放課後アウトライン

金曜日の放課後。終礼が終わると今日も迷うことなく被服室へ向かう一日。廊下を歩きながら鞄の中の刺繍糸の存在を思い出す。放課後に使うのを楽しみにしていた昨日届いたばかりの新色。被服室に入ると、真っ直ぐに名前を呼ばれた。

「志田くん!」

礼をして入室すると聞きなれない声に呼び止められる。顔を上げると教卓近くで知隼が大きく手を振っていた。

「こんにちは」
「こんにちはというよりおはようみたいな顔してる」
「もう放課後ですよ」
「なんか眠そう?あとそこじゃなくて、こっち。」

何が言いたいのだろう。首を傾げる俺に、知隼は笑いながら椅子を引いた。もちろん、やけに日当たりの良い窓際のいちばん後ろの席だった。言われるまま近付くと知隼は机の上に置いていた小さい袋を手に取った。

「これ」

差し出されて反射的に手を伸ばし受け取ると、中には見覚えてのあるコースターが入っていた。温かい色をしたフェルトに少し歪な縫い目と何度かやり直したあのが残った少し曲がった布。見間違えるはずがない。そもそも、この時期にコースター作りをするのは体験入部に来た生徒のみである。一目見ただけで昨日知隼が初めて作ったコースターだと確信する。

「……忘れ物ですか?」
「違う違う。これ、志田くんにあげる」

俺の質問に慌てて首を振ってそう答える。知隼の言った言葉の意味が理解できなくて数秒固まる。知隼はそんな俺のことは露知らず、当然のように続けた。

「俺の初めての作品だから、志田くんにあげたくて」
「初めてならなおさら……大事にしていた方がいいんじゃないですか?」
「大事だよ」

まさかの提案に空いた口が塞がらない、という状態だ。

「だから志田くんにあげたい」

そう言って笑う。まるで特別なことではないみたいで、あまりにも自然な言い方だった。袋の中のコースターへ再度視線を落とす。けっしてじょうずとはいえない。けれど、何度も失敗しながら完成させたことを俺は知っている。だからこそ断りづらかった。

「……ありがとうございます」
「うん。使ってね」

迷いながらもそう返すと知隼は満足そうに頷いた。
少し歪んだ縫い目。不揃いな角。だけど、不思議と嫌いではなかった。それは、自分では何度も見た事のある縫い目だからだっただろうか。

「あ、そうだ」

俺がコースターを鞄へしまったところで、知隼が何かを思い出しかのようにわざとらしく声を上げた。

「俺、正式に入部することにしたから」

知隼はまるで今日の天気でも話すみたいな軽い口調で言いながら頭部に大きなVサインを作る。

「本当に入るんですね」
「志田先生いるし?」
「先生じゃないです」

反射的に返すとまた知隼は満足そうな顔をする。変な人だ。こんな会話を続けていると十年後も同じ会話をしているかもしれない、と要らない心配をしてしまう。

「髙田くん、席どうする?」

顧問の声が俺と知隼の間に飛ぶ。そう訊いた顧問は「好きなところでいいんだけどね」と付け足した。空いている席は探さずとも幾つも幾つもある。なのに、知隼は迷うことなく俺の隣の席を指差した。(俺の席の隣と言うことは、窓際のいちばん後ろで、教室の隅の席である。)

「ここで」
「え?」
「ダメ?」

特に断る理由もないが。ごく真面目に問われると断りづらい。
気付けば「……別に」と小さく返事をしていた。俺が頷くと知隼は嬉しそうに椅子を引く。こうして今日から、被服室の窓際にはふたり分の刺繍箱が並ぶようになった。刺繍箱を開け、昨日買ったばかりの刺繍糸を取り出す。

