雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

客室のドアが音を立てて閉まった瞬間、世界から雑音が消えた。
目の前に広がっていたのは、驚くほど広いリビング付きのスイートルームだった。

壁一面の大きな窓からは、先ほどのレストランよりもさらに高い位置からの絶景が、宝石箱をひっくり返したように輝いている。
中央には、見るからに柔らかそうな大きなベッドがぽつんと佇んでいた。
「うわぁ……!すごーい!橘くん見てよ、お部屋の中にソファが三つもある!テレビもあるよ!?」
さっきまでの少し大人びた雰囲気はどこへやら、和奏は靴を脱ぎ捨てるなり、フカフカの絨毯の上をパタパタと走り回って大はしゃぎし始めた。

一方の俺は、完全にドアの近くで直立不動のまま固まっていた。
いつも通りの真顔を必死に張り付けているが、頭の中は完全にパニック状態だった。
「……おい、和奏。これ、どういう冗談だ。なんで男と女が、こんな部屋に二人きりで……」
「え?どういう冗談って、ただのお泊まり会だけど?」
和奏はベッドの端にちょこんと腰掛け、足をぶらぶらさせながら、わざとらしく首を傾げてみせた。

そして、俺のガチガチの様子を見るなり、ニヤニヤと意地の悪い笑みを口元に浮かべる。
「あーっ!わかった!橘くん、今、変なこと想像したでしょ!」
「してない」
「嘘だぁ!耳まで真っ赤だよ?もしかして和奏と二人きりのホテル、ドキドキするなぁ……なんか期待しちゃうなぁ……!とか思っちゃった?ねえ、思っちゃった!?」

和奏はベッドから飛び起きると、俺の目の前まで一気に詰め寄ってきた。
顔が、鼻先が触れそうなくらいに近い。
彼女の大きな瞳が、俺の動揺を全て見透かすようにキラキラと揺れている。
「思ってない。お前、いい加減にしろ。……ツッコミを入れる気力もなくなる」
「あはは!橘くんの真顔のツッコミ、今日もいただきました!大丈夫だよ、ベッドはこんなに大きいし、私は橘くんの寝顔を朝までストーキングするだけだから!」
「余計に寝られないだろ」
俺はため息を吐きながら、ようやくカバンを床に置いた。

恥ずかしさと緊張で心臓がずっとバクバクしているけれど、和奏のこのバカみたいなからかいのおかげで、少しだけ肩の力が抜けたのも事実だった。
「ほら、橘くん。今日はいっぱい歩いて汗かいちゃったし、先にシャワー浴びてきなよ。私はお部屋の探検の続きをしてるから」「……じゃあ、お言葉に甘えて先に入る」
俺は逃げるようにバスルームへと向かった。
大理石でできたシャワールームで、冷たい水で何度も顔を洗う。
鏡を見ると、確かに和奏の言う通り、自分の顔が茹でダコみたいに真っ赤になっていた。

シャワーを浴びて、用意されていたホテルのガウンに袖を通す。
肌触りのいい白い布地に包まれながらバスルームを出ると、今度は和奏が入れ替わりで「じゃあ、私も行ってきまーす!」と、嬉しそうにバスタオルを持って駆け込んでいった。

しばらくして、シャワーの音が止み、バスルームの扉が開く。
「ふぅ、さっぱりしたぁ」
出てきた和奏の姿を見て、俺の心臓は再び爆発しそうになった。
髪が濡れたまま、少しはだけた白いガウンを纏った和奏の肌は、お風呂上がりでほんのりとピンク色に火照っている。
いつもよりずっと無防備で、女の子らしい匂いが部屋いっぱいに広がった。

「……おい、髪くらいちゃんと乾かせ」
「あ、橘くん。じゃあ乾かして?」
和奏は当然のように、ベッドの上に置かれていたドライヤーを俺に手渡してきた。
拒否しようとしたけれど、彼女の濡れた髪がガウンを濡らしているのを見て、俺は仕方なくドライヤーのスイッチを入れた。
ヴィーーー、という静かな機械音が部屋に響く。