ハチミツのような、泥臭くて優しい香り。
「ん、お風呂、沸かすね。あったかいお湯に入って、一回全部洗い流そ?大丈夫、私がここにいるから。誰も入ってこれないから」
和奏は俺の髪をやんわりと撫でると、パタパタとお風呂場へ向かった。
静まり返った部屋に、湯を張るゴボゴボという低い音が響き始める。
「……入っていいよ」
促されるまま、俺は這うようにしてお風呂場へ向かい、服を脱ぎ捨てて湯船に身体を沈めた。
熱いお湯が、後輩に触れられた鎖骨や胸元を温めていく。
何度も、何度も、自分の手でその場所を擦った。
赤くなるまで擦って、あの生温かい嫌悪感を湯の中に溶かして、消し去りたかった。
お湯から上がって鏡を見ると、自分の顔は死人のように青白かった。
備え付けのスウェットに着替え、重い足取りでリビングに戻ると、部屋には香ばしいお味噌汁の匂いが優しく漂っていた。
和奏はキッチンの前に立ち、いつも通りスニーカーを綺麗に揃えて、俺の帰りを待っていてくれた。
「橘くん。これ、飲んで。落ち着くから」
差し出されたマグカップには、熱いお味噌汁が入っていた。
受け取る俺の手は、まだ微かに震えている。
一口、口に含むと、出汁の旨味と温かさが五臓六腑に染み渡り、俺は生まれて初めて、深い、深い息を吐き出すことができた。
ソファに深く腰掛け、マグカップを両手で包み込んでいると、和奏が隣にそっと腰掛けた。
いつもなら絶妙なディスタンスを保つか、あるいは不自然なほど距離を詰めてくる彼女が、今夜は、ただ静かに俺の横に寄り添うように座っている。
「……和奏」
「ん?」
「ありがと。……お前がいなかったら、俺、本当にどうにかなってた」
真顔のまま本音をそのまま口にすると、和奏は一瞬だけ、本当に嬉しそうに目を細めた。
だけど次の瞬間、その瞳に深い、切なすぎる陰が差す。
「橘くんは、優しすぎるんだよ。自分のせいで誰かが悪くなっちゃったって、全部一人で背負い込んじゃうから。……でもね、違うんだよ。あの子が勝手に暴走しただけ。橘くんのせいじゃない。橘くんは、何も悪くない」
和奏の手が、俺の頬に触れた。
やっぱり、冷たい。冷たいはずなのに、どうしてこんなにも、この手のひらは俺の心を温めるんだろう。
「和奏、お前――」
問いかけようとした俺の言葉は、唇に触れた、信じられないほど柔らかい感触によって、唐突に遮られた。
和奏が、俺にキスをしていた。
頭が真っ白になった。
心臓が、あの時とは全く違う、暴力的なほどの緊張感でドクドクと音を鳴らし始める。
ほんの一瞬の、触れるだけの、ひどく不器用で狂おしいほどに切ないキス。
唇が離れたとき、至近距離にある和奏の瞳は、ほんの微かな涙で濡れていた。
ひまわりのような笑顔の女が儚い顔で、俺を見つめている。
「……ごめんね。緊張させちゃった?」
和奏は笑いながら、涙を手の甲で拭った。
「私ね、橘くんが笑ってくれるなら、本当に、もう何でもいいんだ」
今の俺には、その言葉の意味を問い詰めるだけの気力は残されていなかった。
お風呂の熱と、お味噌汁の温かさと、そして何より和奏のキスの緊張感が、限界を迎えていた俺の意識を、心地よい睡魔へと引きずり込んでいく。
「……眠い、な」
「うん。寝よ?今日はいっぱい怖い思いしたもんね。私が隣にいるから、安心して目を閉じて!」
和奏に促されるまま、俺はベッドに潜り込んだ。
和奏はベッドの横の床に座り、俺の手を両手できゅっと握りしめてくれている。
その万年氷のような冷たさが、今の俺には、世界で一番安心できるセーフティネットだった。
「おやすみ、橘くん」
和奏の声を聞きながら、俺は深い、深い眠りの底へと落ちていった。
