雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

怒鳴りつける俺を、和奏は可哀想に思うような目では見なかった。
ただ、その大きな瞳で俺の顔をじっと見つめながら、悪びれもせずにぽつりと言った。
「……出ていかないよ。私は、君に傘を翳しに来たんだから。あ、警察は呼ばない方がいいよ。私、不審者じゃなくて、ただの通りすがりの親切な同級生だし」
和奏はクスッと悪戯っぽく笑うと、お惣菜のパックを俺の前のテーブルにスライドさせた。

「橘くんさ、最近まともにご飯食べてないでしょ。そんなガリガリの身体じゃ、守りたいものも守れなくなっちゃうよ」
「お前に俺の何が分かるんだよ……」
押し寄せるお惣菜の匂いに、数日まともな固形物を口にしていなかった俺の胃袋が、情けなくもキュウと鳴った。
その音を聞き逃さなかった和奏は、「ほらね」と言わんばかりにパチンと割り箸を割って、俺の手元に握らせてくる。

その時、彼女の指先が俺の親指に微かに触れた。
「……っ」
俺は思わず小さく身を引いた。
ゾクッと背筋が凍るような冷気が走ったからだ。
エアコンもつけていない蒸し暑い夏の部屋なのに、彼女の指先は、まるで冷たい雨の日の水滴そのものみたいに冷え切っていた。

「お前、手が冷たすぎるだろ。体調悪いんじゃないのか」
「あはは、私、昔からひどい冷え性なんだよね。気にしないで」
和奏は自分の両手を胸の前でギュッとすり合わせながら、何でもないことのように笑った。
その屈託のない笑顔の前に、俺の警戒心は、どこか調子を狂わされていく。

「橘くん、妹さんの病院代とか、これから大変でしょ。生活保護だけじゃ、将来の治療費までは全然足りないよね。……私、暇だからさ。橘くんが効率よく稼げるバイト、一緒に探してあげる。だからまずは、その肉じゃが食べて」

和奏はパイプ椅子の上で足をぶらぶらと揺らしながら、まるで明日のお天気のことを話すような軽さで、俺の人生の最も深い痛みに触れてきた。
なぜ彼女が俺の事情を知っているのか、なぜ鍵の閉まった部屋に入ってこられたのか、問い詰めたいことは山ほどあった。
だけど、目の前で優しく湯気を立てているお惣菜の温かさと、割り箸から伝わる木の感触が、俺の頑なだった心を少しずつ、本当に少しずつ、ほどいていく。

「……いただきます」
俺は震える手で箸を動かし、肉じゃがを口に運んだ。
じわっと広がる甘い味。

あの日以来、ずっと冷え切っていた俺の身体の奥に、久しぶりに本物の温もりが沁み渡っていくのが分かった。
ボロボロと、肉じゃがの器の中に俺の目から出てきた何かが落ちていく。
和奏はそれを笑うこともせず、ただ静かに、俺が食べ終えるのを待ってくれていた。