甘い余韻の中で、彼がそっと体を離す。
もう一度見つめ合って笑みがこぼれ、ふとこの場所へ来た理由を思い出した。
いけない。忘れるところだった。
夢みたいな出来事に、すっかり頭の片隅へ追いやられていた。
「あ、あの」
「ん? どうした?」
向けられた優しい笑顔に、胸がきゅっと跳ねる。
「土岐くんって、知ってるでしょ?」
その名前を出した途端、彼の表情が険しくなり眉がわずかに上がった。
「ああ……あいつか。土岐がどうかした?」
どこかそっけない言い方に少し引っかかった。
「今度の休みに、彼の買い物に付き合うことになって。
一応、報告しておこうかなと思いまして」
男性と会うときはやっぱり伝えておくべきだよね。この前のことでそれは学んだ。
余計な誤解を生まないためにも、ね。
「ふーん。なんで?」
……めちゃくちゃ不機嫌そうな顔。
「え、なんでって……」
「なんで、あいつの買い物に君が付き合うの?」
言葉にはっきりと棘があった。
私はおろおろと視線をさまよわせながら必死に言葉を探す。
「ほら、この前は彼の妹さんへのプレゼントを買ったでしょ? あれがすごく好評で、喜んでくれたみたい。
それで今度は、お母さんへのプレゼントも一緒に選んでほしいって言われて……」
本当のことだ。嘘は言っていない。
「……」
今度はだんまり。
その沈黙がこわいんですけど。というか、どうしてそんなに怒ってるの?
おそるおそる機嫌をうかがっていると、
「彼は、君のなに?」
鋭い眼差しを向けられて戸惑う。
「え! 彼とは友達です」
素直に答えた。これも本心だった。
土岐くんとはいい友達で。私にとっては癒しで、相談相手でとても大切で、ありがたい存在。
……ん?
こうして考えると、もしかして特別なのでは。
首をかしげて考え込んでいると、桐生さんが低い声で言い放った。
「いやだ」
「はい?」
あまりにも子どもっぽい言い方に、思わず聞き返してしまう。
拗ねたような表情のまま彼は続けた。
「土岐と二人で会うのは禁止。会社でもよくランチしてるだろ?」
「え? まあ」
……見られてたんだ。
「それも、もう駄目」
はっきり言い切られて、少しムッとする。
「どうして、そんなことまで言われないといけないの?」
つい、強気に言い返してしまった。
彼は意外そうに目を見開く。
しまった。でも、これは譲れない。
私はそっと見つめ返す。いや、ほとんど睨み返していた。
「友達関係のことまで、口出しされたくありません」
「でも、あいつは男だ」
「男だからってなに? 友達です」
「だから、土岐はそう思ってないかもしれないだろ」
不機嫌そうなまま、横目でこちらを窺ってくる。
いつも堂々としている桐生さんらしくない。
こんな小さなことで突っかかってくるなんて、女々しい。
「でも、私は土岐くんのこと避けたりなんてできません」
意地になって言い返した。
彼にはたくさんの恩がある。そんなふうに距離を取るなんてできないし……したくなかった。
桐生さんは深いため息を吐き、そしてとんでもないことを言い出した。
「じゃあ……俺が、他の女性と二人きりで会ってもいいんだ?」
なにその言い方。嫌味っぽい。
本当に今日の彼は彼らしくない。
いったい、どうしたっていうの?
拗ねた子どもみたい。桐生さんにこんな一面があったなんて。驚くのと同時に、少しあきれてしまった。
「いいです。私も土岐くんと会いますから。
桐生さんも、ご自由にどうぞ」
突っぱねるように言い放つ。
……ちょっとだけ後悔が滲んだ。言っちゃった。
ちらりと横目で窺うと、桐生さんは黙ったままうつむいている。
「そうかよ! わかった」
声を荒げた彼は、ふいっと顔を背けた。
「じゃあ」
そう言って、そのまま歩きだす。
な、なんなの、あの態度。信じられない……。
好きな人が他の異性と会うからって、怒って、そっぽを向くなんて。
私は唖然としたまま、その背中を見送った。
彼が去ったあと、あたりが急に静まり返る。
ふっと息を吐いた。
まさか、あんな態度を取られるなんて。本当にびっくりした。
でも……少し反省もする。私も子どもっぽかったよね。
さっきの話、本当なのかな。
どうしよう。もし、浮気されたら。
……いやだ。
私だって、彼が別の女性と二人で会うなんて、いや。
そっか。そうだよね。
桐生さんも同じ気持ちだったんだ。
でもそれって、同じくらい私のことを好きってことでもあって。
ああ、せっかく仲直りできたばかりだったのに。また距離ができてしまったじゃない。
私って、つくづく恋愛音痴なのかな。なにやってるんだろう。
大きく息を吐いてからゆっくり歩きだす。
もう、帰ろう。
駅に向かう途中、ふと思った。
……でもさ。彼も悪いのよ。
土岐くんのことをあんなふうに言うから。
彼と会うな、なんて言われて、ついカッとなってしまった。
心の底からいやだって思ったんだ。
今回のことで改めて気づいた。
土岐くんは私にとって、とても大切な存在になっていたってこと。
ふと彼の顔が浮かぶ。
すると不思議なことに、少しだけ気持ちがやさしくなれた気がした。
もう一度見つめ合って笑みがこぼれ、ふとこの場所へ来た理由を思い出した。
いけない。忘れるところだった。
夢みたいな出来事に、すっかり頭の片隅へ追いやられていた。
「あ、あの」
「ん? どうした?」
向けられた優しい笑顔に、胸がきゅっと跳ねる。
「土岐くんって、知ってるでしょ?」
その名前を出した途端、彼の表情が険しくなり眉がわずかに上がった。
「ああ……あいつか。土岐がどうかした?」
どこかそっけない言い方に少し引っかかった。
「今度の休みに、彼の買い物に付き合うことになって。
一応、報告しておこうかなと思いまして」
男性と会うときはやっぱり伝えておくべきだよね。この前のことでそれは学んだ。
余計な誤解を生まないためにも、ね。
「ふーん。なんで?」
……めちゃくちゃ不機嫌そうな顔。
「え、なんでって……」
「なんで、あいつの買い物に君が付き合うの?」
言葉にはっきりと棘があった。
私はおろおろと視線をさまよわせながら必死に言葉を探す。
「ほら、この前は彼の妹さんへのプレゼントを買ったでしょ? あれがすごく好評で、喜んでくれたみたい。
それで今度は、お母さんへのプレゼントも一緒に選んでほしいって言われて……」
本当のことだ。嘘は言っていない。
「……」
今度はだんまり。
その沈黙がこわいんですけど。というか、どうしてそんなに怒ってるの?
