恋を知らない私への処方箋――エリート上司と癒やし系同僚がくれる、ほんものの愛

「はぁ……」

 何度目になるかわからないため息をそっと吐いた。
 桐生さんのこと、どうしよう。そんな考えばかりが頭を占めて、仕事に集中できない。
 ミスが続いたせいか、今日は注意されてばかりだった。

 気づけば、午前中はあっという間に過ぎていた。

 チャイムが鳴って、はっと顔を上げる。
 しまった、またぼんやりしていた。時計を見るともうお昼の時間だった。

 あんまり食欲もないなあ。そんなことを考えていたそのとき。

「望月さん」

「はい?」

 振り向くと桐生さんがすぐ目の前に立っていて、びっくりして勢いよく立ち上がってしまった。

「あ、あの、なにか?」

 ……なんて他人行儀な言い方だろう。自分で言っておいて恥ずかしくなる。だって、突然現れるんだもん。
 心の準備ができてない。

「あの、お昼を一緒に」

 彼がそう言いかけた、その瞬間だった。

「桐生さん、お昼一緒しませんか?」

 声をかけてきたのは、同じ部署の佐々木さんと鈴木さんだった。この二人が、桐生さんに好意を寄せていることは知っている。

「ね、いいでしょ?」

 佐々木さんがためらいもなく桐生さんの腕に自分の腕を絡めた。

「そうですよ、たまには。
 それに、お仕事のことで相談もあるんです。食事しながら話聞いてくださいよぉ」

 反対側からは鈴木さんにもう片方を取られ、桐生さんは両手に花状態。
 戸惑ったように視線をさまよわせて、どうしたものかと困っている。

 佐々木、鈴木……木に挟まれてる。現実逃避したかったのか、そんなダジャレみたいなことがふと頭に浮かんでしまった。

「えっと……」

 桐生さんが困ったように私をちらりと見る。

 そんな目で見られても、私は何も言えない。視線を逸らすしかなかった。

「あら? 望月さんも一緒に行く?」

 鈴木さんがわざとらしく言う。それって、一緒に来るなってことだよね。さすがにわかるよ。

「いえ……私は、いいです」

 ぽつりと答えると、すぐに佐々木さんが言った。

「そう。残念ね。じゃあ、行きましょう」

 そのまま、二人は桐生さんを連れていってしまった。

 最後に見えた彼の瞳が、悲しげに揺れていた……。


 * * *


「はあー」

 また大きなため息をひとつついた。

 何やってるんだろう。自分で自分に呆れちゃう。でも、不思議とお腹はちゃんと減るんだよね。
 ランチ、どうしようかな。

 ぼんやり考え事をしながら廊下を歩いていると、

「望月さん」

 後ろから声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは土岐くんだった。


 そのまま彼に誘われる形で食堂へ向かい、いつものランチセットを頼んで席に座った。
 そこは雑踏から少し離れた窓際の席で、周囲よりも落ち着いた空気が流れていた。

 もしかして、気を遣ってくれたのかな。話しやすいように、あえて静かな場所を選んだとか。
 ……いや、考えすぎか。でも、彼ならやりかねない気もする。

 そうやって考えていると土岐くんがこちらを向いた。
 視線が重なった瞬間、胸が小さく跳ねる。

「なに?」

 爽やかな笑みを向けられて、私はごまかすように小さく笑った。

「ううん、なんでも。あ、そういえば。今日はどうしてランチに誘ってくれたの?」

 ちょっと気になっていた。

「え? 用事がないと誘っちゃだめかな?」

 少し上目遣いで見つめられて、鼓動が早くなる。

 ……なんて可愛い目をするんだろう。
 眼鏡越しの瞳だけでこの破壊力なんだから、あのときみたいにおしゃれをしてこんな表情を向けられたら——想像しただけで頭がくらっとする。

「ううん、別にいいよ。土岐くんといると楽しいし」

「ほんと? 嬉しいな」

 屈託のない、きらきらした笑顔。見ているだけで気持ちが和らいで、私もつられて笑っていた。

 食事をしながら何気ない会話を交わしているうちに時間が過ぎていく。
 こういう時間、好きだな……なんて思っていたら、ふとした拍子に桐生さんの顔が浮かんだ。

 さっきは惜しかったな。あのまま二人で話せたかもしれないのに。

「望月さん?」

「え、なに?」

 我に返る。しまった。今は土岐くんと一緒なのに、失礼だよね。

「大丈夫? 元気ない?」

 心配そうに眉を寄せられ、慌てて首を振る。

「ううん、そんなことないよ。それで、なんだっけ?」

 何か話していた気がするのに、ちゃんと聞けていなかった。

「あ、うん。えっと、またお願いしたいことがあって」

 言いづらそうに視線を泳がせながら、もじもじ話す姿が微笑ましい。

「うん、なに?」

「この前の妹へのプレゼント、すごく好評だったんだ。それで……今度は、母のプレゼントも選んでほしいなって思って」

 恥ずかしそうに告げる彼を見て、こっちまで照れてしまう。

 でも、そっか。喜んでもらえたんだ。よかった。
 今度はお母さんか、仲のいい家族なんだな。

 胸がぽっとあたたかくなって、自然と口元がほころぶ。

「いいよ」

 そう答えると、彼の表情がぱあっと明るくなった。

「ほんと? ほんとに?」

 ぐっと顔を近づけられて、焦る。

「う、うん。ほんと。この前も楽しかったし……また私が選んじゃっていいの?」

「もちろん。望月さんに選んでほしいんだよ。妹もすごく喜んでたし、母もきっと喜ぶよ」

 うきうきしている様子が可笑しくて、つい笑みがこぼれた。

「あ、いい笑顔」

 それにつられて土岐くんも笑う。

 ……もしかして、元気づけようとしてくれてる? 私が落ち込んでたの、わかってたのかな。
 胸の内がじんわりとあたたまった。

「ありがとう、土岐くん」

 そう言うと、彼はきょとんとする。

「え? 僕がお礼を言うほうじゃない?」

 首を傾げる仕草を見て、また頬がゆるむ。

「ふふ。いいの。土岐くんは、そのままで」

「え? なんのこと?」

「なんでもない」

 意地悪して、顔をぷいっと背けた。

「えー。望月さんのいじわる」

 その声まで可愛くて……これは、ちょっと癖になりそう。

 でも、ちょっと驚いた。
 私が誰かをからかう日が来るなんて。今まで、からかわれてばかりだったのに。

 不思議だ。本当に土岐くんは不思議な人。彼と一緒にいると、知らなかった自分に出会える。

 それが嫌じゃなくて、むしろ心地いいと思えるなんて。