「その糸可愛いね」
「これですか?」
「うん」

淡い水色と白が混ざった段染め糸だった。数日前に手芸店の通販サイトで見つけて衝動買いはあまりしないタイプでありながら思わず買ったものだ。

「空みたいな色してる」

知隼はそう言って笑って、俺も糸へ視線を落とす。
確かに少しだけ色が似てる。窓から見える雲の少ない空を見上げる。

「そういうの考えたこと無かったかもです。ただ一目見てわっとなって買ったので……」
「俺も好きだな、その色」

たったそれだけの言葉なのに何故だが少し嬉しくなって胸がいっぱいになる。楽しい。ひとりでいる時とは全く違う。

「で、今日は何を……?」
「基本的には自分の好きな作業を。でも材料棚見て使いたいのとか決めてもいいと思います」
「え、気になる!」

昨日の今日で知隼について知ったことが幾つかある。
まずは、可愛いものが好き。具体的なことは何ひとつ言っていないのに"材料棚"と聞いただけであんなに目を輝かせる人は初めて見た。確かに俺も初めて棚を覗いた時は同じことを思っていただろう。手芸店にひとりで入る勇気は持ち合わせていないが、ネットで出来上がった作品を見るだけの俺もきっと今の知隼と同じ顔をしている。棚から照明の光を浴びてカラフルなビーズは不規則に輝く。それはまるで、キラキラしていて宝石みたい……だと思った。そんなことを考えていた中、予想的中と言うのだろうか。知隼は紫と青に光るビーズを手に持っていた。

「俺、これ使いたい」
「じゃあ、今日はビーズ刺繍してみますか?図案が書かれてるフェルトとかもあるので比較的簡単かと」
「やりたい!」

やけにはっきりとした元気良い返事を聞いて棚から道具を準備する。机へとビーズを並べる。紫、青、透明。窓から差し込む西日に照らされて、小さな粒が光を反射させる。

「綺麗ですね」
「でしょ?」

何故か知隼が得意げに胸を張る。自分の物でも無いどころか、数分前に見つけたものなのに。

「何作るんですか?」

何枚か用意された図案付きのフェルトを手に持つ知隼に訊く。
すると、知隼は猫の図案が書かれたフェルトを見ては「可愛い……!」と声を漏らす。そんな知隼に思わず吹きそうになる。本当にこの人は……。好きなものを好きだと言える。まるで当たり前みたいに。それが少し羨ましかった。作業が始まると、知隼は驚くほど真剣だった。二種類のビーズを順番にテグスへ落とし、フェルトに針を指していく。その度に「志田くん」と俺の名前を叫んだ。

「志田先生〜!」
「先生じゃないです」
「助けて」
「またですか……」

溜息をつきながらも手は知隼の方へと伸びていた。気付けば何度も同じやり取りを繰り返している。それでも、不思議と嫌ではなかった。教える度にコツを少しずつだが掴んで出来るようになっていく知隼の姿が、まるで昔の自分のように見えた。むしろ、この状況を楽しいと思っている自分がいた。猫の身体を黒のビーズで縫い付けられたところでまた知隼が顎に手を置き、首を斜めに傾げる。

「猫の目紫にしようかな……でも青も綺麗なんだよな〜っ」
「じゃあ、首輪に使えばいいんじゃないですか?」

そう提案すると「それだ!!!」と幾つかビックマークが付いたみたいな言い方をした大きな返事が返ってくる。

「……できた!」

知隼が勢いよく顔を上げる。机の上には小さな黒猫のビーズ刺繍が置いてある。目は紫に光り、全身は黒のビーズが使われている。そのビーズ刺繍は、昨日のコースターよりずっと綺麗だった。

「上手になりましたね」
「本当?」
「はい」

そう答えると、知隼は嬉しそうに笑った。その笑顔は、完成した作品よりも眩しく見えた。窓の外を見るといつの間にか空は茜色に染まっていて、同時に終わりを告げるチャイムが校内に響く。このチャイムを合図に、今日も放課後が終わる。今日の部活動は、いつもと同じ時間であるはずなのに前より少しだけ短く感じたのは気のせいだろうか。

