雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

放課後の図書室は、驚くほど静まり返っていた。
カーテンの隙間から差し込む日が並んだ本棚をオレンジ色に染めている。

時折、誰かがページをめくるカサリという音だけが響く空間。
普段の俺なら、こんな場所に足を運ぶことは絶対にない。
なのに、俺の目の前には、なぜか机に突っ伏してニヤニヤしている女子生徒がいる。

「ねえねえ、橘くん。見てこれ」
和奏が声を潜めながら、一冊の文庫本を俺の鼻先に突きつけてきた。
表紙には、いかにも甘酸っぱそうなイラストが描かれている。

「恋愛小説?」
「そう!『世界で一番美しい君へ』っていうんだよ。ほら、今の私たちにシチュエーションがそっくりじゃん!これに出てくる男の子もさ、橘くんみたいにぶっきらぼうで、でも女の子のことが大好きなんだよー?」
「お前、さっきから声がデカい。静かにしろ」

「えー、これでも声を潜めてるつもりなんだけどな。それより橘くん、何読んでるの?そんな分厚い本……うわ、文字ばっかりで目が回りそう」

和奏が覗き込んできたのは、俺が棚から引っ張り出してきた『先進医療における脳神経外科の現在』と書かれた、鈍器のように重い専門書だった。
「……医療系の本だ」
「いりょう?橘くん、お医者さんにでもなるつもり?」
「なるわけないだろ。……詩織の、昏睡状態について少しでも知りたくて」

俺はページをめくる。
脳の損傷、神経の伝達、先進医療、転院。

並んでいる専門用語は、高校生の俺には難解すぎるものばかりだった。
だけどあの日、詩織が流したあの涙の理由が知りたくて、俺は縋るように文字を追う。

「ふーん……。やっぱり橘くんは、世界一の優しいお兄ちゃんだね」
和奏は頬杖をつきながら、感心したように俺の顔を見つめた。

「優しいんじゃなくて、俺のせいでこうなったんだから、当然のことをしてるだけだ。それよりお前、そんな本読んで楽しいのか」

「楽しいよ?だって、この小説のヒロイン、男の子に『ねえ、私のことどう思ってる?』って聞くんだよ。そしたら男の子が顔を真っ赤にして『お前なんか嫌いだ』って言うの。もうね、ツンデレの教科書みたい!橘くんもさ、私が『私のこと好き?』って聞いたら、そんな風にツンツンしてくれる?」