恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

 そして、帰りの時間。
 他愛もない話をしながら土岐くんと肩を並べて歩く。こんな些細なことでも、彼と一緒だと楽しかった。

 気づけばもうアパートの前まで辿り着いていて、時間ってあっという間に過ぎてしまうんだなと、あらためて思った。

 このまま帰るのが、少し寂しい。

「あー、楽しかった。今日はありがとう」

 大きく伸びをして、笑顔を向ける。それから感謝の気持ちを込めて小さく頭を下げた。

「な、なに言ってるんだよ。お礼を言うのは僕の方だよ。
 母へのプレゼント、選んでくれてありがとう。きっと、すごく喜ぶと思う」

 そう言って、土岐くんはにこりと笑う。

 ……また可愛いんだから。

 にやついてしまいそうになるのを必死にこらえながら、私も笑顔を返した。

「うん。じゃあまた、会社でね」

 そのまま(きびす)を返そうとした瞬間、手をぎゅっと握りしめられた。
 振り返ると、真剣な目がまっすぐこちらを見つめていた。

「どうしたの?」

 突然の行動に少し焦る。なんだか、いつもの土岐くんじゃないみたい。

「えっと……あの、その……」

 言いにくそうに視線を彷徨わせながら彼は口ごもった。

 いったいどうしたんだろう。その体勢のまま、黙って待った。
 わずかな沈黙のあと、土岐くんは決意したように口を開く。

「言いにくいんだけど。桐生さんとは、別れた方がいいと思う」

 はっきり告げられ、一瞬頭の中が真っ白になった。

「え? それってどういう……」

 彼がそんなことを言うなんて。驚きすぎて言葉がうまく出てこない。

 土岐くんは俯いたまま、続けた。

「だって、桐生さんと付き合ってから、望月さんずっと辛そうで。僕だったら……」

 そこでいったん言葉を切る。わずかな沈黙のあと、彼は勢いよく顔を上げた。

「僕なら、君を悲しませたりしない!」

 ん? どういう意味だろう。私は首を傾げた。

「うん、知ってるよ。土岐くんは私を悲しませたり、辛い思いをさせたりしないよね」

 笑顔でそう返すと、土岐くんは目を丸くした。
 口をぱくぱくさせたかと思えば、みるみるうちに顔が赤くなっていく。

 本当にどうしたんだろう。なんだか様子がおかしい。

「あの……だから。僕は」

 一拍置いてから、彼は大きな声で叫んだ。

「君が好きなんだ!」

 ――え?

 私はその場で固まった。
 なんて言った?
 窺うように土岐くんへ視線を向ける。

 彼の顔は真っ赤に染まっていた。

「あの、だから、その……」

 土岐くんは言葉を詰まらせ、そのままタコみたいに赤い顔のまま黙り込んでしまう。

 私は思考が追いつかず、ただぼうっと彼を見つめていた。

 すると、彼の表情が急にきりっと引き締まり、今度はまっすぐこちらを見つめ返してくる。

「ぼ、僕は、君と知り合う前から、ずっと望月さんのことが好きだったんだ」

 少しの沈黙。

 んん? どういうこと?
 っていうか、待って。さっきから好きって言われてる!?

 え、えええ!! マジで? そんなの全然わからなかったんですけど。
 いや、まあ確かに。妙に優しいなとか、気が利くなとか、思ったことはあったけど。

 でも、それは土岐くんがそういう人なんだと思ってただけで。

「君のことをずっと気にかけてた。だから、あの時も助けられたんだ」

 あの時――女性たちに詰め寄られて、困っていた時のこと。

 土岐くんが来てくれて、本当に助かった。え? あれも偶然じゃなかったってこと?
 次々に押し寄せる衝撃に開いた口が塞がらない。

「話せるきっかけができて、すごく嬉しかった……って言うと君に悪いかもしれないけど」

 少しだけ笑ってから、彼は悲しそうに視線を落とした。

「でも、すぐに落ち込んだ。だって、望月さんの心はもう彼に夢中だったから」

 じっと見つめられて、鼓動が高鳴る。

 彼――桐生さんのことだ。

 そうか。そうだよね。土岐くんと知り合った頃、私はもう桐生さんのことが好きで。
 でもそれって。

 私のことが好きなのに、ずっと恋の相談に乗ってくれて。しかも応援までしてくれてたってこと?

