問題児専門の担任ですが、人が壊れる様子を見るのが好きです


 嫌なことを思い出した。
 前任校にいたときの、上野先生。私はあの人が心底嫌いだった。
 私が坂井さんの違和感を訴えたのに、人間はそんなに脆くないと一蹴した最低な教師。そのせいで、坂井さんは自殺したというのに。
 歪んだ感情を持つ今だけど、あの頃に傷つけられた心はどうにも癒えない。
 苦しかったはずなのに。
 今の私は、その人と同じになっている。
「嫌いな人と同じことをしているなんて、私も成長がない」
 まさか榊くんの口から〝人間は脆い〟という言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
 そしてその返答として私の口から、〝人間、そんなに脆くない〟という言葉が出てくるとも思っていなかった。
 自分が憎かった。
 あの頃の純粋だった私なんて、もうどこにもいなくて。ただただ、大嫌いな人と同じ道を歩んでいるだけの、愚かな教師と成り果てている。
 問題児は大好き。
 人が壊れる様子を見るのも大好き。
 だけど、上野先生は大嫌い。そんな上野先生に、私は確実に近づいている。



 岩永先生が学校に来なくなった。
 担任を受け持っているのに非常識だと、頭の固そうなお偉い教師は声を荒げる。
 中堅教師は岩永先生に同情しつつ、そんなメンタルでは教師など務まらないと溜息を漏らす。
 若手教師は岩永先生の穴埋めをするために翻弄している。
 職員室の空気感が最悪だと思った。
 けれど、こうなっているのは私のせいでもあると、ほんの少しだけ思った。
 だって、気づいていたから。
 心が壊れた人の行く末を、私だけは知っていたから。
 何食わぬ顔で自分の席に座り、物ひとつ言わずにパソコンと向き合う。岩永先生の話題で持ち切りの職員室内で、私ひとりだけが確実に浮いていた。

 そんな、同日の午後。
 生徒たちが5限目の授業を受けている最中に、職員室は異様な騒がしさに見舞われた。
 私は空き時間だった。
 来週の授業に向けての準備なんか行っているときで、騒がしい声の主に嫌気が差す。
「黒木ぃ!!」
「こら、黒木先生と呼びなさい!!」
「……」
 黙ったまま席を立ち、職員室の扉の方に向かう。
 そこには榊くんと、腕を拘束された岩永先生がいた。
 顔を真っ青にした岩永先生は、視線をこちらに向けることもせず、力なくうなだれる。
 怒りに満ちている榊くんは、岩永先生を離さずにまた声を荒げた。
「おい、黒木!! 俺言ったよな、こいつヤバいって。気づいてて何もしなかった。そんなんで本当に教師かよ!?」
「……」
 私は岩永先生の指導担当ではない。私が彼を見る義務もない。
 ただ、気づいていたのは事実。だからこそ、榊くんの言葉に頭が痛くなる。
「こいつ、どっかで自殺でも図ろうとしてたんじゃないか? 学校に来ず、変なとこでうろついてたぞ!」
「……」
「助けろって、お前がいつも生徒に言うみたいに。お前が俺に指導したように。お前が、俺を改心させたようによぉ!!」
 榊くんは岩永先生を床に転がし、声を荒げる。
 周りの教師たちは、誰ひとりとして何も言わず、ただ静かに榊くんの方を見ていた。
「……別に、私はあなたを改心させようと思って指導したわけではありません」
「……」
 榊くんは大きな舌打ちをして、口を開く。けれどそれを私が遮った。
「私は、人を救うことなんて興味ありません」
「嘘つけよ」
「私は——人が壊れる様を見るのが好きなんです」
「んなもん、知っとるわ」
「……」
 今度は私が黙るタイミングになる。
 榊くんは怒りを前面に表しながら、感情を抑えようとせずに声を荒げる。
「キモいし、最低だし、教師としてというか、人として終わってんだろ! お前はなんも言わないけれど、そんなお前の思考くらい簡単に分かってた。楽しんでたろ、それも分かってた。分かった上で、岩永がヤバいぞって言っていたんだよ」
「……」
「俺を見捨てなかった。お前は、俺を改心させた。だからこそ、岩永をどうにかして欲しいと思った」
 何も言えなかった。
 次に言いたい言葉は何も出て来なくて、ただ、榊くんと床に転がったままの岩永先生を交互に見るだけの私。
 誰にも言ったことがない心の内をさらけ出されて、息苦しさを覚える。けれど、これ以上は取り繕う必要もないと思った。
 これが本当の私。それを、みんなに知ってもらういい機会だとまで思えた。
「お前が他とは違う教師と思ったから、俺はお前のところに来てたんだよ。お前だったから……って、岩永、お前もなんか言えよ!!」
 急に怒りの矛先を向けられた岩永先生は、転がったまま大粒の涙を零していた。
 そして全身を震わし、小さく口を開く。
「僕を、助けてください。僕、黒木先生みたいになりたかったんです……」
 その瞬間、職員室の空気が止まるような感覚がした。
「問題児やその親に怒鳴られても、平気な顔して。どんなに理不尽でも、誰にも振り回されなくて。強くて……でも僕には無理でした。僕、もう分からないんです……」
 私も、榊くんも、職員室にいた教師たちも。誰もが口を開かなかった。
 泣いている岩永先生を見ていると、私の脳内には沢山の声が響き始める。
 人間、そんなに脆くないです。
 人間は脆いだろ!
 僕を、助けてください。
 助けられずに死んでいった坂井さんの泣き顔を思い出す。でも、今更どうすることもできない。
 私はただ、岩永先生を見つめた。
 彼は、いつまでも泣き続けていた。