おそるおそる機嫌をうかがっていると、
「彼は、君のなに?」
鋭い眼差しを向けられて戸惑う。
「え! 彼とは友達です」
素直に答えた。これも本心だった。
土岐くんとはいい友達で。私にとっては癒しで、相談相手でとても大切で、ありがたい存在。
……ん?
こうして考えると、もしかして特別なのでは。
首をかしげて考え込んでいると、桐生さんが低い声で言い放った。
「いやだ」
「はい?」
あまりにも子どもっぽい言い方に、思わず聞き返してしまう。
拗ねたような表情のまま彼は続けた。
「土岐と二人で会うのは禁止。会社でもよくランチしてるだろ?」
「え? まあ」
……見られてたんだ。
「それも、もう駄目」
はっきり言い切られて、少しムッとする。
「どうして、そんなことまで言われないといけないの?」
つい、強気に言い返してしまった。
彼は意外そうに目を見開く。
しまった。でも、これは譲れない。
私はそっと見つめ返す。いや、ほとんど睨み返していた。
「友達関係のことまで、口出しされたくありません」
「でも、あいつは男だ」
「男だからってなに? 友達です」
「だから、土岐はそう思ってないかもしれないだろ」
不機嫌そうなまま、横目でこちらを窺ってくる。
いつも堂々としている桐生さんらしくない。
こんな小さなことで突っかかってくるなんて、女々しい。
「でも、私は土岐くんのこと避けたりなんてできません」
意地になって言い返した。
彼にはたくさんの恩がある。そんなふうに距離を取るなんてできないし……したくなかった。
桐生さんは深いため息を吐き、そしてとんでもないことを言い出した。
「じゃあ……俺が、他の女性と二人きりで会ってもいいんだ?」
なにその言い方。嫌味っぽい。
本当に今日の彼は彼らしくない。
いったい、どうしたっていうの?
拗ねた子どもみたい。桐生さんにこんな一面があったなんて。驚くのと同時に、少しあきれてしまった。
「いいです。私も土岐くんと会いますから。
桐生さんも、ご自由にどうぞ」
突っぱねるように言い放つ。
……ちょっとだけ後悔が滲んだ。言っちゃった。
ちらりと横目で窺うと、桐生さんは黙ったままうつむいている。
「そうかよ! わかった」
声を荒げた彼は、ふいっと顔を背けた。
「じゃあ」
そう言って、そのまま歩きだす。
な、なんなの、あの態度。信じられない……。
好きな人が他の異性と会うからって、怒って、そっぽを向くなんて。
私は唖然としたまま、その背中を見送った。
彼が去ったあと、あたりが急に静まり返る。
ふっと息を吐いた。
まさか、あんな態度を取られるなんて。本当にびっくりした。
でも……少し反省もする。私も子どもっぽかったよね。
さっきの話、本当なのかな。
どうしよう。もし、浮気されたら。
……いやだ。
私だって、彼が別の女性と二人で会うなんて、いや。
そっか。そうだよね。
桐生さんも同じ気持ちだったんだ。
でもそれって、同じくらい私のことを好きってことでもあって。
ああ、せっかく仲直りできたばかりだったのに。また距離ができてしまったじゃない。
私って、つくづく恋愛音痴なのかな。なにやってるんだろう。
大きく息を吐いてからゆっくり歩きだす。
もう、帰ろう。
駅に向かう途中、ふと思った。
……でもさ。彼も悪いのよ。
土岐くんのことをあんなふうに言うから。
彼と会うな、なんて言われて、ついカッとなってしまった。
心の底からいやだって思ったんだ。
今回のことで改めて気づいた。
土岐くんは私にとって、とても大切な存在になっていたってこと。
ふと彼の顔が浮かぶ。
すると不思議なことに、少しだけ気持ちがやさしくなれた気がした。
