自殺を阻止された俺は、小説を書く楽しみを覚える。

 「なんで、水族館」

 僕は訊いた。何しろ、どうして水族館なのか分からなかった。

 「取材のためだ」

 そう、彼は言った。

 「何にしろ、俺は今恋愛系の小説を書いてる。だから、甘酸っぱい恋愛シーンを入れたいんだ。だが、今書いても詳細には駆けねえ。何しろ最近水族館に行ってねえからな」
 「理屈は分かるけど……」

 理屈は分かる。分かるけど、そうじゃない。

 「なんで俺と」
 「一人じゃあ、寂しいからな。お前だって水族館に関する小説を書きたいだろ」
 「別に今はそこまでだけど。でも」

 僕は軽く首を振る。

 「それで、君の小説を読めるならば、行きたいかな」

 そう、それによって彼の小説を読めるならそれが嬉しい。

 「ファンだなあ」

 佐久間は笑い、そして、頭を柔らかく撫でられる。


 水族館かあ、

 俺は家の布団に寝転がりながら思考する。楽しそうだな、と思う。
 何しろ、

 俺は水族館に行ったことはない。
 いや、正確には両親が亡くなった後には行ったことがない。

 行く余裕がなかった。それに、あの日俺は水族館に行こうとしていた。
 あの出来事は、俺のトラウマとなっているのだ。

 いい機会だな、と思う。それと同時に楽しみだな、とも思う。トラウマをいい思い出で払拭出来るかもしれないのだ。
 そう思えば、多少わくわくする気持ちも同様にあるんだ。

 


 そして、当日になった。

 俺は、今待ち合わせのために、水族館前に来た。
 久しぶりのこういう機会だから、今日は服装を整えてきた。

 家にはあまり普段遣いの私服は無かったから、そこまでおしゃれになっているかは分からないけれど、
 少なくともヘアセットはばっちりなはずだ。

 勿論俺の主観でしかないのだけど。


 そして、8時50分、待ち合わせ時間の10分前に彼が来た。

 「お待たせ」

 彼がそう言って笑う。決まっている。見るからにおしゃれだ。

 制服の時だったら、分からなかったけれど、着こなしている、と言う感じがする。

 そして、彼からわずかながら鼻へと香りがやってくる。
 この匂いは、香水なのだろう。

 男性が香水をつけるなんてことは珍しいと思う。だけど、その香りが、彼の魅力を引き立たせている。
 正直ドキドキとする。

 「なに、ぼうっとしてんだよ」
 「君の私服がおしゃれだから」
 「おっ、言ってくれるじゃねえか。おしゃれした甲斐があるぜ」

 そう言って喜びを顔で表してくれる。

 そして、

 「そっちも似合ってるぜ」

 そう、軽い感じで行ったのだから、更にドキッとだ。

 「ありがと」

 俺は言った。だけど、人から褒められることには慣れていない。
 さらに俺の心臓の音色はさらに大きさを増していく。

 ドキドキとしてしまってたまらねえ。


 そのまま二人歩いていく。

 そのまま水族館へと入っていく。


 中を見ると、早速魚たちの姿が見えた。小魚が可愛らしく泳いでいる。
 俺は早速その姿を目に捕らえた。

 「早速か」
 「早速、まあね」

 俺は頷いた。

 「だって、可愛いから」
 「はっ、そうか可愛いか」

 そう言って彼もまた覗いていく。

 「確かに可愛いな」

 その言葉に、俺は静かに頷いた。

 「こういうの見るのは初めてか?」
 「うん」

 俺は頷いた。

 「子供の頃には行ったことあるらしいけど」
 「覚えてねえのか」

 その言葉に俺はまた頷く。一応あの事件以前にも行ったことがある。
 とはいえ、あの時楽しかったから、あの事件が起きたのかもしれないと考えると、

 正直嫌な気持ちになる。

 いや、今はそんな事はどうでもいい。

 今は楽しまなければ、一緒に居る佐久間に対しても失礼だ。

 「だから、全てが新鮮で愛おしいんだ」
 「はっ、少し小説的表現を取り入れたか」
 「そんなつもりはないよ」

 しまったか。確かに口にすれば中二病の香りがする。

 「そう言うの好きだぜ。比喩表現は普段から使わないと、成長しねえからな」

 そう言ってまた彼は笑った。

 「でも、下手だろ」

 ありきたりだし、

 「下手でもありきたりでも、段々と育つものだからな」

 そして、顎を軽くさすり、

 「最初からうめえやつはいねえ。俺は失敗しないと成長しねえと思ってる。怖がってるうちは何も出来ねえからな」

 その言葉に俺はまた頷いた。

 確かに、行動しなければ成長しない。
 だけど、ミスを恐れては行動すらできない。

 そう考えれば、ミスを起こすという事は、成長への第一歩という事か。

 「流石先生、いいこと言うな」
 「先生なんて言わないでくれよ」

 そう言って頭を掻いた。照れくさい様だ。

 そして、そのままどんどんと見ていく。


 でも、言葉のままどれもこれも愛おしいと思う。
 俺は、これを楽しく思う。

 全部が嬉しく思う。
 それも一人だったらこんなことは思わなかっただろう。
 多分、佐久間がいるからそう思えるのだ。
 だから、見ていて楽しいと思えるんだ。
 と、思った。


