エースが告白を撤回させてくれません

 柳井のことが好きだと自覚したところで、俺たちの距離は変わらなかった。

 そう。ただ前に戻っただけ。非常階段の下で、ひとり練習していたあのころに。

 そうやって自分に言い聞かせても、心には穴がぽっかり空いたままだった。自然にふさがるわけもなくて、日に日に穴が大きくなっていく。

「今日、柳井だけ宿題免除とかうらやましすぎんだけど」
「あー、昨日ホームルームで先生が言ってたやつ」
「いいよなー、合法で学校休めるとか」
「でもインハイ予選だろ? プレッシャーすごそう」
「たしかに」
 ふと斜め前から聞こえてきた、男子ふたりのなにげない会話。

 今となっては、柳井の名前が出てくるだけでドキッとする。自分の席でスマホをいじるふりをしながら、俺はため息をついた。

 そっか。今日はインハイ予選か。

 昨日の朝のホームルームで、柳井が土曜日に授業を休んで大きな大会に出場するから応援しよう、と担任の先生が言っていた。
 まわりから応援の声と拍手をもらっても、柳井は表情筋を固定したまま「うん」とか「ありがとう」と短く返すだけだった。
 俺とも一瞬目が合った。でも気まずそうにすぐ目を逸らされてしまった。前は目が合うと優しそうに……嬉しそうに表情をゆるませていたのに。

 スマホで大会の開始時刻と場所を検索する。
 もうレースが始まっている時間だ。でもタイムテーブルまではわからない。柳井がいつ泳ぐのか不明だった。
 俺が行ったってしょうがない。
 どうせ会うタイミングなんてない。
 運良く会えたとしても迷惑になる。
 そう思った次の瞬間、机の横にかけていたスクールバッグのラッコが目に入った。

 おそろいのそれを、柳井は今日会場に持って行っているのだろうか。

 ああ、会いたいな。

 柳井が好きだと気づいてから、まだ一度もちゃんと話せてない。

 向こうが話したくなかったら、話せなくてもいい。

 一目でいいから、会いたいよ。

 ちょうどそのとき、休み時間の終わるチャイムが鳴った。俺は机に両手を突き、立ち上がる。

「行かなきゃ」

「へ? どこに?」
 後藤が驚いて振り返る。
「小鞠大和は早退しましたって、先生に言っといて」
「え、俺が? 理由なんて言えばいいんだよ」
「痛いの! 胸が!」

 バッグをガッとつかんで、俺は教室を出た。

 祈る気持ちで廊下を走る。

 お願い。柳井に会えますように。