六月に入ると、手芸部では文化祭の話題が増え始めた。
宇喜多の文化祭は九月に行われる。まだ先の話ではあるが、展示の作品の作成には時間がかかるため、この時期から少しずつ準備を進めていくのが毎年の恒例である。

「共同作品どうしよっかー」
「去年はガーランド飾ってたよね」
「あれ可愛かった!今年もやる?」

俺も刺繍枠に手を取りながら耳だけは傾けて女子部員たちの話を聞いていた。すると隣から、「共同作品って?」の流石にもう聞きなれた声がした。

「あ、髙田先輩は初めてでしたよね。文化祭で展示する大きな作品で、毎年手芸部のみんなでひとつの作品を作るんですよ」
「へぇ……楽しそう」

知隼の目が少し輝いて見える。

「今年は何になるんですかね」
「俺も楽しみ」

そう言いながら知隼は机へ頬杖をついた。
その横顔を見て、ふと思う。もう知隼が入部してきてやっと1ヵ月ほどが経つ。と言うことは、手芸部の男子部員が俺ひとりじゃなくなったのももう1ヶ月が経ったのか。

「ありがとうございましたー」

終礼の挨拶が終わる。部員たちは帰り支度を進めていた。
俺も机の片付け、鞄へ刺繍枠ごとしまう。新しい図案集が入荷していると聞き今日は駅前の本屋へ寄る予定だった。

「志田くんこのあとの予定は?」

帰ろうとしたところで名前を呼び止められる。振り返るとそこには案の定知隼だった。

「本屋による予定です」
「どこの?」
「駅前の丸善ですけど」
「じゃあ俺も行く」

あまりにも自然な返事で、「え」とも声が出なかった。放課後は俺の隣に知隼がいるのがもう当たり前みたいになっている。
「すご……」手芸コーナーへ来た瞬間、知隼が声を漏らす。

「先輩声大きいです」
「だって見てよこれ」

知隼が持ち上げたのは動物モチーフの刺繍本だった。

「猫にうさぎ……くまもいる!可愛い……」

蕩けたみたいに言う知隼は相変わらずで慣れたはずのにその様子に少し笑ってしまう。知隼は本当に可愛いものが好きらしい。改めて実感させられる。そのまま俺は入荷していた図案集の本を、ちゃっかり知隼は動物モチーフの刺繍本を買っていた。

「あのさ、聞きなかったことなんだけど」

すっかり本屋に長居してしまいいつもより遅い時間に商店街の真ん中を歩いていた。

「志田くんは何で手芸始めたの?」
「母の影響です。保育士なんです、両親どっちも」

俺の話を知隼は静かに聞いていた。俺は続けながら手にかけた図案集が入った袋へ視線を落とす。

「俺も保育士になりたいので」

改めて言葉にすると少しだけ照れくさくてつい口元を手で覆う。驚いた、みたいに大きく目を見開いてから「いいね」と知隼が小さく言う。

「え?」
「応援してる。志田くんの夢」

顔ではいつもの無邪気さのある表情をしていたが声はずっとはっきりとした声で、心の奥の方に響き、余計伝わってきたような気がした。

「ありがとうございます……」

両親にも曖昧にしか伝えてなかった俺の確かにずっとあった夢。そして、両親みたいに自分の作ったもので子供たちを笑顔にするという目標。それをこんなにもはっきりと応援されたのは初めてだった。なにか返事をしようとしたのに上手く言葉が見つからなくて結局お礼しか言えなかった。

「志田くん?」
「……いえ、」

小さく首を横に振る。駅前の交差点では信号が青に変わろうとしていた。「じゃあ俺こっちだから」と言って知隼が手を振る。

「また部活で」

当たり前のような約束の言葉。けれど、その一言が嬉しかった。離れていく背中を見送ると夕暮れの風が俺の頬を撫でた。明日は体育祭の練習がある。忙しい日々になるはずなのに。
何故か今は、――「応援してる。志田くんの夢」
さっきの言葉ばかりが頭に残っていた。