四畳半、煙草の煙、火曜日の少女 〜これは、二人だけの秘密だよ〜

 今日は火曜日。オフの日。
 テーブルの上にはオセロの箱が置かれている。白と黒の石をひっくり返して遊ぶ、二人用のボードゲーム。
 一人暮らしの家には似つかわしくないが、もちろん林と遊ぶためのものだ。
 林が部屋に来てくれるのは嬉しい。でも、いつも私がタバコを吸って、林がそれを見るだけというのもどうなんだろうと思ったのだ。
 ネットでいくつかのボードゲームを吟味した結果、誰でもルールを知っていそうなものを注文した。
 
 気が付くと、時計は十二時を回っていた。
 もう来る頃だな。私は床をちらりと見て、ゴミが落ちていないかを軽く確認した。
 私はテーブルの横に座り、オセロを眺めた。
 先攻と後攻、どっちが有利なんだっけ。角を取るためには、どの列に置くことを意識するんだっけ。
 ふと時計を見ると、十二時十五分だった。
 おや、今日は遅いな。寝坊でもしたかな。
 まあ、たまには遅れることくらいあるだろう。バスだって遅延するんだ。
 
 ところが、十二時半になっても林は来なかった。
 曜日を勘違いしたかと思って、私はスマホを見た。今日は火曜日だ。間違いない。
 ここまでくると、もう今日は来ないのかもしれないと感じ始めた。
 ふう。わたしはため息をついた。
 でもまだ十二時半だ。林に来ていいと言ってある時間は十三時まで。まだわからない。
 でも結局、十三時になっても林は来なかった。
 一人の部屋で、空気清浄機の音が響く。
 私はそれをかき消すように、スマホで音楽を鳴らした。
 
 期待しすぎたんだ、私は。
 私は林に「来てもいいよ」と言っただけだ。必ず来るとも限らない。
 まさか、退屈すぎて来るのが嫌になったか。いや、林はいつもそれなりに楽しそうだし、それはないと思う。……多分。
 もしかしたら、たまたま来られなかったのかもしれない。家の事情とか、病気とか。
 でも、ここ一ヶ月は毎週来てくれていたから、今日も来るものだと思い込んでいた。
 私は赤の他人だ。林の行動や選択に、口出しすることはできない。
 そんなことは、わかってる。
 わかってるけど。
 ……来て、欲しかったな。
 私は心にぽっかりと穴が空いたように感じた。
 
 手持ち無沙汰になった私は、オセロを箱から取り出した。
 真ん中に白と黒を二枚ずつ並べて、ゲームスタート。
 先攻は黒。ぱちん、と音を立てながら、石を置いてめくる。
 後攻は白。黒の動きを見ながら、次の一手を考える。
 勝負は最後まで拮抗し、最終的に白が僅差で勝利した。
 私は一人でオセロを片付けて、箱にしまった。
 
 私はスマホの音楽を止め、空気清浄機の電源を切った。
 音のしない部屋でごろんと床に寝転がると、茶色い天井が見えた。
 そこに林の姿を思い浮かべてみた。
 図書館で出会ったときは、無表情で本を読んでいた林。
 傷の手当てのために、困った顔で私の部屋にいた林。
 タバコを吸う私の隣で、嬉しそうにする林。
 たった数回の付き合いなのに、どうしてこんなに鮮明に覚えているんだろう。
「ああ」
 口から小さなうめき声が漏れた。
 返事をする人は、誰もいなかった。
 
 *
 
 今日は火曜日。オフの日。
 先週は林が来なかったが、今日は来た。
「いらっしゃい」
 私は口角が上がるのを必死に抑えながら林を迎え入れた。
「オセロ?」
 林はすぐにそれに気が付いた。
「そう。一緒にやらない?」
「いいね!」
 結果は私の圧勝だった。
 林はすっかり機嫌を損ねてしまい、それが我が家のオセロの最後の出番となった。
 拗ねた顔でカフェオレを飲む林に、私は何気なく尋ねた。
「あー、そういえば、先週は来なかったよね」
「そう! そうなの」
 林は弾けるように言った。
「本当は来るつもりだったのに、お母さんが家の片付けを張り切っちゃって、手伝わされたの」
「それは大変だったね」
 そう言いながら、私は顔がにやけるのを止められなかった。
 へへ、そうか。来るつもり、だったのか。
「お母さんの手伝いをして、偉いね」
「そう?」
「うん。どんなところを片付けたの?」
「それがね、色々」
 林は早口に喋りだした。
 私は微笑みながら、林の言葉を全身に浴びていた。
 
 片付けたオセロの箱が、私の視界に入った。
 次にゲームをする時は、手加減してやろう。
 そんなことを考えている自分に気付き、少しだけ笑った。