 多分、佐久間は俺に気を使ってくれている部分もあるだろう。何しろ、俺は何でもじっくり見てしまっている。そのおかげで、佐久間を待たせてしまっている、と思ってる。
 ただ、佐久間は嫌そうな顔は決して俺には見せないのだけど。

 そのまま、見ていくこと暫く。

 俺のお腹の音が鳴った。
 気が付けばもう12時40分だ。

 「学校ならもうご飯食べる時間だからな」

 俺がお腹を押さえていると、彼はそう言った。

 「恥ずかしい」

 俺がそう言うと、彼はまた笑って見せる。

 「大丈夫だ。俺もお腹空いてるから。ご飯食べに行こうぜ」

 そして、俺の手を軽く取り、

 「こっちだ」

 そう、彼は言った。


 いやいや、俺を連れていくために手を掴んだのは分かってるよ。
 手をつないだ方が迷子にならないし、何より場所案内するうえで最善だ。
 だけど、彼の手は暖かく、ドキドキとしてしまう。

 手の暖かさを感じるのだ。

 くそ、何で男相手にドキドキしなきゃならねえんだよ。
 多分、あれのせいだ。佐久間が恋愛小説を書くためにここに来た。

 そして、デートのために研究しているからだ。香水の匂いに、デートに来たのかっていうようなおしゃれな服装。
 そして、その手の暖かさを始めとしたアプローチ。ああ、そう言う事なんだ。

 俺は今佐久間に踊らされているんだ。
 もう、そう断言するしかねえんだ。なんて思った。


 「なんで、それなんだよ」

 彼が食べているのは、海鮮丼だ。

 「こういう場合定番だろ。今まで見てきた魚を食べんのは」
 「定番じゃないだろ」

 まさか、サイコパスごっこするのが定番だというのか。
 佐久間の小説でも、こういうシーンだしてくんのかな。どう考えても佐久間の小説だと、ノイズ化すると思うんだが。


 「なあ」
 「ん?」
 「今日楽しいか?」

 そう問われる。

 「楽しいけど」

 楽しいに決まっている。

 「それならよかった」

 そう言って笑い。

 「なら俺は小説の中でも、いい雰囲気のデートを演出できるな」

 なんて言った。

 「なあ、なんで俺なんだ」

 前もって持っていた疑問を口にする。

 「佐久間なら、女子と一緒に行くことも可能なはずなのに、なぜ俺なんだよ」

 デートと言うなら、本当のデートをすればいい。
 だってそうだろ。男同士でデートみたいなことをするよりも、恋愛小説なら女子と来た方が良いに決まっている。

 佐久間はイケメンだ。だからこそ、女の子にもモテるに決まっている。それに前こんなことを言っていた。部員には女子もいたと言っていたと、記憶している。ならば、そいつと行けばいいはずだ。

 なのになぜ俺なんだ、という最初の疑問につながってくる。

 「それ言わなきゃダメか」

 まさかそんな返答をされるとは思わなかった。

 言いたくない理由なのだろうか。

 「嫌なら言わなくてもいいけど」
 「いや、言うわ」

 そして、俺の肩をトンと叩く。

 「お前と一緒に行きたかったからに決まってんだろ」

 彼は顔を赤らめながら言った。
 それ、男が男にする顔じゃない。

 意味が分かんねえ。

 「何言ってんだよ」
 「別にいいだろ。理由として筋が通ってるだろ」
 「通ってるとかじゃねえから」

 そんな顔で言わないでくれ。
 そんな顔で言う言葉じゃねえ。

 「わけわかんねえ」

 俺はそう言ってそばをすすった。




 その後も、水族館内を巡って行った。後半、佐久間はメモを頻繁に取っていた。

 如何いうふうに文章を紡げばいいのか、今まさに試作しているのだろう。

 確かにだな、と思い俺も文章を紡いでいく。多分隣のイケメンに比べて文章はそこまで良くはないだろう。だけど、その中で確かに愉しく思える部分もあった。
 文章を工夫してメモを取るという行為が俺にとって初めてで、楽しくもあったのだ。

 サメ、イルカショー、ペンギン、というようにどんどんと見に行く。その中で、楽しく思える水族館巡りだった。
 だけど、楽しい時間はどんどんと過ぎていくもので、
 いつの間にか閉館時間になっていた。

 水族館の中で、七時間過ごした、と考えれば、今日は集中して魚を見たな、なんて思う。
 ただただ家出だラ誰とするよりも遥かに良い休日になってくれただろうか。


 「今日はありがとう」

 帰ろうかという時、俺は言った。

 「今日は楽しかった」

 その言葉に佐久間は嬉しそうに。

 「ああ、俺もだ」

 そう言って笑う。その表情は明るくて、見ていて好きな顔だった。

 「明日、お前に小説の草案を見せる。感想を教えてくれ」
 「明日は日曜だけど」
 「メールでだ」

 ああ、そう言う事か。

 「ありがとう。楽しく読ませてもらうから」

 俺が言うと、佐久間はまた笑った。