雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

(クソ、何やってんだ俺は。せっかく和奏が見つけてくれたバイトなのに、またやらかしたのか)

また、自分のせいで全てが台無しになるんじゃないかという、ドロドロとした罪悪感が脳に這い上がってくる。
「おいおい、クリーニング代どうしてくれんだよ。これ、お気に入りのシャツ――」

「大変申し訳ございません!!」
男の言葉を遮るようにして、横から割って入ってきたのは、さっきまで厨房で怒鳴り散らしていた店長だった。
店長は俺の頭を力任せに掴むと、一緒に床に着くほどの勢いで深く頭を下げた。

「こちらの指導不足です!お客様、お怪我はございませんか?ワイシャツの件、クリーニング代はもちろん、本日の御代は全額当店で負担させていただきます。本当に、申し訳ございませんでした!」
店長の、普段の怒声とは違う、地を這うような誠実な声。

サラリーマンの男は、店長の猛烈な謝罪と、俺のガタガタと震える様子を見て、少しだけ毒気を抜かれたように息を吐いた。
「……いや、まぁ、怪我はないけどさ。次から気をつけてよ、本当に」

「ありがとうございます!橘、お前は裏で新しい網を持ってこい!」
「……はい」

バックヤードに引っ込み、予備の網を掴む俺の手は、情けないほど震えていた。
やっぱり俺はダメなのか。
誰かのために頑張ろうとすると、いつも空回りして他人に迷惑をかける。

その日の営業終了後。
客が一人もいなくなったフロアで、俺は一人、床にモップをかけながら肩を落としていた。
店長に、クビを宣告されるのを待つような心地だった。

「おい、橘。モップの手、止まってるぞ」
厨房から、タオルで汗を拭きながら店長が歩いてきた。
その手には、白米が山盛りになった丼と、網の上でジュウジュウと音を立てて黄金色に焼けたばかりの、分厚いカルビ肉が乗った皿が握られていた。
「……店長。さっきは、本当にすいませんでした。俺のせいで、お店に損害を……」

「ばか野郎」
店長はドン、とローテーブルの上にその肉と米を置いた。
「ミスなんか誰でもするんだよ。大事なのは、その後に逃げずに頭を下げたかどうか。お前はちゃんと自分から謝ろうとしてた。だから俺がケツを拭いた。それだけだ」
「でも……」

「いいから食え。うちの肉は美味いぞ。食って、明日からまた倍働いて返せ」
店長はぶっきらぼうに俺の頭をガシガシと撫でると、そのまま事務所へと戻っていった。

静まり返った店内に、肉の、暴力的なまでにいい匂いが漂う。
俺は恐る恐る箸を持ち、一切れのカルビを口に運んだ。
「――っ」
濃厚なタレの甘みと、溢れ出す肉汁の圧倒的な旨味が胃袋に、ダイレクトに突き刺さる。

美味い。美味すぎる。
気がつけば、俺は猛烈な勢いで白米を口に掻き込んでいた。

涙が出そうになるのを、必死に米と一緒に飲み込む。
生きている。
俺は今、ちゃんと自分の足で立って、働いて、美味い飯を食っている。

お腹がいっぱいになって、店の外に出ると、真夏の夜風が俺の火照った身体を優しく撫でた。
スマホを取り出すと、和奏からのメッセージが届いていた。

『橘くん! 新バイト初日お疲れ様!生きてる?ちゃんとミスしないで網換えられた終?わったら連絡してね!』
ひまわりの絵文字が添えられたその画面を見て、俺は小さく吹き出した。

「……ミスしまくりだよ」
そう呟きながら、俺は『今終わった。肉がめちゃくちゃ美味かった。今から帰る』と、短い返信を打った。

蜘蛛の巣状に割れた画面の向こうで、既読の文字が、一瞬で点灯した。