エースが告白を撤回させてくれません

 会場に入ると、塩素の懐かしい匂いが鼻をついた。

 観客席に貼り出されたタイムテーブルを見にいく。
 柳井の出場する種目は個人メドレーだ。幸いにも、レースはこれからだった。

 よかった。間に合った……。

 ホッと胸を撫でおろしているあいだにも、プールではレースが続々と繰り広げられていた。

 懐かしいな。

 会場の空気に触れると久しぶりに泳ぎたくなるけれど、今はそれより柳井に会いたい。

 スタート台が見える最前列に向かうと、選手待機列の中にジャージ姿の柳井がいた。
 キャップもかぶり、完全に自分の世界に入りこんでいるのだろう。射るような眼差しで肩のストレッチをしていた。
 うわ、久しぶりにレース前の柳井を見た。

 やっぱりかっこいい。

 そのとき、柳井の出場する個人メドレーの招集アナウンスが流れた。
 深く息を吐いた柳井が、スタート台へ向かって歩き出す。
 会場の空気が張りつめる中、選手たちがスタート台に上がる。

『Take your marks.』

 ピッという電子音が響いた瞬間、選手たちが一斉に水中に飛びこんだ。

 水面を切って泳ぐ柳井は、中学のころよりも速く見えた。

 バタフライも、背泳ぎも、平泳ぎも、自由形も。
 一瞬も目が離せない。誰よりも速くてかっこいい。

 俺が知らないあいだに、どれだけ練習したんだろう。それを知らないことがちょっとくやしい。

 気がつくと柳井は最後のタッチをしていた。

 すぐに視線を電光掲示板へ向ける。表示されたタイムを見た瞬間、俺は息を呑んだ。

 同時に会場がどよめく。あちこちから歓声が飛び交う。

 柳井のタイムは、大会記録を大きく上回る新記録だった。