雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

この次の日、学校につくとすぐに職員室に向かった。
朝の職員室は、鳴り響く電話の音や教師たちの慌ただしい足音が飛び交っていて、どこか遠い世界の出来事のように思えた。
俺は自分の冷え切った両手をぎゅっと握り締め、目的の席へと歩を進める。
「失礼します。三年の橘です。高畠先生、少しいいですか」

俺はバスケ部の顧問を呼び出し、そこで告げた。
ポケットの中で、ぐしゃぐしゃになった引退届の紙が、俺の指先に冷たく触れていた。
「バスケ部、退部させてください」
高畠先生は、手に持っていた赤ペンをピタリと止めた。
その厳格な顔に、深い陰が落ちる。先生はメガネの奥の目を少し細め、低く掠れた声で言った。

「……妹のことか」
「だけではありません」
俺は必死に声を震わせないよう、奥歯を噛み締めながら言葉を紡いだ。

「両親が事故に遭い、家にはもう、バスケを続けられるお金はありません。高校に通うことですら今ギリギリなので。すみません、突然」
先生は深く、深く溜息をついた。その肩が、心なしかいつもより小さく見えた。

「……わかった。残念だな、あと少しでお前の夢に届いていたというのに。大会の当日だって、お前がいなかったから連携が取れず敗退したんだ。嫌味とかでは本当にない。だが、みんなお前を必要としていた。俺も、お前の家庭の状況に気づいてやれなくてすまなかった」
先生のその言葉が、俺の胸の傷口に容赦なく塩を塗り込む。
誰も悪くない。先生も、部員たちも。悪いのは全部、あの言葉を妹に放った俺なんだ。
バスケを愛する資格なんて、今の俺には一ミリだって残されていない。

俺は抱えていた紙袋を、無理やり監督の胸に突き付けた。
「この中に、自分のユニフォームとあとは……先生に向けてちょっとした和菓子を入れています。ほんの少しの気持ちですが、受け取ってください。自分なりの、今までの感謝なので。……ありがとうございました」
それ以上、先生の顔を見ていることができなくて、俺は勢いよく背を向けた。失礼しました、という声は掠れて消えた。

職員室の重い防音扉を閉めた瞬間、バタン、という静かな音が、俺の青春の終わりを告げる境界線の音のように響く。
心の奥に、ぽっくりと大きな穴が開くのがわかった。
冷たい隙間風が、その空洞を容赦なく吹き抜けていく。
もう、あのオレンジ色のコートには戻れなかった。