問題児専門の担任ですが、人が壊れる様子を見るのが好きです


 榊くんは自称改心してから、私が受け持つ2年3組は大人しくなった。
 どういう風の吹き回しか。榊くんが大人しくなったから、他の人も同じように大人しくなったのか。それらの直接的な原因は分からない。けれど、事実であることにも変わりない。
 2年3組が落ち着いたことで、担任である私が評価された。
 正直、迷惑な話だと思った。
 別に私が何かしたわけではない。榊くんが勝手に大人しくなっただけ。他の子たちも、それにつられて落ち着いただけ。
 私は何もしていない——そう、思っていた。そう、思いたかった。

 岩永先生は休職した。
 あの日、職員室で泣き崩れたあと、しばらく学校に来ることはなかった。
 噂好きな教師たちは、彼のことを少し話題にしたあと、すぐに興味を失った。
 教師とは、案外薄情な生き物だ。
 いや、人間なんてそんなものか。
 だからこそ、私は人が壊れる様を見るのが好きなのかもしれない……なんて。
 最近は、自分のことすらよく分からない。

 あの日、職員室で私がカミングアウトしてしまった思いについては、あれ以降、誰も触れてはこなかった。
 何も言わず、何もなかったかのように、私と接してくれる。
 もちろん裏では何を言われているかは分からない。けれど、そんな周りの対応が居心地よかった。



 なんとなく平穏と感じられる日々が続いたある日の昼休みのこと。
 珍しく榊くんに呼び出された私は、久しぶりに相談室へと赴いた。
 榊くんが大人しくなってから、すっかり遠のいていた相談室。どこか新鮮で、妙な懐かしさすら覚える。
「……どうしたんですか」
「これ見ろ」
「?」
 乱暴に置かれたスマートフォンが、机の上で1回転する。誰かとのトークが表示された画面に視線を向けると、榊くんは「読め」と小さく呟いた。
「……スマホ、学校で出すと没収しないといけないんですけど」
「チッ!! うっせぇな、没収したきゃしろよ!! すればいいさ!! でもその前に、今すぐこのトークを読めって言ってんだよ!!」
 榊くんの圧に押されぬよう、冷静を装いながらスマホを手に取る。
 そこに書かれたやり取りを、しっかりと読んでみた。
『榊くん、あの時はありがとう』
『少しずつ元気になっています』
『また学校に戻れるよう頑張りますね』
 誰からか、なんて。聞かずとも分かる。
 短いその文章を3周くらい読んで、スマホを榊くんに返した。
「……っていうか、教師と生徒の間で連絡先の交換なんてしてはいけないんですけど」
「チッ!! お前はどこまでも頭固いな!! 岩永は特例だろ!! 俺はそんなこと言われるために見せたんじゃねーけど!」
「……彼、壊れなかったんですね」
「ん……? あぁ、まぁ、そうだな」
 戸惑いを見せる榊くんは、軽く頭を掻きながらスマホをポケットにしまう。
 私は小さく溜息をつきながら、窓の外に視線を向けた。
 壊れそうだった人が、壊れなかった。
 なんとも言えない事実と複雑な感情に、溜息が止まらない。
「よかったじゃん、今回も(・・・)救えて」
「救ったつもりなんてありません。私は最後まで、彼の壊れゆく様子を楽しんで見ていました」
 それは偽りようのない事実だ。
 淡々とそう伝えるが、どうやら榊くんには通用しない。
「だからなんだよ」
「お前が何考えてたかなんて知らねぇ」
「……」
「ただ、岩永が〝壊れなかった〟。それで十分じゃねぇの?」
 私は窓の外を向いたまま、また小さく溜息をつく。
 私は、榊くんに諭されたのだろうか。そう思うと、自然と口角が上がっていく。
 なんと皮肉なものだ。壊れていると見ていた人に、諭されてしまうというのだから。
「……人間って、脆いですね」
「何を今更。言ってんだろ、人間は脆いって」
「ですね」
「そして——案外しぶとい」
 榊くんはニヤッと笑って、そのまま相談室を後にした。
「……」
 榊くんが出て行ったあと、静かになった相談室には、昼休みの喧騒だけが遠く聞こえていた。
 問題児を指導するための場所。
 人が壊れる様子を観察するための場所。
 そんなふうに思っていた相談室が、いつの間にか少しだけ違う場所になっていた。
 私は人が壊れる様子を見るのが好きだ。
 それはきっと、今でも変わらない。
 人間は脆い。
 簡単に壊れる。
 だからこそ、美しくて、儚くて、目が離せない。
 でも——壊れたら終わりだと、誰が決めたのだろう。
「……まったく」
 思わず笑みが漏れる。
 壊れていたはずの生徒に諭されて、休職した新任教師に助けを求められて。私が確立した教師像とは相反することに嫌悪感は覚えるけれど、どこか清々しい気持ちも抱く。
 岩永先生が復帰したら、私の行動理念について詳しくお話しようかな。そんな気持ちも芽生えてくる。ただ、あの頃とはもう考えが違うかもしれないけれど。
 人としても、教師としても、私はまともではないのかもしれない。
 それでも。
 私が私らしく生きるために、私は私の〝好き〟を貫いていく。
 私が教師として生きていくための理由になるのだから。

 だから——。
 人間って、本当に面白い。




—了—