「ん、お風呂、沸かすね。あったかいお湯に入って、一回全部洗い流そ?大丈夫、私がここにいるから。誰も入ってこれないから」
和奏は俺の髪をやんわりと撫でると、パタパタとお風呂場へ向かった。
静まり返った部屋に、湯を張るゴボゴボという低い音が響き始める。
「……入っていいよ」
促されるまま、俺は這うようにしてお風呂場へ向かい、服を脱ぎ捨てて湯船に身体を沈めた。
熱いお湯が、後輩に触れられた鎖骨や胸元を温めていく。
何度も、何度も、自分の手でその場所を擦った。
赤くなるまで擦って、あの生温かい嫌悪感を湯の中に溶かして、消し去りたかった。
お湯から上がって鏡を見ると、自分の顔は死人のように青白かった。
備え付けのスウェットに着替え、重い足取りでリビングに戻ると、部屋には香ばしいお味噌汁の匂いが優しく漂っていた。
和奏はキッチンの前に立ち、いつも通りスニーカーを綺麗に揃えて、俺の帰りを待っていてくれた。
「橘くん。これ、飲んで。落ち着くから」
差し出されたマグカップには、熱いお味噌汁が入っていた。
受け取る俺の手は、まだ微かに震えている。
一口、口に含むと、出汁の旨味と温かさが五臓六腑に染み渡り、俺は生まれて初めて、深い、深い息を吐き出すことができた。
ソファに深く腰掛け、マグカップを両手で包み込んでいると、和奏が隣にそっと腰掛けた。
いつもなら絶妙なディスタンスを保つか、あるいは不自然なほど距離を詰めてくる彼女が、今夜は、ただ静かに俺の横に寄り添うように座っている。
「……和奏」
「ん?」
「ありがと。……お前がいなかったら、俺、本当にどうにかなってた」
真顔のまま本音をそのまま口にすると、和奏は一瞬だけ、本当に嬉しそうに目を細めた。
だけど次の瞬間、その瞳に深い、切なすぎる陰が差す。
「橘くんは、優しすぎるんだよ。自分のせいで誰かが悪くなっちゃったって、全部一人で背負い込んじゃうから。……でもね、違うんだよ。あの子が勝手に暴走しただけ。橘くんのせいじゃない。橘くんは、何も悪くない」
和奏の手が、俺の頬に触れた。
やっぱり、冷たい。冷たいはずなのに、どうしてこんなにも、この手のひらは俺の心を温めるんだろう。
「和奏、お前――」
問いかけようとした俺の言葉は、唇に触れた、信じられないほど柔らかい感触によって、唐突に遮られた。
和奏が、俺にキスをしていた。
頭が真っ白になった。
心臓が、あの時とは全く違う、暴力的なほどの緊張感でドクドクと音を鳴らし始める。
ほんの一瞬の、触れるだけの、ひどく不器用で狂おしいほどに切ないキス。
唇が離れたとき、至近距離にある和奏の瞳は、ほんの微かな涙で濡れていた。
ひまわりのような笑顔の女が儚い顔で、俺を見つめている。
「……ごめんね。緊張させちゃった?」
和奏は笑いながら、涙を手の甲で拭った。
「私ね、橘くんが笑ってくれるなら、本当に、もう何でもいいんだ」
今の俺には、その言葉の意味を問い詰めるだけの気力は残されていなかった。
お風呂の熱と、お味噌汁の温かさと、そして何より和奏のキスの緊張感が、限界を迎えていた俺の意識を、心地よい睡魔へと引きずり込んでいく。
「……眠い、な」
「うん。寝よ?今日はいっぱい怖い思いしたもんね。私が隣にいるから、安心して目を閉じて!」
和奏に促されるまま、俺はベッドに潜り込んだ。
和奏はベッドの横の床に座り、俺の手を両手できゅっと握りしめてくれている。
その万年氷のような冷たさが、今の俺には、世界で一番安心できるセーフティネットだった。
「おやすみ、橘くん」
和奏の声を聞きながら、俺は深い、深い眠りの底へと落ちていった。



