雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

これまで、俺にとって生きることは詩織の治療費を稼ぐための義務でしかなかった。
感情を殺し、ただ呼吸を繋ぐだけの日々。
そんな俺の世界に、和奏は強引に踏み込んできて、美味しいご飯と、うるさいくらいの笑顔で、凍りついた心を少しずつ溶かしてくれた。

「……瑞稀」
不意に、拓海が真面目なトーンで俺の名前を呼んだ。

「お前さ、詩織ちゃんのことでずっと自分を責めて、一人で暗闇を走ってたろ。俺たち、お前のダチなのに、何も気づいてやれなくて、本当に悔しかった。ごめん」
拓海の真っ直ぐな瞳が、俺を捉えて離さない。

「でもさ、お前がもう一度生きた人間の顔をするようになったのは、あの子のおかげだ。……だからさ、もう一人で全部背負うなよ」
「そうですよ、橘先輩!」
後輩たちが、次々と俺の手や肩を叩いてくる。

「先輩が笑ってくれないと、俺たちも寂しいじゃないですか」
木村も、静かに頷きながら言った。

「瑞稀、お前は一人じゃない」
ファミレスのオレンジ色の灯りの下、仲間たちの温かい言葉が、俺の胸の奥に溢れるように染み渡っていった。
視界が少しだけにじむ。

俺は声を震わせないように、短く答えた。
「……ああ。ありがとな、みんな」
その言葉を口にした瞬間、胸を締め付けていた重い鎖が音を立てて外れたような気がした。

ファミレスを出ると、外はすっかり帳が下りていた。
駅前で拓海たちと別れ、一人で夜道を歩く。

ふと、ポケットの中でスマホが震えた。
画面を見ると、和奏からのメッセージだった。

『橘くん、拓海くんたちと楽しい時間過ごせた?ちゃんと美味しいもの食べた?』
いつもならうるさいの一言で片付けるか、既読無視を決め込むところだ。
だけど、今夜の俺は、少しだけ素直になれるような気がしていた。

俺は歩みを止め、街灯の下で画面をタップした。
『楽しかった。みんなにお前のこと聞かれた。……お前のおかげで、あいつらとちゃんと話せた気がする』
送信ボタンを押したあと、少しだけ恥ずかしくなって、足早に歩き出す。

すると、わずか三秒で返信が返ってきた。

『えっ!?!?ちょっと待って、今私のスマホの画面壊れた?橘くんがデレた?ねえ、明日世界滅亡するの!?』
画面の向こうで、大騒ぎしながら顔を真っ赤にしている彼女の姿が、手に取るように想像できた。
思わず、ふっと声を出して笑ってしまう。

自分がこんな風に、誰かからのメッセージを見て自然に笑えるなんて、いつ以来だろう。
続けて、もう一通メッセージが届く。

『……ねえ、明日のお弁当、ハンバーグとエビフライ、どっちがいい?橘くんの好きな方、何でも作ってあげるからね』
夜の涼しい風が、俺の髪を揺らしていく。

胸の奥が、トクン、といつもより少しだけ速いリズムで脈打った。
和奏のその真っ直ぐな優しさが、どうしようもないくらい愛おしくて、愛らしくて。
俺の心を包み込んでいく。

『……じゃあ、ハンバーグ。楽しみにしてる』
そう短く返信を送ると、スマホをポケットに仕舞い、俺は夜空を見上げた。