雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

放課後、クラスメイトたちが塾へ向かうのを横目に、俺は一人、自転車のペダルを強く踏み込んで焼肉屋炎炎へと向かう。
冬の夜風は容赦なく俺の顔を裂き、手袋をしていても指先の感覚がなくなっていく。
だが、調理場に入れば、今度は肉を焼く煙、そして網を洗う洗剤の匂いが俺を支配した。

「橘、お前今日もラストまで入れるか?」
強面の店長が、山盛りのまかないの白飯を差し出しながら聞いてくる。
「入れます。冬休み期間は、昼の仕込みから全部シフト入れてください」

「頼もしいが、お前、身体壊すなよ。学校の卒業だけはちゃんとしろ」
「分かってます。死なない程度にやりますから」

夜十時にバイトが終わると凍えるような暗闇の部屋。
叔父は長距離トラックの仕事で何日も帰らないことがザラだったが、俺がドアを開けると、そこには決まって冷たいシトラスの洗剤の匂いと、テーブルの上にラップをかけられた料理が置いてあった。
和奏だ。あいつは、俺が「大学に行かずに残りの高校生活も全部バイトに捧げる」と言ったあの日から、何も言わずに俺の部屋の合鍵を預かり、こうして毎日のように飯を作って待っていてくれた。

ある日は、冷めても美味い特製の肉じゃが。
ある日は、あのハチミツの隠し味が効いた唐揚げ。
俺が一人で冷たい炬燵に入り、ガタガタと震えながらその飯を口に詰め込んでいると、スマホが小さく震える。

『橘くん、今日もお疲れ様。ちゃんと全部食べなよ。残したら明日、倍の量にするから』
いつも通りのお調子者の文面。
その文字の向こう側に、あの和奏の指先の温もりが感じられて、俺は泣きそうになるのを堪えながら、喉に飯を押し込んだ。

そんな、限界まで自分を擦り切らせながら生きていた、ある一月の、凍りつくような朝だった。
けたたましく鳴り響くスマホのバイブ音で、俺は鉛のように眠っていた意識を無理やり引き剥がした。
ディスプレイに表示されたのは、叔父の名前。

心臓が嫌な音を立てて跳ね上がる。急いで通話ボタンを押し、耳に当てた。
『瑞稀……っ、今すぐ、今すぐ病院に来い……っ!』
受話器の向こうで、叔父が声を大にして泣いていた。

それ以上の言葉は聞こえなかったが、俺はすべてを察した。
制服のボタンもまともに留めず、コートも羽織らないまま、俺はアパートの階段を飛び降りた。

外は、数日前に降った雪が路肩に白く凍りついている、冷徹な冬の朝だった。
走れ。走れ。走れ。

冷たい空気が肺に突き刺さり、呼吸をするたびに喉の奥が血の味に染まっていく。
ローファーが凍った路面を滑り、何度も転びそうになりながらも、俺はただ前だけを向いて走り続けた。

あの夏の日の豪雨とは違う、だけど同じように俺の視界を真っ白に染める冬の息吹の中を、俺は狂ったように駆け抜けた。

病院の自動ドアを体当たりでこじ開け、受付の看護師の制止の声も無視して、俺は詩織のいる一般病棟の個室へと飛び込んだ。
バタン、と激しい音を立ててドアを開ける。