雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

「明日も、明後日も、その先もずっと……橘くんの隣は、私の特等席だから、どこにも行かないでね……」
俺の肩に頭を預けたまま、和奏の声がだんだんと小さくなっていく。
小さな寝息が静まり返ったリビングに響き始めた。

髪が俺の鎖骨のあたりをチクチクと刺して、そのくすぐったかった。
俺はそっと、和奏の身体を抱き起こすようにしてソファに横たわらせた。

薄暗いリビングの窓から差し込む月光が、彼女の寝顔を白く照らしている。
どこか年相応の幼い少女の顔をしていた。
(……一人で、この家にいたのか)
改めて、静まり返った部屋を見渡す。

和奏は散らかった普通の家なんて笑っていたけれど、この家には、あまりにも生活の気配がなさすぎた。
玄関にあった靴。リビングの棚。キッチン。それらは確かにそこに存在しているのに、どこか何年も前から時間が止まっているような静けさをまとっている。

和奏のあの氷のような指先の冷たさはもしかしたら、この誰もいない暗い家に一人で帰り続けていた寂しさが、そのまま彼女の身体に染み付いてしまったものなんじゃないだろうか。

俺はリビングの隅にあった薄手の毛布を引き寄せ、和奏の身体にそっと掛けた。
「……お前こそ、どこにも行くなよ」

小さく溢れた本音は夜に吸い込まれて消えた。
それから俺は、一歩も和奏の側を離れることができなかった。
ソファのすぐ横のフローリングに体育座りを合体させたような格好で座り込み、じっと窓の外の景色を見つめていた。
また、脳裏に雨の音が聞こえてくる。
眠ったら、この穏やかな時間が終わってしまうような気がして、俺は一睡もしないまま、夜が明けていくのを待った。

やがて、窓の外の景色が濃い紺色から、ゆっくりと薄暗い灰へと移り変わっていく。
夏の朝の訪れは早い。
午前五時を過ぎた頃には、世界は青白い光に包まれ始め、セミの第一声が遠くの木々から響き渡った。