雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

「はい、お待たせ。麦茶で良かったよね?」
和奏が運んできたのは、ガラスのコップに注がれた、氷の鳴る冷たい麦茶だった。

彼女は俺の隣、ソファの少しだけ離れた場所に腰を下ろすと、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「……サンキュ」
コップを受け取り、喉に流し込む。
冷たい液体が、緊張でカラカラに乾いていた食道を通り抜けていく。
テレビのないリビングは、驚くほど静かだった。
ただ、窓の外から遠く聞こえる深夜の虫の声があった。

「本当に、普通の家でしょ?期待外れだった?」
和奏がコップを両手で包み込みながら、少し微笑んだ。
「いや……別に、期待なんかしてねえよ」
「嘘ばっかり。さっきまで駅で、拓海先輩たちに散々いじられて、顔真っ赤にしてたくせに」
「あれは……あいつらが勝手に盛り上がってただけだ」

顔を隠す俺を見て、和奏はクスクスと嬉しそうに笑った。
その笑い声はいつもよりずっと静かで夜に溶けてしまいそうなほど優しかった。

和奏はしばらくの間、じっと自分のコップに浮かぶ氷を見つめていた。
カラン、と音が響く。

「ねえ、橘くん」
「……何だ」
「私ね、橘くんに出会えて、本当によかったなって思ってるんだよ」
唐突な言葉だった。
いつもの冗談めかした調子ではない、まっすぐなトーン。

俺が戸惑って言葉を詰まらせていると、和奏は静かに話を続けた。
「私さ、自分で言うのもなんだけど、いつも明るくて、悩みなんてなさそうに見えるでしょ?でもね、本当はちょっと違ったんだ。周りのみんなが普通の青春を楽しんで、恋だの部活だので一喜一憂してるのを見て、どこか冷めた目で見てる自分がいたの」
「お前が?」
「うん。キラキラした世界が眩しすぎて、自分には関係ないって、ちょっと斜に構えてた。……でもね、橘くんを見たとき、胸がギュッてなったんだ。この人は、偽のきらめきじゃなくて、本物の命を削って生きてるんだって」