恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

 仕事を終えて、帰宅しようと会社を出る。
 玄関を抜けたところで、突然腕を掴まれた。

「え?」

 振り向くと、険しい表情の桐生さんが立っていた。

「あ……」

 言葉を探していると、彼は困ったように眉を寄せ小さくつぶやく。

「お願いだ。少しだけ、話を聞いてほしい」


 * * *


 会社から少し離れたところにあるレトロな喫茶店。
 席と席の間には簡易的なしきりがあり、周りの視線が気にならない。

 ちょっとほっとする。これなら人目を気にしなくていい。

 配慮してくれたのかな。

 向かいに座る桐生さんはさっきから落ち着きがない。そわそわと視線をさまよわせる姿は、なんだか珍しかった。

 しばらく沈黙が続いた。

 注文したコーヒーが目の前に置かれたところで、ようやく彼が口を開く。

「この前は、その……ごめん。彼女は違うから。
 男女の仲とかそういうんじゃなくて――」

「知ってます」

 そう答えると、彼は目を見開いてひどく驚いた顔をした。どうやら、彼女が私のところに来たことは知らないらしい。

 そのことを説明すると、桐生さんはふっと力が抜けたように笑った。

「そっか……」

 それきり、また黙り込む。
 なんだろうこの間。すごく気まずい。

 前からだけど、桐生さんと一緒にいるとどうしても緊張してしまう。

 土岐くんとは大違いだな。彼とは一緒にいても全然緊張しないし、それどころか安心感さえある。
 ……って、何考えてるの。
 今、目の前にいるのは桐生さんなのに。

「それで。俺の想いはもう知ってると思うけど。
 改めて気持ちを伝えたいと思って。聞いてほしい」

 真剣な眼差しを向けられ、空気がぴんと張りつめる。
 姿勢を正し、まっすぐ見つめ返した。

「……はい」
「ありがとう」

 やさしく微笑む彼に、胸がきゅっと鳴った。
 やっぱり彼のことだって好きだ。そう思ってしまう。

 私ったら、いったいどっちなの?


 桐生さんはひとつ息をついてから、ゆっくりと話し始めた。

「なんだか信用されてないみたいだけど……
 俺は本当に君のことが好きなんだ」

 まっすぐに告げられて、頬がじわっと熱くなる。

「は、はい……」

 そう返すのがせいいっぱいで、なかなか目を合わせられない。

「俺が今の部署に移る前、営業にいたことは知ってるよね?」

 小さく頷く。

「営業からこの部署に異動してきたのは、君がいたからなんだ。
 前にも話したと思うけど」

 それは聞いた。
 でも、どうしてそこまで? という疑問はまだ消えていない。

「会社でたまに見かけてさ。可愛いなって思ってたんだ。
 それで、いつの間にか目で追うようになって……
 優しいところとか、おっちょこちょいなところとか。
 目が離せなくてさ。見てると心があたたかくなったり、ドキドキしたりして」

 桐生さんはとてもやさしい顔で笑った。

「いいなって思って。君のことを知りたくなって、もっと近づきたいって思った。
 恥ずかしいんだけど……気づいたら、夢中になってたんだ」

 今度は照れくさそうに視線を落とす。

 なに、それ。
 なに、この展開。
 ぜんぜん知らなかった。そんなに前から見られていたなんて。

 ……は、恥ずかしいよぉ~。

「いつもすごく緊張してたんだ。必死に格好つけてたけど。
 告白したときも、それはもうやばかった。付き合えたときは本当に嬉しかったし、舞い上がった。
 でも、その……君みたいな女性は初めてで、戸惑うことも多くて。いや、変な意味じゃなくて、純粋で男に慣れてないってことだよ。
 そんな君を傷つけてしまったらどうしようって。気が気じゃなかった」

 いつもより饒舌(じょうぜつ)な桐生さんに、面食らう。
 それ以上に、彼の言葉ひとつひとつが胸にそっと落ちてきて、驚きと同時にじんわりと愛おしさが湧いた。

「余裕そうに見えたかもしれないけど……俺必死だったんだよ。
 君の前では格好つけてた。
 いつも嫌じゃないかな、嫌われないかなって。もう、内心ひやひやで」

 頭を掻いて笑う桐生さんは、初めて恋をした男の子みたいで……。

 なんというか、ときめいてしまう。
 トクン、トクンと鼓動が鳴った。

「土岐に対してやきもちを妬いた。
 だって、彼と一緒にいるときの君はとても自然に見えたから。これはやばいなって。取られてしまうんじゃないかって」

 そこで言葉を切り、少し黙り込む。
 次の瞬間、ばっと顔を上げた。

「もしかして、土岐から告白とかされた?」

「え!?」

 核心を突く一言に目を丸くする。だって、実際にそうなっているから。
 桐生さんって、エスパー?

「ははっ、やっぱりか」

 彼は困ったように笑って、わずかに視線を落とした。

「そうじゃないかと思ってた。
 あいつ、前から君のことが好きだったからな」

 そう言われ、驚いて問い返す。

「な、なんで知ってるんですか?」

「見てればわかるよ。二人とも、わかりやすいからなあ」

 にこりと微笑まれ、私は苦笑いを返す。

 そんなにわかりやすいかなあ。まあ、土岐くんは素直だから。そうかも? でも、私は彼の気持ちに全然気づかなかったけど。

 桐生さんは、それきり黙り込んでしまう。

 やがて、静かに息をついてから、まっすぐ私を見た。

「もう一度、俺にチャンスをくれないか」

 ドクンと鼓動が大きく鳴った。胸がざわつく。

「土岐のこともあるだろうし……君の答えを聞かせてほしい」

 その目は、真剣そのものだった。

「そ、そんな……」

 それって、どちらか選べってこと?

「いいよ。待つから。じっくり考えて」

 彼が優しく微笑み、私はうまく言葉を返せないまま、そっと目を伏せた。

 ど、どうしよう。まさか、こんなことになるなんて。

 自分の気持ち。今は出せない答え……ちゃんと見つけられるのかな。