うん。これが展示会で飾られるんだよね」
「そうですね」
「なんか嬉しいな」

最初に出会った頃はコースターひとつであんなにも苦戦していたのに。知隼は勇気を出して体験入部に来た日から確実に腕を上げている。それは全部知隼が諦めず努力を続けたからだ。好きなものを真っ直ぐに好きと言えて不器用でも作るのが楽しいって思えるの場所がこの被服室だといい、あわよくばこの先もここで知隼が笑っているのを見られたらな、なんて思った瞬間「知隼は文化祭が終われば退部する」当たり前の事実が不意に胸を突き刺す。

「……そうですね」

完成した花を集めると、今度はそれをタペストリーへ配置していく作業になった。大きな布の上へ色とりどりの花が並べられていく。「すごい……」と知隼がまた声を漏らす。まだ途中なのに仮置き段階で花畑のようで、知隼の目はいつも以上にキラキラと輝きを見せていた。

タペストリーに仮置きしていた花の位置を全体で確認し、縫い付けようとした時、隣へ女子部員がしゃがみ込む。

「志田くん、この辺でいいかな?」

肩が触れそうなほど近い距離。俺は縫い付けに夢中になりながらも「いいと思います」とだけ答えた。真っ白だったタペストリーに段々と花が咲いていく。そんな中被服室内を見渡すと、知隼の姿がないことに気付く。あれ、さっきまで楽しそうに並べていたはずなのに……。再度布に視線を落とす。このピンクの薔薇は知隼が作った薔薇のひとつだった。すると、突然被服室の扉が音を立てて開く。そこには知隼がぽつんと立っていた。

「髙田先輩?」

呼ぶと、少し肩が揺れた。

「ごめん、ちょっとお手洗い行ってた」

そう答えるがその笑顔がぎこちなく、作ってるみたいだった。だけど、理由は分からない。部活が終わり、部員たちが帰り支度を始めていた頃。知隼はまだ上の空、と言った感じでふらふらと揺れながら被服室の隅。作品集や図案集が並ぶ本棚を眺めていた。再度知隼の名前を呼ぶと、「ちょっと本見てる」と一拍も置かず答える。背表紙の文字をじっくり読んでその一冊だけに手を伸ばした。本棚には、フェルトマスコット、刺繍図案集、ぬいぐるみの作り方など様々な教材が並んでいる。知隼が手に取った本の背表紙の文字はよく見えない。

「展示の作品ですか?」

知隼の展示作品のヒントが得られるかもしれない。そう思い訊くと「あぁ……いや」と歯切れの悪い曖昧な返事しか返ってこなかった。

「部室内の本なら許可取れば借りられますよ」
「そうなんだ……じゃあ借りていこうかな」