雨色な君の心に半透明な傘を翳すころ

俺はベッドの柵に手をかけ、ぽつりぽつりと、和奏に詩織の話をした。

あの日、俺が最悪の言葉を放つ前の、ただ純粋に俺のバスケのファンでいてくれた頃の、眩しかった妹の姿を。
和奏はそれを、遮ることもせず、ただ優しい眼差しで静かに聴いてくれていた。

その時病室のドアが開き、白衣を着た主治医の先生が顔を出した。
「あ、瑞稀くん、来ていたんだね。少し、今後の治療方針などの件で書類にサインをもらいたいんだが、今、少しいいかね?」
「あ……はい。わかりました」

俺は和奏の方を振り返った。
「和奏、少し外してくる。ここで待っててくれるか?」
「うん。大丈夫だよ。詩織ちゃんと二人で、お留守番してるね」
和奏はいつもの柔らかい笑みを浮かべて、俺を送り出すように手を振った。

「すぐ戻る」
俺はそう言い残し、先生のあとを追って病室を出た。

バタン、と静かにドアが閉まり、廊下の向こうへと俺の足音が遠ざかっていく。
病室の中に、再び人工呼吸器の機械音だけが戻ってきた。

一人きりになった和奏は、ゆっくりと、本当にゆっくりとした足取りで、詩織の枕元へと歩み寄った。
その表情からは張り裂けそうなほどの哀切が満ち溢れていた。

「……詩織ちゃん」
和奏は、動かない詩織の、包帯が巻かれた前髪を、驚くほど優しい手つきでそっと撫でた。
「ごめんね……」
和奏は自分の両手で、詩織の冷たい、細い右手をそっと包み込んだ。

「橘くんはね、今もずっと、君のために戦ってるよ。自分のやりたかったバスケも、青春も、全部、全部ゴミ箱に放り込んで、君をもう一度この世界に呼び戻すためだけに、死に物狂いで働いてるの。……本当に、馬鹿なくらい優しい、世界一のお兄ちゃんだよ」

和奏は詩織の手を自分の頬に寄せた。
和奏の、魂を削り出すような切ない言葉が誰もいない病室の中に優しく溶けていった。

その時、深い深い暗闇の底で。
詩織の意識は、果てしない夢の境界線を彷徨っていた。

真っ白な、どこまでも続くバスケットコート。
そこには、背番号「5」のユニフォームを着た、あの眩しい頃の兄が立っていた。

『詩織、行くぞ!ちゃんと見てろよ!』
兄が笑う。
鮮やかなドライブで相手を抜き去り、綺麗な放物線を描いてボールがゴールネットを揺らす。

客席の最前列で、小さな手を何度も、何度も叩いて、叫ぶように兄の名前を呼んでいる、幼い日の自分。
『お兄ちゃん!凄い!お兄ちゃんは世界一のエースだよ!』
四人で冗談を言いながら笑い合った、あの眩しい家族旅行。

母親がキッチンで夕飯を作る包丁の音。
父親が居間で新聞を広げる音。
すべてが温かくて、すべてが光に満ちていた、あの愛おしい日常の断片が、走馬灯のように詩織の脳を駆け巡る。