 信じられない。どこまでお人よしなのよ。

 土岐くんは自嘲気味に笑いながら続けた。

「告白する勇気がなくて……だって、答えは目に見えてたし。
 そうやって僕が迷っている間に、君は桐生さんと付き合うようになってしまって」

 眉をひそめ、苦しげに息を吐く。

「いったんは諦めたよ。望月さんが幸せなら、それでいいやって。
 二人が幸せになってくれたなら、それでよかったんだ」

 拳をぎゅっと握りしめ、涙を溜めた目でじっと見つめてくる。
 その想いの強さに、ドクンと鼓動が鳴った。

 ちょっと男らしい。彼らしくないその気配に、乙女心がくすぐられる。

「応援しようって決めたのに。なんで、幸せになってくれないんだよ!」

 急に怒鳴られて、戸惑う。
 そ、そんなこと言われても……。

 彼が一歩近づく。至近距離から見つめられ、顔が熱くなった。

 土岐くんって、こんなに男らしかったっけ?

「僕なら君を悲しませたりしない。ぜったいに幸せにする……」

 真剣な声と、まっすぐな眼差し。
 冗談なんてとても思えなかった。

 衝撃だった。土岐くんにここまで想われていたなんて。

 今まではただの友達だと思ってた。彼も同じように思ってくれているものだとばかり。

 それが、恋愛対象として見られていたなんて。

 いや。彼のことは好きだよ。一緒にいて心地いいし、楽しいし。
 でもこれは恋なのかな。正直、自分でもよくわからない。

 考え込んでいると、土岐くんがさらに距離を詰めてきて、私の手をぎゅっと握ってくる。

「僕を、選んでほしい。絶対に後悔させないから」

 いつもは癒し系で可愛い土岐くんが、このときばかりは、はっきりと男の人に見えた。
 心臓が早鐘を打つ。

 ど、どうしよう。私はどうしたらいいの?

「ごめん。いきなり、こんな。戸惑うよね」

 そう言って優しく微笑むと、彼は私からそっと離れた。
 あたたかな温もりが遠ざかり、ふと寂しさを覚える。

 その優しい眼差しから私は目を離せずにいた。

「答えは急がなくていい。気持ちが固まったら、教えてほしい」

 その視線が胸の奥まで熱を運んでくるみたいで。頬がじんわりと火照る。

 こんな土岐くん……初めて。

 彼は少し躊躇いがちに近づき、私を見下ろした。

「でも、これだけは覚えておいて。
 僕は君のことが心から好きだよ。望月さんの幸せを祈ってる」

 土岐くんはそっと目を伏せてから続けた。

「その幸せを与える相手が僕だったら……いいな」

 ふわりと笑うその顔は、いつものように可愛らしかった。

 心がぽっとあたたまる。
 ほんとに不思議。彼といるときに感じる、この心地よさ。
 これはいったい。

 ぼうっと見つめていると、土岐くんがふいに視線を逸らした。

「そんなに見つめないで……恥ずかしいよ。それに、ちょっと我慢がきかなくなる」

 私を見る彼の瞳は、熱を帯びて激しく揺れている。

 が、我慢? いったいなにを言ってるの? 意味がわからず目を瞬かせた。

 土岐くんはくすっと笑って、静かに身を引いた。

「とにかく返事はいつでもいいから。
 ちゃんとよく考えてほしい。じゃあ、また」

 それだけ言って彼は背を向ける。

「え、あ」

 声をかけようとしたけれど、なにを言えばいいのかわからない。
 遠ざかる姿を、ただ見送ることしかできなかった。